第44話 一千万円発見
今の状況を説明してやった。
「じゃあ、俺っちは夢に捕らえられてたって、わけっすか」
「あの通路で意識を失ってから、自分自身の望む夢を見せられてたようだ。あと、お前の夢の話はするなよ」
亘が凶暴な笑みをするものだから、チャラ夫は必死に頷いてみせた。
「戻ったよー。やっぱさ、他の部屋は空だったよ」
そこに他の部屋を確認に行っていた神楽と七海が戻ってきた。探知では気配を感じなかったが、念のために調べてきたのだ。
「でも、こんなものがありましたよ」
七海がベストを差し出す。それは亘たちが着ている防刃防刺性のベストと同じ品だ。
「それは対策班のものなのか」
「分かりません。でも神楽ちゃんの調べですと、外から持ち込まれた品だそうです」
「そだよ。これはDPで出来てないもん」
「ですから、少なくとも誰かがここにいたのは間違いないですね」
神楽が七海の肩を飛び立ち、そのまま亘の頭へと着地する。そのまま草でも均すように亘の髪を押し付け座り込んでしまう。まるで頭の上に小鳥でも飼っている気分だ。
「だとすれば対策班は一度ここに囚われたが、何とか夢から逃れられたってことだろうな」
「もしかすると、私たちと入れ違いで脱出しているかもしれませんね」
そんな言葉にチャラ夫がショックを受けた顔をする。
「マジっすか、先に脱出されたかもしれないんすか!」
「かもしれないな」
「うがぁーっす! もうちょっと早ければ一千万円だったのにー。ショックっす!」
チャラ夫は頭を掻きむしる。そんなことしないが、亘も羽の生えた札束が飛んでいった気分だ。
「仕方ないですよ、相手は私たちが助けに来たことを知らないのですから。それに、後は私たちが脱出することに集中できますよ」
「そうだな、七海の言う通りだ。さて、対策班を救助する必要が無いなら、出口を探すことに専念して早いとこ脱出しよう」
「いや待って欲しいっす! まだ脱出したとは限らないっす。どこかにいるかもしれないっす。途中で合流できたるかもっすよ!」
「分かった分かった。そう思うなら、早いとこ移動しよう。さっきみたいに意識を失って囚われるなんて御免だろ」
神楽の探知では敵の気配を捉えられていないものの、この異界には何かがある。もしくはいる。姿が見えず探知のできない敵が居るのかもしれない。
そんな亘の指摘で、チャラ夫と七海は周囲を不気味そうに見回した。
「分かったら行くぞ」
探索を再開した。
歩きだして少しすると、早くもチャラ夫が喋りだす。一応気を使っているのか、いつもよりは声を顰めてはいる。
「ナナちゃんはどんな夢を見たっすか。俺っちだけ見られてズルいっすよ。教えて欲しいっす」
「えっ! えっとですね。あは、あははっ……その普通の……普通の日常生活です」
「えーっ、教えてくれもいいじゃないっすか」
チャラ夫がしつこく追求し七海は困った様子だ。亘は肩越しに振り向くと、釘を刺しておく。
「自分が見られて恥ずかしいのは分かるが、女の子の夢を聞くなんてマナー違反だろ」
「うーっ、じゃ、じゃあ兄貴はどんな夢を見たっすか?」
「……さあな。下らなすぎて目が醒めたよ」
亘はそのままスタスタ歩いていった。
◆◆◆
監禁目的としか思えない部屋が並ぶエリアを抜けた先は、またしても妙な部屋だった。
そこは壁の一方が鏡――恐らくはマジックミラーだろう――となっている。中央には診察台のような台があり、何かを固定するための革ベルトが四方に付属していた。床はタイルのようにツルツルで排水口が備えられている。出入りするドアは他よりも一際頑丈なつくりだ。
これを単なる治療目的の設備と思える程、亘はお気楽ではない。新藤社長に対し感じだしていた親近感が一気に遠のいたことを感じる。
七海も気付いたらしく、恐る恐るといった様子で部屋の中を見回した。
「あの、この異界は元の世界と同じなんでしょうか。もしそうなら、この場所って人体じっ……」
「仮にそうだったとしてだ。何も見なかった、何も気付かなかった。その方がいいと思わないかな」
「……そうですよね」
「二人ともどうしたっすか? この鏡ってダンスの練習に良さそうっすっよね。ダンスダンスーって、二人とも待つっす! 置いてかないで!」
そんなやり取りをしながらフロアの中を移動していく。チャラ夫が言っていたように、対策班がいるかもしれないが、けれどメインは出口探しだ。
幸いと言うべきか、相変わらず敵は現れない。そして意識を失うようなこともなかった。亘たちは静かな異界の中を黙々と移動していく。
非常階段の鉄扉を開き、新しいフロアに入る。
「あれっ、ひょっとしてこのフロア。見覚えがありますよ」
「説明会の時のフロアっすよ。いやあ、懐かしいっすねえ。もう遠い昔のようっす」
「かなりの階段を上がって来たことになるな」
「そうですよ、これはもう明日になったら筋肉痛ですね」
七海は明日かもしれないが、亘は明後日かもしれない。筋肉痛までの日数と年齢は関係ないと言うが、若い頃より筋肉痛になるまで遅い実感はある。
何にせよ、以前説明会が開かれたフロアにまで到達した。最上階まであと少しだが、キセノンヒルズの中層からここまでを踏破したと考えると、どっと疲れが湧いてくる。
神楽がピンッと顔を上げた。
「ここのフロアだよ! 人の気配と、あと出口の気配もあるよ!」
「まじっすか、一千万円発見っすよ、一千万円っす」
「こらこら、お金じゃなくて対策班だろう。失礼だぞ」
大はしゃぎするチャラ夫を窘めるが、もちろん亘も心の中ではガッツポーズだ。七海が嬉しそうに小さく手を叩いているが、きっと無事に合流できることが嬉しいからだろう。
あとは対策班と合流し一緒に脱出するだけである。
「さあ一千万円っすよ。ささ、早く合流するっす。この部屋っすか」
「そだよ、その中だね」
「待った。場所が場所だ。いきなり開けると、敵と間違えられて攻撃されるかもしれない」
「うっ、確かに……じゃあ兄貴、よろしく頼んます」
会議室のドアへと向かってたチャラ夫がぴたりと足を止め、どうぞどうぞと先を譲ってくる。中々、小狡い奴である。
「仕方のないやつだな」
しかし真に小狡いのは亘である。
ため息をついてみせながらドアへと向かうが、その前に居住まいを正す。対策班がピンチに陥っているかどうか不明だが、危険を冒し救助に来た相手に女性隊員たちが感謝するのは間違いない。
つまり、最初に顔を出す方が好印象なのは間違いないのだ。
亘はドアの前に立ち咳ばらいをすると、まずはノックしてみる。
「反応がないな……もしもし開けますよー。助けにきましたよー」
返事がないため、さりげなくアピールしながら、ドアをそっと開け覗き込む。薄暗い会議室の中で、何やら白いものが幾つも折り重なるように蠢いていた。
何か生臭い臭いに眉を寄せつつ、目を凝らしながら見つめる。
「なんか変な臭いー」
頭の上で神楽が呟く。
それを聞きながら、亘は唐突にその白く蠢くものが何か気付く。そうすると、自分の見ている光景が何であるのかを理解した。
「…………」
その行為を生で見るのは初めてだ。これまで映像でしか見たことがなく、もちろん経験したこともない。だから理解するのに時間を必要としたのだった。それ以前に、異界の中のしかも会議室で見る光景ではないだろう。
硬直する亘の背後で、若者二人が漂ってくる臭いに鼻をヒクつかせていた。それぐらいにムワッとした生臭い臭いが立ち込めていた。けれど、若者たちは理解できない様子だ。
「なんすかね、この臭い。ちょっと何か嗅ぎ覚えのあるのも混じってる気がするっす」
「どうしたんですか? あっ、なんだか変な臭いですね。なんですか?」
「兄貴、対策班の人は居るっすか。どうなんすか」
「うん。いるけどね……いるけど入るのは止めておこう」
亘はソッとドアを閉めた。そのままドアに手をあて、深々とため息をつく。女性隊員と恋愛に発展したらいいな、と半分期待していた。写真で見る限り、可愛い子が多かった。対策班の男どもが羨ましく腹立たしくなる。
そんな亘の様子に、チャラ夫も七海も怪訝そうな顔だ。
「あの? どうしたんですか。対策班の方は無事なんですか?」
「ああ。無事だぞ、ちょっと疲れてる最中だろうが、凄く元気そうだ……」
「じゃあ、早く合流するっすよ。一千万円っす!」
「……神楽、探知だと人間の気配は、ここに居るだけなのか?」
「そだよ。他の場所には居ないね」
亘と一緒に中の光景を見た神楽だがキョトンとしたままだ。知識の差から同じ光景を見ても理解が出来ないでいる。
「出口はこの中にあるのか?」
「ううん、別の場所だよ。少し先行ったとこだよ」
「そうか。それなら先に脱出するとしよう。新藤社長には場所と無事が確認出来たと報告する。それだけで充分だ」
「何なんっすか? 無事なら一緒に連れてけば……」
「そうしたければ一人でやってくれ。自分は早いとこ脱出させてもらう。事情を話せば新藤社長も納得してくれるだろうさ」
「……まあ、兄貴がそこまで言うなら、俺っちは構わないっすけど」
「私も構わないです。何か分かりませんが、入らない方が良いということですね」
「そうだな。さあ、行くぞ」
対策班がこんな場所であんなことをしているのは只事ではない。何かしらの異常事態が発生していることは間違いない。
下手に踏み込めば、それに巻き込まれかねない。
中に入って巻き込まれてみたい気もあるが、そんなことより早いとこ脱出した方がいいに違いない。
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