第157話 皆のお婆ちゃん
腰にしがみつくサキを引きずり、お宮の前に立つ。色褪せた木造は所々補修で色の違う板材が使用されている。少なくとも亘が物心ついたころには、こんな感じでいつ建立されたか分からないぐらいだ。
「入る前にちょっとぐらい拝んでおくか」
「そうですね」
「よーし、お願い事するぞ」
横一列に並び賽銭箱に小銭を入れると、イツキが楽しげに紐を揺らし鈴を鳴らした。揃って二礼二拍し拝むが、お願い事をするつもりはない。
昔は必死に祈ったこともあるが、その対象となる相手から直接『祈られても、どうもできない』と言われたので、これは挨拶代わりのつもりだ。
そもそも神様に頼んで願いを叶えて貰おうなんて考えは、身勝手な他力本願だったに違いない。そもそも、どうして神様が人間の願いを叶えねばならないのか。例えば自分が見知らぬ相手に願い事をされたら叶えてやるだろうか。力のあるなしを別にして、そんなわけないだろう。
目を開けると、他の者が手持ちぶさたにしていた。これではまるで、必死に願い事をしていたようではないか。思わず苦笑してしまう。
「悪い、待たせたな。少し考えごとをしていた」
「そうか、何かお祈りしてるかと思ったぜ」
「はははっ、まあここの神様は願いを叶えてくれないからな。本人……神様なら、本神か? まあいいや、直接そう聞いているからな、間違いない」
「へえ、そうなのか」
屈託ないイツキに笑ってみせると格子扉を開け、お宮の中へと上がり込む。子供の頃は入り浸っていた場所なので慣れたものだ。中は狭く、三人が揃うと窮屈さを感じるほどだ。
亘はスマホを取り出すと、軽くタップして合図をした。中から巫女姿の神楽が顔を出す。どうやら寝ていたのか、トロンとした眼で欠伸している。
「なにさ、喚んだ?」
「ここにある異界の扉を開けてくれないか」
「あーはいはい、すぐやるよ。でもさ、別にさボクじゃなくたってサキでもいいのにさ。もちろん、ボクにお任せだけどね」
宙を飛んだ神楽は小袖を振り姦しく騒ぐと、小さなお宮の小さな祭壇へと近づく。そして何もない空をノックするように叩いてみせた。空間がゆらゆらと揺らめきだす。
「はい完了だよ」
ひと仕事終えた神楽は亘の頭にペチョっと張り付いてしまう。どうやらまだ眠いらしい。そのままうたた寝するが、すっかり寛いだものだ。亘の方も慣れたもので、その重みを頭部に感じないと落ち着かないほどであった。
「よし、それでは行こうか」
「神様に会うなんて緊張しますね」
「大丈夫だ。優しい人、いや神様だからな」
「俺の里にいる前鬼さまや、後鬼さまみたいな感じかな。そういや小父さんにやられて、かなりヘコんでたけどな」
異界の扉をくぐり抜けた。
しばらくして散策中の男が参拝に訪れた。お宮の扉が開け放たれた様子に、不心得者がいるものだと眉をひそめるのだった。
◆◆◆
気付けば鳥居の下に佇んでいた。
空は薄明るく薄暗く、遠くに見える山の景色はぼやけ滲んでいる。それはここが紛うことなき異界であることを示していた。
境内の広さこそは変わらぬが、お宮が簡素な庵へと変わっており、傍らには高床式の倉が建っていた。そして先程までは枝葉ばかりだった山桜が咲き誇っている。
「やあ、良く来たね。ようこそ、我が異界に」
その桜の花弁が舞う下に古風な出で立ちの女性が立っていた。滑らかで色白な顔に、涼しげな切れ長な目がある。輪にして結った髪型は古雅に溢れ、纏う小袖は桜色。下衣の裙は新緑色で、白い比礼を肩にかけた姿だ。
この異界の主である神様であった。
「うわぁ、綺麗な方ですね」
「服も凄い綺麗だぞ。俺もあんなの着てみたいな」
上品で華やかな大人の女性といった姿を前に、七海とイツキが女の子らしい感嘆の声をあげる。神楽も亘の肩に飛び降りると、耳を引っ張り我が儘を言いだす。
「ボクもああいうの着てみたいや。ねえマスター、DPショップに売ってたらさ、買って欲しいな」
「売ってるか知らんが、高いだろな。それにな、上品な服は似合う似合わないってのがあってな、神楽じゃなあ……いだだっ!」
耳朶を噛まれ亘は悲鳴をあげた。おかげで、鈴を転がすようなコロコロとした声で笑われてしまった。赤面する亘は誤魔化し笑いを浮かべ、恥ずかしいやり取りをなかったことにして挨拶をする。
「お久しぶりです」
「まったくだよ、もっとマメに来てくれたっていいだろうに。それにしても、よく私が呼んでいると気付いてくれたね」
優しい口調の中に笑いを堪えるものがある。確かに耳にピアスの如く神楽がぶら下がっていては仕方ないことだった。
神様からの誘い。
それは――少し前のことだ。アパートの窓が外からコツコツと叩かれ、不審に思って開けると季節外れな桜の小枝を咥えた小鳥がいた。それを見た瞬間に、呼ばれていると悟ったというわけだ。
なお小鳥は獲物を狙う目のサキが近づき、ギョッとして逃げていった。
そんな話をすると神様は軽やかに笑った。
「気付いてくれて良かったよ。もし君が気付いてくれなければ、麓に災いでもを起こしてやろうかと思ったのだがね」
「マジ止めて下さい」
「マジ? ああ真面目のマジってやつだね。なんにせよ、マジ良く来てくれた。マジ嬉しいよ」
神様は亘の言葉に戸惑いをみせたが、しかし面白かったのかマジを連呼している。その様子は無邪気さを感じさせるものだが、もちろんそんな生やさしい存在ではない。
相手は神だ。
神といえば、こと現代においては人を見守り助ける存在にされがちだ。しかし本来は祟る無慈悲な存在である。だからこそ人は神を崇め敬い、そうすることで災禍から逃れようとしてきた。
麓に災いを起こすとの言葉も冗談ではなく本心だろう。無論そこには悪意すらなく、人が気紛れに蟻の巣を壊すような感覚でしかないはずだ。
亘が少しばかりゾッとしていると、横で聞いていたイツキが平然と口をだした。
「なんだ、随分気さくな神様なんだぞ。凄く綺麗だし俺が思ってたのと全然違うぜ」
「イツキちゃん失礼ですよ。すいません騒がしくって」
「構わないよ。むしろ、賑やかでマジ嬉しいよ」
神様は純粋で素直な心で誉められたせいか、むしろ喜んでいる節があった。そのまま笑みを浮かべたまま、ぐるりと一度を見回しサキへと目を留める。
「ふふっ、それにしても面白い子を連れているね。妖狐の類い、それもかなりの力を持っている。これは玉藻前の系譜か」
怜悧な目に射すくめられ、サキは冷や汗を浮かべ亘にしがみついた。異界に入ってから文字通りの腰巾着と化している。神という気まぐれな性質を理解しているがため、ことさら恐怖を覚えていた。
「その子が麓で悪さしたのは、ここから見ていたよ。まあ、あの子にはあの方が良い結果が得られるだろうね」
その子にあの子にと、神様からすれば悪魔も人間も一緒くたの扱いだ。それは、なんだか田舎の年寄りが年齢問わず誰でも子供扱いする感じに似ていた。目の前にいるのは相当な年月を生きた存在なので、皆のお婆ちゃん的存在なのは間違いないだろう。
亘がそんなことを考えていると、神様の切れ長の目が亘に向けられる。ジト目というやつだ。
「君は何か失礼なことを考えているね」
「いえそんなことないです。はははっ」
「私は人の心を読むことはできないが、表情からある程度は分かるよ。なにせ、相当な年月を生きているからね」
「すいません……」
本当は心を読めるのではなかろうか。考えていたことを当てられ、亘は大いに恐縮してしまった。
「さてと、せっかくだから名乗っておこう。我が名はアマクニだ。そう呼んでくれて構わないよ」
「私は、舞草七海と申します。挨拶が遅れましたが、どうぞよろしくお願いします」
「俺も挨拶するぞ。アマテラスのテガイのイツキ、以後よろしくだぜ」
七海もイツキも嬉しそうに挨拶した。特にイツキは相手が神様だからと遠慮する気配がない態度だ。亘は特別信心深いわけではないが、しかし神と呼ばれる相手にそんな態度はできそうにない。
「七海はいいとして、イツキは神様相手に失礼すぎやしないか……」
丁寧な態度をとるよう指摘しようとする亘だったが、しかし相手の神様自体がそれを否定する。
「いや構わないよ。それよりだ、君のその『神様』との呼び方は、いただけない。どうだい、考えてみなさい。君は自分を『人間』と呼ばれて嬉しいかい」
「それはまあ……変な感じで、嬉しくないです」
「そうだろう、そうだろう」
亘が同意すると、我が意を得たりと言わんばかりに勢いよく頷いている。
「分かってくれたか。それでは私のことを、アマクニと呼びなさい」
「……そう言われましてもですね」
「私が良いと言っているだろう。ほらほら、早く呼びなさい。さあ早く」
これはボッチの反応だと悟る。長年会話する相手もなく、たまさか相手をしてくれる相手が現れたので大喜びという心境に違いない。なぜ分かるかと言えば、亘も同じ境遇だからだ。
「それでしたら、アマクニ様と呼びますので」
「むうっ、もっとこう親しみの込めた呼び方で。渾名でも良いのだがね」
「勘弁してください」
「ふむ……まあ仕方がないね。そこらで妥協するか……だが、その内には何かよい呼び名を考えておくれ」
アマクニが渋々妥協し、それでホッと安心する。信心深くはないが、畏れは忘れておらぬ亘であった。
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