第80話 昔ながらの徒弟制度

「とりあえず休憩して菓子でも食べようじゃないか」

 持ってきた菓子を真ん中に置き、各自が持参したペットボトルを飲みながら雑談を始める。それぞれが遠慮気味に菓子に手を出すが、チャラ夫は遠慮なく鷲掴みして志緒に怒られている。

 それはまるで遠足か何かのようだ。こんな風に皆の輪に入りたかった亘は嬉しくなってしまう。あまり喋りはせず、話を聞いているだけだが充分に楽しい。

 なお神楽には、別にお菓子が用意されている。一緒に食べると他の人の分まで食べてしまうからだ。

 現にスナック菓子の袋を抱えパリパクパリパクと旺盛な食欲を披露しており、最後には両手で袋を傾け欠片まで綺麗に食べてしまう。その上で、皆の食べている菓子まで物欲しげに見ているではないか。契約者として恥ずかしくなってしまう亘だった。

「ね、ねえ神楽さん。そんな小さな身体で沢山食べると太ってしまうわよ。いくらなんでも食べ過ぎじゃないかしら」

「えっ太るの? 人間って沢山食べると太るんだ。いいなあ、ボク大きくなりたいよ」

「ぐぬぬ」

 唸り声があがったのは志緒の方からだけではない。明らかに両側からも聞こえたが、賢明な亘は聞かなかったことにした。世の中には知らない方が良いことが沢山ある。

「志緒姉ちゃんは食べると、すーぐ太るんすよ。そのくせ、いっつもケーキを食べるんすよ。バカっすよね」

「仕事のストレスを癒してくれるのが甘いものなのよ。それにケーキだって、結構高いんですからね。いつもあなたの分まで買ってあげてるんだから、もっと感謝なさい」

 最後にゴチンッとチャラ夫が叩かれ姉弟喧嘩が始まる。七海とエルムはそれを笑って見ており、仲の良い姉弟喧嘩ぐらいに見ているのだろう。しかし亘は小さいころ従兄にやられたことを思い出してしまい気分が悪かった。


「そんならDPを換金してケーキを買うといいっすよ」

「バカね。公務員には副業禁止というものがあるのよ。そんなこと出来るわけないじゃない」

「え?」

 思わぬ言葉に亘は思わず声をあげてしまう。そんなこと、全く考えていなかった。単にお金が入ってラッキーぐらいの気分だったのだ。

 志緒が訝しそうな顔をする。

「五条さん、あなたまさか副業禁止の規定を知らないのかしら。同じ公務員でしょう」

「いや知っているさ。でも、出所が言えない事柄だから申告できないだろ。はははっ」

「そしたらあれはどうなるっすか。社長さんから貰った二千万円」

 せっかく笑って誤魔化そうとしたところに、チャラ夫がさらに余計なことを言い出す。お陰で亘はバツの悪い顔でソッポを向いて口笛を吹くしかない。

「そらほんまですか。五条はん二千万円持っとるんですか! 奢って下さい!」

「それだけの収入があったなら、確定申告はしたのでしょうね」

「いやそうは言われても困るな……なあ、神楽や」

「そだね困っちゃうよね。だって、全部使って残ってないもんね」

「「「「ええっ!」」」」

「大体さー、マスターってばボクが止めるのに泡銭は消毒だー、とか言って全部綺麗さっぱり使っちゃうんだよ。信じらんないでしょ」

 驚愕の視線が集中するなか、亘は額に手をやって下を向いてしまった。話を逸らすために声をかけた相手が間違っていた。

「二千万円も何に使ったっすか! はっ、まさか女とか!?」

「なんや五条はん、どっかにアパートを買って女を囲っとるんですか。やるやないですか、見直したわ」

「不潔ね。そんな人だとは思わなかったわ」

「あのなあ……」

 チャラ夫のせいで、亘の評価が地に落ちようとしている。ため息をついていると、横でベキバキと嫌な音がした。見れば七海が空のペットボトルを無言で圧し折っていた。小さく小さく折りたたんでいる。不機嫌な顔だ。

 もしかすると七海にまで不潔と思われたのかもしれない。亘は慌てた。

「言っておくが、刀を買うために使っただけだ。皆して変なことを言わないでくれないか」

 きちんと説明するが、志緒は口をポカンと開けて呆れ顔だ。

「はあっ、刀? 刀を何本も買ってどうする気なのよ」

「いや、一本なんだが。正確には刀でなく短刀だな」

「「「「ええっ!」」」」

「あれは素晴らしい短刀なんだ。重ね厚くて地鉄は青黒く深みがあり、とこどこに大肌を交え――」

 亘が自分の購入した刀の素晴らしさを伝えるべく語りだす。しかし、誰もそんなのは聞いちゃいない。

「二千万円もポンッと使うなんて漢や。漢がおるわ」

「あの、ダメですよ。ちゃんと貯めておかないと、その……結婚してからの生活に困りますから……」

「兄貴凄すぎっすよ。俺っちなんて、やっと一万円だけ使っただけなのに。おっと、今のは内緒だったっす」

「聞こえたわよ。後で姉ちゃんに詳しく説明なさいね。それにしても、五条さんたら、そんなものに大金を使うなんて、バッカじゃないかしら」

 志緒が呆れたように、そしてバカにしたように呟く。その言葉は亘の語りを止めるだけの威力があった。

 亘が頬をピクリとさせ、口をへの字にする。自分をバカにされるのはいいが、短刀を『そんなもの』扱いされたのが許せない。しかし、何かを言い出す前にチャラ夫が素っ頓狂な声をあげた。

「決めたっす! 俺っちは刀鍛冶になるっす!」

「あなたね、何を言い出すかと思えば、またそんなこと……もっと将来のことを真面目に考えなさい。姉ちゃん情けなくて涙でてくるわ」

「いいじゃないっすか。俺っちも刀を鍛えて二千万円で売ったるっす! いっぱい刀を作って大金持ちでウハウハっす!」

 へらへらと笑う姿に亘はため息をついた。


 刀に興味を持ってくれるのはいいが、こういう輩は困る。きっちり現実を教えてやらねばいけないだろう。

「じゃあ刀鍛冶について現実を教えてやろう。刀鍛冶、つまり刀匠なるには国家資格の刀匠免許を取得しないといけない」

「おおっ、国家資格とか超格好いいっす!」

「免許だから車の運転免許と一緒だぞ。あれも車を公道で運転してよいって許可が貰えるものだろ」

 その言葉に思い出したように七海が手をポンッとする。

「そうだ。私、そのうち車の免許を取ろうと思ってます。その時は五条さんが助手席でコーチして下さいね」

「そんならウチもお願いするわ。五条はんなら事故してもピンピンしてそうやし」

「最初から事故前提かよ。まあいいけど、なんか恐いな」

 話が逸れたことにチャラ夫が頭を掻きむしる。

「うがーっ、それより俺っちの大金持ち計画のが大事っすよ。ささっ、どうやったら刀匠さんになれるか教えて下さいっす!」

「はいはい。まず免許を取らないといけないが、その受験資格として刀匠免許を持った人の下で四年は修業しないとダメだな」

「おお、修業とか格好いいっすね」

「言っとくが修業の間は『無職』だぞ。しかも朝から夕方まで刀作りの修業、夕方からはバイトして生活費を稼がないといけないからな」

「えっ? なんでバイトするっすか。修業なんすよね」

 チャラ夫が不思議そうな顔をする。やれやれと首を振ったのは亘だけではない。姉である志緒も同じく首を振っている。


「学生の時みたいに衣食住を全部親から与えられるわけないだろ」

「そうよ、五条さんの言うとおりなんだから。生活の全てが親に保障されるのは学生時代だけなのよ。言っておきますが、姉ちゃんはあなたがニートなるのを認めませんからね」

「修行は就職と違うから給料なんて出ない。住み込みの修業になると生活費を取られるぐらいだろうな」

「あら、それは大変そうね。それなら、普通に就職した方がマシじゃないかしら」

「間違いなくマシだな」

 亘と志緒が顔を合わせているとチャラ夫が喚きだした。

「だーっ、志緒姉ちゃんは夢がないっす! 黙ってるっす! そんでも修行すれば大金持ちっす!」

「その前に弟子入りさせてくれるかが問題だな」

「なんでっす? だって弟子にして下さいって、お願いしてるっすよ」

 またしてもチャラ夫が不思議そうな顔をする。

「あのな、カルチャーセンターじゃないんだ。お金を取れない上に、一人前まで育てる責任が発生するだろ。しかも、弟子にしてもチャラ夫みたいなミーハーだったらどうする。修業が辛いって途中で辞める可能性もある。だから普通の刀匠は、あまり弟子を採りたがらないんだよ」

 修行中に発生する諸材料は教える方の負担となる。さらに時間と金と労力をかけ一人前に育てたとしても、最後は独立して手元を離れる。教える側のメリットなんて殆どない。

「俺っちは途中で辞めたりなんてしないっす!」

「そうか。まあ、刀匠は刀を作る人であって先生じゃないからな。学校みたいに懇切丁寧に教えてくれないぞ。昔ながらの徒弟制度だから技を盗んで覚えろって感じだな」

 教える人の性格にもよるが、大体はそんな感じになる。師匠となる刀匠は自分の技を無報酬で教えてくれるが、手取り足取り懇切丁寧に教えてくれると思う方が間違いだろう。まさに盗んで覚えろだ。

 もっとも、それぐらいの熱意が無ければ身に付かないだろう。


「修業と言っても初めの一年二年は、毎日炭をゴリゴリ切ったり作業場の掃除とかの下働きだろうな。その後も師匠の手伝いをしつつ、見て覚えることになる。大抵は途中で嫌になって辞めるらしい」

「……そんな地味なことばっか、させるからっすよ」

「修行ってものはそんなもんだろ。地味でコツコツしたことを学ばせるもんだ。あと勉強もあるぞ。古文と歴史と科学は必須だな」

「ちょっとぉ、刀匠っすよね。刀を作るんすよね!? なんで勉強なんすか!」

「日本刀は日本の歴史そのものだから、古文と歴史が必要。科学は鉄や鋼を扱う上で必要。あとは住み込みなら礼儀作法とか炊事洗濯まで教え込まれるな」

 特に礼儀作法は大事だ。

 亘が作刀の依頼するため刀匠の元を訪問した時のことだ。そこの弟子が挨拶すらできず、あまりにもぶっきらぼうな態度だったので依頼を止めたことがある。やはり礼儀作法は人間の基本だ。

 人と人とのやり取りが気持ちよくできない人間は何をやってもダメだろう。

「頑張って修業しても、刀匠免許の合格率は低いからな。落ちれば終わりだ。さらにそれだけ頑張って免許を取ったとして、その後に待っているのが……貧乏生活だ」

「えっ! 二千万円のウハウハ収入は?」

「ないない。それは鎌倉時代の名品だからな。現代で一番人気の刀匠で一振り三百万円ぐらいだな。でも、そんな人は限られてる。大半は一振り五十万円になるかならないかで、下手すれば材料代でトントンだな」

「えっ、じゃあ刀鍛冶って儲かんないんすか?」

「日本で刀匠免許を持ってるのが四百人程度、実際に刀を作ってるのが百人程度。しかも大半は副業で生計を立てているのが現実だな」

「うわあ……俺っちの夢が……」

 天を仰いでいたチャラ夫だが頭を振って気を取り直す。なかなか諦めが悪い。

「それでも、それでも人気が出れば一振り三百万円っす! 十振りなら三千万円! 百振りなら三億っす!」

「それも無理。刀が作れるのは月二本までしか許可されない。それに人気があったって、需要がないからな。まあ、言い方は悪いが刀匠というのは趣味の世界か、名誉職みたいなものだな」

 その分だけ刀匠をやっている人は真剣だ。本気で刀が好きで作刀に命を懸けている人もいる。どこの世界もだが飢えたハングリー精神のある人の情熱は凄まじい。例えば鍛錬時の火の粉は熱された鉄片であり火傷をする。それを一々払っては良い刀ができない。だから肉を焼かせたまま刀を鍛え続けるぐらいだ。

 なお、そうした火傷は何年かすると、その部分が壊死したように盛上がりだすので女性が刀鍛冶になるのなら、それを覚悟すべきだろう。


 とりあえず好きなことを満足するまで話し終え、ペットボトルの水を飲んでいるとエルムが話しかけてくる。肩に神楽を載せて、すっかり仲良さそうな雰囲気だ。

「しっかしなんや、五条はんって刀匠について詳しいんやな」

「そりゃな。刀好きなら誰しも一度は刀匠になりたいと考えるもんだからな。自分も転職して刀匠になろうとか検討したこともある」

「はー、意外や」

「ま、結局は検討しただけだな」

 もう一口水を飲む。結構喋ったので喉が疲れていた。

 でも言いたいことが言えてすっきりした気分だ。

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