第79話 災厄を懸命に生きのびよう

 そこそこの大きさの溜池だ。

 蓄えられた水は緑色に濁っているが、水を出す洪水吐きからチョロチョロと流れ出ている。きっと異界が形成された時代に灌漑用水として確保されていたのだろう。

 ちなみに山間部にある溜池は砂防堰堤と間違えられやすい。見わけ方は洪水時に水を流す洪水吐きの位置で、砂防堰堤中央にあり溜池は端にあることが多い。溜池の場合は耐震が考慮されていないため、地震時に破損する畏れがあるので要注意だ。


 そんな豆知識を話してみたが、誰も気のない返事しかしてくれない。少しマニアック過ぎたかもしれない。亘が侘びしい気持ちで池に石を投げ込むと、水中で何かが動いた。

「ん?」

 濁った水中に魚が泳いでいた。水面まで浮上してきたそれは水を切り、ゆっくりと近づいてくる。思ったより大きいが、徐々にもっと別の異常さが露わになってきた。

 普通の魚に見えた部分は頭だった。その下に人間のマッチョな肉体があり、人面魚ならぬ魚面人と表現すべき姿ではないか。褌して平泳ぎする姿を目にすると、いったいどんな概念から誕生したのか不思議でならない。

 隣で水中を覗き込んだチャラ夫が顔をしかめた。

「うげっ、キモいっす。マジキモっす」

「ふむ、あれは水虎の一種だのう。あまり水辺に近づかぬ方がよいぞ。水に引き込まれたとしたら、まず助からぬ」

「マジっすか」

 忠告を受け、チャラ夫は大袈裟な仕草で水辺から飛び退いた。女性陣もそそくさと身を引いているが、こちらは水虎の姿の方が原因だったかもしれない。

 水辺に残るのは、腕組みする亘だけだ。水面を眺める姿は、どうやって魚を捕ろうか悩んでいるようにも見える。

「倒せないのか」

「そうよな、皮膚が硬いうえに水中は勝手が違う。岸に近寄ったところを狙うしかないだろう」

「そうか、水の中は嫌だな……神楽、ちょっといいか」

「はいはーい、ボクにお任せなんだね。いいよ魔法で攻撃しちゃうからね」

 活躍の場を与えられた神楽は大ハシャギだ。亘の頭で凛々しくスックと立つと、今すぐにでも魔法を放つつもりで手を振り上げている。

 それを亘が止めた。

「ちょっと待った」

「もーっ、なにさ!」

 やる気満々で勢い込んでいたところに水を差され、神楽から不満の声があがる。腹を立てたのか、亘の髪の毛を引っ張りだす始末だ。大事な髪の危機に亘は慌てた。

「まてまて、狙うのは水虎じゃないんだ。あの洪水吐きを狙って欲しいんだ」

「こうずい、バキ? なにそれ」

「さっき説明してたの聞いてなかったのか。ほら、あそこの水が出てる低くなった場所だ。あそこら辺の石組みを魔法で壊してくれ」

「えーっ、水虎を攻撃すんじゃないの?」

「神楽の凄い魔法でドーンッと頼むぞ」

「ボクの凄い魔法!? もう、しょうがないなぁ。ボクの凄い魔法でドーンッとやっちゃえばいいんだね」

「そうそう」

 不機嫌もどこへやら、神楽は一転してご機嫌だ。凄いと言われ、舞うように両手を上下させ小袖をはためかせる。皆その姿をチョロイと思って見ているに違いない。

「ふっふっふ。じゃあ見ててねー! 『雷魔法』集中!」

 神楽がかざした手の上に、紫電を纏う光球が発生した。気合いが入っているせいか、グンッと大きくなる。

「いっけぇ!」

 振り下ろされる手の動きに合わせ撃ち出された。一直線に飛び、命じられた洪水吐きへと命中する。

――ズシンッ!!

 大爆発が発生した。吹き飛んだ丸石と土砂が、溜池の水面に落下し無数の波紋を生じさせる。

 洪水吐きのあった場所には、クレーターとまではいかないが、大きな爆発跡ができていた。そして、そこへと一斉に水が流れ込みだす。みるみる露わになった土砂が削り取られ、大量の水が流れ打って重低音を響かせだした。土砂が侵食され、それでさらに流れ出す水の量が増えていく。

 ついには落水が、滝のように流れ出した。


「おぉ凄いな」

 外の世界では見ることはできない光景に亘は思わず感嘆した。こんなことをしたら、大問題の新聞沙汰だ。異界でしか出来ないことだろう。

 その濁流のように渦巻く水面は圧巻だ。少し恐ささえある。激しい水の流れというものは、やはり本能的な恐怖を呼び覚ますのかもしれない。

「あっ、ほら見てよ。いっぱい出てきたよ!」

 神楽が指さすように、次々と水面に水虎が現れだす。かなりの数だが、いずれも褌姿のマッチョな身体だ。魚面を無視したとして、マッチョな身体がひしめく様子はかなり嫌なものだ。

 その水虎たちだが、奔流に流されまいと懸命に泳いでいる。互いに助け合い、突如降りかかった災厄を懸命に逃れようと死力を尽くす。流されかけた仲間を救おうと手を伸ばし、掴んだ手と諸共に流されていく。

「うーん、ちょっとやり過ぎたか」

 亘がしみじみと呟いた。目の前を力尽きた水虎が流されていく姿を見ると、少しばかり心が痛むのだ。少しばかり水位を下げ、それで何匹かの水虎を倒そうと考えていただけだ。

 言い訳ではないが、まさか決壊するとまでは思いもしなかった。神楽の魔法の威力が予想以上に強かったことが原因だろう。きっとそうだ。

「うん。まあ、あれだ。終わりよければ全てよしだ。はっはっは」

 亘は腰に手を当てながらヤケクソの笑いをあげていた。

 それを見る仲間の反応はそれぞれだ。

 藤源次は驚きと呆れの合わさった珍妙な顔をして声すらない。エルムと志緒に至っては、呆然としているだけだ。チャラ夫と七海は慣れているので苦笑している。

 そして神楽は新参の従魔に対し、亘を怒らすとどうなるか言い聞かせている。なお、何かを思い出したガルムがガタガタ震えだし、その言葉に信憑性を与えていた。


 災厄を生きのびた水虎たちだが、僅かばかり残った水溜まりに身を寄せ合い、ビチビチと跳ねるだけだ。水に濡れ艶々したマッチョな身体が跳ねる姿は正視し難い見苦しさだ。

 水を失った水虎は、それこそ陸に上がった魚状態でしかない。ぐったりとして大の字になり、これもまた見苦しい姿だ。

 そして恐らく鰓呼吸なのだろうか、DP化しだす様子さえあった。

「これなら倒すのは簡単だな。泥濘があるから、遠くから攻撃しようか」

「アルルの風魔法で攻撃しますね。ちょっと数が多いですけど、1体ずつ狙いましょうか」

「ガルちゃんなら、きっと泥遊びが好きっすよね。さあ突っ込むっすよ」

 しかしガルムは顎を落とし絶望の顔色を示した。泥遊びレベルではない泥の量だ。下手すれば泥に沈んで出てこない可能性だってある。

「可愛そうなことは止めとけよ。それより周りに敵が居ないか探して貰おうか」

「しょうがないっすね。ガルちゃん、分かったすね」

 ガルムは命令を受け、ガウッと吠え猛然とダッシュする。きっとチャラ夫の気が変わるのを恐れたに違いない。

 そして一方的な狩りが始まる。


 雷魔法の爆発では泥飛沫が撒き散らされるため、神楽は銃を構え上空から掃射攻撃をする。おかげで例によってハイテンションだ。恥ずかしくなった亘が早いとこ終わらせようと、足元の石を拾い上げ投擲しだす。真似してチャラ夫も石を投げだした。

 それぞれの攻撃により、水虎は打ち減らされていく。

 所在ないのはフレンディとリネアだ。もっとも、リネアの方はもぞもぞ這っているので何を考えているか不明だが。

 ポンッとエルムが手を叩いてみせる。

「そうや、フレンディの糸で引き寄せたらどうですやろ。それを志緒はんのリネアで攻撃するんですわ」

「いいわね、近付いたらリネアに吸血させるのね。早くやってみましょう」

「はいな!」

 糸が飛び水虎の足に付着するが、重くて引き寄せられない。エルムと志緒が一緒になって引っぱり、ようやく近くまで引き寄せられる。そこをリネアが張り付いて吸血していく。

 半透明のスライムがピンクに染まっていくのは見ていてあまり気持ちいいものではない。しかもマッチョな魚人の血なので、きっと生臭いに違いないだろう。


◆◆◆


「やっぱ五条はんの隣、安心するわー」

「もおっ! エルちゃんてば」

「早い者勝ちやで」

 あらかたの水虎を倒し、ひと息つこうと胡坐をかいた亘の隣へと、すかさずエルムがもたれ掛かってくる。その様子に七海が反対側に座り、少しだけ口を尖らせつつ文句を言う。

 亘はとりあえず手元に置いた神楽を撫でながら、場を取り繕っていた。おかげで神楽はご機嫌だ。

 なお、藤源次は席を外している。下流に流された水虎を仕留めに行くと言って、八咫を連れフラリと姿を消してしまった。もしかすると若い者に交じって寛ぐのが不得手なのかもしれない。

「なあ。五条はんって、いつもあんな感じなんですか」

「あんなとは、どんなだ」

「そらまあ、なんや。さっきみたいにドカーンと爆発させて滅茶苦茶やっとるんやないですか」

「まさか、今回はたまたまだ。自分は常識人だからな」

「マスターが常識人? そんなのよく言うよ。大体だよ、マスターが悪魔を殴り倒すとこからして変なんだよ。うきゃー、やーめーてー」

 余計なことを言う神楽がクスグリの刑に処せられる。


 これが好機とばかりに志緒が声を張り上げ、糾弾するように亘を指差す。

「そうよ。この人が常識人とか、とんでもないわ。餓鬼を倒せとか言って、私を蹴り飛ばしたのよ。酷いでしょ」

「逃げようとするからだろ。泣いて逃げ出した奴が何を言うかな」

「なっ、泣いてなんかないわよ!」

 志緒が慌てて否定するがもう遅い。横でチャラ夫が大喜びだ。

「おやおや志緒姉ちゃんは泣いちゃったっすか。情けないっすねー」

「うっ、お黙りなさい。それより聞いてよ、私が必死に餓鬼を倒したら、この人って何ををしたと思う? 施餓鬼米であっさりと倒してみせたのよ。酷いと思わないかしら」

 まだ根に持っているらしく志緒が文句を述べる。施餓鬼米の説明を受けたエルムが目を丸くした。

「なんやお米で悪魔が倒せるんかいな」

「ええ。五条さんは他にも、塩とか缶詰で悪魔を倒すんですよ」

「なんやて、どないな風にやったんですか。今度是非やって貰いたいですわ」

「缶詰ダメ! ダメダメ絶対ダメ! ボク絶対反対だからね!」

「ええそうですよ、アレは絶対ダメですよ」

「俺っちも……うっぷ、思い出したら気持ち悪くなってきたっす」

 神楽がガクブルと震えだし、七海がきっぱり反対する。チャラ夫は顔を青くさせ気持ち悪そうに口を押えてしまった。なお、その従魔のガルムは激しく震え尻尾を股に挟むどころか伏せをして前足で頭を抱えてしまう。

 おかげでエルムは何を勘違いしたのか、恐ろし気に亘を見つめてきた。まるで恐ろしい犯罪者でも見るような目だ。

「変な誤解をしないでくれ。勘違いだから」

「そ、そうなんや」

 誤解を解こうとしたが、あまり効果はなさそうだった。

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