第246話 ただいま!

「むっ……あれは……」

 バスの最前部に立つ亘は遠くに自宅を眺め深々と唸る。それは怒りとも不安ともつかない種類のものであった。

 何故なら、家を取り囲むように何十人もの人が集まっているのだ。そのため、脳裏に嫌な予感が幾つも閃き不安をかき立てていく。たとえば、主人公の家族が暴徒に襲われ生首にされたショッキングなシーン。戒厳令下で家に帰ると母親が悪魔に喰い殺されているシーン。

 かなり洒落にならない想像ばかりで、亘の血相が徐々に変わっていく。

 このまま道路で進めば、ずっと先まで行って折り返し蛇行する坂を下って橋を渡り、それからまた蛇行する道を登って戻ってこなければならない。

 亘はバスの扉へと手を伸ばした。

「……先に行かせて貰う!」

 誰にともなく言うと、ドアを蹴破る。

 そのまま走るバスから飛び出すと走りだし、瞬く間に前方へと駆け去っていくのだが跳躍する姿はアニメの忍者顔負けだ。なお、サキが獣のような走りで付き従っており、出来た従魔の神楽はフォローとしてバスの守りに徹している。

 運転中であったエルムの父親は唖然として呟く。今の暴挙で思わずハンドル操作を誤りかけたので、その言葉が非難めいてしまうのは致し方ない。

「なんやな、あれは。走るバスから飛び降りるとか、無賃乗車でもやらへんやろに。というか凄いんな、どういう運動神経しとるんや」

 ぶつぶつ言いながら、運転をしている。とりあえず悪魔の襲撃があったとしても絶対に大丈夫という事は身に染みて理解しているだけに、後は普通に慎重かつ丁寧に運転するのみであった。

 そして亘は全力で走っていた。

 斜面を蹴りたて跳躍し、途中の川を一気に飛び越える。力一杯地面を踏みしめれば、古びて脆いアスファルト舗装が砕けるほどだ。靴の傷みを心配するとか、そういった事は一切無く、とにかく疾走。家へと向かう。

 前方、自宅前に集まる十人以上の人だかり。

 特に用も無さそうに、けれど立ち去ることもなく遠巻きに集う様子で、まるで得体の知れない相手を監視するように眺めているではないか。最悪の想定の一つは免れたが、まだ安心はできない。

「…………」

 亘は地を蹴って思いきり跳んだ。

 気配に気付き振り向き驚愕した人々の頭上を一気に越え、自宅の軒先へと砂利を蹴散らしながら停止。傍らでは、やはり付き従うサキが軽々着地している。

 唖然とする人々の前で、ゆっくりと振り向く。服の乱れを直しつつ、集まった人々を睨み付けるように眺め回した。

「家に何のご用ですかね?」

 静かに言い放つ。

 そこに確認出来る顔の殆どは見知った近所のものだ。だが安心はしないし警戒は解かない。必要以上に事を荒立てる気はないが、少なくともこの地域の誰かが建替えで新しくなった家をやっかみ、草刈りをする畑に石やらゴミを投げ込んだり無言電話を掛けているのは間違いないのだから。

「亘くんじゃないかね――」

「ええ、どうもこんにちは。皆さんお揃いで何のご用です?」

「いや用というわけでもなくて……」

「そうですか。我が家に何か用があるかと思いましたが、違いましたか」

 鋭く言うが誰も返事をしようとはしない。怯えているが気まずそうに視線を逸らし、けれどそれでも立ち去る様子はなかった。そもそも、今の跳躍を見ても逃げないのだから、各人とも冷静でないのは間違いないだろう。

 追い払ってやろうかと思うが、今はそれより家の中が気になる。

「用があるならチャイムを押して下さいね」

 亘は丁寧に頭を下げるものの、その態度自体はぶっきらぼうだ。足下のサキも真似して同じようにしてみせたが、こちらは天使の微笑みである。ただし下手な事をすれば、その笑顔のまま襲いかかるに違いないだろうが。

 集まった人々は互いに顔を見合わせながら少しばかり後退り、それでも立ち去る様子はなかった。


◆◆◆


「ただいま!」

 言いながら家に入るが、玄関で靴を脱ぐことさえもどかしい。

 ふと気付くと家の中の雰囲気が何か違う。根拠のない直感だが、何かが違うと分かる。そして一緒のサキが軽く唸れば、それは確信へと変わる。

 靴のまま慎重かつ大胆に進む。

 その時であった、居間から笑い声と複数の声が聞こえたのは。間違いなくそこに誰かがいて笑いを上げているのだ。扉を開け放ち踏み込み――想像を超えた光景に驚愕した。

「なんで!?」

 母親とアマクニがお茶していた。

 二人で仲よさげに談笑し茶菓子を食べ、寛ぎきっているではないか。そして優雅な仕草で椅子に座るアマクニがソーサーを片手にカップを軽く掲げてみせる。

「やっ、頂いてるよ」

「アマクニ様、なんで家に?」

「なんでとは失礼な子だね。私がここに居たらおかしいのかい?」

「いや普通におかしいです」

「ふむ、そうかね。まあ確かにそうかもしれないね」

 言って煎餅を優雅に口元へと運んでいる。

 家の中の雰囲気が異なるのも、神なる存在によって清浄な気に満ちているからに違いない。

「あー、もしかして外の人たちは……」

 言いかけた亘に対し母親はまなじりを吊り上げた。

「これ! あんた土足じゃないの、ちゃんと靴を脱いできなさい!」

「急いでたんだ。仕方ないだろ」

「言い訳しない! さっさと脱いできなさい!」

 亘はすごすごと玄関へと向かうが、賢いサキは既に玄関に行って靴を脱ぎ一生懸命に揃えているではないか。この場で誰に従うべきか理解しているのだ。

「はははっ、さすがの君も母君の前では形無しだね」

「あら嫌ですわねえ、アマクニさんたら。母君だなんて。これ、そこの小者。靴を脱いだら、お茶のお代りをお持ちなさい」

 母親から小者に認定された亘は急いで来た事を後悔し、そして安堵していた。

「お茶でございます」

 亘はポットのお湯を入れただけの茶を差し出す。電気が来ているのは意外だが、数年前に導入された小水力発電のお陰だろう。

「薄いわねえ。茶葉は多めに煎れなきゃダメじゃないの。ケチ葉はダメよ」

「まあまあ、実佐子もそう言わずに。せっかく煎れてくれたのだから」

 母親の名が呼ばれる様子が凄く新鮮で珍しい。あまり、そうした状況は聞いた事はこれまでなかったのだから。

 それにしても、文句を言う母親を宥めるアマクニの様子ときたら、まるで孫を庇う祖母みたいではないか。

 そんな感想を抱いた途端、ジロリと睨まれ亘は素知らぬ顔で視線を逸らした。

「こんな騒ぎになってね、うちの集落でも悪魔が出たのよ。それをアマクニさんが追い払ってくれて、もうね神様が現れたって村の皆が大騒ぎしてるの」

「村って言ってもとっくに市町村合併して……じゃなくって、外の人達はアマクニ様がいるから集まっているわけか。悪いことしたな」

「ちょっとあんた、ご近所さんに失礼なことしてないでしょうね」

「してない」

 亘は慌てて首を横に振った。とりあえず睨んだだけならセーフに違いない。

「私を拝んだところで何の意味もないと説明したのにね。ちっとも聞いてくれやしない。あまり周りを彷徨かれると、実佐子にも迷惑かけてしまうのだが。困ったものだ」

「あら、あたしは構いませんわ。気にせず暮らして下さいな」

 言った母親の言葉に亘は目を剥く。

「えっ!? まさかここでアマクニ様が暮らしてる?」

「そうなのよ、アマクニさんたら居心地が良いと言ってくれてね。ここを新しい社にしたいとかって話なのよ。そしたら、あたしゃ巫女さんかしら。ちょいと服を仕立てようかねえ」

「母さん馴染みすぎだろ。というか、歳を考えたらどうだ」

「お黙んなさい」

 鋭く叱った母親の膝にはサキの姿がある。この場の力関係を悟るなりこれだ。なんと立ち回りの上手なやつだろうか。あげくに貰った煎餅を囓って寛いでいる。

「とにかく退屈な山の社より、ここに住むことに決めたからよろしく」

「そうですか。それは良いのですが……実はその他にも少し同居人が増えそうで」

 外で大型車のエンジン音が聞こえた。そしてざわつきが聞こえ、特に元気良いイツキの声が響いてくる。説明する前に到着したらしい。

「あれま、お客さんが来たみたいだね」

「実を言うと、七海や知り合いとかを大勢連れてきた」

 何気なく呼び捨てにした言葉を聞き、母親は軽く目を見張る。そしてまじまじと我が子を見つめ、柔和な嬉しそうな顔をしてみせた。

「そうかい、そうかい。そりゃ良かった」

「人数が多いけど、住む場所とか食料を何とかしたいけど」

「なーに、あたしに任せときなさい。どうせ、ここらは空き家が沢山あるのよ、そこに分けて住んで貰えばいいのよ。でも食べ物かい、それはどうするかねえ」

 アマクニが軽く笑った。

「食べ物なら問題なかろ。君にあげた奉納品を忘れたのかい?」

「あっ……」

 亘は異界で見た倉を思い出した。中にはぎっしりと米俵や酒に肉や魚が詰め込まれていた。全ての問題が一気に片付いてしまった。

「じゃあ、もう何も問題ないのか。良かった」

 亘は安堵した。そして玄関のチャイムに応えいそいそと玄関へと向かう。

 そんな様子に母親とアマクニは顔を見合わせ互いに声を出さず笑い合っている。サキは緊張の解けた様子で小さく息を吐いた。

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