第339話 無様を晒しているということだ

 果たして自分は悪い事をしたのだろうか。何故こんな目に遭っているのだろうか。人生の何を誤り何を間違えたのだろうか――明るい日射しのなか、大勢の視線と叫びを浴びながら、半ば現実逃避も含め、亘は自問自答をした。

 五条亘という名前が連呼され、大勢の人々が自分を見ている。それを煽って声を張りあげる諸悪の根源は、奸知邪悪で奸佞邪知なチャラ夫とかいう奴だ。茶髪を逆立てスーツ姿といった、駆け出しホストのようなチャラ夫は、壇上で陽気で愉快な仕草をして笑いを取っていた。

「ほらほらぁ、兄貴ってば。カモーン」

 手を伸ばして指をくねくねさせ、腰をくねらせている。

 そんな一挙一動一言一句に講習会参加者たちは沸いているし、止めるべき係員まで手を叩いて笑っている始末。きっと笑いの神でも降臨しているに違いないチャラ夫を、もはや誰も止められない。

 もっとも、大喜びで声をあげているのは参加者の青少年に、そして大宮たちや老人などで、壇上と会場の端にそって長く並ぶ席はひっそりとしていた。そこはお偉方の席で、愛想笑いする様子もあるが、スーツの男たちは概ね仕方なさそうに苦い笑いをみせていた。それでも残念なことに、この場の雰囲気を察してか、チャラ夫を止めさせる様子はない。

「俺っちの兄貴ってば、ウルトラ強いってのに。それでも奥ゆかしいって言うの? 頼れる男は黙って拳で語るって感じでね、そういうとこも格好いいんすよ。うきゃーっ、素敵! ってなわけで、そろそろ来て欲しいんっすよ。んもう、兄貴ってばぁ!」

 放っておけば永遠に叫び続けそうで、つまりそれだけ亘の恥が蓄積されていく。

 空気と言うべきか圧と言うべきか、つまり一種の同調圧力のようなものが、亘に動いて壇上に行けと促している。ここで動かねば、無粋だとかノリが悪いといったレッテルが貼られるのは間違いない。

「しゃあない奴やんな。五条はんも行くしかないで」

「……そうか」

「そうせな収まらんって。はよ行って、ちょっと喋るしかないやん」

「…………」

 エルムの言葉に亘は黙り込んだ。それが簡単ではないから困っているのだ。

 出来れば逃げたいし隠れたい。人見知りを発症した神楽が、素早く亘の懐奥深くに逃げ隠れたように、亘も逃げて隠れたい気分だった。ただし、恥ずかしがって逃げたと思われるのが嫌なので我慢をしているだけなのだ。


 大きく息を吸って吐いていると、心配そうな七海が声をかけてきた。

「あのっ、五条さん。別に無理しなくていいと思いますよ」

「大丈夫だ、行ってくる」

「でも……」

「別に無理する気はない」

 言って亘は懐から神楽を取り出した。

 大勢の人目を感じた神楽は両手両足を振り回し、じたばた暴れるのだが、それを七海に預けて歩きだす。自分の不甲斐なさで、心配させたことが申し訳なくて、半ばやけくそでの行動だった。しかし調子にのったチャラ夫は、そんな事にはお構いなしで、手を挙げ大きな叫びをあげている。いつか絶対に思い知らせてやろうと、固く心に誓った。

「来たーっ! さあ来ちゃうっすよーっ!!」

 ますます盛り上がったなかを、亘は消え入りたい気分で足を交互に動かす。丸まりそうな背筋を、それでも精一杯伸ばし歩く。辺りから感じる視線が強まって、自然と頬が熱くなってくるが、情けなくなりそうな顔を抑えるため眉を寄せ唇をきつく結んだ。

 大宮たちの前にさしかかると、老人たちも一緒になって雄叫びをあげ、揃った動きで手を叩き、腕を叩いて拳を突き上げ足を踏み鳴らした。

 このパフォーマンスに会場は沸いたが、亘はくすりともしない。

「…………」

 しかし分かっている。本来ならここで手を振ったり、小走りで壇上に向かうなどして、雰囲気に合わせた行動をすべきなのだと。

 それが出来ない。良い歳をした年寄りたちでも、おふざけをするというのに。それが亘には出来ない。昔からそうだった。どうしても皆と一緒になって盛り上がれない。心の中では、それが出来たら楽しいと思っているのだが、どうしても出来ないのだ。別に冷めているわけでも、バカにしているわけでもない。

 むしろ表情が硬くなるばかり。

 他人からどう思われるかが恐くて恥ずかしくて、自分が崩せないのだ。

 きっと悪い意味で、プライドが高すぎるのだろう。

 この厄介なプライドのせいで、他人と素直に打ち解けることができないし、嫌な事があっても逃げだすことが出来ない。このプライドに縋り付いて苦しさを耐える時もあるけれど、生き辛い方向に作用することが殆どだ。

 壇上に一歩足を乗せると同時に、チャラ夫が走ってきた。

「遂に来たっす! いいっすか、この人が俺っちの師匠! でもって、ウルトラスーパーデラックスに強い最強の悪魔狩人! 言っておくっすが、俺っちなんて足元にも及ばないっすからね!」

 下っ端よろしく纏わり付き、皆に向かって手を振って、中央の演台へと誘導していく。亘は重い足取りで――ただし、傍目には悠然と――演台に向かった。


「ささっ、マイクをどうぞっす。戦いとは何たるか、がつんと言ってやって欲しいっす!」

 押し付けられるように渡されたマイクを手に、しかし亘の頭の中は真っ白だった。

 目の前には軽く百人を越える大勢の姿がある。その視線の全てが自分へと向けられていて、一挙手一投足が注視されていた。背筋と首筋が強張るのを感じる。何か言わねばならないが、何を言えばいいか分からない。

 間違いなく緊張状態だ。

「…………」

 亘が緊張する理由は幾つもある。

 人前に立つ自信がなくて、なんだこんな奴かとがっかりされる不安で緊張する。人前で失敗する――言い間違えたり噛んでしまったり、声が上擦ったり――不安で緊張する。何か立派なことを言わねばと焦って緊張する。緊張している自分が恥ずかしくて緊張する。緊張していると気付かれることが恥ずかしくて緊張する。過去の失敗経験が想起されて緊張する。

 だから仕事などで緊張する場面がありそうな時は、しっかり心構えをして、用意周到な下準備をしておいて、不安を和らげながら乗り切ってきた。これは誰だってそうだ。だから不安を与えないようにと、お偉方の祝辞の台詞も事前に考え提供しているのである。

 しかし今の亘は寝耳に水だ。

 何の事前調整もなく、寝耳に水で緊張する場に引き出されている。

「もうっ兄貴ってば。勿体つけちゃダメっすよ。ほらほら早くぅ、サラマンダーよりも早いとこお願いするっすよ」

 諸悪の根源たるチャラ夫は、全く緊張というものとは無縁なのだろう、楽しそうで笑いを誘う動きをして亘に纏わり付いてくる。善意のみとは分かる、分かるがしかし、それが良い事とは限らない。

「たーとーえーば。見事だ小僧ども、しかし自分の力で戦えるのではないぞぉ! その従魔の性能のお陰だということを忘れるなぁ! とかそんな感じで、渋くて格好良い感じっすね。なんちゅうか聞いたら、あの人に勝ちたいとかって思う感じっす!」

 言ってチャラ夫は、促すように背中を叩いてくる。

 ――渋くて格好良いだと?

 立派な事を言わなければならないというプレッシャーがのし掛かる。負の緊張スパイラルに陥った亘は、どうしようもない。

「えっと……」

 それでも何か言わねばと焦ってしまって、つい発声をしてしまった。だが、そこからが続かない。しかも自分の声が震えていた気がして、よけいに緊張して言葉が出て来ない。

 もはやスピーチの失敗とか以前の問題だ。

「…………」

 亘が黙り込んで立ち尽くせば、ざわめきが徐々に広がりだした。無慈悲な年代の子供などは、指をさしながら内緒話を始めている。口を押さえて笑う様子を見てしまえば、もうダメだ。頭の中は真っ白になって、何も考えられない。

 完全な混乱状態。

 スキルで状態異常耐性はあっても、自分自身が原因であれば効果もない。ただ分かっていることは、自分が無様を晒しているということだけだった。


 嫌なことばかりが頭の中を過ぎっていく。

 何をやっても上手く行かず、周りの成功をうらやんで、自分をさげすんでいた学生の頃。皆がスマートにやれることを、自分はもたつきながらやって、それでも失敗する社会人生活。楽しげな人たちが眩しくて、しかし自分がそこには加われないと分かって落ち込んだ日々。陰で馬鹿にされていると知りながら、それに知らぬフリして愛想笑いをする生活。

 久しく忘れていた気分だ。

 少しは自信を持ちだして、周回遅れでも、やっとこ上手くやれてる気になっていた。なのに、分けも分からず皆の前に出されて、今はこうして無様を晒している。

 また、あの暗い感情の中で生きねばならないのか。

「…………」

 居並ぶ偉い人たちは、人生の成功者ばかり。集まった若者たちは、これから成功者になるに違いない。そんな連中の前で、どうしようもなく怯えて竦んで緊張する自分がいる。また嘲笑って馬鹿にされるのだろう。

 厄介なちっぽけなプライドが、むくむくと頭をもたげて来た。

 ――許せない。

 緊張の中で、心が動いて何かが切り替わった。

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