第283話 悪魔使用者に対する認知とその感情の好適変化
「自分を……いいえ、どうかチャラ夫を信じてやってはくれませんか?」
問うように声を出す亘の眼差しは強く鋭く、真摯で真剣であった。心の底からチャラ夫の事を思いやっているようにしか見えない。
「君という人は……」
如何に優れた正中と言えど亘の本心は見抜けない。
否、むしろ優れているからこそ見抜けないのだろう。
人は誰しも自分を基準に物事を考え判断する。つまり正中のように真面目で向上心があって前向きな人間は、他の人間に対しても同様の思考をすると考えてしまう。
対して亘は市井の小人物だ。面倒な事や嫌な事はやりたくないし、出来れば手を抜いて楽をしたい。その為には、極力他人に押しつけ逃れたいとさえ考えている。
そんな自堕落でやる気がなく消極的な思考をする人間が、外面を取り繕い真面目な顔で意見すれば、堂々と真っ当に生きてきた正中のような人間はコロッと騙されてしまうものだ。
「ボク知ってるよ、マスターってば本当は――」
神楽がのそのそ這い出して顔を出した。
しかし余計な発言が続く前に、亘は素早くポケットからチョコの包みを取り出した。支給品として与えられたものであるが効果は抜群だ。たちまち神楽を沈黙に陥らせている。
ちょいちょいと合図をしてくるサキにも一つやって、亘は何事もなかったかのように、どこまでも真剣な顔で続けた。
「さらに補佐役には近村くんを推薦します。あの子は出来ると思いますよ」
仕事をしつつ横で聞いていたNATS実働部隊の者たちは、思わず手を止め意外そうに顔を見合わせた。それは近村に対する評価への驚きであり、または亘が他人を評価した事に対する驚きでもある。
ただし、亘の本心で言えば近村は他よりマシという程度だ。
実力やら心構えからすれば、七海やエルムの方が遙かに優れている。それでも近村を推薦したのは、七海たちに面倒で厄介そうな役割を押し付けては可哀想といった身贔屓であった。
「近村くんは、訓練の中でも常に前向きでしたからね。特に最後の戦いなんて凄くてですね、もう全ての感情をぶつけるような戦いぶりでしたよ」
「私が思うに、それはきっと……」
「なんでしょうか」
「いや、よそう。余計な事を言うべきではないね」
正中は意味深に亘をみやり、しみじみと頷いた。
「だが分かった。その方向で手配してみるとしよう」
「よろしくお願いします」
「ただし他を黙らせるためにも、君の協力が大前提になる。君はそうだね、主任監督員という立場で関わって貰うとしよう。そこは譲れないので、しっかりと頼むよ」
「もちろんですとも」
とたんに亘は愛想が良い。
主任監督員となると実務的な立場として現場の取り纏め役となる。多少の責任は生じてくるが、さすがにそこまで嫌とは言えない。少なくとも上に責任者が存在すれば気は楽だ。
やれやれと安堵し、もうお気楽モードで微笑さえしているほどだ。頭の中では今日の残りの事を考えだしている。
一応は外回りをして悪魔退治をした後なので、疲れている疲れていないは別として、気分としてそろそろ休みたい。夕食はカレーなどが良いし、風呂にも入りたい。そう言えばサキを洗ってやる約束もあるし、神楽もそんなことを言っていた。一緒に風呂に入りたいところだが、さりとて今は共用でもある。はてさて、どうすべきか――。
「では次の件だが、資料の九章を確認してくれるか」
だがしかし、そんな亘の気持ちとは関係なく正中は資料の説明を続けた。
まさしく仕事熱心な者の悪癖で、相手の状況などお構いなしに、自分がやろうと思った事を必ず完遂させるのだ。
「はい」
不満はある。だが、それでも素直に返事をしてしまうのは、長年培われた習性のせいだろう。さらに今は嫌な事をチャラ夫に押しつけた後ろめたさもある。
まだ終わらないのかと思いつつ、分厚い資料を開いていく。
ホッチキスの強力版で綴じられているため、とにかく開きにくい。目的のページを見つけると、掌で中央を押し広げ力をかけてやらねばならない。
なお資料のタイトルは『悪魔対策を目的として運用される悪魔使用者による一般住民に対する効果的な周知方法の検討について』と、如何にも行政文章らしい長ったらしく分かりにくいものだ。
何にせよ素晴らしく読む気の失せる資料であった。
「前回のポスター広報が好評でね、よって引き続きデーモンルーラーについての周知徹底を継続していくつもりだよ」
「それはそれは」
二匹目のドジョウを狙いにきたかと思いつつ、特に反論する気もないため適当な返事だ。今度は悪魔と戦う自分の姿などいいかもと、実際にそうなったら拒否するような事を考えてしまう。
「資料にもある通り、デーモンルーラーに対する好意的もしくは比較的好意的と回答した者が全体の5割であって、否定的意見は全体の3割となる。年代別によれば、意外にも中高年層において好意的意見が多い。何かきっかけがあれば自分も協力したいという意見が大多数――」
どうして資料に記してある内容を、確認するように読み上げ説明していくのだろうか。実に無駄だ。亘は資料を目で見つつ、正中の声を耳で聞きつつ、しかしぼんやりとしている。
だから、聞き逃しそうになった
「よって以前より一歩推し進めた方策として、一般大衆が親しみやすいようなアイドル路線となる」
「うん?」
何かおかしな方向に話が飛んでいる。
冗談かと思って顔を上げれば、正中は大真面目だ。ページだけは捲っていた資料をしっかりと見れば、そこには『悪魔と戦えるアイドルを活用する事によって得られる一般住民からの悪魔使用者に対する認知とその感情の好適変化』という検討課題があった。
しばし見つめるが、その文字は厳然たる事実として存在している。
「アイドル……路線ですか?」
「その通りだよ」
「正気、もとい本気です?」
これを検討するにあたって、誰も反対しなかったのかと問い詰めたいぐらいだ。頭のいい人たちというものは、何故かしら時々とんでもなくバカな事をしでかす。これもきっと、その例に漏れないだろう。
「もちろん正気であるし本気でもある。デーモンルーラーを使える者の中から実力と見た目、これは本人と悪魔の両方で判断する。その辺りを配慮しながら選抜し、アイドル風にプロデュースしながら広告塔として活用させてもらう。ユニット名はデーモンルーラーズを考えている。どうかね」
「はあ、まあ。何と言いますか、安直な名前かと」
「気に入らないか。だが言っておこうか、これでも意見聴取した委員会の主要メンバーのご老人方が出した案に比べれば遙かにマシな部類だよ」
「はあ……これが遙かにマシに思える?」
「聞きたいかね、ならば後悔しないように。光平家、ザッカシューナッツ、桃レディー、ショッカーズ、マッスル娘、DMB48、悪魔坂――」
「すいません、大変な失礼を言いました」
亘は心の底から正中に謝った。
まさに救世主、救いの神。最悪の中で最善を尽くし勝ち取った名称を、安直などという言葉で片付けるなど失礼にすぎた。デーモンルーラーズという名称は最高だ。
ただ一つ懸念するのであれば、イベントでも何でも行政が絡んで後援すると大半は失敗するという事だろうか。特にサブカルチャー系統の失敗率は異常なぐらいで、たとえ最初は多少上手くいったとしても、直ぐにダメになってしまう。
主な理由は人事異動と何より予算だ。
「これを継続的に実施する事は可能です?」
「そこは頑張った。政策委員会に諮ってから局内審査に部内審査と手順を踏み、関係省庁に稟議も取った上で、事業評価検討委員会にも通し正式に事業として承認をされている。これで向こう二十年間分の予算は確保されたので問題ない。まあ二十年後に状況がどうなっているかは不明だが、苦労した甲斐があった」
苦労すべき方向性が何やら違う気がする。
やはり一度滅んだ方が良い組織は間違いなく存在すると亘は確信した。実に馬鹿馬鹿しく下らない。口元が皮肉で歪んでしまうことを抑えられなかった。
「随分と面倒なことですね」
「そうかもしれんが、それがルールなんだ。今ここでルールを変える手間の方がかかるなら、とりあえずでもルールに従うしかあるまい。それに、こうして話を通しておけば安心じゃないか」
「予算が確保できた安心です?」
「いいや。何かあっても吊し上げだけは免れるだろう」
「なるほど保身のためですか」
これは馬鹿馬鹿しいとは言えやしない。
自己保身は公務員のみならず大人にとっては大事なスキルだ。時代の風雲児と呼び称され格好良く先頭を切って進もうとも、周りとの協調や友好を保っておかねば、些末な相手の些末な一刺しで全てを台無しにされてしまう。
馬鹿馬鹿しいが、人が集団で生きるためには必要なことなのだ。
「というわけで事業継続は安心して欲しい」
「さよですか」
「人選は既に考えていてね、実力が最優先だ」
「なるほど」
亘はドキドキしながら困ってしまった。
これはもう間違いなく自分も参加させられる流れで間違いない。自分で言うのもなんだが、実力はそこそこある。しかも神楽とサキを連れているのだから、もはやうってつけ。人前に出て目立ちたいなど少しも思わないが、しかししかしだ。憧れがないわけではなく、どうしてもと言うのであれば少しはやってみてもいいかもしれないと思わないでもない。
何にせよ困った。
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