第42話 初々しい笑顔

 誤魔化すように咳払いする。

「さてチャラ夫と七海を捜しでもに行くか」

 はぐれた時に闇雲に動き回ることは下策だ。しかし、ここは異界だ。じっとしていていい場所ではない。移動すべくドアに手を伸ばす。

「開かないか。閉じ込められたか」

「ねえ、横に引くんじゃないの」

「……まあそんなこともあるさ」

 亘はバツの悪い顔をしながら部屋を出た。そして、その先にあった光景に思わず足を止めてしまう。幅の狭い真っ直ぐに伸びた通路で、その両脇にずらっと等間隔でドアが並んだ光景は異様だった。

 傍らに漂ってきた神楽が腕組みしつつ小首をかしげる。

「変なとこだね、ここって何だろね」

「…………」

 亘は黙って出てきたばかりの部屋を振り返ってみた。

 改めて眺めるが、窓すらない狭く殺風景な狭い部屋だ。備え付けの家具すらない。ドアの構造を見れば外から鍵がかかるタイプである。

 これが異界の中で現象の一つとして発生したものか、それともキセノンヒルズそのものにも存在している部屋なのかは分からない。考えたくないが、明らかに監禁するための構造だった。

「あまり深く考えない方が良いな」

「なにがさ?」

「世の中には、知らない方がいいこともあるってことだな」

 亘はもっともらしく頷きながら誤魔化しておいた。

「意識のない間に、ここに運ばれたのか……だとすると、何故鍵をかけなかったのかな」

「うーん、マスターが受けた意識干渉とかって、自力で解くのは難しいからね。鍵がいらないと思ったのかもね」

「そんなもんかな」

「でもさ、それを自力で解くなんて流石ボクのマスター、凄いよね!」

「そうでもないんだがな……」

 凄いというものでなく、単なる拒絶反応のおかげでしかないだろう。嫌な夢をみせられ、でもそのお陰で意識干渉が解けるとは、なんとも皮肉な気分だ。

「そうすると、チャラ夫と七海も同じく夢をみせられてるのか」

「きっとそうだよ。このドアのどこかに居る……みたいだね。ぼやけてるけど、チャラ夫とナナちゃんの気配があるよ」

「どこかまでは分からないか」

「ごめんね、近いのは分かるけど、それ以上はね……あーぁ、これじゃあボク探知の自信がなくなっちゃうよ」

「近くにはいるのだろ、一つずつ確認すればいいだけさ」

 亘は近くのドアに手をかけながらニヤリと笑う。気落ちする神楽と、そして自分自身の気分を盛り立てるため、殊更軽い口調になる。

「七海が意識のない状態だったら、そうだな……眠り姫を起こすには熱ーい、キッスが必要だとは思わないか。ブッチューッとな」

「きゃー、マスター。そんなことしちゃうんだ」

「はははっ、これは救出行為で疚しいことはないのだよ、神楽君。ただしチャラ夫は靴の裏にでもキスさせてやるけどな」

「うっわ、酷ーい」

 亘は軽く笑いながら隣のドアに手をかけた。そこに七海が居ることを願いながら。


◆◆◆


 ありのままに起こったことを説明すれば、ドアを開けたと思ったら、どこかの民家の庭先に立っていた。何を言っているのか分からないと思うが、亘にも何が起きたのか分からない。開けるドアを間違えたとかそんなチャチなものではない。もっと恐ろしい異界の片鱗を味わった気分だ。

「……はっ!」

 しばしポルポルして我に返る。わけの分からない状況になったときは慌てることなく心を落ち着け、一つ一つ確認していくべきだ。

 まず民家の庭先なのは間違いない。踏みしめる地面もシッカリしている。目の前にある民家は戸建てだ。和モダンな雰囲気で新築のように綺麗だ。その敷地の角に立っているが、真正面を見やると玄関があり左手側は中庭となってウッドデッキがある。

 そうやって落ちついてから周囲を見ると、敷地の外の光景は薄くぼやけた灰色だ。ちょうど異界で眺める空に似ている。

「やはり異界の中みたいだな……」

「ねえ後ろを見てよ。ほら、ドアがあるよ」

 背後を振り向くと――不自然なことにドアだけが取り残されたように存在していた。どこでも行けるドアが立っているように、そこにある。

「これは入ってきたドアだな。すると何だ、ここは部屋の中なのか」

「うーん、どうだろ。ちょっと待ってね」

 神楽が目を閉じ探知によって周囲を探ってみせる。

「これは……異界なんだけど誰かの概念の影響を強く受けてるみたい」

「つまり、その誰かの意識で出来た場所ってことか」

「さあ? でも、きっとそんな感じだよ」

「そうか……」

 異界は発生原因自体が不明であるし、その内部はDPで構成されている。そこで何が起きても不思議ではない。だが、こんなことまで起きるとは、あまりにも凄い。

 亘は自分のみた夢を思い出す。あの祖父母の家も、目の前の民家のように実体化していたのだろうか。

(誰か来るよ)

 神楽の囁きと同時に、ウッドデッキに人の姿が現れる。


 七海だった。洗濯物を干そうとするのか、洗濯かごを抱えている。先程までの防刃防刺性のベスト姿ではなく、普段着に青いエプロンだ。後ろでひとまとめにした髪もあって、グッと大人っぽい雰囲気だ。

 なんとも新妻ぽい。

 七海はよいしょっと可愛らしい掛け声をあげ、抱えていた洗濯かごを傍らに降ろす。そこから洗濯物を取り出しては、パッサパッサっと軽く振りさばき、慣れた手つきで干していく。その手際は良いお嫁さんになりそうなものだ。

 亘は感心しつつ、新妻姿の七海に見とれてしまった。

「もう、マスターってばさ。デレデレしないの」

「いでっ」

 不機嫌そうに頬を膨らました神楽が亘の頬をつねった。そんなやり取りがあっても、しかし七海は気付いた様子もなく洗濯物を干している。

 亘は頬を擦りながら七海へと声をかけた、かけようとした。

「七……」

『おーい。お茶を入れてくれるか』

 しかし、家の中から響いた声によってかき消されてしまう。伸ばした手が所在なく宙に佇んでしまった。

「はーい。忙しいのに仕方がない人ですね。もう少しで干し終わりますから、ちょっとだけ待って下さいね。今、行きますから」

 可愛らしく頬を膨らませた七海が家の中へと声をかける。その顔は初々しい笑顔だ。最後の洗濯を干し終えると、パタパタとした足取りで家の中へと駆け戻っていく。足音だけでも上機嫌と分かる。

 声をかけようとした亘は手を伸ばした姿勢のまま固まり、そのまま家の中から聞こえる声を耳にする。

『はははっ、悪いな。やっぱり七海が煎れてくれるお茶が一番美味しいよな』

「またそんなこと言って、おだててもおやつは出してあげませんよ」

『これは手厳しい。はははっ』

 それでようやく亘は伸ばしていた手を下ろした。だらんと力なく下げる感じの動作だ。顔を心持ち下に向け、砂を噛むような思いで立ち尽くしている。


 なんぞこれは。まるで新婚夫婦のラブラブな一幕ではないか。思わず壁を殴りたくなる――いや、もう殴った。最近は別の意味になりつつあるが、これが本来の壁ドン――いやそうではない。

 これが七海の望む夢なのだろう。相手がどんなだか見る気もしないが、誰か好きな男と幸せな生活をするのが夢なのか。

 誰か知らぬ相手との幸せな生活を夢見る七海。その事実に亘は惨めな気分で悄気てしまう。けれど神楽はそんな様子に気づかないまま、腕を組みながらフヨフヨと辺りを漂う。

「ナナちゃん幸せそうな顔だったね。なんだか起こすのが可哀想になるくらいだよ」

「……そうだな」

「えへへ、どんな相手だろうね。ボク興味が湧いちゃった」

「……そうだな」

 亘の声はどんどん重苦しくなっていく。せっかく盛り上げた気分が、急転直下で一気に盛り下がっている。

 幸せな新婚生活の光景など、亘にとって実に酷なものだ。自分が手にできないと諦めたものを見せられることほど辛いことはない。諦めるまでに葛藤し、これまで悩んできた暗い陰鬱な諸々が心の中で湧き上がる。

 眠り姫に熱いキスなどとニヤニヤしていた自分が酷く情けなくなり、バカじゃなかろうかと情けなくなってしまう。

「なあ神楽……お前が七海を起こしてやってくれないか。自分は外で待ってるからさ……」

「いいけど。マスターどしたのさ? なんだか元気ないみたいだけど」

「ああなんだ……あれだあれ。やっぱり男が女の子の夢の中に土足に入るもんじゃないだろ。ちょっと反省しただけさ、じゃあ頼んだぞ」

「ふーん、そっか。それなら了解だよ、ボクにお任せー」

 神楽は言い置くと、明るい笑い声が響く家の中へと飛んで行った。それを見送った亘は踵を返し背後にあったドアを開ける。


 次の瞬間、気付くとそこは元の無機質な廊下だった。

 目眩がしそうなほど急変化する周囲の光景だが、亘はそんなことも気にならない。そのまま近くの壁へともたれかかる。気分は最悪で、もし敵に襲われても反撃する気も起きないほど、全てがどうでもいい感じだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る