第100話 ようこそ忍者の里

「なあ……少し聞きたいことがあるんだが。いいか」

「ふむ、なんだな」

 亘の問いに、軽トラを運転する藤源次は気のない返事をした。

 青色した年代物の軽トラは、懐かしの三角窓がついている。それが現役で走行するのも驚きだが、それより藤源次が運転免許を所持していることの方が驚きかもしれない。教習所に通う姿が全く想像できないではないか。

 しかし亘の聞きたいことは、そうではなかった。

「……なあ、ふざけてるのか」

「ふむ、五条の。なぜそう思うのだな」

「当たり前だ。だって、あの看板はなんだ。ここがお前の里だと言うのか!」

 亘は『ようこそ忍者の里に』とある看板を指さした。そこにはデフォルメされた忍者が手裏剣を投げる絵があり、『入場無料』といった台詞まである。

 しかし、それに対する藤源次の反応は平静なものだ。

「そうだが、何かおかしいのか」

「どう見ても観光地だろ。ちびっ子忍者体験に、ワクワク忍者屋敷だと? 誰がどう見たって観光地だろ!」

「ふむ、最近は子供だけでなく大人にも人気があるのう。主に外国人だがな」

「帰る、もう帰る。タクシー呼んででも、ここから帰る」

 亘は駄々っ子のように言い放った。

 それも無理ないことで、この日まで従魔たちが嬉々として戦う姿を横目に耐えてきたのだ。そして、ついに訪れたゴールデンウィークを利用し、盤石の態勢で不調の治療に臨むつもりできた。神楽やサキは里に入れられないと言われたため、涙の別れをして七海に預けて来たのだ。


 なのに連れられて来たのが、観光地の『忍者の里』である。これが怒られずにいられようか。

「まあ、待て。少し冗談を言ってみたのだ。そう怒るでない、悪かったのう」

「冗談って、どこまでだ。ここに来たこと自体が冗談なら、本気で怒るぞ」

「安心するがよい。里があるのはここから少し離れた場所になる。車で行けるのは、ここまでということだ」

「そうならそうと言ってくれよ。藤源次が言うと、冗談に聞こえないんだ」

「我とて冗談ぐらい言う」

「次から冗談という言葉も付け加えてくれ」

「分かった」

 亘はふて腐れながら、軽トラから辺りを見回す。

 晴天に恵まれたゴールデンウィーク初日。忍者の里までは渋滞とまではいかないが、車列ができている。先に駐車場に車を置いてきた家族が歩道を歩いていくが、両親に挟まれた幼児が大はしゃぎする様子が見える。

 どこからどう見ても、ただの観光地だ。それも有名処ではなく、先細り気味な観光地だ。藤源次が嘘を言うとは思わないが、本当に大丈夫だろうかとの気持ちが強くなる。

 不信感を抱く亘を乗せたまま、軽トラは関係者専用と表示される箇所へと乗り入れた。


◆◆◆


「藤源次様、お帰りなさいませ」

 スタッフというプレートを胸に付け、ピンク色した忍者服の女性が出迎えてくれた。くノ一と呼ぶべきかもしれないが、髪を後ろで結わえた鉢巻き姿だ。

 軽トラを降りた藤源次はぶっきら棒な態度をとる。

「どうした? お前がワザワザ迎えに来るとは、何かあったのか」

「藤源次様がお客様をご案内中とは知っておりますが……」

「おっと、自分でしたら気にしないでください。急ぎの用件でしたら、どうぞお構いなく」

 亘は爽やかな笑みを浮かべ、善人ぶってみせた。そこには、先ほどまでの不満の色など欠片もない。ある程度親しくなり大丈夫という確認ができなければ、他人に対し外面を取り繕ってしまう性格だ。

「悪いな、五条の。それで、何があった」

「実は緑朗君が足を挫いてしまい、今日のショーを演じることが厳しいとの連絡がありました」

「ふむ、だったら達也の奴はどうだ。今日は休むと言っておったが、呼べないものか」

「既に手はずは付けております。ですが、午前中に手の放せない用事があるため、お昼からしか来られないそうです」

「ぬう、昼からか……」

 藤源次は、ひと唸りして顎を擦る。

「ですので、午前中だけでも藤源次様にショーをお願いします」

「むう……仕方あるまい。ショーを楽しみにする子供たちをガッカリはさせられぬ。五条の、すまんが午前中だけ待ってはくれぬか」

「急な仕事が入る大変さは理解している。気にしないでくれ」

「助かる。それまで里の中を自由に見てくれるか」

 亘が頷くと藤源次は足早に去って行った。ショーの打ち合わせや調整などで、これから忙しくなるのだろう。


 早く不調を治したいという気持ちは強いが、しかし急に入った仕事対応に苦慮する大変さは理解している。それに、我を張って自分を優先させろなどと言うつもりもない。

 残された亘に対し、ピンク忍者の女性がペコリと頭を下げる。

「荷物が置ける場所に、私が案内させて頂きます。スミレと申します」

「自分は五条です。どうぞよろしく」

「こちらこそ、お願いします」

 丁寧に頭を下げ、亘は軽トラの座席から自分の荷物を取り出した。リュック一つの簡単な荷物で、中身も最低限の着替えが入っているだけだ。

「よろしければ荷物をお持ちしましょうか?」

「いえいえ大丈夫ですよ、軽いものですから」

「そうですか。それでは事務室に荷物を置けますので、そこに参りましょう」

 スミレに案内され歩きだす。

 最近は女性と話すことに多少慣れてきたが、さっと会話が出ないのは相変わらずだ。何か話題をと考えるが思いつかない。

 藤源次の里について尋ねてみてもいいが、何も知らない一般人という可能性もある。そうなると、下手なことは聞けないので話題としては不適だろう。結局上手い話題が見つからず、無言のままスミレの横を歩いていく。


 快晴。

 五月初旬の新緑に包まれた山間の地は空気もよく、気温も程よい。園内には琴の音色が流れ、和風の雰囲気を強調している。

 忍者の格好をした子供たちが歓声をあげ走り回っている。興奮しきった様子で、五月蠅すぎるぐらい五月蠅い。スミレが慣れた様子で手を振ってみせると、それに対して歓声が返ってくる。

「やあ賑やかだ。ところで、最近の来客数はどうです」

「ほどほどですね。若い親子連れさんが多いですけど、最近は外国からも来られるのですよ。わざわざ、ここまで来てくださるなんて本当にありがたいことです」

 外国では誤った忍者像が浸透しているが、ここに来て実像を見たらガッカリするのではないか。そんなことを勝手に心配してしまう。別に忍者に失望されようと、関係ないことだが何だか少し残念だ。

 少し話したことで気が楽になり、目に付いたことを話題にし歩いていく。

「手裏剣投げ体験ですか。面白そうだな」

「一回五百円で五回投げられるんですよ。的に三回当てると粗品が貰えて、全部当てるとプレゼントが貰えますよ。でも、小さいお子さんにはサービスしてますけどね」

「はははっ、まあそうでしょうな」

「こちらの忍者館はカラクリ迷路館で、制限時間内に出口まで行けるとプレゼントが貰えるんですよ」

「脱出ゲームみたいな感じですか。なかなか面白そうだ」

「ここも一回五百円です」

 入り口に発券ブースがあり、注意書きと共に入館料が表示されている。特製団扇や観光パンフレットも置かれ、ここが観光地なのだと改めて感じてしまう。

「あちらは忍者グッズを展示した資料館は三百円です。それと、忍者体験ができるアスレチックは八百円ですよ。良かったら是非参加して下さい」

「そ、そうですか」

「お土産の販売もしてますから、そちらも覗いて見て下さいね」

「そうさせて貰いますよ」

 なんだか世知辛いですね、と言いそうになる言葉をなんとか飲み込んでおく。きっと、施設の維持費が大変なのだろう。どの施設もそうだが、全体的に建物がくたびれていた。


 ようやく年季の入ったプレハブ小屋に案内される。工事現場の隅に置かれているような、簡易的な建物だ。

「こちらが事務室になります。荷物を置く場所はそうですね……こちらのソファーに置いてくださいね」

「どうも、置かせてもらいます」

 古びたソファーは少し破れ、中のスポンジがはみ出していた。そこに荷物を置くと、事務室内を眺める。

 プレハブ造りの天井は簡素なもので、雨漏りでもするのか所々に水染みがある。その横に電気配線があるのが不安だ。床は歩くと音が大きく響くもので、立って体重移動させるだけでキシキシ音がする。

 かなりボロい。

 スチール棚はファイルがぎっしりと詰めこまれ、同じくスチールの事務机も大量の紙が山積みだ。床の具合から考えると、そのうち抜けるに違いない。壁はカレンダーや忍者関係のパンフレット、そして絵が乱雑に貼られている。窓の割れた箇所はガムテープで補強されていた。

 スケジュールを書き込むための黒板があるのだが、そこに読みづらい文字で忍者ショーの予定などが書かれている。なお、今日の予定に『五条迎え』とあるのが嬉しかった。

 壁の丸い大きな時計を見上げたスミレが声をあげる。

「ああっ! いけない。そろそろ打ち合わせの時間でした」

「そうですか、時間を取らせてしまって申し訳ない」

「大した案内もできず、ごめんなさい。申し訳ないですけど、園内をごらんになってお待ち頂けますか。それでは」

 パタパタとした足取りでスミレは走って行ってしまった。

 それを見送った亘は誰もいない事務室を眺めやる。園内を見学するのはいいが、事務室は施錠しなくていいのだろうか。貴重品はなさそうだが、こんな管理でいいのだろうかと他人事ながら心配になる。

 きっと田舎準拠で施錠しないのだろうと無理やり納得することにした。

「仕方がない。辺りをうろついて時間を潰すか」

 亘は荷物の中から貴重品を取り出すと、一人ぶらぶらと忍者の里を散策しだした。

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