第九章

第99話 ボンヤリしているだけ

 スオウが支配する異界の一階層。異界の空気を吸うのは久しぶりだった。

 なにせ、年度末に近づいてから極めて多忙で徹夜や泊り込みが続き、土日もお仕事なのだ。何が公務員はルーチンワークで休み放題だろうか。学生時代の自分の首を絞めてやりたい気分になる。

 多少の時間が出来ても、異界に行く気力も体力も湧かない多忙さで、それより睡眠が欲しい毎日であった。

 そんな忙しさにかまけ、気付けば四月中旬となっている。忙しさ自体は五月の連休前まで続くのだが、ひと息つける程度の忙しさにはなった。

 それで久しぶりの異界へとやって来た五条亘は意気揚々としていた。けれど、すぐ訝しげな唸り声を上げる。

「うん? んんっ。あれ?」

 小さく唸りながら首を傾げると、目を閉じ思案するように眉を寄せている。

 そんな様子に辺りを楽しげに飛び回っていた巫女姿の少女が気付くと、小袖をなびかせながら寄って来た。背中に煌めく羽で宙を飛んでいることや、その小鳥のような人形サイズを除けば、明るく快活な笑顔が可愛らしい少女である。

「どしたのさ、マスターってば、変な声だしちゃってさ」

「いやそれがな……何と言うかだな」

「忘れ物か?」

 言い淀んだ亘に対し、足下からも声がかかった。

 それは黄金を梳いたような髪の幼さが残る少女だ。白のワンピース姿であり、背丈は亘の腹より少し上程度である。一見すると可愛らしいだけの少女に見えるのだが、その緋色をした瞳や整いすぎた神秘的な顔立ちなど、普通ではありえないものであった。

 どちらも亘と契約し使役される悪魔であって、ピクシーである神楽と、元は九尾の狐でグレードダウンしたサキである


 問われた亘ではあったが、両手に目を落とし無言のまま握ったり開いたりを繰り返す。やがて、その手がワナワナと震えだす。

「おかしい力が……湧いてこない」

「だから何言ってんのさ、ボクわかんないよ」

「APスキルが反応しないし、操身之術も発動しないんだ」

 どちらも肉体を活性化させ、亘の戦闘能力を大幅に高めるものである。それが使えなければ、異界の地で悪魔を狩る効率が低下してしまう。さらには仕事のストレスも発散できないではないか。

「ちょっと待ってね。うーんとね、これはねー」

 神楽が亘を見つめたまま周囲をひと回り飛んでみせる。探知能力を使い、全身をスキャンするように眺めているらしい。

「ほんとだ、マスターが弱っちいや。レベルもさ、半分ぐらいの感覚?」

「弱っちいとか言うなよ。一体どうなっているんだ? まさか新手の状態異常なのか」

「うーん、そんな感じはないけどね。しばらく異界に来なかったからさ、APスキルが消えちゃってたりして」

「ちょっと待ってくれ、確認する」

 亘は慌ててスマホを取り出し、自分のステータスを確認する。そこに表示されるスキルは前のままで消えたりはしていなかった。レベルも下がったりしていない。しかし安堵したくとも、状況は変わらない。

「状態も正常と表示されてるし……まさかスマホの故障か?」

「んー、どーだろね。ボクさっきまでスマホに居たけどさ、いつもと変わりなかったよ」

「そうか……」

「あとはサキに調べて貰おっか。できるよね?」

「調べる。式主しゃがむ」

 神楽の問いかけに、サキがクイックイッと手招きをしてみせる。金の髪した頭は、亘の胸に届かないぐらいの高さなのだ。嫌な予感はするものの、いた仕方なしとしゃがみ込み緋色の瞳と目線を合わせる。すると、サキの細い指先が亘の眉間にブスッと突き立てられる。嫌な予感的中だ。

「あがっ、おごっ、うげっ」

 まるで豆腐にでも突っ込むように、細い指が沈んでいく。それに合わせ亘が白眼を剥きながら痙攣する。グニグニと指で掻き回され、頭の中を探られるという壮絶な体験だ。


 そして指が引き抜かれると、亘は地面に手をつき嘔吐しだした。ゲーゲーとやる横で、従魔同士は呑気に話をしている。

「んっ。変わりない」

「だったらさ、問題ないってこと?」

「そう」

「じゃあさ、原因は分かんないね。マスター自身の問題かな」

「他に理由ない」

 ようやく吐き気が治まり、亘は手の甲で口を拭い何度か深呼吸をして息を整える。少しは契約者を心配しろと言いたい気分を堪えているため、普段のパッとしない顔で目付きを悪くさせていた。

「つまりスマホも問題がなく、経路とかも問題ないわけだな。じゃあ、なんで使えないんだ」

「さあ? とりあえずさ、様子をみたらどうかな。しばらくしたら治るかもしんないよ」

「職場のSEみたいなことを言いおって……仕方ない。しばらく様子をみるか」

 亘は不承不承頷く。しかし、パソコンの場合は様子をみても直らないことの方が多い。


◆◆◆


 光球と火球が敵をなぎ倒すが、それは神楽とサキの放つ魔法だ。いつもは亘が率先し、現れた悪魔を殴打して倒すことが多い。そのため、従魔である自分たちが活躍し契約者を守るという状況に大張りきりとなっている。

 おかげで現れた餓鬼の尽くが、オーバーキル気味に瞬殺されていく。

「ボクが活躍して敵を倒す。これこそが、あるべき契約者と従魔の姿なんだよ。そうなんだよ」

「んっ、その通り」

「マスターが戦うなんてさ、本当はおかしいもんね」

「確かに。式主戦うの異常」

 ご機嫌な神楽は空中で舞を舞い、サキも真似して舞っている。

 好き放題言われる亘だが、しょんぼりしながらその様子を眺めていた。あれから何体もの餓鬼がDPへと還元されていたが、亘の調子は一向に良くならないままだ。

 亘の出来ることは、稀に現れるドロップ品のボロ布を拾うだけの簡単なお仕事だけだ。気落ちしすぎて文句を言う元気もない。

 そのまま異界の主が出現するポイントの池へと到着し、そこの水虎どもがいつものように濁流に流され全滅しても、まだ治る気配がない。

 亘はドロップ品の褌を寂しげに拾い上げた。それを神楽とサキが慰める。

「ほらほらマスター元気出しなよ」

「そう。元気が一番」

「お前らに、この気持ちが分かるものか。戦うこともできず、異界でストレス発散ができないんだぞ」

「そんなの聞くの、初めて」

 タマモの、ひいては九尾の狐である玉藻御前の記憶を有するサキが言うのだから、長い歴史の中で、こんなことを言う人間は他に居なかったのだろう。

 神楽が呆れ顔で、うんうんと頷く。

「あっ、やっぱり? マスターときたらさ、異界で悪魔を倒して憂さ晴らしするんだよ。信じらんないでしょ」

「信じられない」

「あのな少しは心配しろよ」

 肩を落とした亘を余所に、神楽とサキは仲良く話をするだけだ。従魔同士の仲が良いのは結構だが、契約者をもっと労わるべきだろう。そう亘が不機嫌に睨んでも、ワザとらしくキャーと悲鳴をあげるだけで、心配する気配などない。

 そんなことをしていると、多めに残っていた水溜まりがざわめきだした。そして、この一層目異界の主である雨竜が出現した。


 久しぶりに会うが、亘のことはしっかり覚えていたらしい。見る間に悲壮感あふれる顔となっていく。だが、次の瞬間には竜顔をきょとんとさせた。一目で亘の不調を見抜いたものらしい。

 従魔二体などよりも、よっぽど雨竜の方が分かってくれる。持つべきは強敵と書いて友と呼ぶ存在に違いない。ちょっぴり哀しくなってしまう亘だった。

――オロローン!

 だが雨竜の感想は違ったらしい。歓喜の吼え声をあげている。これまで幾度となく倒されDPを搾取され続けたのだ。復讐の時を前に大喜びだった。

 そのまま喜び勇んで襲いかかろうとした雨竜だったが、口を開けたまま硬直する。そのまま目玉だけを動かすと、立ちはだかった小さな二つの姿をそっと見やる。カタカタと竜体が震えだしていた。

「ボクのマスターを襲うつもりなんだ。そうなんだ、良い度胸だね」

「死んじゃえ」

 そこにいるのは殺気立った――というより、もはや殺る気しかない――二体の悪魔だ。目は半眼となり口はへの字、表情は闇色へ堕ちている。その頭上には、ポコポコと光球と火球が発生していくではないか。

 ジリジリと後退する雨竜は完全に怯えていた。泣きそうな顔で、人間であれば諦めの笑いをあげていたかもしれない。

 次の瞬間、雨竜の身体へと攻撃が殺到した。竜顔は絶望のまま爆炎の中へと消えていく。完全なオーバーキルで焼け焦げた欠片しか残らない有様だ。気の毒なことに、碌な活躍すらなく出落ち気味に倒される運命に違いない。

 亘は焦げ臭い空気を吸いながら、それをボーッと眺めていた。

「マスター、見てた? ボクの活躍見てたよね。凄いでしょ」

「サキも凄い」

 神楽が亘の頭に降り立ち、ペタッと張り付く。サキの方も小走りで飛びつき、腹に顔を埋めるように抱きついてみせる。どちらも褒めて褒めてと急かすが、亘は反応せずボンヤリしているだけだ。

「マスター、これからは楽させてあげるよ。大丈夫、ちゃーんとボクたちが守ってあげるからね」

「楽させる、守る」

「そうそう。マスターはね、なーんにもしなくてもいいんだからね」

「任せる」

 亘はがっくりと項垂れてしまった。何もせず少女悪魔を戦わせDPを得る。それを世間ではヒモと言うのではなかろうか。


◆◆◆


「そんな感じで力が出ないんだけど、何か心当たりはないだろうか」

 翌日、亘はいつもの流行らない喫茶店へと藤源次を呼び出していた。

 APスキルはともかく、操身之術は藤源次から教わった術なのだ。聞くのなら藤源次しかいない。例えば、新藤社長に操身之術のことなど聞いても分からないだろう。

 縋りつかんばかりに尋ねられた藤源次は、数度頷いてみせながら、さり気なく亘を引き離した。

「我は機械については分からぬが、操身之術については心当たりがあるのう」

「本当か!? それはなんだ?」

「五条の、お主が操身之術を発動させたのは、まだ初めてだったのだな」

「そうだが」

「ふむ。そうなると、身体の方が発動を抑えているのだろうな」

 そこで藤源次が言葉を止めた。

 頼んだコーヒーが出てきたのだ。基本は客が取りに行くのが、この店のスタイルだが珍しく店主が運んできてくれた。しかし亘はコーヒーに目もくれず、藤源次の言葉の続きを待っていた。

 無愛想な店主が去ると、説明が続けられる。

「操身之術を学びだし、早く習得できた者ほどなりやすい症状よのう」

「なんでだそれは」

「普通は時間をかけ身につける術なのだが、それが急に身につけてしまったので身体の方が驚いておるのだ。そうなると、無意識に発動を抑えてしまうことがある。里ではそれを、身体がびっくりすると言っておる」

「じゃあ治るのか?」

「ふむ、治ると言えば治るが、治らぬと言えば治らぬ」

「どっちだよ」

 思わず亘が声を荒げる。他に客が居ないので良いが、普段にない亘の姿に藤源次はそれを宥める。

「そう焦るでない。これは身体だけでなく、心の問題もあって発動されないのだ。焦ったところでどうしようもないのだ」

「そうか、分かった。落ち着こう」

 亘は深呼吸して焦りを抑えようとした。ようやくコーヒーに手をつけ、目を閉じながら飲んで心を落ち着けようとしたが、あまり効果はなかった。

 一方の藤源次は、ゆったりと落ち着いた様子だ。

「そうなった場合の対応だが、操身之術を発動させる者と一緒に行動させておる。そうしておると、自然と治ることが多いのう」

「だったら、藤源次と一緒にいればいいのか」

「ふむ、そうだがずっと一緒にいるわけにもいくまいて」

「そんなこと言わずにさ、頼むよ」

 頼み込む亘の前で、藤源次は己の顎を撫でた。その顔は少し思案顔である。ややあって、その口が開かれた。

「だったらどうだな、五条の。お主、我の里に来てみてはどうだ」

「藤源次の里にだと?」

「うむ。里の若い連中と一緒に修行してみぬか?」

 思いもかけない言葉に亘は戸惑った。藤源次は忍者である。つまり、その里は忍者の里ということだ。年甲斐もなく、ワクワクしてしまう亘だった。

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