第40話 ぞわっとした何か
キセノンヒルズは高層ビルだ。
下層は地下からショップやカジュアルレストランなどのテナントが入居した商業フロアが続き、最上階には展望の良さを活かした高級飲食店のレストランフロアがある。
そして中層がキセノン社関係の事業フロアとなっており、オフィスや会議室、そして社員の住居などとなっている。
「わぁ、外国のドラマみたいな場所ですね」
中層の事業フロアに案内され、七海が感嘆の声をあげた。
その言葉どおり、オフィスは一人ずつのスペースが大きく取られ、明るく開放的な雰囲気だ。木製のデスクに革張りの椅子、棚の中に書類が綺麗に並べられている。机の上に置かれたファイルすらオブジェのように感じてしまう。
これに比べると亘の職場は作業場でしかない。
詰め込まれるようにして机が並び、手を伸ばせば隣の席に届くほど狭い。スチールの事務机は年季が入りあちこちが凹み引き出しも壊れている。古びた椅子は動くとキィキィ音がしてクッションもへたっている。棚には紙ファイルが乱雑に押し込まれ、べたべたと付箋紙が貼られているのだ。
明後日の出勤が哀しくなりそうなので早々に目を逸らしておく。
「ここに異界の入り口があります」
「ところで社員が誰もいませんね。避難したのですか」
「そうです。大事をとって、近くのフロアからも待避させています。入口は……ああ、ここですね」
案内する新藤社長が立ち止まり、レクレーションスペースへと続く通路を指し示す。亘にはさっぱりだが、やはり悪魔である新藤社長は異界の入口が感じられるらしい。
「くどいようですけど、危なければ直ぐ戻ります。そこは承知しといて下さい」
「ええ構いませんよ。五条君の思うように行動してください。なんであれば、いつものように異界を破壊してくれても構いませんから」
「無茶言わんで下さい。そうなったら報酬を倍額要求しますよ」
「くくくっ、倍額で済むならお出ししましょう」
ずっと気を揉んでいた新藤社長がようやく笑った。一緒に行動していた藤島秘書がホッとした顔をする。心配していたようだ。
スマホを取り出し神楽を呼び出す。
画面からヒョッコリ頭を出した神楽だが、いつもと違い緊張して大人しい。怯えたような警戒する顔でチラチラと見る先は、新藤社長だ。相変わらず苦手としているらしい。
「じゃあ、異界を開いてくれるか」
「……うん」
小さな手で叩かれた空間が揺らめき、異界の入り口が開かれる。
役目を終えた神楽はピュッと飛んで戻ると、亘の襟元から服の中へと潜り込んでしまう。苦笑した亘は軽く手を挙げ挨拶をしておく。
「それでは、また後ほど」
「よろしくお願いしますよ」
波打つ空間に亘が姿を消し、それに続いてチャラ夫と七海も足を踏み入れる。新藤社長はしばらく佇み、自分も異界に行きたそうに見送っていたが、藤島秘書に促され渋々とその場を後にした。
◆◆◆
異界の中は、入る前と全く変わらないものだ。
誰も居ない閑散としたオフィスのままで、机の上に置かれていたファイルの位置も変わらない。本当に異界に入ったのか疑わしくなるほどだ。
念のため振り向くと、そこに突然チャラ夫と七海が出現する。異界であることは間違いない。
神楽がモゾモゾと懐の中から這い出て来た。
「あー、恐かった」
「なんだよ、相変わらず新藤社長が苦手なのか?」
「そんなの当然だよ。あんな高位の悪魔と普通に喋るマスターって何なのさ」
「やっぱり社長は悪魔なんだな……」
そんなことを話している間に、チャラ夫と七海がスマホを操作しガルムとアルルを喚び出す。
もう異界の中だからと亘は気を引き締め、油断無く周囲を見回した。
「基本は、この場所を中心に行動するとして、いつでも脱出できる体制をとるとしよう」
「待ってマスター、ダメだよ。ここに出口がないよ」
切羽詰まった声で神楽が叫び、亘は目を見開いた。
「なんだと!? 本当にないのか?」
「うん……間違いないよ、ここにはないよ」
神楽は入ってきた付近を飛び回り仔細に確認してみせるが、やはりそこに出口はないようだ。
「ボクの探知できる範囲に出口はないね。どこか別の場所を探さないとダメだよ」
「どうするかな……」
亘は不安に襲われ歯を噛みしめ唸った。
レベル20の対策班が脱出してこない、そんな事実がズシリと圧し掛かってくる。こうなると、もう女性隊員を助けてモテモテだとかふざけている場合ではない。
「どうしましょう、直ぐに脱出できないと……」
「大丈夫っす。俺っちが七海ちゃんを守るっす、そんで兄貴が俺っちを守るっす。ほら、問題ないっすね!」
亘はこんな時でもちゃらけたチャラ夫に呆れ、でもそれで気を取り直す。
年上の自分が不安そうにしては、年下二人が余計不安になってしまう。ちっぽけでもプライドぐらいある。情けない様子を見せるわけにはいかない。
「二人とも、まずは出口の確保を最優先としよう」
「ういっす。そのついでに対策班を探せばいいっすか?」
「そうだな。でも本当についでに探すだけだ。まず自分たちが脱出できなければ意味がないからな」
「悪魔が出たらどうしましょうか。前は私たちで攻撃してましたけど、今回はアルルたちにも攻撃をして貰った方がいいですよね」
「そうだな。敵の強さにもよるが、できるだけ魔法で先制攻撃をしよう。あとは追撃か、もしくはトドメを刺す形でいいな」
他の面々が頷くのを確認し、亘は支給されたアルミ合金製の警棒を手に構えた。チャラ夫と七海も同じく警棒を構え、いつでも戦えるようにする。
そして出口を探し歩きだす。
◆◆◆
神楽の探知はDP濃度の影響を受け、異界の中では探知範囲が狭くなるらしい。その範囲を確認すると、フロアの四半分程度だ。しかもどうしたことか、別の階には探知が及ばないらしい。
異界の中では機械が動かない。それは電気がこないためか、他に原因があるのか分からないがエレベーターが使えないということだ。つまり、階段を使って異界化した高層ビルを一階ずつ調べていかねばならなかった。
「それにしても、敵が出ないっすね」
「これだけ移動して悪魔が出ないなんて、変ですよね」
「確かにそうだな。まあ、油断するつもりはないけどな」
「そっすね。ところで、七海ちゃんは足きつくないっすか。なんなら、ちょっと休んでもいいっすよ。あっ、別に俺っちが休みたいわけじゃないっすよ」
「大丈夫です。これでも鍛えてるんですから」
「そっすか」
チャラ夫が残念そうに呟く。どうやら自分が休みたいのが本音らしい。
今はまだ大丈夫でも、いずれ疲れてへばるのは確実だ。そうなる前に休憩をとるべきだろう。
「だいぶ階段をあがったからな。本当に疲れたら意地を張らずに早めに休もう。チャラ夫はどうだ」
「あー、まだ大丈夫っす」
「それならいいけど、疲れたら早めに言って欲しい。戦闘になって、疲れてましたなんてことは避けたいからな」
「うぃーっす、了解っす」
「それにしても悪魔が出ませんね」
移動がスムーズになるのは助かるが、全く出て来ないというのも不気味だ。
「ボクの探知範囲に敵はいないけどさ、何だか変な感じだよ。何か居るような感じはするけどさ……おかしいね」
神楽は辺りを見回すと、しきり首を捻っている。
新たなフロアに足を踏み入れた。
そこは、それまでの明るく開放的で暖かみさえある事業スペースとは趣が異なっている。シンプルだが、無機質で硬質な雰囲気のフロアだ。例えるなら病院や研究室のようで、異界の静けさに反響する足音すら不気味に思えてしまう。
――うふふふ
瞬間、ぞわっとした何かを感じ、亘はとっさに身構えてしまった。
でもだからといって何かが起きたわけでもない。ただ、後ろの二人もほぼ同時に身構えており、あながち気のせいでもないようだ。
「今、何かを感じなかったか」
「感じました。やっぱり何か変ですね。敵が出ないのもそうですけど、何だかずっと誰かに見られてる気がします」
「俺っちもっす。鳥肌立ったっす。ほら、見てみるっす」
「見せんでいい」
腕まくりしたチャラ夫は亘に一蹴され、代わりにガルムに鳥肌をみせている。
ぺろりと舐めて貰っているが、どうやら『舐める』のスキルを使ったらしい。チャラ夫がガルムを褒めながら撫でている。
どうにも緊張感がない。
「こらこら、そんなことで魔法を……」
――夢幻に惑え
「……なんだ!? おい、チャラ夫? 七海? しっかりしろ! 神楽!? どこにいったんだ。くそっ、なんだ頭が揺れる……」
不意に目眩が襲い、何がなんだか分からないまま亘は意識を失ってしまった。
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