第39話 妙な気合い

 黙考する亘を見つめ、新藤社長が口を開く。

「報酬で釣ってすいませんが、まず百万円。これは異界に行って頂くだけでお支払いします。それから対策班を救出してくだされば、別個に一千万円を支払いましょう。もちろん、皆さん各自にです」

 両脇から息をのむ音が聞こえる。新藤社長の言葉は、まさに甘い悪魔の囁きで亘の心も大きく揺らいでいる。お金は生きるために、絶対に必要なものだ。実際に働いて収入を得ているため、その大切さやありがたさは身に染みている。

 しかしだ。

「なる程……」

「どうでしょうか?」

「それだけ危険ということですね。渋るわけではありませんが、そうですか……」

 亘は慎重に答えるが、頭の中では欲と理性が喧嘩した状態だ。

 さらに金銭だけでなく、新藤社長に恩を売るチャンスでもある。相手は大手会社の社長、その関係は一千万なんぞよりも価値があるだろう。


 両脇の二人はその気になったらしく、特にチャラ夫などせかすように貧乏揺すりしている。でも、だからといって簡単には承諾できない。亘自身が言ったように、一千万円がポンと出せるだけの危険があるということだ。喜んでほいほい釣られる程馬鹿ではない。

「支援としてAPスキルなどを貰えませんか。別にゴネて条件を付けようとしているわけではないです。安全確保が目的です」

「できればそうしたいですがね、実はそう簡単に出来るものでもないのですよ」

「そうなんですか」

「詳しい説明は省きますけど、身体が経験値としてDPを吸収する過程でAPスキルを受け入れる素養ができていくのです。それ無しで、いきなりAPスキルを付与すると肉体が順応しきれないのですよ」

「なるほど……」

「物理的支援でしたら、対策班が使用する装備を提供しましょう。だからこの通り、お願いしますよ」

 新藤社長は深々と頭を下げた。


 もっとも、条件を付けだした時点で亘の腹はもう決まっている。

「分かりました、承りましょう。でも、こちらの行動方針は安全第一ですからね。危険であれば、入って即座に脱出する場合もありますからね」

「ええ、構いませんよ。さすがに、そこまで無理は言えませんから」

 ちゃっかり予防線を張っておく。もし本当に危険であればすぐ撤退する腹づもりだ。それなら協力したという面目も立つというものだ。

「それと急いでいるのは分かりますが、社長に幾つか確認したいのですがいいですか」

「ええ構いません、どうぞ」

 亘はこの際だからと尋ねることにした。

「異界は場所によって中の様子が違いますよね、それに出現する悪魔も違います。これは何か法則はあるのですか?」

「ああそれはですね。まず異界というのは発生した時点で、その場所の記憶を受け継ぐのですよ。異界の風景が古いということは当然古くから存在しており、そこに現れる悪魔も強力になっていくというわけですよ」

「成る程。確かに言われてみれば、そうか……」

 呟きながら考えてみる。


 亘が最初に潜った異界の風景は入る前と変わりがなかった。つまり新しい異界ということで、そこに出現した悪魔である餓鬼は弱かった。

 一方、商店街の異界は入る前と異なり多少古びた感じの商店街で、そこに現れた悪魔も餓鬼よりは手ごわかった。

 七海が言っていた入る前と全く違う異界というのは、相当古いもので現れる悪魔もかなり強いに違いない。よく無事だったなと七海に感心してしまう。

「あと、今回発生した異界について分かっていることがあれば、推察でも構いませんので教えて貰えますか」

「それがこの異界は特殊でして、どうもおかしいんですよ。外部から計測した内在DP量が新しい異界にしては、かなり大きいのですよ。それこそ古くからある程にね」

「今まで異界の存在に気付かずにいて、それが急に気付いたので突然現れたように見えた、そんな可能性はありますか?」

「ないとは言えませんが、さすがにそれはないですね。我々のテリトリーなので念入りに確認はしておりますので。あとは、ここで取り扱ったDPが漏れ出したことで異界が発生した可能性もありますが、そういった報告もないですね」

「なるほど……まだ聞きたいことはありますが、そろそろ異界に行った方がよさそうですね」

 亘はそこで質問を切り上げることにした。


 あまり待たせるわけにはいかない。新藤社長が対策班のことを考え焦り気味なのは分かっている。ここで時間をかけては心証が悪くなってしまう。

 そろそろ行動に移る頃合いだ。

「救出する隊員のリストを用意してもらえますか。出来れば顔写真付きで。あとは準備できしだい出発します。二人もそれでいいよな」

「「はいっ!」」


◆◆◆


 最後の準備として、更衣室で亘とチャラ夫は着替え中だ。

 もっとも、それは新藤社長が用意してくれた防刃防刺性のベストを身に着けるだけである。持ってきた荷物をロッカーの中にしまえば準備完了だった。

 亘は更衣室の中を見回してため息をつく。

「どしたっすか?」

「なんて贅沢な場所なんだろうと思ってな」

「確かに凄い豪華っすよね。学校の更衣室と大違いっす」

「うちの職場の更衣室ともな……今からでも転職すべきかね」

 更衣室は空間を広く使っており、白を基調とした空間に木質の上品なロッカーが並んでいる。壁には大きな姿見があり、とこどこに洒落たスツールが置かれ談笑してくつろげるスペースもある。そんなハイグレードな場所なので、自分の荷物をロッカーにしまうことが申し訳なくなるぐらいだ。

 同じ階にはフィットネスエリアや室内プール、そしてサウナや浴室などのアメニティ施設、さらにはカフェラウンジまであるそうだ。これら全てが会社の福利厚生設備として自由に使えるらしい。

「…はあっ、やっぱり転職すれば良かったかな」

 亘は自分の職場にある更衣室を思い出し、もう一度ため息をついた。


 なにせ、職場の更衣室は錆の出た金属ロッカーがギッシリ詰め込まれ、入り口で誰かが着替えると奥に入っていけないほど狭い。おまけに、持ち込まれて放置されたままの長靴やら靴、傘などが段ボールが突っ込まれ放置されているぐらいだ。

 そんな職場の更衣室と、あまりの違ってショックを受けてしまう。

「いやー、兄貴が断るんじゃないかって、俺っち心配だったっすよ」

「半分は断るつもりだったな」

「まじっすか!? 一千万っすよ、一千万円!」

「あのな、あの場で言っただろ。その金額に見合う危険があるってことだろ。三人分で三千万円がぽんと出るってことは、それだけ危険ってことだぞ」

「うっ、そっすね……でも、それなら入って直ぐ出るっす。それでも百万っすよ、百万」

「いや、それは人としてどうかと思うぞ。流石チャラ夫君、発想がゲスいな」

 亘は深々とため息をついてみせたが、実はそれも考えていたりする。チャラ夫と違って、出口付近で待機し時間を見計らって出るという、さらに姑息な考えだ。

 もちろん実行する気はないが。

「それに、お前はそんな大金を貰って親にどう説明するんだ?」

「そんなの当然内緒にするっす!」

「内緒ねぇ? 金遣いが荒くなれば、すぐバレるだろ」

「うっ、それは……どうしたらいいっすか?」

「さあな。貯金するか国債でも買っとけ」

 素っ気なく答えておく。まさに他人事なので亘は知らんぷりだ。話題を振るだけ振って酷い男だろう。

 ガックリと肩を落としていたチャラ夫だが、ふいにニヤッと笑って顔をあげた。

「ところで兄貴、分かってるっすか?」

「なにがだ?」

「さっき、助けに行く隊員の名簿を見たっすよね。隊員の女の人、けっこう可愛かったっすよね。ピンチに颯爽と現れる俺っち、きゃー格好いいー素敵ー、抱いてーという展開っすよ!」

 拳を握りしめ力説するチャラ夫を前に、亘はなおのこと冷たく言い放つ。

「お前バカだろ……」

 しかし、確かに対策班の女性隊員は、けっこう可愛い娘が多かったのは事実だ。チャラ夫が言うように、その内の一人ぐらいは感謝から恋愛に発展して……ワンチャンあるかもしれない。

 亘の背筋にゾクゾクとした期待感が込み上げた。

「だが、そういうの嫌いじゃないぞ……」

「兄貴っ……」

「行こう!」

「っしゃあ!」

 拳を付き合わせ、気合いを入れ合う。目を輝かせ口には不敵な笑み、男二人で肩を並べ踏みしめる足も力強く更衣室を後にする。

 合流した七海は、妙な気合いの入った亘たちに小首をかしげていた。

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