第四章
第38話 到着するまで誰も
黒塗り高級車の後部座席で五条亘は冴えない顔の眉を寄せ、隣に座る茶髪のチャラチャラした少年へと尋ねる。
「新藤社長からの呼び出しだけど、何の用事だろうな」
「さあ……俺っちにゃ、さっぱりっす。それよか、この車の座り心地いいっすねー」
「チャラ夫に聞いたのが間違いだったよ。七海の方はどう思う?」
軽く息を尽き、今度は向かいに座る優しげな顔の少女へと問いかけた。
VIPや要人向けの高級車なので対面式の座席だ。女の子に正面に座られると、視線をどこに向けるべきか困ってしまう。おまけにグラビアアイドルをしている少女なのでで、容姿といいスタイルといい目のやり場が思案どころだ。
その七海も小首を捻ってみせた。
「ごめんなさい。私も同じで、予想もつきませんよ。でも急ぎの用事なのですよね……なんだか嫌な予感がしますね」
「確かにそうだ、嫌な予感がするよな」
亘はため息をつき、朝の出来事を少し思い出す。
今日の予定では、七海が見つけていた異界を攻略つもりでいた。集まって、いざ異界に……となったところに新藤社長からの電話。
どうしても頼みたいことがあるとの連絡で、場所を知らせると映画でしか見たことがないような高級車が迎えに来たのだ。それに乗せられてキセノン社に連れていかれているところである。
高級車の座席は革張りで身体をすっぽり包んでくれる。大きなアームレストがあり、小型冷蔵庫を覗いてみれば、高そうなワインが入っていた。車名すら知らないが、信号待ちで停止していると、スモークフィルム越しに見える歩行者が振り返って確認するレベルの高級車だ。
「どうやったら、こんな車が買えるんすかね。あ、冷蔵庫の中のワイン飲んだらダメっすかね」
「お気楽な奴め。というか、お前は未成年だろ」
「じゃあ貰って父ちゃんのお土産に……嘘っす、冗談っす。睨まないで欲しいっすよ」
亘は呼び出された理由が分からず不安なのに、チャラ夫ときたら大喜びであちこちをベタベタと触って指紋を付けまくっている。
そんな子供みたいな様子に呆れつつ、亘は流れる外の景色へと目をやる。別に景色が見たいわけではない。正面が七海なので、そうしなければ無意識に胸をガン見してしまう。
車の速度が落ちだす。
「到着か」
「キセノンヒルズですか……また来ることになりましたね」
そびえ立つビルを眺める。逃げるように立ち去った説明会の日から、さほど日は経っていない。こうも直ぐ来ることになるとは思いもしなかった。
感慨深く思っている間に、キセノンヒルズ正面玄関前に車が横付けされる。降りるのを躊躇う時間すらなく、車外からドアが開けられた。
仕方なく降りた目の前に二十代半ばとおぼしき女性が待ち構えていた。黒のレディーススーツをビシッと着こなし、ひっつめ髪に銀縁眼鏡と美人ではあるが怜悧な印象を受ける女性だ。
「ようこそお越し下さいました。私は新藤の秘書をやらせて頂いております藤島と申します」
「これはどうも、自分は……」
「五条様に長谷部様、舞草様ですね。お待ちしておりました。社長の新藤が待っておりますので、こちらへどうぞ」
ハイヒールをカツコツと鳴らしながら藤島秘書は颯爽と歩きだした。亘たちが後を付いてくることが当然といった態度だ。
ちょっとムッとなる亘だが、仕方なくその後を付いていく。苦手だなという思いを腹に押し込め、疑問に思ったことを尋ねてみせる。
「ところで、呼び出された理由は何ですか?」
「私の役目は皆さまをご案内することですので、お答えできかねます。どうぞ新藤から直接お聞きください」
思わず回れ右して帰りたくなった亘だが、そんな大人げないことをチャラ夫と七海の前でする訳にもいかず我慢をする。一応、立派な大人のつもりでいるのだ。
その代わり藤島秘書とは口をきくまいと決めて沈黙を貫くことにする。
チャラ夫と七海にも何も言わない。そのおかげで最上階の社長室に到着するまで誰も喋らないままでいた。
◆◆◆
「やあ、よく来てくれたね。五条君、それからお二人も急に呼び立ててしまって本当に申し訳なかった」
社長室に入るなり、新藤社長が顔を明るくさせ大股でやってくる。亘の手を取り肩を叩いてくる親密な様子だ。
亘も笑顔で手を握り替えす。
「いえお気になさらず。電話ではお急ぎのご様子でしたね、面倒なやり取りは抜きにしましょうか。何があったか聞かせて下さいよ」
「そうだね。前置きは抜きにするにしても、まずは座って話すとしよう。さあ、座ってくれるかい。ああ悪いが今日はコーヒーは無しにさせてもらうよ」
「はははっ、それは残念」
以前のように亘を中心としてソファーに座るが、チャラ夫も七海も会話を任せるつもりらしく、深めに座って身を引いている。
できれば亘だって新藤社長と好んで話したいわけではない。協力者認定されているのでにこやかに対応しているが、社長が恐いのが本音だ。なにせ社長の正体は悪魔なのだから。
けれど正面に座った新藤社長はしきりに顎をさすり思案顔だ。珍しく、どう言葉を切り出すか迷っているらしい。ややあって、口が開かれる。
「実はだね、うちの会社内で異界が発生したんだよ」
「会社内に異界が? 異界はこんな場所でも発生するものですか」
「異界自体はどこにでも発生するね。ただ、我々はその発生場所や兆候がある程度、掴めるんだよ。ところが今回はいきなり表れてね。我々も非常に困惑している」
そうかなのかと思いつつ、亘は頷いてみせた。早いとこ話を終わらせたいので、さっさと結論に向かう。
「なる程、大体要件は理解しました。つまり、そこを攻略しろということですか」
「話が早いが少し違うよ。確かにできれば攻略して貰いたいが、まずは調査だけでもいいんだよ。それと、こちらが本命なんだが救出をお願いしたい」
「救出?」
思いがけない言葉に亘は思わず眉を潜めてしまう。両側に座る二人からも訝しげな声がもれており、新藤社長は困り笑いを浮かべた。それもまた珍しい表情だ。
「ええ、そうなんですよ。さすがに敷地内に発生した異界ですから、うちの対策班を送り込んだのですが……それが予定時間を越えても戻って来ないんですよ。送り込んだ隊員はレベル20をトップとして全員がレベル10以上のチームです。そう問題はないはずなんですが……」
新藤社長は額に手をあて目を閉じている。
その様子は派遣した隊員の安否を本気で心配していることが伝わって来るものだ。社長の正体を知る亘からすると、少し驚きだ。
悪魔でも他者を思いやる感情があるらしい。人間でないからと、人間が持つ感情までないとは限らないということだろう。少し認識を改めねばならない。
しかしだからといって、頼みをホイホイと引き受けるかどうかは別だ。
「かなり焦っているようですね。ですが、前にレベル20以上は何人かいるように伺ってます。別に渋るつもりはないですが、その方々が適任ではないですか……もっとも、こちらに頼むということは、その人達が不在ということでしょうが」
「ああその通りですよ。彼らは別件で出払ってまして、どうしても手が離せないんです。今動ける中で、最高レベルなのは五条君たちでしてね。本当を言えば、私が直接乗り込んでもいいのですが……立場上動けませんので」
新藤社長がちらっと藤島秘書へと目をやる。どうも逆らえないという感じだ。秘書の冷たい目で睨まれ、慌てて目を逸らす様子からするとそんな関係らしい。日頃、神楽の尻に敷かれている亘からすると親近感が湧いてしまう。
新藤社長が軽く咳ばらいをする。
「対策班の救助もですが、他にも急ぐ必要があるのですよ」
「ほう」
「うちは他の組織と協力関係にありますがね、実はよくも思われてないのですよ。分かるでしょう、なにせ私が私ですからね」
新藤社長が自虐気味に笑いながら言葉を続ける。
「しかもアプリを使って簡単に悪魔を使えるようにしているでしょう。それがまた、昔ながらの修行で活動している連中からすると面白くないらしくてね」
新藤社長は嘲笑気味に短く息を吐いた。
亘はなる程と頷いた。
他の組織――それがどんな組織かどんな修行をしているかも分からないが――その連中は血の滲むような努力や研鑽で身に着けた技で、異界の悪魔と必死に戦って日本を守ってきたに違いない。
そこにいきなりスマホ一つで簡単に悪魔を従え悪魔と戦う輩が大量に現れたとすればどう思うだろうか。しかも、先祖代々苦闘してきた場にゲーム感覚や遊び感覚で乗り込んでくるのだ。さぞかし自分たちの尊厳を踏み荒されているように感じていることだろう。
怒りの矛先がキセノン社に向かうのも当然だ。
「その組織がどんな連中かは知りませんが、きっと自分たちが日本を守ってきた自負があるのでしょう。でもまあ、自分から言わせれば簡単に悪魔と戦えるなら、それでいいと思うのですが」
「彼らもそう思ってくれるとよかったのですがね。そんな連中が我が社の内に異界が発生したと知れば、それ見たことかと騒ぎ立てて難癖をつけてくるのは目に見えてます」
「ああ、なる程。いますね、そういうヤツが」
「下手をすると我が社のDP事業自体にまで横やりが入りかねません。だから早いところ対処しておきたいのですよ」
「それは困りますな……」
亘は本気で困った。
DP対策事業に横やりが入り万一デーモンルーラーのアプリが廃止という流れにでもなったら、非常に困るのだ。DPが換金できなくなることもだが、それよりなによりも神楽という存在を失いかねない。それは何としても避けたい。
しかしレベル20が戻らないことを考えると、危険な依頼であることは間違いない。何事もそうだが命あっても物種だ。死んでは元も子もない。
思案どころだ。
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