第109話 淡雪のように

「――なるほど、五条さんの好みは、薄味ですか。そしてお肉より、野菜派ですね」

「そだね。でもさ、お肉が嫌いってわけじゃないよ。最近、脂っこいのが辛いんだってさ」

「ふむふむ」

 ここは舞草七海の部屋である。

 熱心にメモをとる七海の前で、四角い置時計に腰かけた神楽が緋袴の足をブラブラさせる。室内なので草履は脱いでいるので白足袋だ。

 部屋の壁は柔味のある白色で、カーテンは淡い緑色といった具合で、清楚で爽やかな色使いだ。置かれた家具も無垢の木で、賑やかな色合いといったら本棚に並ぶ背表紙ぐらいだろうか。スッキリとしているが、年頃の女の子の部屋にしてはやや殺風景だろう。

 そしてベッドには我が物顔で占拠するサキがいた。

「それでは次です。最近料理したメニューを教えて下さい、そうですね珍しいものとかありますか」

「んーとね、こないだね。プリンつくってくれた。美味しかったけどさ、ボクとしてはもっと甘くして欲しかったなー」

「つまり五条さんは甘さ控えめ系ですね」

「そだね。マスターってばさ、お菓子をつくってくれるけど甘さがギリギリなのが多いね。でも美味しいけどさ」

「それは重要な情報です」

 メモを取る七海の前で、神楽が焦れたように白足袋をばたつかせる。

「ねー、そろそろいいでしょ。もうずーっと質問ばっかで、ボク疲れちゃったよ」

「本当ですね。二時間も経っていましたか。つい夢中になってました」

 七海は満足そうな顔でペンを置くと、ノートをパラパラとさせ読み返しだした。

 聞き取りだけでも数ページを使ったが、既に半分以上が使われている。神楽がちらっと見ると、何やらびっしりと書き込みがしてあった。表紙には『五条さんメモ』とあって、この娘拙いんじゃなかろうかと、神楽は冷や汗をかいてしまう。

(まあ、書いてるだけならね……)

 こっそり呟き部屋の中を眺めやった。

 神楽が想像する女の子の部屋とは、ピンクやハートで飾られヌイグルミに埋め尽くされたもので、きっとそうに違いないとイメージしていた。しかし七海の部屋ときたらまるで違い、シンプルですっきりしている。ヌイグルミといったら狐のものが1つあるだけだ。穏やかで落ち着く部屋であった。

(はっ!)

 神楽は気付いた。この部屋の具合は、マスターである亘が話していた好みの部屋のイメージではないか。あの時は、七海が妙に熱心に質問して聞き出していた。カーテンの柄や、机や家具も亘が話していた内容の通りだ。

 神楽は急に薄ら寒い思いとなって七海を見つめた。ニコニコしながらノートを読む姿が、何か恐いものに見えてしまう。だから、ふいに顔を上げた七海と目が合うと、思わず怯んでしまった。

「うん? 神楽ちゃん、どうしたんですか?」

「な、なんでもないよ。ボク何も気づいてないよ」

「そうですか? ところでですが、五条さんが居ない間に、私たちもレベル上げすべきだとは思いませんか」

「そ、そだね」

 神楽は戦慄を無理やり忘れることにした。これ以上考えない方がいいと悟ったのだ。そして、飛びつくようにレベル上げの話に賛同する。

 話を変えたいこともあるが、確かにそれは神楽も考えていた。タマモに倒された間に亘だけがレベルアップし、そのせいでレベルに差ができている。従魔として、それは不満だ。改めて頷く。

「うん、それ賛成だね。ボクそう思うよ」

「ですよね。私もレベルを上げないといけません。あまり差が大きいと、一緒に異界へ連れてって貰えないかもです」

「それはないと思うよ。だってさ、ナナちゃんがいるとマスターってば、ご機嫌だもん」

「迷惑がられてませんか」

「ないない。マスターってばさ、恥ずかしがり屋だからね。口ではそうと言わないんだよね。ナナちゃんもさ、もーっとマスターに我が儘言った方がいいよ」

 神楽は亘が聞いたら絶食一週間を命じるに違いないことを、ベラベラと喋っている。だが、おかげで七海は心底嬉しそうに笑っている。


 そんな部屋でサキが我関せずと大欠伸をした。七海の部屋にある狐のヌイグルミを抱きかかえ、ムニャムニャと呟いて眠たそうである。

「とにかくさ、異界に行って経験値稼ぎしなきゃね」

「ええ。レベルをいっぱい上げて、五条さんを驚かせちゃいましょう」

「そだね。それがいいね、頑張ろー」

「頑張りましょう」

 今から異界に行こうと神楽と七海が掛け声をあげるが、サキはやはり我関せずだ。

「サキ関係ない。寝てる」

「そっか、サキはレベルとか関係ないもんね。だけどさ、戦力的には参加して欲しいんだけどさ。どうかな」

「やだ面倒」

「ぶーっ。ナナちゃんからも言ってやってよ」

 神楽が頬を膨らませる。効率的に異界を攻略するにはサキの戦力は大きな要となる。なにせ弱体化しているとはいえ、元は九尾の狐なのだ。そして実力的には神楽と良い勝負なのだ。それを知る七海も頭を下げて頼み込む。

「お願いします。サキちゃんも一緒に行ってくれませんか」

「やだ。サキ従うは式主のみ」

 サキはサラリと言ってのけた。従魔が従うのは自らの契約者のみ。それは至極当然のことで、神楽の様に勝手に行動する従魔の方が珍しい。否、問題であり異常なのだ。

 困った七海は豊かな胸を載せるように腕を組み、しばらく思案顔をする。そして何かを思いつくと、ニッコリ笑ってスマホを操作しだす。

「うーん。それでしたら、お揚げで手を打ちませんか」

「……買収には応じない」

「これは日本一美味しいお揚げだそうですよ。ほら、見てくださいよ。専門の揚げ師がじっくりと揚げ、外はカリッで中がフワッな大豆の旨味が口いっぱいに広がると書いてあります」

 七海がスマホを差し出す。その画面には、黄金色した見るからにふっくらとしたお揚げが表示されている。凄く美味しそうだ。現に、それを見るサキの喉がゴクリとなった。目は爛々と輝きだし、今にも画面に食いつきそうな様子でキヒヒッと嬉しそうな笑いをあげだす。

「行く」

「じゃあ、お揚げは出来高払いですから。沢山倒しましょうね」

「さすがナナちゃん、しっかりしてるよ」

 そんなこんなで、亘が居ない間に異界の攻略に出かけた七海たちだった。


◆◆◆


「――と、まあ。そんなことがありまして、異界を幾つか梯子しちゃいました。勝手に神楽ちゃんとサキちゃんを連れまわして、ごめんなさい」

「気にしなくていいさ。もっと扱き使って良かったぐらいだ」

 自分のアパートへ戻ったばかりの亘が軽く笑う。

 その身体には、二体の従魔がしがみ付くようにして甘えていた。アパートのドアを開けた途端から飛びつかれ、それからずっとそのままだ。サキなど金髪の頭をグリグリ押しつけ顔を擦りつけクンクンしている。

 吐息がくすぐったいが、亘はされるがままだ。


 アパートに帰ったところで出迎えを受けたのは、戻る前に連絡してあったからだ。合い鍵は七海に渡しておいたので、神楽とサキをアパートに連れて待っていてくれた。

 鍵を渡し、留守中に部屋に入ることを許すぐらいに七海を信用している。その関係を世間でどう呼ぶかは不明だ。

「異界の主を何体か倒したので、経験値をいっぱい手に入れましたよ」

「ほう、それは凄いな。ケガはなさそうだが、危ない目に遭ったりはしなかったか」

「大丈夫ですよ、神楽ちゃんとサキちゃんが、しっかり守ってくれましたから」

「そうか。よしよし、お前ら偉いぞ」

 亘は自分の膝でゴロゴロするサキと、首にしがみ付く神楽の両方を撫でてやる。だがそこでサキをしっかり捕獲した。不穏な気配を悟り、キューキュー鳴く声に構わず頭を鷲掴みする。

「とはいえ、七海に従うように言っておいただろ。なのに、お揚げを要求したとは許し難いな」

「一ま……一口あげる」

「ほほう。自分の一口は大きいぞ、それこそ一度に何枚でも食べられるからな」

「そんなっ」

 サキが絶望の顔をしていると、七海がクスクス笑いながらとりなす。

「まあまあ五条さん、サキちゃんは凄い頑張ってくれたんですから。怒らないであげて下さい」

「仕方がないな、七海に感謝するんだぞ」

「七海ありがと」

 解放されたサキがしょんぼりしながら七海に礼を言う。亘を気にし、上目遣いで様子を窺うが、それでも膝上からは退こうとはしない。


 その間もずっと亘に甘えていた神楽がようやく満足したのか、フヨフヨと飛びだした。

「それでさ、マスターはどうだったのさ。藤源次の里はどうだったの」

「あっ、私も気になります。やっぱり忍者でしたか?」

「そうだな。観光地で忍者の里を経営しているぐらい忍者だったな。それでな、あそこの里には鍛錬用の洞窟があってな、そこの主に協力してもらって鍛錬したんだぞ」

「ふーん。面白いところがあるんだね」

「あとはだな、露天の温泉もあって、ご飯が美味しいかったな。辺鄙で不便なところだけど、それが逆に良い感じだよ」

「温泉ですか。いいですね」

「うん、実に素晴らしい温泉だった。目を閉じると……小さな丘から続くなだらかな平原と、僅かばかりの茂みが目に浮かぶな。うん」

 明らかに別の姿を目に浮かべた亘だが、幸いないなことに誰にも気づかれなかった。膝の中に座り込むサキが、僅かな不信を覚えた程度だ。

「私も行ってみたかったです。旅行とかいいですよね」

「そうか、こいつらの面倒を見て貰って連休が台無しになってしまったか」

 亘が頭をかきながら謝ると、こいつら扱いをされた従魔二体が揃ってむくれてしまった。

「そんなことありませんよ。神楽ちゃんやサキちゃんと一緒にいるの、楽しかったですから」

「なんにせよ、埋め合わせはさせてくれ。何か希望でもあれば何でも言ってくれ」

「何でもですか……何でもですね」

「出来る範囲でだぞ」

「じゃあ、その内で構いませんから、遊園地に行きませんか」

「遊園地とは、まさかあの遊園地なのか」

 亘は目を見開いた。

 遊園地は縁遠い場所の一つだ。独りで行く場所ではないし、楽しげなリア充が彷徨く魔窟である。亘にとって憧れ半分、恐れ半分といった場所だ。

「どんな遊園地か分かりませんけど、きっとその遊園地です」

「おお、その内に行くとしようか。しかし遊園地か、遊園地ね」

 口の中で反芻するように呟き、一緒に遊園地に行くなんてデートみたいだと考えている。迷惑をかけたお礼で行くのだが、デートと考えてしまうのは不遜なことか。七海とデート。そう考えるだけで、背中がぞくぞくするほど嬉しくなる。

 何やら考え込んでしまった亘を眺める視線は様々だ。

 七海は嬉しそうに、神楽は呆れ気味に、そしてサキはお揚げの件が忘れられてホッとしたように。それぞれが亘を見ていた。

 こうして亘は不調から回復した。

 二体の従魔と、そして何より一人の少女と一緒に居ると、テガイの里で抱いた胸のざわつきや、嫉妬と羨望が淡雪のように消えていく亘だった。

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