閑20話 良いじゃないか、一文字ピヨ

 アマテラスとは、総本宮と全国各地にあるその分社、さらにテガイやシッカケのような隠れ里などから成り立つ組織である。その存在は有史以前にも遡り、日本の歴史と共に歩み悪魔の手から人々を守って来た。

 他にも同じような組織はあるが、その中で最古参にあたる。しかし、全盛期は遠い昔で、現在は大きく衰退していた。

 その理由は様々なことが積み重なった結果だが、きっかけは日本の近代化に伴う時代の奔流に乗り切れなかったことにある。続いて神仏分離政策のあおりをくらい神社系列と寺社系列への分離、太平洋戦争時の軍部の圧力やその後のGHQによる圧力、高度成長期の大規模な都市開発とその混乱など、アマテラスの力は事ある毎に削られていった。今や全盛期の半分以下の力しかないのが実情だ。

 あげく、そこに追い打ちをかけたのがキセノン社である。『デーモンルーラー』という新たな退魔の方法によって、一部ではアマテラス不要論さえ唱えられだした。さらにはシッカケの里の失態に対する報復で経済的な大打撃をも受けている。

 この時代のアマテラスは難しい組織運営を迫られているのだった。


 アマテラス総本宮の社務所にて、壮年の男が難しい顔で書類の束を眺めていた。アマテラスを運営する役員としては年若いが、実行権力者の一人である。

 そんな男が唸りながら書類を眺め、ややあって机の上に放り出すと、頭上で手を組み椅子の背を倒す。

「ふぅ、厄介なことになっている」

 眉間に皺を寄せ深々とため息を吐く。胸ポケットから取り出した煙草を咥えると、そのまま器用に呪言を唱え、指先に小さな火を発生させる。神秘の術がライター代わりだが、しかし煙草に火をつけることは叶わなかった。

「雲林院様、ここは禁煙ですよ」

 入り口の扉にいつの間にやら女性が現れていた。お盆に湯気のたつ湯呑みをのせている。どうやらお茶を持ってきてくれたらしいが、その気配に気付かないほど真剣に悩んでいたらしい。雲林院は苦笑しつつ指先の火を消すと、名残惜しげに煙草を箱に戻す。

「ああピヨ君か。すまんな、つい癖でな」

「ピヨじゃありません! ヒヨです! 一文字ヒヨです! 雲林院様があちこちでピヨと呼ぶせいで、変な渾名が広まるんです! ちゃんとヒヨと呼んで下さい!」

「私が名付けたわけじゃないのだが……しかし良いじゃないか、一文字ピヨ。うむ、可愛いではないか。ピヨ君」

「はあ……もういいです、何のお悩みか知りませんが、お茶を飲んでひと息ついて下さい。はいどうぞ」

 しばらく呻っていたピヨならぬヒヨは、やや手荒にドンッと机上に湯飲みを置く。失礼な態度だが雲林院の方は気にした様子もなく、それを頂く。

「ああ美味い。お茶の甘みと旨味がよく出てるじゃないか。最初の頃とは雲泥の差だ」

「それを言わないで下さい」

 ヒヨは顔を赤らめ、お盆を抱え顔を隠してみせる。

 最初の頃は、茶葉にお湯をかければお茶になると思っていたのだ。その間違いに気付いたのはつい最近で、多少は美味しく煎れられるようになったところだった。


 地味な事務服姿のヒヨは小柄で、可愛らしい印象の女性である。

 こう見えて、実働部隊でも充分通用する実力の持ち主だが、家がアマテラスの有力者のため、事務職に配属されている。本人が実働部隊への配属を強く希望していることも合わせ、実に宝の持ち腐れ状態だろう。

「ピヨ君は『デーモンルーラー』の解析にも関わっていたな。あれについて、述べてくれないか」

 問われたヒヨは渾名を訂正することもなく、軽く指を唇にあて上目遣いで考えながら答える。

「あれは術式に東洋系と西洋系が混ざり、何故作用するのか解析できていません。開発した人は天才か頭がおかしいか、どちらかでしょうね」

「紙一重だ」

 雲林院は白衣を着た小太りの男がダンスする姿を思いだす。協力態勢を理由に面会し、『デーモンルーラー』の術理を聞き出そうとしたことがあった。しかし話を聞き出すどころか、一方的に神社に居る巫女の人数やら年齢構成や髪型、果てはスリーサイズのリストが欲しいと言い出す始末だ。

 話をはぐらかす為の方便かと思いきや、それが本気であった。それを紙一重と言わずして何と言うのか。

 ため息をつく雲林院の様子にヒヨは戸惑いながら続ける。

「世に混じって、薄れてしまった異能の血で術式を作用させられるのは凄いですね。もっとも、一体の悪魔しか使役出来ないですけど」

「式神使いなら、五体や六体は当たり前だからなあ」

「さらに使役する悪魔も能力的には大したことないです。個々の戦力としては全く期待できませんが、その数は侮れないですね。そんなところですか」

 キセノン社から通知された契約者数は一万を超えている。アマテラスの構成員全員で――事務関係の悪魔と戦わない者も含めたとしても――千人に満たない。それを考えると、如何に弱小であろうとも一万という数はバカにできない。

 国の機関であるNATSでも『デーモンルーラー』を一部試験導入しだしたというので、これからの悪魔対策の主流になっていくのは間違いないだろう。

「まあ、それが業界での認識だな。良い機会だから教えておこう。あれの最大の特徴はな、そんなものじゃあないんだ」

「違いますか?」

「そうだ。使用者にDPを効率的に吸収させる、それが最大の特徴となる。つまり我々が十年修行を積むところを、下手すれば数年で成し遂げてしまう」

「そうしますと、急激なDP吸収に身体が耐えられない可能性も……」

「あるだろうな」

 懸念するヒヨの声に雲林院が深々と息を吐く。


「それはそれとして、その契約者の中に飛び抜けた人物が居るのは知っているか?」

「噂程度にチラッと聞いたぐらいですが……」

「机の上にある資料が、その人物に関する報告書だ。見るといい」

「見てもよろしいので?」

「構わん。むしろ、ピヨ君が見た感想を教えてくれ」

 ヒヨは机の上に置かれた履歴書のような紙束を手に取った。まずクリップで添付してある写真を眺める。遠距離で撮影された写真の一部を切り抜いたもので、多少の不鮮明さがあるが顔形の判別には困らない。

「何だかパッとしない暗そうな感じ……へぇ、三十五歳で独身なんですか。性格に問題でもあるんですかね」

 ヒヨは印刷されたプロフィールに目を通しながら辛辣な言葉を発する。それを聞いた雲林院は若い女性特有の残酷さに苦笑する。

「酷いこと言うもんじゃない」

「思ったままを言っただけですよ。でも、この歳でアプリゲームをダウンロードとか、どうなんでしょうね?」

「人それぞれだな。次の紙が彼の戦歴だ。それを見たら、少しは印象も変わるだろ」

「そうですか。噂になるぐらいなら、そこそこ頑張ってるんでしょうね」

 ヒヨが無邪気に感心しながら紙をめくる。その様子に雲林院はほくそ笑んで反応を待った。

「えーと、契約してから最初の一週間で異界の主を撃破……はっ? 撃破? そんなの嘘ですよね」

 目を丸くして顔をあげるヒヨの様子に、雲林院がしてやったと嬉しそうだ。自分だけが苦悩していた問題で驚愕してくれたので笑顔となる。

「信じられないだろ。しかも使役悪魔に倒させたのでなく、自らがトドメを刺したそうだ」

「いやいや、そんなのあり得ませんよ。そんな成り立てが異界の主を倒すとか無理です。しかも『デーモンルーラー』の契約者程度ですよ。純血の者でも無理なのに、ありえませんって」

「驚くのはまだ早い。他の情報を見てみろ。言っておくが、分かってる範囲の内容だ」

 ヒヨは再び紙束に視線を落としたが、読むにつれ顔を引きつらせていく。

「……なんですかこの人、短期間でどれだけ異界の主を倒してるんですか。バカじゃないですか。これこそ紙一重ですよ」

「繰り返すが、分かってるだけの数字だ。実際にはもっと多いかもしれない」

「はあ……」

「しかもだ。その倒した中には、あの藻女御前も含まれている」

「……ありえませんよ。この報告書、デタラメじゃないですか」

「当代の藤源次直々の報告書がデタラメだとでも?」

「うっ……」

 ヒヨは言葉を詰まらせた。

 テガイの里の藤源次といえば、アマテラスでも有数の実力者だ。しかも、その人間性は信頼に足るもので、ヒヨ自身何度も世話になって重々承知だ。そんな人物の報告書なら信じざるを得ない。

「だが、異界の主の撃破数なんてのは、大した話じゃあない」

「いえ充分大した話ですよ……その、まだあるんですか」

「この間の騒ぎを覚えてるか? 殺生石の封印が解け、玉藻御前が四尾まで復活した騒ぎだ」

「ありましたね、あの時は後始末も含めて本当に大変で……えっと……まさか……」

「分かったか、あれを解決したのが彼だ。しかも独りで撃破してくれたそうだ」

「あ、あははは……なんですか、それ。独りで撃破とか……いくらなんでも冗談ですよね?」

「シッカケの里の連中が見てる目の前でな、しかも、その時は五尾の状態だ」

 その言葉にヒヨがドンッと机に書類を叩き付ける。

「五尾だなんて、そんなの倒せる相手じゃありませんよ! 四尾状態でも我々の手に負えなかったんですから!」

「事実なんだよ……さらに」

「まだあるんですか!」

 悲鳴のような声に雲林院は、ますます嬉しそうな顔をした。自分と同じ苦悩を分かち合えた喜びだ。

「テガイの里にいる前鬼と後鬼が手も足も出ずに負けたそうだ」

「ふぇ?」

「見逃して貰ったそうだが、どちらも当分は動けない状態だ」

「…………」

 ヒヨはもう声すら出ない。


 自身でも前鬼後鬼と鍛錬として挑んだことがある。どれだけ必死に打ち込んでも全く歯が立たず、子供扱いされ悔しい思いをした大悪魔だ。それが負けたという事実が信じられない。

 雲林院がふっと息を吐く。自分以外が驚愕したおかげで、ある程度冷静になれて考えがまとまってきていた。

「はっきり言うが、彼は化け物だ。今は大丈夫だろうが、力を得た人間は慢心し増長する。放置しておくことは出来ない」

「そうですよね。そうすると……」

「取り込んで首輪を付けるか、それが出来なければ……始末しろと言うところなんだが……」

「この報告を見る限り無理ですよ。返り討ちになるか、勝てたとしても組織が半壊してますよ」

「だろうな。幸いテガイの藤源次殿と友好だそうだから、そこから誼みを結ぶしかないだろうな」

 その力を取り入れることに成功すれば、組織の力は一気に増大すること間違いなしだ。逆に敵に回せばお仕舞いだ。なんとしても取り入れねばならない。

 しかし。

「だが、どうも寺社系列の跳ねっ返りが動いているらしい」

「え゛っ」

「玉藻御前の一部が彼の従魔になったそうでな、それを仕留め我々に対し優位を示そうという魂胆だろうな」

「それ拙いですよ。頭が痛いとかのレベルじゃないです。なんとかしませんと」

 ヒヨの言葉に雲林院は我意を得たとばかりに頷いてみせる。


「そうなんだよ、何とかせねばならない。ああ、分かってくれたか。良かった」

「私、用事があったんだ。あー、忙しい」

 嫌な予感を覚えたヒヨは退室しようとする。だが、遅かった。にこやかな笑顔とともに宣言される。

「それでは彼のことはピヨ君に一任しよう。寺社系列とも上手く話をつけ、跳ねっ返りどもを押さえてくれ」

「えー! そんなの無理ですよ!」

「大丈夫、ピヨ君ならできる。途中で止めてしまうから無理なんだ」

「そんなーっ! アマテラスじゃなくて、ヤミテラスです!」

 余計な仕事を――しかも無茶振りの類を――振られたヒヨが不満の声をあげる。なんとか撤回させようと詰め寄るが、雲林院は素知らぬ顔でお茶をすするのだった。

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