閑42話 荒唐無稽にすぎる内容

 世界に悪魔が現れた。

 そのニュースは最初冷笑によって迎えられた。荒唐無稽にすぎる内容のため、誰もそれが本当のことだとは思わなかったのだ。

 けれど画面の中のアナウンサーは顔面蒼白。落ち着いて行動し戸締まりを厳重として安易に外へ出ぬよう繰り返し呼びかけ続ける。

 それを聞くうち、ひょっとしてと思い始める者が増えていた。

 さらに視聴者提供の映像が次々と流された。本気の悲鳴が流れ画面がひっくり返り暗転する映像、何か得たいの知れぬ集団が疾走する映像、赤色灯の中で緊迫した様子で避難誘導する警官の映像。

 幾つもの非日常の映像に、これが真実ではないかと考えだす者がさらに増えた。

 ついには行政による防災無線放送によって注意喚起が流され、ネットの書き込みや知り合いからの連絡など複数からの情報を得ることで、これが真実であって現実と確信する者が増えていった。


「早く起きなさい!」

「まだ眠いんだけど。あと五分……」

 冬広は母親の叱る声で目を覚ました。

 しかし文句を言ったように、まだ眠かった。前の日の晩は世界に悪魔が現れたとの大ニュースに、友達に連絡したりネットで情報収集したりで夜遅くまで起きていた。さらに叱られて布団に入っても、遠足の前日のように興奮して寝付けやしなかったのだ。

 連絡網によると、どうやら今日は学校閉鎖になるらしい。学校が休みになって凄く嬉しい。さらに、何か凄いことが起きているせいで興奮もしている。

 思わず声を張り上げると叱られた。

「馬鹿やってないで、早くご飯を食べて。今のうちにしっかり食べておくのよ」

「はいはい」

 機嫌が悪いのか落ち着かない様子の母親に急かされ、冬広は渋々と朝飯をかき込んだ。しかし、外からはバタバタと重く低い音が幾つも響いてくると、急いで窓に駆けよった。

「見て見て! 凄いよヘリが沢山だよ! まるで映画みたいだよ」

「こらっ! 早く食べなさいって言ってるでしょ!」

 冬広が食卓に戻りパンを食べだすが、ヘリの群れはどこかに飛んで行って静かになってしまった。凄く残念でならない。

 防災無線による放送が流れ、学校に避難所が開設されたと繰り返し告げている。冬広はパンに蜂蜜で絵を描くことに忙しいが、両親は真剣な顔で相談をしだした。

「これはいよいよ拙いのか。うちも避難した方がいいか」

「そうよね。もし本当に危険なら、家にいるよりは大勢の人といた方が安心だわ」

「だったら俺は隣近所に声をかけてくる。お前は持てそうな食糧と貴重品を集めて準備してくれ」

「分かったわ、気を付けてね」

 どうやら学校に避難することになったらしい。学校閉鎖されたのに、なんで学校に行かねばならないのか。凄く不満であった。

「えー、やだよ。それに今日は吉行と遊ぶ約束してるんだけど」

「あなた今どんな状況か理解してるの? まったこれだから……とにかく波平さん家も一緒に避難するはずだから、吉行君とも会えるはずよ。とにかく、すぐランドセル持って来なさい!」

「はーいはい」

 怒りっぽい母親にウンザリしながら、冬広は言われたとおりランドセルを持って来た。しかし、中に重そうな缶詰やペットボトルの水などが放り込まれてしまう。

「ねえお母さん、これじゃ重いよ。ちょっと減らしてよ」

「文句言わない! それから、もしお母さんたちに何かあっても大丈夫なように通帳も入れておくからね。絶対に無くさないようにするのよ」

「はいはい」

 ランドセルはずっしりと重い。背負うと後ろに倒れそうで、それで後ろ向きに歩いて遊んで叱られる。ソファーに座ってテレビを見ているよう言われるが、生憎とテレビは夕べと大差ない内容で同じ事に繰り返しだ。

 暇をしていると、父親が戻ってきた。

「よし、外に行くぞ。向こうの波平さん家も一緒だ。出られるか!?」

「大体は車に詰め込んだわ。後は戸締まりだけよ」

「急ごう。直ぐに警察が来てくれるらしい」

 何か怒ったような様子で言葉を交わす両親だが、しかし喧嘩しているわけではなさそうだった。家のシャッターを閉め戸締まりを終えて外に出ると、既に近所の人が集まっていた。

 もちろん、幼なじみの吉行もいた。にっと笑ってやってくる。

「避難だけど何持って来た? ぼく、お年玉の貯金とこれ」

 綺麗な石とレアカードを見せられた。

「あっ、それいいな。こっちは食べ物と水で重いのに。取りに戻ったら怒られるかな」

「きっとね。大人は何かぴりぴりしてるから」

「やっぱり? なんか怒ってばかりで嫌になるよね」

 その時、誰かが叫んだ。

「先導の警察が来てくれたぞ!」

 そこにパトカーがタイヤを鳴らし格好よく停まった。窓のガラスは割れ、車体の横になにか赤黒いような汚れが長く太くついている。近づいて見ようとする冬広であったが、父親に止められてしまった。文句を言おうとするが、その父親の見た事もないような引きつった顔に戸惑い黙っておく。

「いいですか、これから避難所まで先導します。途中で悪魔が出た場合でも、絶対に慌てず列を崩さず走行して下さい。これまでの経験から、列を崩して走る方が危険です」

 パトカーから降りてきた警官は厳しい顔で声をあげた。

「それと窓は決して開けないように。運転手以外の人は出来るだけ身体を低くして身を隠すように。あとは、大きな声をあげないように注意を」

 警官はさらに何か言っている。

 そんな様子に冬広は、なんだか映画みたいだとワクワクしてきた。目をキラキラさせた吉行が興奮して叫んでいるが、実を言えば全く同じ気持ちだ。ただし吉行が叩かれ怒られているので、黙っておくが。


 車には布団や防災グッズ、食糧や水などの荷物が詰め込まれ後ろ座席までが塞がれている。それに潰されそうな冬広は窮屈で仕方ない。

「ねえねえ、こんなに荷物積んで。もしかして夜逃げ?」

「馬鹿言ってないで黙ってなさい! 静かにしないと駄目でしょ!」

「なんだよ、お母さんの方がうるさいのに」

「いいから黙ってなさい!」

 仕方なく窓の外に流れる風景を眺め、いつものように横スクロールアクションで想像キャラをジャンプさせ建物を回避させていく。そして、そらに奇妙なものを見つけた。

「あっ、何かいたよ。ビルの上に鳥みたいなでっかいのがいた」

「静かになさい! もっと頭を低くしなさい!」

「なんだよ」

 せっかく教えたが怒られてしまい冬広は拗ねて黙り込んだ。もう口を聞いてやらないと決め黙り込む。そうすると、誰も何も喋らない。

 しばらくして車は学校に到着した。

 そこは、もう見慣れた学校ではなかった。大勢でごった返し、まるで見知らぬ別の場所のようだ。それが凄いと思って胸が高鳴ってしまう。

 冬広が車から出ると、周りは車だらけだ。座席に足を掛け高い位置から見回せば、グラウンドに車がどんどん入ってくる様子が見えた。パトカーや消防車に先導されたバスまでいる。校舎を見ればテントが張られ大勢の人の姿があった。

 なんだか運動会みたいだと冬広は目を輝かせた。

「人でいっぱいだわ。これ校舎の中に入れるのかしら」

「分からんな。これだけ人がいると、なんとも言えない。ひょっとすると車中泊になるかもしれんな」

「ねえ、それだったなら家にいた方が良かったんじゃないのかしら。ほら、外にいる人も大勢でしょ。家にいてシャッター閉めてジッとしていた方が良かったんじゃないの」

「今更そんなこと言うなよ。お前は昔からそうだ。人に決めさせておいて、後からそれをグチグチと文句ばかり言う」

「なんですって!」

 喧嘩が始まり、それを吉行の両親が宥めている。

 なんだか恥ずかしい。誰とでも仲良くしなさいと叱る癖に、自分たちはいつも喧嘩ばかり。大人は本当に狡い。

「僕、自分の教室行ってくるから。吉行、行こうぜ」

 母親の呼び止める声を聞こえないふりして走り出す。

 吉行と一緒に車や人の間をすり抜け校舎へと向かうのだが、途中で何人かの大人にぶつかり怒られる。

 人が多すぎるのだから仕方がない。しかもここは自分たちの学校だ。後から勝手に入ってきた大人が文句を言うのは理不尽だと冬広は思った。

「うわっ、ここも知らない大人ばっかりだ」

「僕の机も使われてる」

 教室を見回すと知らない人ばかりだが、誰かが手を振ってきた。それは同じクラスの仲間だ。何人かいて、掃除道具入れのそばで固まっている。

 冬広は安堵した。

「よっすよっす! 生きてた?」

「いえーい、何か凄い事になってない?」

 さっそく情報交換をする。

「二組の総宗ってやつが悪魔に食べられたらしいって聞いた。頭からバリバリやられて足しか残ってなかったらしいよ」

「嘘だぁ。でも、本当に悪魔が来たらどうしよ」

「俺の爺ちゃんが言ってたけど、ポマードって三回言うと助かるらしいよ」

「ポマードってなに?」

「さあ? ポマドでトマト?」

 どれもこれも噂話ばかりで本当のところは分からない。そこで冬広は、にやりと笑いとっておきの情報を披露することにした。

「ここに来る途中で悪魔っぽいのを見たよ! あれがきっと本物の悪魔だよ。ビルの上だけどさ、鳥かと思ったらずっとでかいやつがいたんだよ。なんか格好いい感じの翼が背中にあった」

 皆が驚きもっと話を聞こうと声をあげるのだが、しかし周囲の大人たちが五月蠅いと怒りだした。せっかく注目を集めたのが台無しだ。

 そして、ふて腐れた気分になった時であった。ペットとして一緒に避難して来た犬たちが一斉に吠えだしたのだ。

「なに?」

 冬広はその時初めて恐怖を感じた。犬たちの声は怯えを含み警戒を促すもので、興奮にあった心を冷ややかにさせる効果があったのだ。

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