第222話 そして、その日を境に
電車に揺られ亘は素晴らしくご機嫌だ。
「ああ、至福のひとときを過ごした……」
「五条さんたちときたら、本当に嬉しそうでしたよ」
「すまんな、そのせいで遅くなってしまって」
「いえいえそんな。私は楽しそうな五条さんを、たっぷり見ちゃいましたから」
既に車窓の向こうは夕暮れ時だ。
宝物庫に突入した亘と藤源次は周囲の迷惑そうな顔や困惑を余所に、好き放題刀剣類を鑑賞していたのだ。そこは本当に宝の山で、二人とも興奮のあまり時を忘れてしまった。
「でも随分迷われてましたね」
「うん、国友と則国も驚くぐらいに地沸が緻密で綺麗でね。久国の剣型なんて恐いぐらいだったよ。そこを思うと吉光のは肌が粗めで地沸の美よりも地鉄の鍛えの妙が美しいんだって思うんだ。国光のこれは相州系だけど、ここになると地鉄から刃沸の力強さに美観が移ってる気がするかな。正宗は正直観ても分からんが、ネームバリューは抜群だけど――おっとすまん。そんなわけで、そこで迷ってたんだ」
つい勢い込んだ亘であったが、自分が喋りすぎたと気付いて咳払いをした。もっとも、七海は楽しげに喋る亘の様子こそを楽しんでいるようだったが。
「だが盟主様は良い人だな、神様仏様盟主様だよ」
「それは神様ですから」
「おっとそうだったな。家にお札があったからな、これからは拝んでおこう」
亘が感謝する理由は現金なものだ。どれを選ぶかで決めかね、それを聞いた盟主様が鶴の一声で全て下賜すると決めてくれたのだ。
嬉しく思う亘ではあったが、一方で簡単に手に入ってしまった事に迷いもある。やはり貯金をやりくりし、苦労を重ねて手に入れた刀にこそ価値があるような気がするのだから。もちろん貰うものは貰うが。
「しかし直ぐ貰えると良かったのに残念だ」
「仕方ありませんよ。儀式や手続きが必要ですもの」
「やれやれ形式主義というのは、これだからいかんな」
「五条さんったら」
まばらな車内のボックス席を二人で座り小声で話をしている。周りに迷惑とならぬよう気を遣っての事だが、他の者から見ればいちゃついているようにしか見えなかっただろう。
本当は車で送ると言われたのだが、それを断り電車で帰ることにした。理由はやっぱり、二人で一緒に行動したいからだ。
亘は幸せであった。
満足するまで刀は観られたし、何より七海が一緒なのだ。彼女が無事でこうして隣に居てくれる。そのありがたさを噛みしめ、最高の心持ちであった。
そして――どうにも落ち着かない。
頭の中には、アマテラスで三つ指ついていた女性たちの事があった。つまりは、ああした事を七海と為べきでは無いかと思っているのだ。時間も頃合い状況もよし、雰囲気も最高。
進むべき道に全て青信号でゴーサインが出ているような状況だ。後はアクセルを踏む勇気だけである。
大きく息を吸いグッと決意する。
「次の次の駅の町なんだが、昔に住んでた時があってな」
「そうなんですか。こちらにも住んでたのですか?」
「ああ、うちの職場は転勤が多いだろ。それでな、ここらにも二年ばっかり住んでたな」
「私は転勤とか平気ですから。新しい町とかワクワクします」
「最初はそう思うんだよな……ただ歳をくうと、次第に転勤とか大変なもんさ」
朴念仁な亘は転勤の大変さを思い浮かべるばかりで、きっと神楽が聞いていたら、飛び蹴りを入れたに違いない。
それでも亘は亘なりに必死なのだ。
「多少は地理感があるわけだが、駅前に雰囲気が良くて美味いレストランがあるんだ。少し食べてかないか」
亘の服はアマテラスから支給された背広であるし、賠償金の一部の入った財布もある。つまり食事をした後で、どこぞで一泊していくだけの軍資金はあった。
そんな企みに気付いているのか、いないのか。
七海は嬉しそうに笑う。
「お勧めのお店ですか、楽しみです」
「期待してくれ」
もっとも亘は行った事のない店だ。
若い頃に同僚がデートに使って、そのまま同じ建物のホテルに宿泊した話を羨ましく聞いただけである。それも、直接会話には加わらず楽しげに話す様子を少し離れた自席で耳にしたのであった。
その時は腹立たしく思っただけだが、まさか自分が同じ理由で行く事になろうとは夢にも思っていなかったのだが。
◆◆◆
「すまん……」
「いえ気になさらず。こういう事もありますよ」
店はテナントから撤退していた。
十年以上前の情報なのだから、当然といえば当然だ。全く締まらない自分に亘は落ち込み恥じ入るばかりであった。上手く行きかけ調子にのると、すぐに落とし穴が待っていると肩を落としてしまう。
「大丈夫ですよ。どこかで食べましょう! これだけお店はあるのですから」
励ましてくれる七海の優しさが嬉しくて辛かった。
「そうだな……何が食べたい?」
「五条さんが選んでくれるなら、どこでも大丈夫です」
「さよか」
難易度の高い試練に動揺する亘は言葉少なだ。
目に付く居酒屋は却下。焼き肉も美味しそうだが、煙がつくので駄目。今ここでファーストフード系を選ぶほど馬鹿ではない。
そうして眺めると、意外に食べられそうな店が見つからない。
「…………」
困り果てた様子に七海は自分の失敗を気付いたらしい。
「では、一緒に探しませんか?」
「探すのか?」
「はい、近くをぐるぐるっと回って、良さそうなお店を探しましょうよ。そういうのも楽しいと思いますから」
「そうだな」
亘は頷いた。気を遣ってくれる事が嬉しいのだ。ついでに言えば、時間が遅くなれば宿泊なんて可能性も……といった姑息な計算もあったりする。
差し出された手を取り、一緒に歩きだした。
良さげな店はなかなか見つからず、けれど楽しく店の品定めをしていく。そうして最後に見つけたのは、和食の小料理屋であった。
しっとり落ち着いた雰囲気の店内で、干物などを食べている。焼きたてで、箸で触れただけでシュワシュワ脂が弾けるぐらいだ。ほぐれるような身に軽く醤油をつけご飯と共にかき込むと幸せしかない。
「良いな。これは実に良い。七海のお手柄だな」
「えっへん、と少し威張ってみます」
「うん威張って良いレベルだ」
七海がここは絶対に美味しいと断言したのだから、それをする権利がある。
上品すぎず庶民的すぎず、ちょっと背伸びして食事を楽しみに来たくなるような店である。カウンターでビールを飲む常連客も品良く、そして穏やかな会話をしている。その他の客もゆったり料理を楽しんでいる。
「また来たくなる店だな」
「そうしましょう。皆と一緒に来たら喜ぶと思います」
「チャラ夫たちを連れてきても良いが……どうしたものか迷うな」
「どうしてです?」
「せっかく二人で見つけた店だ。二人の秘密にしておきたいじゃないか」
亘は小鉢の和え物を食べながら言った。
今の言葉で七海が顔を真っ赤にして悶える様子など少しも気付かず、それどころか店の奥の壁にあるテレビを眺め唸っているぐらいだ。とても残念な男であった。
弁明するのであれば、今日あった地震のニュースが流れていたせいだろう。
「あの地震は盟主様のせいなんだろうな」
「…………」
七海はしばし残念そうな顔をしていたが、仕方なさそうに気持ちを切り替える。
「力を最小限に抑えてですよね。考えると恐いですよね」
「本気を出したらどうなるのやら。そりゃ迂闊には動けんわな、うん」
「どうして神様たちが動かないのか疑問でしたけど、これが理由なんでしょうか」
「だろうな。そういやアマクニ様がオオムカデを倒すと災害が起きてたよな……」
言いながら亘は背筋をぞっとさせていた。
あの盟主様との謁見では、堂々と逆らってしまった。しかも頭も下げなかった。もし次に会う機会があれば、這いつくばって頭を下げるべきだろうか。しかし相手の身分や力を知ってから、態度を豹変させるのは情けない。
悩んだ亘は忘れる事にした。
「それより早く食べよう。いやぁ、ここの魚は美味いな」
態とらしく話を変えるが、それは自分自身の気持ちの切り替えでもあった。
干物の骨に張り付いた薄皮のような肉も美味しく頂き、満足感に身を委ねる。時間も時間で、後はどうやって上手く宿泊の雰囲気を醸し出すかだけだ。
本当は悩む必要など欠片も無いとも知らず亘が悩んでいると――奇妙な感覚が全身を包んだ。
それは、なじみのあるものであった。
「これは異界? 人工異界なのか?」
「でも、あのお爺さんは……居なくなりましたよね」
倒した、殺したといった言葉を七海は上手く言い換えて見せた。それは亘に対する気遣いなのだろう。しかし、今はそれを気にしていられない。
「そうだよな。でも、なんだか違うと思わないか?」
「言われてみると確かに。薄いと言いますか、なんでしょう」
上手く言えないが、肌感覚として人工異界とは違う感じがしていた。
「そんなの簡単だよ」
悩む亘の懐がもぞもぞ動き、外はねしたショートの髪がひょっこり現れた。スマホの中から勝手に出てきたらしい。慌てて隠すが、誰にも気付かれてはいない。
「これは異界じゃないし、人工異界でもないんだからさ」
「よく分からんが?」
「あのさつまりさ、これはさDPが多くなっただけだよ」
「意味が分からんのだが……」
そんな時であった――テレビの映像が切り替わったのは。
店内の全員が視線を向け、亘と七海も同様だ。その隙に神楽が七海の皿から干物を失敬しているが、誰も気づきもしない。
画面では真面目くさった顔のアナウンサーが取り乱しながら喋りだした。手元を何度も確認する様子は、まるで信じられぬといった様子だ。
『臨時ニュースをお知らせします。現在各地で、未確認生物の発生が多数報告されています。この未確認生物によって人が襲われたという情報もあります。国民の皆さまは、落ちついて命を守るため最善の行動を取ってください。繰り返します――』
次に荒い映像に切り替わり、視聴者映像というテロップと共に、明らかに人ではない生物から逃げ惑う人々が映される。
店内に戸惑いの雰囲気が流れた。
この番組が何かのバラエティではないかと、店主がチャンネルを変えている。それから常連と、何の冗談だと談笑もしている。
しかし亘と七海は顔を青ざめさせていた。
「これは、まさかあれか……」
「まさかですよね……」
神楽は干物の骨を囓りつつ、二人が躊躇っていた言葉を告げる。
「あのさ、そんなの決まってるじゃないのさ。起きたんだよDP飽和が」
それは人間たちの社会の危機を告げるものに違いない。そして、その日を境に世界は変わった。
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