第221話 両者は力強く手を握りあった

 周囲でヒソヒソと囁くのはアマテラス職員たちだ。そこには恐怖の色があった、不安の色があった。それをヒヨが身振り手振りに目配せで黙らせようとするが、あまり効果はない。

 無惨に転がる人間の残骸と先程の堕ちかけた姿を見れば、皆の態度も無理なからぬものであった。

 だが、それら全てが亘にとってどうでもいい事だった。

 今の意識は全て木に凭れ座り込む七海にあった。小走りで近づけば、その形相に様子を看ていた初老の巫女が転がるように逃げていく。それさえも気にしていないぐらいだ。

「大丈夫だったか?」

 亘が膝を突くと七海は弱々しく顔を上げ、けれどふわりと笑ってみせた。傷自体は神楽によって癒やされたようだが、気力体力の面で相当弱っているようだ。あれだけの傷を負ったのだから当然で、亘のように痛みや苦痛の後で動ける人間の方が稀少に違いない。

「はい。アルルが庇ってくれたので助かりました……でも代わりにアルルが死んじゃいましたけど」

 七海が命拾いした理由の一つはアルルが身を挺して庇ったお陰だったらしい。

 その哀しげな様子に神楽が殊更明るく励ますように手足を振り回す。サキもやって来たが、空気を読んでお土産代わりのリッチの首をそっと投げ捨てた。

「大丈夫だよ。ボクらはさ、ちゃんと復活するからさ。DP減っちゃうけどね」

「復活するから大丈夫とか、そういう問題じゃないだろ。それにDPもだぞ。いいか神楽よ人の心というものはだな……」

「マスターに人の心を説かれるなんてさ、世も末だよ」

「同感」

「おい、人の事をなんだと思ってるんだ?」

 ぼやく亘にどこからも返事はなかった。それはきっと優しさが理由に違いない。

「神楽ちゃんが助けてくれたお陰で助かりました、ありがとう。それからごめんなさい、心配をかけてしまって」

 七海は心の底から申し訳なさそうに謝った。

 痛く苦しく、そして恐かっただろうに自分が受けたダメージよりも、皆を心配させてしまった事を申し訳なく思っているらしい。優しい子だ。リッチの魔法によって受けた傷は、裂けて破れた巫女装束を見れば如何ほどだったか分かる。

 そして気づく。

――ん?

 その破れた箇所から柔肌が見え、豊かな胸の膨らみまで見えてしまっていた。柔らかげなそこに傷一つないと確認できるのはよかったが、しかし周囲には男どもの姿もあるのだ。独占欲とでもいうのか、亘は慌てた。

「上着を……しまった、ボロボロだ。えっと何か服を、ズボンだとマズいよな」

 亘は慌てる。脳裏には周囲の男どもの殲滅さえ浮かんでいたが、それより先に藤源次が一枚の布を投げて寄越した。さすが既婚者は気遣いが違う。

「五条の。これを」

「すまない。ほら、これを羽織るんだ」

 亘に世話を焼かれながら、七海は嬉しげに笑った。


◆◆◆


「うそ……本部が、本部が……」

 アマテラス本部は全壊していた。

 地震がきたら壊滅しそうだと冗談交じりに言った事が本当になったらしく、見事に崩れていた。周りには呆然とする職員たちが立ち尽くしている。

「ふむ、状況は聞いて参ったがの。全て推測でしか分からぬな」

 そこに藤源次がやって来た。不思議なことに、玉砂利の上だというのに全く足音をさせない。一体どうやって歩いているのか謎だ。

「なんだって」

「全員があの人工異界に囚われておってな、現世に戻るとこうなっておったらしい。ただし、他の宮におった者によれば凄まじい揺れの地震があったとの事だ」

「…………」

 亘はそっとスマホで地震情報を確認した。速報ではあったが、かなりの震度があった事が分かる。さらにニュースを確認すれば、未知の断層による局地的な地震が発生したと大騒ぎであった。

 そそくさと懐にしまい込んだ。

「あのさボクさ思うんだけどさ。これって、マスターの……」

「神楽や推測で物事を言うのは止めような。こうした状況下での流言飛語は慎むべきであって、確たる証拠がないままの発言は厳禁だ。ニュースで未知の断層と言ってるのだから、それが原因だ。間違いない」

「マスター、早口になってるんだけど」

 神楽はじとっとした目になる。間違いなくアマテラスの盟主が行使した力の余波である事は間違いなかった。そうなると、責任の一端が自分にあると危惧している。

 そのため、ヒヨが話しかけて来た時は軽く身構えもした。

「あの、この度は……」

「あーいや、そのなんだな――」

「いろいろと失礼しました! どうぞお許しを!」

「……ん?」

 今にも土下座しそうなヒヨの様子に亘は戸惑った。

 無言のまま思考を巡らせ、どうやら本部全壊の件で責められそうにないと判断する。そうなると素早く立ち位置を変え、安堵したように頷いた。

「ああ気にしてない」

「本当ですか!?」

「もちろんだとも、はははっ」

 懐の広い男のフリを今更ながらしてみせ、余裕の態度である。その心の動きを完全に把握している神楽はあきれ顔だ。

「それに、ありがとうございました。あの者を倒して頂いた事、助かりました。」

「礼など言う必要ないのにな」

 笑顔で感謝の意を伝えるヒヨに対し亘は笑みを返し、穏やかな顔をしてみせた。それだけで両者の間にあったわだかまりの全てが解け、心が少し通じ合った雰囲気となっていた。

 ただし、そう思ったのはヒヨだけだろう。

「だって、協力金を貰うのだからな」

「いえいえそんな……え? 協力金? あの何を……」

 ヒヨは自分の耳を疑った様子で目をしばたかせている。目の前の男が何を言っているのか、理解が出来ないようだ。

「協力した部外者に対し謝礼を払うのは当然ってものだろ。以前はキセノン社から二千万円を貰ったが、まあ欲張ると碌なことがないから同額でいいか」

「……えっ? 同額!?」

「それと賠償金の方もしっかり頼むから。もちろん、二人分だな」

「ちょっ! あのですね。うちの本部がこんな状態なんですよ。そんな金銭的な余裕があると思いますか!? それにほら……そうですよ、藤源次様の頼みに応えて友情パワーでばっちりドーンで戦ったのですよね」

「もちろん。だがな、その前に要請があった件を藤源次の口添えを受け引き受ける事にしただけだな。あと、被服費は必要経費外で頼むぞ。それと、もちろん今回の迷惑料と車の保証は別だからな」

「んなっ! んななっ!!」

 細かく注文を告げる亘の前でヒヨは百面相をしだす。面白がった神楽とサキが喜び、真似をしているぐらいだ。

 藤源次は苦笑して割って入った。

「これ五条の。あまり無茶を言うでない」

「おいおい、それはないだろ」

「無論、面倒をかけたことに対する賠償は当然。しかしのう、ちと協力金とまでとは堪えてやってくれぬか」

 そんな助け船にヒヨは安堵の笑みを浮かべた。やはりテガイの里の藤源次は頼りになる素晴らしい人だと心から感謝する。

「藤源次様、そうですよね。さすがです」

「どうせお主のことだ。謝礼金は全て刀の購入費に充てる気であろう。ならばこそ我に良い案があるのだ。聞いてみよ」

「藤源次様?」

 雲行きの怪しさにヒヨは眉を寄せた。しかし、それを置いてきぼりとして亘と藤源次の話は進んでいく。

「金銭の代わりに物納としてはどうだ。ここには宝物庫があるが、幸いにも被害を免れておる。そこには過去より奉納されてきた太刀が幾つもあるわけでの、実は我もまだ見たことがないのだ」

「なるほど奉納刀! それなら健全性も保存も最高の状態だよな」

「うむうむ。しかもだ、ここアマテラスに奉納される品は一級品も一級品よの。選りすぐられた名品のみが納められておるはず。それをジックリと観ながら、いやいやジックリ選んでみてはどうかの。もちろん我も手伝おう」

「なるほど、さすがは藤源次だ。実に素晴らしい考えじゃないか。よし、じゃあ奉納刀で我慢するか」

 両者は力強く手を握りあった。

 神楽は呆れた様子で頭を振り、七海は仕方ないと苦笑顔。サキは我関せずだ。しかしヒヨはそれどころではない。

「ちょっ! そんな奉納刀を持ち出すだなんて! いくら藤源次様でも、勝手なことを決めたりしないで下さいよ」

「だがのう。真面目な話をすれば、金銭的には難しいのであろ。盟主様から下賜して頂く形にすればいいであろうが」

「持ち出すのが駄目なら、永久貸与でも構わないぞ」

 横から亘も口を出す。仕事が仕事だけに、建て前を使う術は長けているのだ。

「そうかもしれませんけど、そのためにどれだけ大変な手続きが必要か分かってます? あちこちの部署に説明する必要がありますよね。私が苦労するのが目に見えているじゃないですか!」

 ヒヨが泣きそうな顔で騒げば、亘が優しさを込めて宥める。

「これピヨさんや静かにしたらどうだ」

「ピヨちゃん諦めが肝心だって、ボク思うよ」

「ピヨピヨ」

「くっ……こいつらめ……」

 ニヤニヤする主従にヒヨは歯がみをする。事情を知らぬ七海ばかりが不思議そうに首を捻るばかりであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る