第220話 やり過ぎだったかもしれない

 左文教授が振り仰いだ。

「むむっ、新手が来おったか」

 砂利を踏む軽い足音が複数。神官や巫女たちといった集団が駆けつけてきたのだ。そして、その中に巫女装束の七海もいた。

 掃除の途中だったのか竹箒を手にしたままだ。きっと、その辺りに投げ打つことができず持って来てしまったのかもしれない。

「折角の戦いに水を差されては適わん。ほれ、少しやってしまえ」

 左文教授の無造作な指示。

 それに応えリッチの一体が死人色した腕を動かし、闇色をした刃を放った。それは先頭に立つ年老いた女性を切り裂こうとし――七海が横から庇う。

 亘には、そこからがスローモーションに見えた。

 白く綿毛の何かが飛び出し、膨らむと七海を護ろうとする。だが、それは一瞬で蹴散らされ、闇色の刃は七海に到達。ざっくりと斬り裂かれた彼女は驚いた顔で蹌踉めき、血を流し膝からくずおれバタリと倒れてしまった。

「あっ……」

 亘は固まっていると、カラカラとした左文教授の笑い声が響く。

「ほう、あの娘も悪魔を使うか。それを盾にしたようじゃが、あまり意味はなかったようじゃな」

「ナナちゃん! 『治癒』だよ、しっかり!」

「よくも!」

 神楽が素っ飛んでいき回復の魔法を放つ。怒ったサキが火球を放ち、それ以上の攻撃をさせぬようリッチを牽制する。

 それを――亘はただ茫然と見つめていた。

 徐々に息を荒くしていく。ついには喘ぐようなものとなっていく。

 手に入れる事が出来ない憧れ全てを象徴したような、優しくて可愛くて綺麗な少女。勇気を持って好きだと伝え、その言葉に嬉しそうに笑って受け入れてくれた存在。

 その少女が傷つけられた。

 一歩間違えば失われていたかもしれない。

「滅ぼす――」

 亘は手にしていた棒を放り出すと、頭を押さえガタガタと小刻みに震えだす。

「――滅ぼしてやる。こいつらを微塵も残さず滅ぼしてやる」

 絞り出すような声に周囲がギョッとなる。

 だが、そんな中で亘は目尻に涙を浮かべ歯を噛みしめた。深く静かに激しい怒りによってDPの暴走が極限まで高まっていく。膨大な量のDPが身体の外へと溢れ稲妻のように弾ける。未だかつてないほどの力の放出により、もはや全身に雷光を纏っているような状態だ。

「るああぁぁっ!」

 吠えながら老人へと襲いかかった。そのまま掴んで辺りの木へと投げつける。ぶち当たった幹が砕けるように割れるほどの威力だ。

 へし折れたひと抱えもある木が倒れてくるが、邪魔なそれを素手で払い退け、立ち上がりかけた左文教授へ襲いかかる。

 荒れ狂う亘の眼には赤光が宿り、もはや悪魔のそれに近い。体つきも一回りも大きくなった様子があった。

「五条の、お主……」

 半ば悪魔と化した状態に果たして戻れるのか。藤源次の懸念を余所に、亘はDPを暴走させ左文教授と戦い続けていた。


◆◆◆


「ちょっと嘘……あれ嘘でしょ……」

 ヒヨは口を押さえて後ずさりした。

 見鬼の力によって、荒れ狂う亘を見てしまったのだ。お陰で激しい後悔に襲われている。全身が冷え冷えとなって、足は恐怖で完全に竦んでしまった。

「よかった、敵対しなくて良かった……グッジョブ、あの時の私」

 五尾の狐が何故倒されたのか、前鬼後鬼が何故負けたのか。従兄が何故敵にせぬよう忠告してきたのか魂で理解していた。

 寺社系列の襲撃に対し、土下座はやり過ぎだったかもしれない。実は少しそう思っていた。でも今は土下座して本当に良かったと心の底から思っている。

「あっ、でもいろいろ失礼な事言ったかも……」

 それを思い出し、頭が痛くなるほどゾッとしてしまう。

 だが、それだけではない――低く恐ろしい声がヒヨを我に返らせる。

「マスターの命令。それは何よりも優先。ううん、それだけじゃないのさ。ナナちゃんを、マスターの存在を認めてくれた人を傷つけた。あのねボクね絶対にね、許さないんだからね」

 小さな巫女姿のピクシーだ。明るく快活な顔立ちから発せられた声には、言いしれぬ迫力が込められていた。

「下命拝する」

 金の髪した妖狐の少女は足下から噴き上がる炎に包まれ、そこから巨大な狐が現れる。紅い隈取りのある金色の毛並みに、そこだけ白毛の胸。白い五本の尾と黒い二本の尾が揺らめいていた。

「うそ……なんで、五尾だって聞いてたのに。なんで七尾……」

「むう、これはいかんのう。ヒヨ殿、皆と共にそこを離れるのだ」

「え?」

「此奴ら、完全に頭に血が上っておる。そこにおると遠慮無く巻き添えになるぞ」

 藤源次は忠告するが、動ける人間は僅かであった。圧倒的な力に当てられ硬直しているのだ。

「マスターの命令なのさ! やっちゃえ!」

 神楽の叫びと共に、大狐となったサキがリッチの群れに突進する。まとめて数体に喰いつき、咀嚼し吐き出す。飛び上がって逃れたリッチたちが襲いかかろうと動くが、それを神楽の光球が対空砲火の如く放たれる。幾つもの爆発が生じリッチが消滅するように撃破される。

 アマテラス関係者が驚愕する間にも、一体ずつが異界の主に相当する悪魔が次々と撃破されていく。

 残ったリッチたちは森へと逃げ込み、木々を盾として闇色の魔法を放った。

「皆、私の後ろに!」

 叫んだヒヨが両手を突きだし、意識を集中させる。一文字の名を継いだのは伊達ではない。不可視の壁が流れ弾の闇色の攻撃を防いでみせた。

 それでも術式を展開するヒヨは苦悶の表情だ。見えない防壁に攻撃が衝突するに従い、押されるように足が下がっていく。

「くっ! こんなの保たない」

 偽とは言え、神聖なる森に悪魔が跋扈しているのだ。ヒヨをはじめとしたアマテラス一同は苦悩する。しかし反撃したくとも、どうする事もできない。

 大狐が大きく息を吸い込む。次の瞬間、その巨大な口から灼熱の焔が吐き出された。さらに小さな妖精の光球が放たれる。

「ああっ……」

 巨木が消し炭となり、そこに紛れていた悪魔も同様の目に遭う。さらに巨大な光球が次々と放たれ、残った森を爆砕しながら悪魔を消し飛ばしていく。

 ヒヨたちは二重の意味で茫然とするしかなかった。


◆◆◆


 己の存在を世界に残したい。

 そうした欲求は、子や孫を残す事で満たされる。だが悲しいかな容姿体格に劣る自分には無理な事だと知っていた。

 それならば、せめて名だけでも残してやろうと決意し、学問で功成り名遂げるべく努力を重ねた若き日々。

 いろいろと考えた。

 あらゆる分野では既に先駆者が存在する。後から名を上げたところで雑多な中の一人として埋没するだけで、名を残すことは適わない。

 そして見つけたのが――DPであった。

 ほぼ手付かずの未知なる分野。先駆者が存在せず、己の歩みがそのまま歴史に刻まれる。まさに理想。故に全てを投げ打ち、文字通り寝食を忘れ研究を重ねた。

 ただひたすらに、己の名を世界に残さんがためだけに。

 だが――それも潰えた。

 アマテラスという組織によって研究資金を断たれ、全てが台無しとなったのだ。路頭に迷い手をこまねく間に、別の者がDPの研究を進め第一人者と呼ばれてしまった。もはや手遅れだ。

 その怒りと憎しみと悔しさは筆舌にし難い。

 だが、何よりも悔しいことは、己が凡百として消えねばならぬことであった。それはどうしても許せない。どうしても許す事ができなかった。

 だから決めたのだ――名声が無理ならば、悪名であろうと構わぬと。

 アマテラスの神域を穢し荒らす。

 それは連綿と続く歴史の中で、誰も為した事のない大悪事。邪悪と唾棄される存在として己が存在は未来永劫語り継がれるに違いない。自分の生きた証をアマテラスが残してくれるのだ。

「儂は満足じゃ」

 左文と呼ばれる教授は圧倒的な力で襲いかかる相手を薄い笑いを浮かべを眺めやった。


◆◆◆


 左文教授の和装は土にまみれ破れボロと化している。何度も攻撃された身体は、手足がありえない方向へとねじ曲がっていた。それでも笑いを浮かべ、石造りの灯籠に掴まりながら立ち上がろうとした。

 だが、それごと蹴りつけられる。

 砕かれた石の間に転がる老体を踏みつけるのは、憤怒の顔をした亘であった。喉の奥から獣の唸りをあげ、眼光紅く口からは熱のある息を吐きさえしている。

 屈み込み拳を振り上げ――振り下ろす。

 何度も何度も何度も。

 圧倒的な力で振り下ろされる拳によって、老人の皮膚が破れ血が噴き出し骨がはみ出す。頭蓋骨も顎も破壊され言葉にすら発する事も困難な状況で、しかし左文教授は笑い声をあげている。

「ふははははは、ははっ――」

 笑いが途切れる。亘は老人を破壊しきったのだ。

「おおおおおおっ!」

 それでは収まらず咆える。

 身体が一回りも大きくなり服が弾け、身体の表面では赤い線が奔り力強く明滅。手の甲から二の腕にかけては硬質化したように黒く変化し、顔もまた面頬のような角質に覆われている。そこに存在するのは破壊の権化であった。

「修羅に堕ちた……」

 ヒヨの呟きに反応し、亘だった存在が視線を巡らせる。次なる獲物へと戦いを挑もうと動きだす。全員が怯み、絶望的な戦いに恐怖する。

 だが、その瞬間にどこからか声が響いた。

――だから忠告したろう。世話の焼ける子だね。

 驚いたヒヨが異界の空を見上げれば、薄曇りのような天から光が差し込む。それは鮮烈な神聖さを感じる白光であり、理性を失った亘へと直撃した。

「あががががっ……」

 滝のように降り注ぐ光の中で亘は膝をつき、悲鳴や苦痛のような声をあげている。そして閃光が消え去ると、ばったり倒れるが元の姿に戻っていた。

 振るわれた神威にヒヨは呆然としていた。

 力こそ抑えられていただろうが、その余波は間違いなく外の世界に影響しているだろう。それは大地震かもしれないし、大嵐かもしれない。

 どんな形かは不明でも、少なくとも記録に残るような災害が発生している事は間違いなかった。

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