第219話 それは致命的な間違い

「そうであろう、そこの一文字の名を受け継ぐ者よ」

 老人は粘つくような顔で笑う。それは相手の答えたくない質問を突きつけた者の態度だ。

 しかしヒヨは、それよりも面食らっている。

「えっ、私のことを知っているのですか」

「無論のこと。戦いを挑む相手の情報を調べるのは基本じゃわい。特にお主はアマテラス内でも有名な一文字の名を継ぎし者。当然チェックしておるわい。しかし時代は変わった、一文字ピヨじゃと。なんたる巫山戯た名前か。弛んどるわい!」

「それ違います! 私は一文字ヒヨです、ヒヨ! 間違えないで下さい」

 ヒヨは懸命に否定し己の名を説明する。しかし、それは最早無意味であった。傍らで顔を見合わせあう連中の姿がある。

「ピヨだと?」

「ピヨだってさ」

「ピヨ!?」

 亘から神楽にサキと続けば、揃って良い笑顔で呟く。ニヨニヨしながらヒヨを見つめるのだが、これこそ相手の知られたくない事実を知ってしまった者の態度だ。左文教授の粘つくような顔など比ではない。

 しまったと気づいたヒヨは、必死な顔で手を振り回した。

「違いますよ! ヒヨなんです、ヒヨ!」

「なんじゃ、もしや言霊でも気にしておるのか。安心せい、儂はそのような術は使えぬわい。きちんと親か頂いた名を名乗るよい、一文字ピヨよ!」

「だから私の名はヒヨなんです!」

 まあまあと亘が宥めに入る。ただし人の悪い笑顔でだ。

「ピヨでもヒヨでもいいじゃないか、ピヨさん」

「そだよ、細かいことを気にしたらダメだよ。ピヨちゃん」

「ピヨピヨ」

「くっ、こいつら……」

 ピヨピヨさえずられ、ヒヨは悔しさに震えるしかない。絶対に知られてはいけない相手だったと思い知る。それでも目の前の敵を倒すためには、何とか下手に出て助けて貰わねばならないのだ。


「待たせたのう」

 と、そこに忍び装束の男が音もなく虚空から降り立った。相変わらず神出鬼没で、気配さえ感じさせない。

「ふむ、遅くなったが間に合ったようだな」

「ぬぬっ。その忍び姿にその動きと佇まい。さてはお主が、アマテラスに名高き藤源次だな」

「確かに我は藤源次だ。しかし、そのように買いかぶられては困るのう」

 忍びスタイルで背筋を伸ばす姿は、一流の芸を身につけた者だけが放つ威厳と格好良さがある。

 これで勝てると、ヒヨは拳を握った。

「藤源次様に来ていただいたなら、もう安心です。それより聞いて下さいよ、五条さんときたら酷いんです。一緒に戦ってくれないって言うんです」

 言い募るヒヨは、まるで大人に告げ口する女の子のようだ。ピヨピヨ言われたことが、相当に悔しかったのかもしれない。

 だが藤源次は左文教授を見据えたまま、軽く頭を振る。

「仕方あるまいて。これはアマテラスの問題、五条のには関係なきこと」

「でも人として間違ってると思いませんか」

「まあそう言うでない。しかし、できれば協力はして欲しいものだがのう」

「もちろん協力しようじゃないか」

「んなっ!」

 亘があっさり頷き、ヒヨが不満とも怒りともつかない声をあげた。

「ちょっと、それどういう事ですか。なんで協力するんですか!」

「それは友の頼みだからだ」

 まるで熱血漢のように亘は言い放った。

 物事というものは最終的には人と人の関係だ。出会ったばかりで失礼なことばかり言う小娘の頼みは聞けないが、長い付き合いもあって何度も助けられた相手の頼みであれば聞ける。つまりは、そういう事だ。

 あと、数少ない貴重な友人に失望されたくないといった理由もある。

「やれ」

 不意の合図にも関わらず、即座に光球と火球が放たれた。以心伝心、藤源次の頼みの段階でこうなると読んでいたらしい。

 前回の博物館の戦闘とは違い、周囲の被害を気にせず全力で放たれる魔法の威力は桁違いだ。いきなりの攻撃にリッチの何体かは、避けようもなく爆砕した。

 余波で神域の巨木が半ばで折れ傾いでいき、地面に叩き付けられる。

「いきなり攻撃するとは、何たるヤツか。さっきまで馴れ馴れしく話しかけてきたのは、騙し討ちするためか」

「そんなつもりはなかった。だが、結果としてそうなったのであれば遺憾に思う」

 亘の舌は良く回りすらすらと答えた。横で神楽が、流石マスターだと感心しているぐらいだ。

 煙に巻かれた左文教授は舌打ちをした。

「まあええわい。ここはひとつ、召喚者同士で勝負をせぬか」

「なんのつもりだ。大勢いるリッチどもは使わないのか」

「お主の連れておる従魔を相手にすれば、無用な被害が出るじゃろが。だもんで倒して被害が多ければ後が面倒じゃわい」

「仮にこちらを倒したとしてだ、そのまま神楽とサキに攻撃されると同じだとは思わないのか?」

 亘の疑問に左文教授は面白そうに笑う。

「はっ、契約から解放された悪魔が主の敵を討つじゃと? それは面白い話だわい。お主は悪魔ごときに忠誠心なんぞ期待しておるのか」

「なんだとー、ボクはムガムガ……」

 文句の声をあげる神楽を亘が捕獲した。サキの方も不快そうに左文教授を睨み、鼻の頭に皺を寄せ低い呻りをあげている。

 どうやら左文教授は亘さえ倒せば、その従魔の神楽とサキは契約から解放され、どこかに行ってしまうとでも思っているのだろう。それは致命的な間違いだろう。

 もっとも亘も負けるつもりはないが。

「それだけ自信があるなら二対一でもいいだろ。藤源次と一緒に戦わせて貰うぞ」

 さらりと自分に有利な条件を提示している。

「五条の、我は構わぬがのう。それは、ちと卑怯ではないか」

「なんのなんの儂は構わんぞ、ハンデというヤツじゃわい」

「へえ言ってみるもんだな。だったらアマテラスの関係者も手出し無用だ」

 その言葉にヒヨが声をあげる。

「そんな事言われても、私たちも戦い――」

「黙れ、足手まといなんだよ。引っ込んでろ」

 亘の言葉は辛辣だが、自覚があるのかヒヨは悔しげに黙るしかなかった。


◆◆◆


 だが、相手を甘く見てはいけないと直ぐに思い知らされる。

「それでは、まず小手調べをさせて貰うぞい」

 次の瞬間、恐るべき勢いで左文教授が迫って来た。驚いた亘は、横薙ぎに払われた杖を辛うじて棒で受け止めた。その攻撃は驚くほど重いものだ。小柄な老人の姿に油断し、舐めていた気分など消し飛んだ。

 あっさり倒せると思ったのが間違いだった。

 悔しげな顔をすると、左文教授が嬉しそうに笑う。笑いすぎで、年寄りらしく咽せてさえいる。

「くっ!」

「それは悪い手じゃな。今のは後ろに退いた方がよかった、でないと……次の攻撃に無防備だぞい」

 踏み込んだ左文教授の掌打を肩にくらい、亘は弾き飛ばされる。木の幹に叩き付けられ、衝撃で肺の中の空気が全て吐き出されてしまう。

 その隙に藤源次は左文教授の背後へと回り込み脇差しを振るった。容赦なく首の急所を狙った攻撃だ。しかし――。

「ムダじゃな。そのような代物ではな」

 左文教授は避けようともしない。皺首を切り裂こうとする刃は、硬い音と共に弾かれてしまう。藤源次は驚きに目を剥く。

「なんとっ!」

「儂の身体には傷ひとつ付けられぬ」

「ぬうっ!」

 たたらを踏み遅滞した藤源次に左文教授の拳が叩き付けられた。腕でガードした姿勢のまま地面の上を滑り、止まったところで膝をつくほどの威力だ。

「バカなお主は一体……」

 驚愕する藤源次に左文教授はカラカラと笑った。

「どうじゃ驚いたか。そこの若造の力を知っておろう、前回あれをみてな。ちとデータを入手して、同じ真似をしてみせたまでじゃわい」

 杖で指された亘は目を見開いた。

 力とはDPの暴走に違いない。左文教授はそのことを指しているのだ。自分だけの特別な力と、少し自負していたものを侵されたようで歯噛みする。

「そんな……」

「儂こそがDPの権威にして皆から賞賛されるべき天才じゃ。この程度のことは造作もないわい。さて、若いのは威勢ばかりで、つまらんのう。ちっとは楽しめるかと思うとっただけに残念じゃわい」

「余裕ぶるな!」

 亘は低い姿勢から飛び出すと、下からすくいあげるように棒を振り上げる。それは躱されてしまうが流れるように身体を捻り、瞬時に上からの攻撃を放つ。神速の二連撃であった。

 杖で受け止められた。間近で顔を見合わせ、左文教授がニヤリと笑う。

「どうやら剣術か何かをやっておったか? しかしな、戦いというのは剣以外も使うのが当然じゃろ。ほれ、これでどうじゃ」

 放たれた足蹴りが亘の腹を捉えた。

 蹴りが命中する瞬間、とっさに後ろに跳んで勢いを逸らしている。ダメージの幾分かは軽減されたが、それでも受けたダメージは大きい。

 倒れた亘は姿勢から腕だけで上体を起こし胃液を吐くと、少し血が混じっていた。

「マスター!」

「手を出すなよ」

 回復の魔法を使おうとする神楽を制止し、息を荒げ立ち上がる。これでも多少なとプライドはある。助けて貰うのは、もっとギリギリになってからだ。

「ちぇいっ!」

 藤源次が鋭い突きを放つ。それはまたしても硬い音をたて弾かれた。

「おお恐い。迷わず目を狙ってくるとはの」

「効かぬか……」

「そうでもないぞ。尖端恐怖症ではないが、それでも流石に恐いぞい」

 カラカラと笑う左文教授を見ながら亘は迷った。

 こうなると切り札のDP暴走を使うしかないが、盟主様からの忠告が頭に引っかかる。戻れなくなるとの言葉の意味は、これまでの経験からなんとなく分かる。できれば使いたくない。

 これまでがそうだったように、藤源次と共闘すれば苦戦しつつも倒せるはず。そう思い立ち上がりかける亘だが、ダメージは大きく足がふらつく。

 その姿に藤源次が一瞬だけ視線を向け、左文教授は笑う。

「よそ見は禁物じゃろうが」

 放たれた掌底が藤源次を襲い、今度こそガードも間に合わない。口元を覆った布の下でくぐもった苦痛が洩れ、アマテラス有数の実力者が為す術もなく吹き飛ばされる。それでも身を捻り着地してみせたのは流石だが、膝をついたまま動けない。

 左文教授は手にした杖で、コリを解すよう肩を叩いてみせた。

「さて。そろそろ終わりかね。このままアマテラスを打ち倒し、儂の復讐を終わらせてくれようか」

 辺りに老人の高笑いが鳴り響き、一部始終を見ていたヒヨたちは大いに動揺していた。

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