第248話 昔に戻った感じ
その地域は概ね平穏であった。
世間では様々な悪魔被害が生じているのだが、そこではせいぜいが噂話程度。小鳥のように人影が空を飛んでいた、子供が獣のように走っていた、綿の塊が踊っていた、蜘蛛に挨拶された……そんな話が流れる程度であった。
全ては里を見守る神様が、とある家に降臨し守ってくれるお陰だ。
当初は押しかけ少しでも姿を見ようと騒いだ人々もいたが、最近は大人しく家の前で軽く手を合わせる程度に大人しくなっている。
何人かの金持ちが自宅に招こうと画策し見向きすらされず、あまりにしつこい者は恐ろしい目に合わされたこと。詐欺師に違いないと断言し、正体を暴こうと乗り込んだ者が数日ほど生ける屍状態になったこと。
そうした話が幾つもあって、下手なちょっかいで今の平和な状態を崩さない方がよいと判断されたからであった。
「ちょいとアマクニちゃん、今日のお昼は何がいいと思うかしら」
「ならば、美味しいものがいいね」
「困るわー、そういうの主婦として一番困るのよね」
「そうか、それはすまない実佐子。配慮が足らなかった」
神たる存在に昼食の献立をきいた挙げ句、その答えにケチをつけている。横で聞いていた亘は、我が母ながら恐ろしいと呆れを隠せないでいた。
「失礼にもほどがあるな」
「あのさボクさ思うんだけどさ、凄くマスターにそっくりだよね」
「それこそ失礼にもほどがある」
亘は冷やかす神楽を素早く捕まえ、手の中でもみくちゃにした。あちこちくすぐったりするのだが、お互いに気安い感じでじゃれ合う様子だ。
しかしながら、母親は眉をひそめた。
「これあんた、可愛い神楽ちゃんに何してんだい。可哀想な事はお止め」
「別にこれは教育的指導で……」
「お黙り。そもそもだよ、あたしにそっくりと言われて何が失礼なんだい」
「……こんな時だけ地獄耳」
「何か言ったかい!?」
「いえいえ何も、お優しいお母様」
態とらしく亘が言えば、ふんっと母親は鼻をならす。それは、お黙りといった意味の合図だ。そんな親子のやり取りをアマクニは楽しげに見守っている。
七海とエルムにイツキは猟犬代わりにサキを連れ、山に出かけている。今日の夕食もご馳走にするという意気込みで、馳走の字が示すとおり走り回っての食材集めの最中だ。
「流石の君も実佐子の前では形無しだね」
「勘違いしないでくださいよ。別にそんなんじゃないですから。年寄りに対する気遣いに基づく譲歩をしているだけなので」
「なるほど、そういう事にしておこう」
アマクニは笑いを堪えている。
それで亘は口を尖らせるのだが、その姿はなんと言うべきか……お隣のお姉さんに、からかわれた子供のようであったりする。
「お昼の献立はともかく、サキちゃんの好きなお揚げの準備でもしようかね」
「またそうやって甘やかす」
「何とでもお言い。さて、大豆はどこに片付けたかね」
呟きながら立ち上がるのだが、もはや会話と言うより独り言に近い。
「お昼はね、どうしようかしらね。まあイツキちゃんがいれば、何か獲ってくるのは間違いないわよね。獲物次第で適当につくるけれど、アマクニちゃんが異論を唱えても認めないわよ」
母親は鼻歌交じりで台所に行ってしまった。
この家に暮らす人数が増えて以降、もうずっと絶好調でご機嫌なのだ。毎日が嬉しくて仕方がないと言った様子で、料理に掃除に洗濯に庭掃除から畑仕事までパワフルに活動している。
特に七海たち三人娘が亘の部屋に入り浸るほどに上機嫌で、小声で首尾を尋ねてくるぐらいだ。そういった露骨な事は止めて欲しいと思う亘だが……これまで苦労をかけた負い目もあるため強いことは言えやしない。
「すいませんね、うちの母親が失礼で」
「いや、そのようなことはないよ。実佐子のように自然体に接してくれる。それがどれだけ嬉しいか、君には分からないかな」
「少し分かりますけどね。でも、ここは一応でも謝っておくのが筋かと思って」
そんな亘の言葉こそが失礼なのだが、アマクニの微笑は深まるばかりだ。
女神と呼ぶべき存在は、そっと手を伸ばし軽く背伸びをして亘の頭を撫でてみせる。鼻腔を良い匂いがくすぐるが、ふわりと柔らかな仄かに甘い桜の香りだ。
「君たち親子の、そういうところが私は好きだよ」
「はあ、そうですか」
「そうなんだよ。ああ、しかし良い世の中になったものだ」
「でもまあ、世の中全般としては大変ですけどね……」
亘は多少の後ろめたさを覚えつつ言った。
実家に戻る途中に荒れた街並みに襲われる人々を見てきた事で、自分が安寧に暮らす事への引け目を感じている部分は確かにある。けれど、だからと言って率先して人助けに回りたいとは、どうしても思えないのだ。
そもそも一般人が力を得たからと、世界を救おうと志す方がおかしい。
「世のことなど君が気にする事ではないよ……だが君が人の為に動くなら動くで、私は少し嬉しくはある。妖の中にも人を救いたいと願い、死した者とて存在したのだからね」
ぽつりと呟いたアマクニは安物にしか見えない髪飾りに触れている。それが何か、何があったのか興味はあるが亘は黙っていた。踏み込んで尋ねるべきではないと思えたのだ。
「何にせよ世の中の状況など、私に言わせれば昔に戻った感じでしかないよ。本来は人と人以外の存在は、ごく普通に共に暮らしていたのだから」
「それは、どれぐらいの大昔です?」
「君は存外と失礼な子だね。まあいいけれど……そう、ざっと千年ぐらい前かな。人がいて神がいて、精霊に妖に悪魔もいた。時に交わり時に離れ、時に狩り狩られ当たり前のように生きていたものさ」
きっとアマクニの言う時代は、死というものがもっと身近だったに違いない。
「どこで変わったのですか」
「何がかな?」
「世の中が人間ばかりになって、神様とか悪魔が物語だけの存在になったのは」
その問いに応える前に、アマクニは居間の椅子に座った。
優雅で流れるような動きで、自分の向かいの席を指し示す。従った亘がどっかと座れば、頭上の神楽は衝撃を受け迷惑そうな顔をしている。
「どうかな、ある日突然ではなく。少しずつ少しずつ変わったからね。しかし、人間が少しずつ増え人間同士の争いが激しくなりだした頃かな。世情は乱れ魔素の循環も滞り、我らが生きるにも事欠くまでになった」
「それで異界に移動したって事ですか……」
亘は言葉を詰まらせた。アマクニが言う通りだとすれば、人間がその他の存在に迷惑をかけ追いやったようなものだ。しかも現代でも多数の生物を絶滅に追いやり同じ事を繰り返している
「しかし、人間が増えに増えすぎたことで魔素が満ち。再び元の状態になったとはね。何とも皮肉な事じゃないか」
「なるほど。状態はともかく、元に戻ってめでたしめでたしですか」
その言葉に、しかしアマクニは静かに首を横に振ってみせた。
「どうかな、今だって異常は異常だろうね。なにせ循環自体は変わらないのだから。魔素の濃度は少しずつ上がっていくだろう」
まるで二酸化炭素濃度のようではないか。
魔素と呼ばれるDPの量が、プラネタリーバウンダリーと同様に超えてはならぬ閾値を超えてしまえばどうなるか。DP飽和以上の何かが起きるのかも知れない。
そんな不安に駆られた亘に対し、アマクニはクスッと少女のように笑った。
「大丈夫だ。人間の数はある程度まで減るだろうからね。きっと、どこか丁度良い塩梅で落ち着くのではないかな」
人と同じ姿をして同じ言葉を使い意思の疎通はできるものの、やはりアマクニの持つ思考はどこか違う。人間という存在の生死は大きな関心事ではないのだ。
そうとはいえど、亘とて同じだ。
身内や顔見知り以外の生き死にを可哀想と思うが、それで何かしようと思わない。それは極めて一般的な小市民の――飢餓に苦しむ人々を知りつつ飽食に生きる人々と同じ――思考であった。
「それよりもね、実は困った事があるのだよ」
口元に手をやり軽く項垂れるアマクニだが、少し小柄で可愛らしげな存在に見えた。途端に笑顔を見せられ、やはり思考を読まれているような気がする。
「オオムカデが復活したのだよ」
「あいつが!?」
それは、この地域に巣くう大型悪魔。五十年に一度復活し、それに伴い災害をもたらすとされてきた存在だ。ただし実態は、アマクニがオオムカデを退治する際の余波で災害が起きていただけなのだが。
「分かりました、退治してきましょう」
「ボクにお任せなのさ!」
勇んだ亘と張り切る神楽であったが、しかしアマクニは小さな吐息をみせた。
「確かに今の君なら苦もなく倒せるだろうね。だが、その必要はないのだよ。うん、何と言うかだね。何と言うか、良く分からない事になっている」
「はあ……?」
「何故か姿も変わって、しかも人間に対し友好的なんだよ。実に不思議だ」
「あのオオムカデですか?」
亘が声をあげた時であった、母親が居間に戻って来たのは。
おばちゃん特有の特徴として、自分の知っている事や気になる事があれば勝手に口を挟みだすといったものがある。今回もそれであった。
「おや、オオムカデってのは。あのオオムカデ君の事なのかい」
「そのオオムカデ君とは違うんだけど……って、どうせ聞いてないか」
何事も諦めが肝心。年寄りとは他人に構わず自分の話をするものだ。
「オオムカデ君は、ゆるキャラグランプリで上位に食い込んだのよー。この辺りじゃあ一番の有名キャラだよ。ほらほら、あたしも応援のために買ったのよ」
机から取り出されたピンバッジを見たアマクニは、この姿だと呟いた。
そして亘は全てを悟った。
悪魔が誕生する際には人の意識や思考の影響を受けやすい。大勢の人がオオムカデとはこんな姿だと、ゆるキャラを思い描いた事で、実際のオオムカデもその影響を受けてしまったのだろう。
ある意味で現代流の調伏なのかもしれない。
「ゆるキャラ恐るべし……」
「よく分からないが、なんだね?」
「オオムカデは全国規模のメジャー存在になったという事ですよ」
「私よりも有名なのかな。ふむ、少し滅ぼしてやるか」
あながち冗談でも無さそうにアマクニは呟き、亘は乾いた笑いをあげるしかなかった。
「大人げない事は止めましょう」
「やれやれ君は、どうにも失礼だね。まあいいさ、友人も来る頃合いだからね。オオムカデの件は、取りあえず止めておこう」
「取りあえずでも何でもなくて、駄目です」
亘が強い口調で注意すれば、アマクニはどこか嬉しそうに頷くのであった。
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