第十七章

第247話 昨日より今日、今日より明日

 五条家には賑やかしい笑いがあがっていた。

 リビングとダイニングが一緒になった部屋は板張りで、台所側に大きめのテーブルセットが、庭側にはテレビとリビングチェアがある。至ってシンプルな部屋は、少し前まで年老いた母が一人で暮らしていた。

 しかし今はそうではない。

「今日は凄いご馳走なんだぞ」

 テーブルの上に並ぶ豪勢な料理にイツキは眼を輝かせた。台所ではまだ料理中なのだが、つまみ食いの常習者のためサキ共々居間へと追いやられているのだ。なお、もう一人の――もしくは、もう一体と言うべきか――つまみ食い常習犯だが、今は料理の手伝いなんぞをしている。

 窓にはカーテンが引かれ、外は既に日が暮れていた。

 室内は明るいが、実を言えば天井の蛍光灯は灯っていない。代わりに何か白い光を放つ拳大の塊が浮かんでいる。端的に現すなら人魂としか言い様のない代物だ。

 だが、五条ごじょうわたるは気にした様子もなくリビングチェアに寛いでいる。

「猪肉の鍋って聞いたが、もしかして畑仕事の時に騒ぎになってた奴か。イツキが獲ったのか?」

「そうなんだぜ。今日の昼頃までフゴフゴ言ってたやつなんだぞ」

 食べる前に知りたくなかった話に亘は渋い顔をする。

「……ああ、そう」

「でも獲れたのは、ドン狐の協力あってなんだぞ」

 亘の膝上に座るサキは不満そうに口をへの字にするが、特に何も言わない。金色の髪を揺らし、ふんっとそっぽを向くだけだ。その呼び名を許容したわけではないが、最近は同居人であるイツキに対し一定の譲歩を見せるようになっている。

「もう一頭獲れたけど、そっちは近所に配っといたぜ。それなりに感謝してた……かな?」

「なんでそこで疑問になるんだ」

「だってなぁ。そんな簡単に獲れるならもっと欲しい、とか言うんだぞ」

「なるほど」

 亘は苦々しげに言った。

 昔からお裾分けしたところで、お返しがない近所なのだ。もちろん、お返しが欲しいわけではないが、ただ一方的に渡すばかりという事は、どうにもモヤモヤするではないか。

 それなら渡さなければいいだけだが、物事はそう簡単ではない。

 特に今は流通がストップし、様々なものが欠乏しつつある状況。一部だけが豪勢な食事をしていれば、何かとやっかまれる。些末な事で恨まれ、巡り巡ってどこかで足を引っ張られるなど、御免被る。

 なにせ、曾祖父の代にあった出来事で文句を言われるのが田舎なのだから。

「まあいいけどなー、血抜きが上手くない方をやっといたから。あいつら、今頃どんな顔して食べてるかな。他に食べ物ないなら、頑張って食べてるだろうぜ」

「こいつめ、よくやった」

「だろー。あっ、でも家に持って来た奴の血抜きは大丈夫なんだぞ。直ぐに水に放り込んで冷やしといたし、処理は完璧だぜ」

 イツキの完璧は完璧でない事が多いのだが、どうやら今回は大丈夫そうだ。なにせ同行したサキが同意して頷いているのだから。本当かと冗談めかして尋ねれば、振り仰ぎニヘッと笑っている。

 そのまま金色の髪を撫で、まったり寛いでいると台所の戸が開いた。

 現れたのは白い小袖に赤いスカートの小さな姿。まっしぐらに亘を目指し飛んでくると、勢いよく頭の上に着地する。

「お待たせなのさ、ご飯の準備が出来たよ」

「つまみ食いとかして、皆の邪魔してないだろな」

「むっ、マスターってば失礼なのさ。あのねボクね、一回しか怒られてないもん。どう? すごいでしょ」

 目の前に飛んできた神楽は両手を腰に当て小威張りしている。亘は小さく息を吐くと、そのまま膝上のサキを荷物のように小脇に抱え立ち上がった。

 食卓の方を向くと同時に七海とエルムがドヤドヤと、ご飯と味噌汁を運び込んできた。辺りに良い匂いが漂いだす。

「お待たせしました」

「ご飯の配給やんな。さあさあ配ったるで」

 そして亘の母に七海の母である光海が鍋を運んで現れた。年齢から言えば、この両者はちょうど親子のようなものだ。そのせいか妙に仲が良い。

「あとはアマクニちゃんだけね」

「だから母さんってば、そんな呼び方は失礼だろ」

「本人がいいって言ってんだ気にしなさんな。それより、あんた呼んで来なさい」

「へいへい」

 しかし亘が動くよりも早く、奥の扉が開き怜悧な顔つきの女性が現れた。

「それには及ばないよ。家主に面倒をかけやしないからね、かけなさい」

「すいませんアマクニ様」

「ふむ、その呼び名は頂けないね。君も私をアマクニちゃんと呼びなさい」

「できるわけないじゃないですか」

「やれやれ君は堅物だね」

 言ってアマクニはスタスタ歩き上座についた。なにせ神様なのだから当然というものだろう。結局のところ山のお宮は寂しいからと、すっかり五条家に居着いているのだ。お陰で最近は参拝者が絶えない。

 これが五条家に暮らす全員。五条親子に少女三人、それぞれが使役する悪魔四体。さらには神様一柱まで加わり、とんでもない状況だろう。

 なお、光海は食事だけ共にして別で暮らしている。

 さすがに家が手狭になってしまうことと、アマクニの神気に当てられてしまうためだ。それでもマシな方で、エルムの両親などは食事を共にしただけで体調を崩したため、今は完全に別で暮らしている。そうした意味で言えば、平然としている亘の母親は規格外に違いない。

 全員の視線が集まったところで、亘は気恥ずかしげに手を合わせてみせた。

「えーそれでは、頂きます」

「「「頂きます」」」

 賑やかしい夕食が始まった。

 真っ先にイツキが箸を伸ばし神楽と先を争い、それにエルムが参戦してみせ笑い声をあげる。七海はサキに取り分けてやり面倒を見ている。アマクニはあまり食べず、光海に酌をして貰いながら酒を嗜む。

 それら全てを眺めながら、亘の母は微笑みながらゆっくりと食べる。

 世の中が大混乱に陥り、社会が崩壊しかけた状況とは到底思えない光景だろう。だがしかし、世の中がそんな状況になったからこその光景かもしれない。

「…………」

 そして亘は少し肩身が狭かった。

 なにせ自分以外は全て女性なのだ。さらには立場や考えの違う全員が、何らかの形で自分を大切に思ってくれている。一年と少し前には、全く考えもつかない状況ではないか。もう、あの一人でもそもそ食べる食事が遠い昔のようだ。

 ふと見ればニコニコと自分を見つめてくる母親と目が合った。

 その嬉しげな様子に少しだけ親孝行が出来たと思うのであった……が、しかし親の心子知らず。その母親が嬉しげであるのは、息子が幸せそうに見えるからに他ならないだろう。


◆◆◆


「ああ食べた食べた。ここに来てから私は気分が良いね、最高だよ」

 台所で他の者たちが皿洗いやら、食後のお茶の準備などが行われている。

 そこから聞こえる楽しげな声にアマクニは眼を細め満足げだ。同じく居間に残った亘だが、膝には満腹で眠たげなサキを抱え、頭上には既に寝ている神楽を載せていた。

「あれ? アマクニ様は食べてましたか。なんだかお酒ばっかりだったような」

「君たちが楽しそうに食べる様子こそが、私のご馳走だからね。この数百年の中で、今が一番良いね。しかも昨日より今日、今日より明日と日々良くなる。ああ、君には感謝しかないね」

「こちらこそ感謝しています」

「ふむ、そうだね。君に何かお礼をせねばならないね、どうしたものか……」

 アマクニは髪に手をやり、小さな髪留めを撫でた。亘から見てどうにも安物に思えるのだが、女性に対し下手な事は言えないため黙っている。

「別に要りませんよ」

「まったく、これだから君は欲がない」

「まさかそんな。欲の塊みたいな人間に何を言いますか」

 薄目を開けたサキは小さく何度か頷き、また寝てしまう。そこはどうしても同意しておきたかったらしい。なんとも腹立たしい従魔である。

「いいね、実にいいね。やっぱり君は良い人間だよ。そして面白い」

「はあ……」

 あまり褒められた経験のない亘は戸惑うしかない。

 良い人と言われると、どうにも適当にあしらわれているように思える。面白いと言われると、どうにも小馬鹿にされているように感じてしまう。

 もちろんアマクニにその意図がない事は分かっているのだが、これまでの経験から、そう思えてしまうのだ。

「そうそう、近々だけどね。私の友人が遊びに来るそうだ。よろしく頼むよ」

「友人ですか?」

「そうだよ、古い付き合いの友人だよ」

 亘はショックを受けた。

 なんとなくだが、アマクニに友人はいないと無意識に決めつけていたのだ。何だか裏切られたような気分である。

 アマクニがじろりと睨む。

「君は何か失礼なことを考えているね」

「いえまさか、そんなことないです。はははっ」

「前にも言ったけどね。私は表情からある程度は分かるのだよ。そうとも、私は長年一人で暮らしているからね。一人寂しく山で生きる方が良いのかもしれないね」

「いえ、そこまで思ってませんよ」

 やっぱり心を読まれているような不安を感じる亘であった。何にせよ慌てて取り繕うしかない。

「えーと、神様が来るなら何かした方がいいです?」

「別に。それで気負うこともなかろ。そもそも神という存在など、君が思うほど大した事はないからね。例えば、君の持っている武器だって幾つかは神格化しているよ。所謂ところの付喪神になるのだがね」

「えっ!?」

 そんなものの心当たりは――いっぱいある。

「なにせ数百年は経た子ばかりで一番古い子は千年も生きている。まだ喋ったり動いたりはできないけどね、もう少し力を得て動けるようになれば、君の役に立って戦いたいそうだよ」

「なっ、戦うって本当ですか?」

「随分と慕われているようだが、君はよほど大切にしたのだね」

 感心するアマクニであったが、しかし亘は目を見開き言った。

「絶対に駄目って言い聞かせておいて下さい」

「おやっ、それはどうしてだい?

「そんな危ない事して、もし傷ついたら大変じゃないですか」

 流石にそれは予想外だったのだろう。アマクニは軽く目を見張り、ややあって口元に手の甲をやると、身を捩らせながら笑いだした。その長い生の中で一番笑い転げた瞬間に違いない。

 亘の頭上では目を覚ました神楽が欠伸をして――しかし、そのまま安心できる匂いの中で再度寝てしまう。

 五条の家は世界の騒乱とは隔絶した状態にあった。

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