閑15話(1) 母襲来

 土曜日の天気は快晴で絶好のお出かけ日和だった。

 それなのに、五条亘は風邪をひいてアパートの中でぐったりしている。もっとも出かけられたとしても、天気の関係ない異界へ行くだけだろうが。

「ゲホッ、ゴホッ。ズビー」

 APスキルの状態異常防止があっても風邪をひいてしまい、なおかつ神楽の状態回復魔法でも治らない。状態異常の定義がよく分からなくなってしまう。

 そんなことを熱でうだった頭でボンヤリ考えながら、コタツに突っ伏し咳こむ。鼻水もあって、息づかいもハアハアと苦しげであった。


「マスター大丈夫?」

 神楽が心配そうに横から覗き込んでくる。熱にうかされているせいか、悪戯心が蠢いてしまう。

「うう、ゴホッ。もう、駄目だ……今まで、ありがとう……」

「マスター!? そんなのやだよう! マスターッ!」

「一緒にいてやれなくて……すま、ない……ガクッ」

「ぴぎゃーっ!! マスター死んじゃ嫌ぁーっ!! 起きて、起きてよー!」

 もちろん、ただの風邪で死んだりはしない。反応が面白かったので悪ノリしただけだ。しかし神楽が泣き叫びながら回復魔法を乱発しだすので、慌てて蘇生したフリをする。

 悪戯だとバレたら後が恐い。怒って拗ねられると厄介だ。

「復活! あー、でも辛いわ。しんどいわー、ゴホッゴホ、ゲホ、ズビー」

 辛さをアピールしながらバレた場合の予防線を張り出す。

 しかしそんな必要はなかった。神楽は安堵のあまりコタツの天板にへたり込んでしまっている。ボロボロ零れる涙と、それを小袖で拭う姿には罪悪感が湧いてしまう。

「ごめんね、ごめんね。ボク小さいから、何もしてあげらんないや」

「気にするなゴホ。側に神楽がいてくれるだけで、随分と気分が違うものさ」

「凄い熱だよ」

 神楽の小さな掌が額に触れると、少しだけヒンヤリとした気分だ。

 しかし亘は目の前にある巫女装束の少女の身体を、こんな時でも――こんな時だからこそ――想像してウヒヒと奇妙な笑いを上げる。熱に浮かされているため、だと思う。

 そんな様子に神楽は心配することしきりだったが、急に何かを思いつき顔を輝かせスマホへと飛んで行った。

 気怠い気分の亘は、特に気にしないまま目を閉じた。


◆◆◆


――ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。

 玄関のチャイムが鳴るも無視をする。再び鳴る。また鳴る。それでも鳴る。

 あまりのしつこさに仕方なく出ることにしたが、部屋から玄関に行くだけで息があがってしまう始末だった。これで新聞の勧誘であれば、マスクを外して咳かけてやるつもりだ。

「ふぁい。どちら様で」

「まったく、いるんなら直ぐに出なさいな。いないかと思って帰るとこだったじゃないの。おや、あんた風邪引いてるのねダメじゃないの。自己管理はちゃんとしなさい」

「か、母さん?」

 そこに居たのは母親だった。

 目をしばたかせる亘を押しのけながら、母親はずかずかと当然のように入り込んでいく。その手には膨らんだレジ袋があり、途中で食材を買い込んできたらしい。

「来るなら、ゴホッ、来ると連絡してくれよ」

「まーっ、冷蔵庫の中が空っぽじゃないの。やっぱり買ってきて正解だったわ。ほら、食料の配給よ。感謝しなさい」

 突然やって来た母親に文句を言うが、まったく聞いている様子がない。それどころか、勝手に冷蔵庫を開け、持って来た食材を詰め込みだしている。

 それが終わると、ぐるりと室内を見回した。神楽はスマホの中であるし、見られて困るものは何もない。それでも母親からチェックの目で見られると緊張してしまう。

「あら意外。ちゃんと部屋を片づけてるじゃないの」

「あたりまえゴホッ」

「半年前に来たときなんて、ぐちゃぐちゃで足の踏み場もないぐらい汚かったのにねぇ。あんたも少しは片づける気になってくれたようで嬉しいわ。ほら、風邪なら座ってなさいな。生姜湯をつくってあげるからね」

 亘は大人しくコタツへと座った。どうせ言い出したら聞かないのだ。早めに諦めるにこしたことはない。

 母親が台所を使う音をボンヤリ聞いている。


 そうしていると子供時代に戻った気分になる。あの頃は気づかなかったが、親の有難さが今になって身に染みる。

 親が享受させてくれた衣食住は特別なことだった。一体他の誰が、自分の身を削ってまで世話をしてくれるだろうか。そんな親子の情で与えられていた衣食住に甘え、それなのに親に対し文句を言って反抗していた昔の自分は、何と子供だったことか――。

 やはり熱でうかされていると、普段思わないことを思ってしまう。

「ほら、熱いから気を付けて飲みなさい」

「こりゃどうも、ありがとう」

 マグカップで出された生姜湯を礼を言いながら受け取ると、片栗粉でとろみのついたそれを熱々なのでチビチビと飲む。昔から風邪の時は必ず生姜湯を飲まされてきたものだ。これを飲めば、風邪なんて直ぐ良くなる気さえする。

「それにしても、丁度あんたが風邪の時に来て良かったわ。これも虫の知らせってものかしらね。まったく、あんたは独身なんだから体調管理をしっかりしないとダメじゃないの。あたしが来たからいいものの、気付いたらアパートで死んでましたなんてなったらどうするの。ちゃんとなさいな」

「縁起でもないことをゴホッ」

「アパートの事故物件とかになったら後が面倒でしょう。そうそう、それであんた山村さん家のお姉さんと街で会ったでしょ。なのに無視したって、お姉さん怒ってたわよ。ご近所なんだから、そんなことしたら困るでしょ」

 一方的で矢継ぎ早な言葉に、話題がころころと変わる。頭がくらくらしてくるのは、何も熱ばかりのせいではないだろう。久しぶりに聞く母の声を、初めのうちは懐かしく感じていたが、今はもう五月蠅く感じてしまう。

 それにしても、誰かを無視したとは穏やかでない。自分がそんなことをするだろうか。思い出そうとしても、まったく身に覚えがなかった。

「無視したゴホッ……その前に誰それ?」

「誰って、あんたの同級生で昔よく遊んでた山村君っていたでしょ。小学生の頃は毎日家に来て、好きに飲み食いして帰ってく子よ。あんたがゲームを貸したらなかなか返してくれなくって怒ってたじゃない。その子のお姉さんよ」

「ああ、そんなこともあったな。ゴホッ、そいつに姉さん居たかな? 街であった? ゴホっ、どこか仕事で会ったか?」

 同級生の山村自体が朧気にしか思い出せない。ただ友達と思って遊んでいたが、学年が上がってクラスが変わった途端、相手にもしてくれなかったヤツだとは覚えている。あとは、どんなヤツでどんな顔をしていたかも出てこない。

 まして、そのお姉さんなど心当たりの欠片もなかった。

「それがお姉さんの話だとね、駅前広場に居たら、丁度あんたがバスから降りてきて鉢合わせしたって話よ。でも、あんたはそのまま挨拶もしないで通り過ぎたって言うのよ」

「悪いけど覚えがないよ。ゴホッ、それに山村のお姉さん自体を知らない」

「あらそうかい。でもお姉さんは、ちゃんと目が合ってあんたが明らかに気付いてたって、明らかに私を見てたって話なんだけどね」

「……あのね、今まで存在も知らなかった相手から挨拶がないとかね、文句を言われても困るんだけど。ゴホゴホ」

「まあ、あんたが知らなくたってね、向こうはあんたを知ってるんだから。それぐらいちゃんと挨拶しておきなさい。あたしが文句を言われるんだから」

 母親特有の理不尽な超展開理論だ。街を歩いて一瞬でも目が合った相手に、その都度挨拶をしろと言うのは無茶ぶりもすぎる。


 大体だ、そのお姉さんというのも自意識過剰ではなかろうか。自分が相手を知っていれば相手も自分を知っているに違いないとか、街中で少し目が合っただけで私を見ていたとか、無茶苦茶すぎる。

「それでね、山村さんのお母さんからなんだけど、お姉さんも独身らしいのよ。それであんたも独身だから、ちょうど良いって言うのよね」

「……は? いやいやゴホ」

 嫌な予感に亘は話を変えようとしたが咳に邪魔される。もっとも、仮に咳がなくても母親の話を変えるのは無理だろうが。

「それでね、来週の日曜日はお姉さんも暇だって話だから、あんた会いなさいな。ちなみにお姉さんの方は、かなり乗り気らしくて張りきってるそうよ。だから早く風邪を治しなさいよ」

「もう一生風邪だゲホッ」

「バカ言うんじゃないわよ。お姉さんは大学卒業してからずっと家でゴロゴロしてたそうでね、結婚しないなら仕事ぐらいして欲しいって山村さんのお母さんも随分心配してたのよ。でも、あんたが娘を貰ってくれるならって大喜びしてたわよ」

 亘の実家は田舎にあるが主婦の情報ネットワークは、インターネットのそれを軽く上回る。誰がどこで何をしていて、各家の家族構成から職業まで洗いざらい知られているものだ。

 怒涛の如く繰り出される母の話を聞いていると、そのお姉さんとやらは昼まで寝ていて、起きても着替えず下手すれば一日パジャマのまま。出かけさせるために渡す小遣いの額もバカにならず、山村家では持て余し気味になっているそうだ。

 自分の知らぬ間に、それが己の嫁として擁立されつつあることに亘は戦慄する。しかも同級生の姉となれば、当たり前だが年上だ。


 風邪以外の理由で亘の背筋がゾッとなってしまう。

「別に結婚なんて、ゴホっゴホ、考えてない」

「病気になれば分かるでしょ。今日は偶々あたしが来たけど、これであたしが死んでてごらんなさい。それこそアパートで孤独死だってあり得るのよ。悪いこと言わないから結婚しときなさい。多少、年上だろうが性格に難があろうが、それがあんたの為よ」

 母の押しはいつになく強い。

 押し負けそうな亘は黙り込んでしまう。自分でも独身であることに多少後ろ暗い気分はある。でも、この歳まで独身でいると、はいそうですかと飛びつけるものでもない。特に相手の性格を聞けば、そんな気は欠片も湧かないのだ。

――ピンポーン。

 またしてもチャイムがなる。

「あんたは風邪なんだから座ってなさいな。あたしが出るから」

 出ようとした亘を押しとどめ、母が玄関へと向かっていく。その隙に亘はどうやって窮地を逃れたのかと、コタツの天板を見つめた。風邪より胃の痛みが深刻だ。

 ドアを開ける音が聞こえた。

「はいはい。どちらさんかしら、何かご用でしたかね?」

「えっと……あれ? 五条さんのお部屋ですよね。あの、どちら様でしょうか」

 凄く聞き覚えのある声だ。

 冷や汗垂らした亘がますます痛みだした胃を押さえると、神楽がスマホから顔を出した。そして満面の笑みで、ボク呼んどいたよと得意そうに宣言したのだった。

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