閑15話(2) 死して屍拾うものなし

「先程は失礼しました。私は舞草七海と言います。五条さん、いえ亘さんには、いつも良くして貰ってます」

「あらまあ、そうなの。本当にまあ、ちゃんとしたお嬢さんね。ささ、コタツにあたってくださいな」

 アパートの居間で、やや緊張気味に丁寧な挨拶をする七海を前にして、母親はニコニコとした笑顔だ。

 お互い正座しながら頭を下げ合う姿を眺め、亘はマスクの下で引きつった笑いを浮かべた。七海が急に名前で呼びだしたこともあって、もの凄く居たたまれない気分にさせられる。


 どうしてこうなった。いや原因は分かっている。自分の従魔の勝手な行いのせいだ。

「それでは失礼します」

「はいはい、こんな婆には遠慮しないで頂戴ね。まあ、よく来てくれたわねえ」

「亘さんから、死んじゃうって連絡を頂きまして……それで急いで駆けつけました。でもお邪魔になってしまって、ごめんなさい」

 どうやら神楽は亘が死にかけてると本気で思って七海に連絡したのだろう。つまりこの事態を招いた原因は悪戯心を起こした亘自身であって自業自得ということになる。

「あらもう。この子ったら、人にそんな甘えたこと言えるようになったのね。母さん嬉しいわ」

「亘さんには、お世話になってばかりですから、こんな時ぐらいお返しをしたくて」

「この子ときたら、ちっとも自分のことを話さなくてね。あなたのことも全然教えてくれてなかったのよ。ごめんなさいな」

 そう言いながら母が睨んでくる。その目が後で覚悟しろと言っており、亘は震え上がった。

「亘さんは照れ屋さんですから、しかたないです」

「そうなのよ遠慮気味というか、放っておくと自分一人で物事を完結させるからねえ。ぐいぐい行くぐらいの感じでやって頂戴ね」

「はい、お任せ下さい」

 亘は生姜湯に口をつけつつ、空いた手でスマホをシェイクする。モーションセンサーで中が揺れればいいのにとか願ってのことだ。


「それで? いつぐらいに結婚するんだい」

「ふぁっ、ゲホゲホ。母さん、あんた何を言い出すんだ。それに――」

「お黙り。親に向かってあんたとか何を言うの。親としちゃね、そこが一番気になるところなのよ。それで、どうなの?」

 亘の言葉を封殺した母親は身を乗り出し七海に問いかける。

 デーモンルーラーのことなど言えないので、そこは上手く答えて欲しい。そんな期待を込め亘が視線を送ると、七海は笑顔で小さく頷いて答えてくれる。

 どうやら任せておけば安心……では、なかった。

「はい。私はまだ学生ですから、きちんと学業を修めたいと考えてます。せめて高校は卒業しておきたいと思いますので」

「……おい」

「あらま、高校生なのね。大人びてるから二十歳ぐらいかと思ってたわ。そうすると十六歳ぐらいなのかしらね」

「十七歳になりました」

「なんにせよ結婚できる年齢だから問題ないわね」

「それはどうかと思うがゴホッ」

 だが、その言葉はどちらからも無視された。

「うちの子も隅におけないわね。こんな可愛い子を捕まえるなんてねえ。そうね、高校は卒業しておいた方がいいわよ。ところで、学校はどちらなのかしら」

「星陵学園に通っています」

「まああの星陵学園。まー、それは勿体ないわ、あそこからなら大学進学なんて余裕でしょうに」

「大丈夫です、大学なら結婚しても……子供がいても通えますから」

「ぶふぉぉ、ゲホゲホ。七海、君は何を言い出すんだ」

「あんたさっきから汚いわね。黙って生姜湯でも飲んでなさいな」

 それからも母親は七海と話込み、横でそれを聞かされる亘は悶絶しつづけるしかなかった。

 母親は本気で七海が息子の結婚相手と思い込み、安堵と喜びでウキウキしている。そのため、亘にはどうしても真実を告げることが出来なかった。いずれバレるので、何とかせねばならないが、もう少し時間を置いてからにしたい。振られたとか、別れたとか言い訳をして静かにフェードアウトするしかないだろう。


◆◆◆


 母親が帰ると、亘と七海はアパートの部屋で二人きりとなった。

 さんざん結婚だの子供だのが話題に出た後なので、亘はかなり気恥ずかしい気分で一杯だ。おかげで妙に意識してしまって、七海の顔すら見られないぐらいだ。

「亘さん、風邪の具合はどうですか」

「だいぶと良くなった……ところで、もう名前で呼ばなくてもいいぞ」

「そうですか? このままでもいいですけど、五条さんがそう言うならそうしますね」

「その呼び方の方がしっくりくる」

 亘は頷いたが、七海は少しばかり残念そうな顔をした。

 なお神楽は部屋の中にはいない。画面を下向きにしたスマホの上に重しを載せてあるので出て来られないのだ。時折、ガタゴト動くが無視している。

「色々と勝手な話をしてしまいましたけど、ご迷惑でしたか?」

 しょぼんとした七海が上目遣いで謝ってくる。そんな可愛い顔をされると、亘はますます狼狽えるしかない。

「まあなんだ。タイミングが悪かったと言うか何というか。ゴホゴホ。しかし、ありがとうな。うちの母親に話を合わせてくれてな。すっかり勘違いされてしまったが、まあしばらくしたら適当に誤魔化しておくから」

「あの……私ではダメですか?」

「え?」

「私、五条さんのこと……」

 驚いて視線を向けると、七海が潤んだ瞳と目が合った。そこにある色香を感じてしまい亘は大いに戸惑ってしまう。


 なんだこれ、なんだこれ。もしかすると、もしかするのか。いやしかし、勘違いかもしれない。冗談かもしれない。フェイントかもしれない。下駄箱の手紙で呼び出され、半日待ち続けて笑われたこともあったが、これもそのパターンかもしれない。

 前にキセノン社の異界で酷いことをしたので、その仕返しで騙そうとしているのだろうか。

 だがしかし、しかしだ。

 七海は人を騙したりする子ではない。もしかすると本気なのだろうか。アパートの一室で二人きり。口煩い従魔もスマホから出てこれない。仮に七海の冗談だったとしても、そのまま強引にGOとかありだろうか。既成事実作成もありだろうか。

 かつて見た七海の裸身を思い浮かべ、亘はごくりを唾を呑んでしまう。

 その瞬間

――ガンガンガン。

 近所迷惑なぐらい玄関が激しく叩かれ、あげく勝手にドアを開ける音とバタバタする足音がした。そのまま居間のドアが開き、そこに息を切らせたチャラ夫が現れる。

「兄貴大丈夫っすかー! って七海ちゃんも来てたっすか。兄貴の容体は? 救急車は呼んだっすか!? 死んだらダメっすよ!」

「チャラ夫君落ちついて下さい。大丈夫ですから」

 七海がチャラ夫を宥めだす。そこには先程までの雰囲気など欠片もない。いつも通りの様子だ。亘は肩透かしをくらった気分で、深々と息をついた。


◆◆◆


 その夜。

 お仕置きとして、神楽の前で自分だけアイスクリームを食べている最中に母親から電話があった。シクシクすすり泣く神楽を黙らせるため、アイスの残りを食べて良いと許可して電話に出る。

『風邪の調子はどうなの。ちょっとは良くなったの』

「おかげさまでね。少し咳が残ったけど、ゴホッ。だいぶと良いよ」

『早く治しなさいよ。それで、とりあえず山村さんにはお断りをしておいたわよ』

「そりゃ良かった」

『そしたら山村さんのお姉さんが電話に出てきたのよ。そしたら何て言ったと思う?』

「さあ、さっぱり」

『結婚したげてもいいと思ってたのに、だって言うのよ。あれは駄目ね、なんなのかしらね。だからね、いいこと。舞草さんと何としても上手くやるのよ。いいわね』

「はいはい」

 生返事をしながら考える。

 あの時の七海はどんなつもりだったのか。独身男のアパートで、あんな冗談を言えばどうなるか分からない七海ではないだろう。やっぱり冗談ではなかったのかもしれない。もしかすると、もしかすると、もしかするかもしれない。

 でも、正直自信がない。

 ここで自信を持てる人間なら、三十五歳まで彼女なしで生きてやしないだろう。ふうっ、とため息をついて繰り言のような母の声に生返事をしつづけた。

 それでも少しだけ七海に対する意識が変化した1日だった。

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