閑37話 人生に希望と明るさを
『悪いけど、次の土曜日は暇かしら。ちょっと付き合って欲しいのよ』
女性からのお誘い。しかも休日のお誘い。
そんなこと、これまでの人生では考えられない出来事である。自分の人生も大きく変化したものだと思いつつ――しかし贅沢なことに、亘は面倒そうな顔をした。
なにせ相手が相手で長谷部志緒だ。
「いろいろ忙しいのだが」
電話回線越しに面倒そうな雰囲気が伝わったらしい。電話の向こうで、ムッとした雰囲気となり、やはりそれが電話越しに伝わってくる。
『あら、この時期で忙しいのかしら。補正予算でお金を使えー、なんて話はまだ出てないでしょ』
「仕事で忙しいわけじゃない。異界でDP稼ぎに決まってるだろ」
電話の向こうからため息が伝わってくる。
『あなたって、ほんっとうに相変わらずね。他にすることって、ないのかしら。たとえば、どこか遊び行ったりしないの?』
「…………」
異界に遊びに行くとは、流石の亘も口にしない判断力があった。
しかし言われて気付くが、偶に仲間から誘われたとしても異界に行って食事、異界に行ってお茶、異界に行ってのんびりお喋り、異界に行って買い物。
異界に絡まず、ごく普通に遊びに行ったりという事は殆どない。
ちょっと哀しくなってしまった。
「そんなこと言う、そっちこそどうなんだ」
『ふふん、私だってお友達ぐらいいるわよ。最近なんて、またお友達が一人増えたの。一緒に食事だって行くぐらいなのよ』
同じ不遇な境遇にあった者がそこから脱した事を喜んであげられるほど、亘は良い人ではない。しかし、妬むほど悪い人でもない。
「用が無いならきるからな。それじゃあな」
亘はスマホを耳から離すと、通話終了ボタンに手を伸ばす。
『ちょっ、ちょっと待ちなさい。待って、待って』
しかし、必死に呼びかける声が響いてくる。
「うるさいな。聞くから落ち着けよ。で、頼みたいことってなんだ?」
『ありがとうね。それはね――』
志緒が頼みの内容を述る。
それを聞き面倒そうな顔をする亘だったが了承する。
たまには異界に絡まず行動――普通の人のように――してみようかと思った事が影響したのかもしれない。
◆◆◆
スーツに着られた雰囲気の青年が笑み浮かべる。きっと今年就職したばかりか、キラキラと輝く目は、これからの人生に希望と明るさを見ているのだろう。
「僕はこういったものです」
ハキハキとした言葉と共に差し出されたものはA4用紙であった。
名前に年齢に出身地、家族構成にペットの名前、趣味や最近感じた事柄などのプロフィールが書かれている。しかも手書きだ。
「…………」
亘は何とも言えない気分で受け取り、読むフリをして隣の志緒へと押しつけるように渡した。そちらも微妙そうな様子で、お愛想めいたことを口にする。
「ええっと……この場所なら仕事で行ったことあるわ。活気があって楽しいところよね」
「ありがとうございます! 僕の故郷を褒めて下さって嬉しいです!」
「え、ええ。それでお願いしたい事があって……」
「大学を出て就職したので、故郷にはずっと帰ってないです。でも、聞いた話では、いっぱい大きなお店が出来て賑やかになったそうなんです」
「あらそうなの。それでお願いしたい事……」
「年末には久しぶり帰省して、家族に美味しいものをご馳走しちゃおうって考えてるんです。やっぱり家族は大事にしなきゃいけませんから」
表情や口調から察するに、きっと末っ子に違いない。そう思い横目で志緒の持つプロフィールの家族構成を覗き込むと正解であった。
話が進みそうにない様子に亘が咳払いをしてみせる。
「悪いが。早いところお願いしたいんだが」
「あっ、旦那様申し訳御座いません。それでは、奥様のお車の査定に取りかからせて頂きます」
ここは中古車買い取りセンター。
夫婦で来場すると査定額アップに素敵なプレゼント、さらには来場記念で旅行券の当たるクジが引ける買い取りキャンペーンの最中だ。
そんなしょうも無い理由で引っ張り出された亘は不機嫌顔だ。隣では、お揚げ三枚で娘役を仰せつかったサキが暇そうに足をブラブラさせている。
「なあ、もう帰ってもいいか」
青年が走り去った様子を見送り、亘はサキの頭を撫でつつ呟く。
「同意。務め果たした」
「だよな。顔を出せばキャンペーンの条件もクリアしただろ」
「ダメよ。査定が終わるまで付き合って頂戴よ。それに、私の車がないと帰れないでしょ」
「自力で歩いて帰った方がマシなんだが」
亘が呟けばサキが激しく頷いてみせる。志緒の運転は悪魔すら恐れさせるのだ。
店内には同じく査定に来た家族が――もちろん本物――大勢いるため騒々しくも賑やかしい。キッズスペースで幼児向けアニメが繰り替えし流され、絵本の読み聞かせなどもやっている。
亘は目を瞑り腕組みをする。世の中には見たくないものがあるのだ。
一方で志緒は微笑ましそうに子供たちを眺め、そして見た目は可愛らしい子供のサキへと視線をむける。
「良かったら、何か絵本でも読み――」
「焼くぞ」
「ひっ、ごめんなさい」
「ふんっ」
暇を持てあましたサキが欠伸をする。自分の椅子を降りると、よじ登るようにして亘の膝へとあがりこみ座り込む。見た目は完全に、父親に甘える子供だ。
「ところで、その……聞きたいことがあるのよ」
志緒は言いにくそうな様子だ。
「答えられることなら」
「最近ね、あの子の様子が変なのよ。あなた何か知らないかしら」
「ふむ……」
亘は目すら開けずに答える。ただし、真剣には考えてなどいない。あの子にあなた、なんて言葉が夫婦みたいだと下らないことを考えているだけだ。
もちろん、この場合のあの子というのは決まっている。
「チャラ夫が変なのは、いつもだろ」
「それが違うのよ。実はね、なんと言ったらいいのかしらね。ありのままに起こったことを言ってしまうと、あれなのよ。まるで別人みたいなのよ」
「ほう?」
少し反応したのは、昔見たB級映画を思い出したからだ。
主人公の身近な人物が次々と宇宙人に乗っ取られるストーリーで、途中の展開は忘れたが、誰に訴えても信じて貰えない部分だけ妙に覚えている。
まさかチャラ夫が悪魔に乗っ取られたのではあるまいか。
そんなバカバカしい想像も、現実に悪魔という存在が――たとえば今も膝上に――居るのだから、あながちあり得ないことではない。
志緒が思わしげに頷いた。
「実はね、あの子のベッドの下にブライダル関係の冊子が置いてあったの」
「…………」
あまりの下らなさに、亘はサキを抱えて帰りかけた。
「ちょっと待って本当なの。真面目な話なのよ」
引き留めようとする志緒との間でひと悶着あり、周囲の視線を集めながら渋々と座り直す。
「……いくら弟相手とはいえ、ベッドの下を調べるのは感心しないな。ベッドの下というのは青少年にとって侵されざる聖域なんだ」
「偶然よ、偶然。ちょっとシャツを借りようと思って部屋に行ったら、少し見えたのよ。そりゃ、見たらいけないとは思うわよ。でも、気になるじゃない」
「さよか……」
亘は憐れんだ。
世の中には男物シャツを借りて胸周りに困る女子高生もいるのに、こうして弟とシャツの共有できる女性もいる。なんたる格差社会だろうか。
それはさておき。
志緒は自分の弟が、とある女性付き合っている事実を知らないようだ。チャラ夫の性格からすると、意地悪で黙っているよりは、姉を慮って言い出せないだけかもしれない。または話すこと自体を失念している可能性もある。
教えるべきか、教えざるべきか、それが問題だ。
「…………」
自分より年上の女性を義妹として紹介された姉の心理的ショック。それを慮ると、可哀想すぎて何も言えやしない。たとえ近い将来に衝撃が訪れようとも、知らぬ間は幸せでいられるのだ。束の間の幸せを壊すなど、亘には出来なかった。
心の底から志緒に同情してしまう。
「あの子もしかして……ブライダル産業に就職するつもりかしら。キセノン社の内定を断られたかもしれないわ。言い出せなくって悩んでないかしら」
「ああ、きっとそうだよな。そうかもしれないな」
「ああ見えて、結構ナイーブなのよね。あの子が可哀想だわ」
「うん、可哀想だな。心を強く持てよ」
「そうよね、姉である私がしっかりしなくっては、ダメよね」
「頑張れよ」
どこか噛み合わない会話にサキはテーブルに顎をのせ暇そうにしている。
「お待たせしました」
それからさらに時間が過ぎ、ようやく青年が戻ってきた。
「あら随分と時間がかかるわね。査定の結果はどうかしら?」
「はい、ただいま査定中になります。熟練したスタッフがひとつずつ確認し、お客様にご満足頂ける結果を出せるよう頑張っております」
「……結果はどれぐらいの時間で出ます?」
「もう少々、お待ち下さい。ところで当社で新車の取扱をしていることは御存知でしょうか?」
青年はカタログを机上に広げながら説明を開始した。
それで亘と志緒は思わず顔を見合わせる。少し考えれば分かるが、こうしたキャンペーン目的をようやく察したのだ。
「あー、悪いけれどまだ買うつもりはないわよ」
「奥様、そう仰らず。そうなんですよ、御存知じゃない方が多いですが。当社では新車販売も行ってるのですよ。びっくりですよね。さあ、ご希望の車種など御座いましたら、すぐにお値段をお調べしますよ」
「そこまで考えてないのよ。とりあえず査定にだけ来たのよ」
しかし青年は聞いてはいない。カタログを指し示し、目を明るく輝かせながらハキハキと言葉を続ける。
「ご家族が増えました場合を考えますと、こちらのミニバンタイプなどお勧めです。どうです、この車種でこの値段。通常のディーラーより、とってもとってもお得な値段設定ですよね」
「だから、まだそこまで考えてないのよ」
「まあまあ、そう仰らず。なんと今ならお得なキャンペーンが付いて――」
さらにカタログが広げられる。
人の話を聞かないセールストークと、それを止めようとする志緒。そんな両者の声を聞きながら、やはり休日は異界に行くべきだと思う亘であった。
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