閑39話 一文字ヒヨです
「ごめんなさい。ちょっと取り乱して失礼したわ。でも、もう平気よ」
志緒は取り繕ってみせ余裕の表情で笑ってみせる。とはいえ、それは本人が思っているだけで見た限りは全く平気そうではない。
気遣いの出来るヒヨは力強く頷いた。
「残留思念ですから大丈夫ですよ。ですけど残留思念が核になって魔素、最近はDPと呼ばれてますけど、それが加わると悪魔化したりしますから」
「なるほどね。注意が必要ね」
「普通はそう簡単にはならない、って言われてましたけど……最近はDPの量が増えて異界が出来るのも早いですから、どうか分かりません」
そう言ってヒヨは思わしげな顔でビルの中を見回す。豊富なDPと核さえあれば異界は形成されてしまうが、この廃墟は絶好の条件が揃っていると言える。
「この部屋には異界っぽいものはないですね。他の階も見てみませんと」
「あの人がいれば良かったのに。そうしたら直ぐに分かったでしょうに」
恐らく五条亘だろうとヒヨは察したものの首を傾げた。
「ふぇっ、どうしてですか?」
「従魔の神楽さんは凄くって、探知能力があるの。周囲にいる悪魔や異界の位置まで簡単に見つけてしまうのよ。まるでレーダーみたいだったわね」
「それ凄いですよ。確かピクシーなんですよね、攻撃も回復も出来て探知まで出来るだなんて凄く優秀な悪魔かも」
こうやって何気ない会話で情報漏洩がされていく。とはいえ言った本人も、聞いた本人もそうした意識はまるでなかったりする。
「私のリネアも、それぐらいの能力があれば良かったのに。しかもほら、スライムでしょ……」
「でも可愛いからいいじゃないですか」
笑顔で言うヒヨを、志緒は理解し難い顔で見つめた。青玉葱型ならまだしも、半透明な不定形型だ。それがモソモソ這って動く姿は可愛いとはとても思えない。
「可愛いのかしら? だってスライムなのよ。まさか……貴女って、なんでも可愛いって言うタイプなのかしら?」
「それ失礼しちゃいますよ。スライムってプルプルして、ちょっと水饅頭みたいじゃないですか。それが一生懸命動く姿とか健気だって思うんですよ」
「そりゃまあ確かに触感はいいわね」
ベチャっと張り付かれる感じは苦手だが、弾力がある感触は好きだ。ただし身体の表面を這い回られるとゾワゾワして悲鳴をあげてしまうのだが。
不意に――笑っていたヒヨが目を細め鋭い顔をした。そうすると子供っぽさが消え、まるで出来る女性の顔だ。
「注意して下さい。これは、何か来ます!」
その言葉と同時に窓枠がガタガタと振動し、床のゴミや砂利が細かに跳ね動きだした。風が吹きすさぶような叫びも響く。
「えっ、なにこれ。異常現象はカップルの夜遊びが原因じゃないの!?」
「そこです!」
ヒヨが指さした先で、天井の雨染みが蠢き黒い影が現れた。その中に苦悶する顔を見いだし志緒は背筋をゾッとさせ後退りしてしまう。
影が広がりながらジリジリと近寄ってくる。
「本物なの!? えっ、どうすれば! そうよリネア、リネアを呼ばないと」
「任せて下さい。テッサンリニスミナナリ!」
ヒヨが何事を唱えながら、逆手で拍手を打つ。たったそれだけだが、蠢く影の動きが硬直し止まってしまう。あっけない。
「はいどうぞ。動きを封じちゃいましたから、もう大丈夫ですよ」
「えっ? そんな簡単に終わってしまったの!?」
「志緒さんてば嫌ですね」
心持ち顔を上に向けヒヨは満面の笑みを見せる。ちょっと得意げだ。
「私ってば、こう見えても一文字ヒヨですよ。つまり一文字の名は伊達ではないのです。こんな生成りの悪魔なんて簡単に封じられますよ」
「そうよね、そう言えばヒヨさんって本職だったわね……」
どちらかと言えば、心細いので付いて来て貰ったというのが志緒の本音だったりする。普段の様子から、退魔師として頼りになるとは思ってもいなかった。
それが見事なまでの実力を示したものだから、感心すると共に少しショックを受けてもいる。つまり、自分が保護すべき相手ぐらいに思っていたのだ。
「それほどでもありませんよー、えへへっ。さあどうしましょうか、このまま消滅させちゃっても良いですけど。どうせなら、志緒さんのリネアに吸収させてはどうでしょう。異界の主になる一歩手前ぐらいのDPは保有してますよ」
「あらそうなの……じゃあ、お言葉に甘えさせて貰うわ。リネア召喚っと」
志緒は不器用な手つきでスマホを操作した。
画面から光の粒子が飛びだすと、床の上で中に赤と青の線がある半透明の塊に変わった。どこが顔かも分からぬ姿だが、明らかに志緒を見て嬉しげな様子になり、ノソノソと這い寄ってくる。
「待ちなさい。アレ、アレを倒すのよ」
動きを止めたリネアの表面が持ち上がり、振り向くように影の方を向いた。ゆらゆらと揺れ、志緒と影の両方を見比べどちらに行こうかと明らかに悩んでいる。
「早くなさい」
ややあって、半透明な身体がたわみ跳ね上がる。空中で投網のように身体を広げると影を包み込むように襲いかかった。
「うん、やっぱり健気で可愛いですよね」
「そ、そうかしら?」
どう見ても溶かしている光景とかはグロテスクだ。少しばかり見直した友人の横顔を見つめ、改めて相手を変わり者だと思ってしまった。
何にせよ命じられた任務があっさり完了し、ホッと安堵する志緒であった。
◆◆◆
「本当に助かったわ。なんてお礼を言えばいいのやら、ありがとうね」
スイーツ処にて志緒は改めて礼を述べる。
ちょうどオヤツ時間少し前に到着できたため、少し並ぶだけで席に着くことができた。もう少し遅ければ、外の行列に並んでいたであろうタイミングだ。
「そんなことないです、お役に立てて嬉しいですから。気にしないで下さいよ」
「親しき仲にも礼儀ありってやつよ。さあ、ここのお店のお勧めはパフェよ。色々種類があるから、好きなのを頼んで頂戴」
「ありがとうございます。うーん、どれにしようかな」
ヒヨはメニューに首ったけとなり悩みに悩む。
苦笑する志緒は店内を眺めやった。平日という事もあって女性客ばかりで、食事を終えてもお喋りに夢中だ。店の外には行列が出来ていようがお構いなしである。志緒もお喋りは好きだが、それはちょっとダメでしょと考えていた。
「決めました! 私はこの生姜パフェにします!」
「あら渋い味を選ぶわね」
「生姜が好きなんです」
童心に返ったような友人の顔に志緒は微笑み、軽く手を挙げ店員を呼んだ。
そしてお喋りをしだすが、周りは似たような喧噪で包まれているため気兼ねなく喋ることができる。そして職場の愚痴やら知り合いの噂話などに花を咲かせるのだが、聞く人が聞けばギョッとするような情報だったりする。
「こういったお店とか、あまり来ないのかしら?」
「私の家って厳しくて、外出もはばかられたぐらいですよ。だから今でも、お店に入るのが苦手なんです。洋風のお菓子とか凄い憧れだったんですよ」
「そうなの……いろいろと大変そうね」
「子供の頃から一文字の名を継ぐ候補として毎日修行ですし、周りもそう扱うから誰も遊んでくれないし……ええ、苦労しましたとも」
「大変だったわね。周りに、うちの弟みたいな子がいたら良かったでしょうに」
「噂のチャラ夫君ですか。面白そうな子でいいですよね」
たちまち志緒の顔が緩む。
「そうなのよ。明るくて元気で、あまり言えないけど自慢の可愛い弟なのよ」
「羨ましいですね、私も弟とか欲しかったです」
「小さい頃なんて、姉ちゃん姉ちゃんって後を付いて来て可愛かったわよ。あっ、今の話はもし弟に会っても内緒よ。あの子ってば、すぐ調子にのるんだから」
「分かりました、姉の威厳のためですよね」
そんな話で盛上がっていると、パフェが運ばれてくる。ヒヨは目を輝かせ、さっそく細く長いスプーンを慣れない様子で使い口へと運ぶ。
「んー、美味しいっ!」
頬に手をやり幸せ一杯の顔で目を細める。そんな姿に志緒も嬉しくなってしまう。やはり感覚を共有できる相手と一緒にいると楽しいものだ。
「良かったわ、人に紹介するのって初めてだから。喜んで貰えて嬉しいわ」
「最っ高です。そうだ、私のも食べてみませんか。この生姜味が、凄く美味しいんです!」
「そうね。ちょっと頂こうかしら」
てっきり器でシェアすると思っていた志緒だが、続くヒヨの行動に狼狽する。つまりスプーンですくい差し出すというものだ。
「はいどうぞ、アーンです」
周囲の若奥様集団が互いを小突きあい、ヒソヒソと話しだした。注目の的になった志緒の狼狽はさらに高まった。
「えっ、あのちょっとそれはその」
「どうしましたか? いりませんか?」
「そうじゃなくって、その食べさせ方って何のつもりかしら」
「ふぇっ、雑誌に載ってましたよ。カップルって、こうやって食べさせ合うものなんですよね」
その言葉にヒソヒソ声はさらに高まり、志緒の動揺もいや増すばかりだ。
「な、何を言っているの。私たち別にカップルじゃないでしょ」
「がーんっ、違うんですか。私、志緒さんのこと友達と思ってたのに」
「え……貴女もしかしてカップルを勘違いしてないかしら」
「ふぇっ? 勘違いですか」
その後、カップルとは何かを教えられたヒヨは恥ずかしさのあまり下を向き顔を真っ赤にしてしまう。それはそれで初々しい女の子の仕草であり、目の前でそんな事をされて志緒は大いに困ってしまった。
一文字を継ぐ者として厳しく育てられたヒヨ。
初めての友人に大喜びで終始楽しげに笑っている。距離感の分からないためか、志緒にベッタリだ。誰がどう見ても仲睦まじい様子であった。
「おお、ヒヨ様が喜んでおられる」
「善哉善哉」
こっそり外から様子を窺っていたヒヨの部下たちは互いの手を取り喜びあい、ハンカチで涙を拭うなどしていた。
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