閑38話 一文字ヒヨは子供っぽい

「可哀想なワンちゃんネコちゃんに! 貴方の寄付をお願いします!」

「「「お願いしまーす!」」」

 駅前の人が一番通る場所を塞ぎ、大学生ぐらいと思しき男女が声を張り上げている。足下の手作りの段ボール看板には子犬や子猫の写真が貼りつけられ、ファンシーな飾りと共に、『小さな命を救おう』と書かれていた。

 声を張りあげ、時折パフォーマンスやコントめいたことを行い注目を集めようとしていたが、足を止める者は皆無である。

 ただし純朴そうな顔立ちの事務服姿の女性が興味を引かれた様子で近づきシゲシゲ眺めだす。寄付を募ろうとした男女が取り囲もうとするものの、寸前でスーツ姿の女性が割って入り腕を取ると、その場から立ち去った。

 二人は駅前を離れ、賃貸マンションや民家が並ぶ区画へと到着する。ありきたりな町並みだ。軒先にポリバケツや発泡スチロール箱が無造作に出され、電柱に怪しげな勧誘の連絡先が張られ壁にはスプレーの落書きがあるなど、なんとも生活感と猥雑さを感じさせる。

「志緒さん、志緒さん。いつも思うのですけど、あんなことして効果あるんでしょうか」

「それって、もしかして今の募金活動のことかしら。どうしてかしら?」

「だって考えてみて下さいよ。あそこで一日立って呼びかけるよりもですよ、あの人数で働いてですね。それで得たお金の方が多いと思いませんか。あんなに声をあげても誰もお金を入れないじゃないですか」

「まあ確かに、ヒヨさんの言う通りではあるわね」

 スーツ姿の長谷部志緒は軽く困り顔となった。

 遠くから加速する電車の音が聞こえ、車の走行音が微かに響く。駅前に比べると、随分と静かだ。

 世の中には目的より手段にこそ意義を見だす人間がいるわけで。それをストレートに言ったところで理解され難い。どのように説明するべきか答えを探している。

 その間に、一文字ヒヨは子供っぽい仕草で頬に指をあて、目線を上にやりながら自分の考えを続けた。

「そもそも本当に救いたいと思う気持ちがあるならですよ、どうして他人のお金をあてにするのでしょうか。それって変ですよね。自分でお金を稼いで寄付した方が、ずっと尊く偉いと思うのです」

 ますます志緒は困った。世の中には、触れない方が良いことが沢山あるのだ。

「それはその……でも考えてみてちょうだい。ああやって活動することによって、世間に問題意識を訴えているのかもしれないわ」

 それは苦し紛れの言葉ではあったが、ヒヨは手をポンッと打ち合わせた。

「なるほど!」

 目を軽く見開かせ、おおっと声をあげ感心することしきりだ。

「言われてみるとそうですね。そんなことは、全然思いつきませんでしたよ。さすがは志緒さんです。凄いです」

 感心された志緒であったが、面映ゆい顔をする。適当に言って誤魔化しただけに、バツが悪いのだ。その罪悪感からか、もう少し言葉を足しておく。

「それに誰だって、一度自分の懐に入ったものを手放したくはないでしょ。それと同じことよ」

「あっ、それ何となく分かります。私だって貰う前のオニギリなら人に譲ってもいいですけど、貰った後だとあげたくないですから。でも志緒さんだったら、あげますけど」

「そ、そうなの。ありがとう」

 志緒は友人の答えに首をひねる。

――この子って変な子よね。

 素直で良い子だが、時々妙に変なことを言う時がある。とはいえ、ニコニコ笑う顔を見ていると世間知らず感が強いのだが。

「それよりですよ、もっと気になることがあるんですよ」

 ずずいっと顔を寄せ、ヒヨは真剣な顔をする。

「なんでワンちゃんネコちゃんなんでしょうか」

「はい? それはどういった意味かしら」

「犬はワンで鳴き声ですよね、それなのに猫はネコなんです。ワンちゃんニャーちゃん、もしくはイヌちゃんネコちゃんなら分かります。どうしてでしょうか」

 ヒヨは腕組みしながら一生懸命悩んで歩いている。

 果てしなくどうでもいい疑問に志緒は困りきって眉間に指をあててしまった。どこか自分の弟に類するような――つまりは手間のかかる――タイプに思える。

「……さ、さあ? 考えたこともなかったわ。貴女って目の付け所が凄いわね」

「いえいえ、それ程でも。昔は犬の鳴き声をビョウビョウと表現したそうなんです。だったらイヌちゃんよりは、ビョウちゃん辺りがありだと思いませんか」

「ビョウちゃんはどうかしらねえ、語呂が悪くないかしら」

 志緒は苦し紛れの返事をした。たまに突拍子もないことを言いだすことを除けば、良い友人だ。


◆◆◆


 志緒ヒヨのコンビは古びたビルに到着した。

 外壁は雨染みが生じ細かなヒビが入り、一部はコンクリートが剥離した跡もある。入口脇の電灯カバーは時代遅れのデザインで、しかも薄黄色に色褪せ割れていた。少し古い町の裏道に入ると見かけそうなビルだ。

 ヒヨは割れたガラス扉に張られた立入禁止の紙を眺めやる。ラミネート加工されているが、中まで水が染みており長いことその状態で放置されていると分かる。

「ここが目的の場所ですか」

「そうよ、ここを調査することになってるのよ。協力に感謝するわね」

 夜な夜な怪しげな物音が響き獣の唸り声が聞こえると、警察相談専用電話に相談があり、一般警官が見回りと確認を実施。その結果、内部で心霊事件要素に遭遇したとしてNATSに担当が回ってきたというわけだ。

「今更なんですけど、私なんかで良かったですか」

「もちろんよ。でもごめんなさいね。こんなこと頼める相手がいなくって。弟に頼んでも良かったけれど。ほら、姉の威厳ってものがあるでしょ」

 頼めそうな相手で最も頼りになりそうな相手は、以前に中古車買い取りに引っ張り出して以来、あまり相手にしてくれない。だから少し遠慮をした。もう一人二人に声はかけるアテはあるが、どちらも女子高生で呼び出すのは気が引けてしまう。

「ああ分かります、威厳って大事ですよね。私も部下に対する威厳が欲しいって思いますから」

「そ、そう……とにかく頼りにできる人は貴女しかいないのよ。お友達にこんなこと頼んでしまって気が引けるけれど、ごめんなさいね」

「お友達!」

 その言葉を呟きヒヨはうっとりして、両手を広げて回転までしてみせた。何度もお友達と繰り返し呟き、顔を緩ませている。

 一文字の名を継ぐ者として育てられ、周囲の者には敬語を使われ、畏れ敬われてしまう生活だったのだ。これで友達と呼べる相手が出来ようはずもない。

「さあ早いとこ中に入って用件を片付けてしまいましょう。その後で、美味しいスイーツのお店に案内するわ」

「はっ、スイーツ! ええ頑張りましょう!」

 ヒヨはたちまち我に返り、両手を握りしめ意気込んだ。そんな友人の姿に苦笑しながら志緒は入口の鍵を開けた。


 ビルの中は心持ち温度が低くカビ臭さと埃っぽさのある空気だった。床には何故か枯れ草や土埃りが薄く積もってもいる。どこかに穴があるのだろう。

 一段低い玄関横で据付棚に来客用スリッパが残されていた。

「スリッパどうしましょう、これ履きます?」

「このままでいいわよ。履いたらむしろ足が汚れそうよ」

「じゃあ靴のままですか。なんだか悪いことする気分になっちゃいます」

 土足で上がる志緒に続き、ヒヨはドキドキした様子であがりこんだ。

「はえー、薄暗いですよね」

「電気が止められて、明りは無理のようね。当然と言えば当然ね」

 少し行くと黒いソファーがあった。

 背もたれのない三人掛けで病院の待合室などでよくあるタイプだ。その周りに真新しい瓶と缶、包装紙などが辺りに散乱していた。

「あら空き瓶に空き缶ね。どうやら、ここで宴会を開いた悪い子がいるみたいね」

「そうみたいです。どこか別に入口があるのでしょうか」

「まったくもう。どうして不法侵入なんてするのかしらね。廃墟とか入って何が楽しいのかしら」

「本当にそうですよ。こんなに、いっぱいいる場所なのに……」

「いる? 何がいるのかしら」

 志緒の言葉に答えず、ヒヨは目敏く見つけた何かに興味を示した。

「あれ、これなんでしょうか」

 それはマットレスの横に転がる半透明の白っぽい物だ。

 それに、ヒヨは首を捻り訝しがる。しかし志緒は片眉をあげた。新人の頃にそれを何か知らず、現場検証で先輩に質問した恥ずかしい記憶がある。それが使われるような経験は今のところ皆無だ。

「なんですかこれ、萎んだ風船みたいですね」

 何も知らぬヒヨはトコトコ近寄り屈み込むと、あまつさえ摘み上げようとしている。大慌ての志緒が引っ掴んで止めてみせた。そして簡単な説明によって新たな知識を得てしまい顔を真っ赤にしてしまう。

「ふぇっ、もしかして夜中の物音とか唸り声って……」

「違うと信じたいわね」

 恋人のいない女二人は口を閉ざし、そそくさと、その場を離れた。


 二階へ上がる階段は板が打ちつけられ通れなくされていた。志緒はそれを引き剥がし、ぞんざいに放り出す。少しばかり不機嫌な様子でブツクサ文句を言う。

「まったくもう。どこに心霊事件要素があるのかしら。戻ったら最初担当した職員に文句を言ってやりたいわ」

「いえ、それは間違いではありませんよ。だって、いますから」

「えっ……も、もしかして。さっきから、いると言ってたのって……幽霊!?」

「いえいえ幽霊と言うより、これは残留思念みたいなものですね。勘が良い人が何か感じる程度でしょうか。もちろん私にはバッチリです」

 その言葉に志緒は恐ろしげに周囲を見回すものの、何も見つけられない。しかし、いると言われると不思議と何か存在する気がする。朽ちた木の板や錆びた鉄の塊、そんなものが転がった薄暗い廃墟。その空間自体が恐ろしくなってしまう。

 カサカサと音が響き、志緒は慌てて身構えた。

「ひっ! 何かいる! お化け!?」

「大丈夫ですよ。それは新聞紙が風で動いただけみたいですから」

「そ、そうなの良かった」

「ですよね。残留思念は志緒さんの後ろにいますから」

「えっ! 嘘でしょ! 本当に!? 嫌ぁっ!」

 志緒はヒヨにしがみつき悲鳴をあげた。

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