閑40話 酔拳の達人

 毎度思うが、飲み会はどうにも苦手だ。

 楽しく騒ぐにしても会話が続かないし、騒々しい事が嫌いなためだ。あとアルコールと煙草が苦手なのもあるが。できれば出たくない。出たくはないが……社会人である以上は避けては通れない飲み会も存在する。

 たとえば送別会など。

 異動する仲間と別れを惜しみ、次の場所での活躍を期待し応援する大切な会。そうした名目があれば出なければならない。

 実態が飲んで騒ぐだけだとしても。

「水田君は採用されましてから今日まで、我が事務所において多くのことを学ばれ立派な一人前として成長されました。将来はきっと世の為人の為に粉骨砕身、滅私奉公しながら頑張られることでしょう!」

 居酒屋の一室。幹事役をする高田係長が大きな声を張りあげるが、少し巫山戯も入っている。もう既にアルコールを摂取したためだ。

「ではでは、その水田君より皆さんに挨拶があります。さあ水田君は前に! ひと言どうぞ!」

「えっ!? 超マジですか。挨拶するとか超聞いてませんけど」

 指名された水田は驚き文句の声をあげた。

 いきなり新人に送別会の挨拶をさせ、そのシドロモドロさを楽しむ……そんな嫌な伝統があるのだ。亘は自分の時の事を思い出し、やるせない気分となった。

 水田は皆に促され、前へと押し出されてしまう。

 既に酒が入った足取りは少々覚束ないものだ。軽く頭をかいてみせるが、それでも物怖じすることもなく皆を見回している。

「えっと、今度異動する先でも超頑張ります。あっ、でも、初めての職場でお世話になった皆さんのことは永遠に忘れません。僕のハートに刻んで地獄の底まで持っていきまっすぅ! いえーいっ!」

 何だか凄く妙な挨拶だが、勢いとノリで言いきった。宴会の余興としては丁度いい感じだ。ゲラゲラとした笑いと拍手の中で、水田は何度も頭を下げている。

 やりおるな、と亘は感心したが少し面白くないのも事実だ。


 宴会場は喧噪に満ち、料理の臭いに煙草の煙が入り混じり、いい歳したオッサンたちが下らないノリで下ネタを連発し、セクシュアルな話題で大笑いをする。

 亘は隅っこで野菜を突く。

 宴会とはアルコールに煙草に油濃い料理と、『飲めぬ、吸えぬ、食べられぬ』が揃ったような状況だ。ただひたすらに時が過ぎるのを待つしかない。

「はい、注目注目! 宴たけなわでございます、宴たけなわ!」

 盛り上がる最中に高田係長が皆の前に立ち、頭上で手を叩いて注目を集めた。

「それではっ! ここらで一回締めさせて頂きましょう。はい、皆さん立って立って。おおっと、男性陣は別の部分を立てたらいけませんよ」

「下ネタ男の本領発揮ですな!」

「セクハラだぞ!」

 ゲラゲラと笑いがあがると、高田係長は腰を振る真似をして更なる笑いを取ろうとする。それに応え、助六もしくは病気の殿様スタイルでネクタイを頭に巻いた者が隣に行って肩を組み、一緒に踊りだす。

「…………」

 とりあえず亘は身を潜めておく事にした。

 あんなのに参加させられては最悪であるし、締めの挨拶を指名されたら最悪ではないか。だが幸いにして、高田係長が最後まで取り仕切ってくれる。

「それではーっ! 水田君の今後の活躍を祈願しましてーっ! 万歳三唱でぇいきましょおっ! 股を大きく開いて腰を落として、両手を下から上に持ち上げるようにー。あっ、そーれ万歳、万歳、万々歳! あーりがとーございましたー!」


◆◆◆


 飲み会が終わり解放の時……なんてこともない。

 なぜか居酒屋を出た場所で集結し、雑談なんぞしだすのだ。この時の立ち位置というものが重要であって、迂闊な場所に立てば二次会に向かうメンバーに捕まってしまうことだってある。

 今の亘のように。

「さあ五条先生、今日こそは絶対に逃がしませんよ。今夜は夜通し飲み明かしましょう!」

 酔っ払った高田係長に腕を掴まれてしまう。

「後輩の水田君の送別会ですよ。よもや嫌とは言いませんよね!」

「あー少し風邪気味なんで。喉の調子が悪いので……」

「それはいけない! さあアルコール消毒、五条先生の風邪を治すためアルコール消毒をせねば!」

 亘は逃げたいが、腕を掴まれ離してもらえない。

 そこに酔った水田がフラフラやって来れば、ゾンビに退路を断たれた気分だ。ヘッドショットで一撃必殺したくなる気分を堪えるばかりである。

「せんぱーい、一緒に飲みに行きましょうよ。先輩にはお世話になりましたから一緒じゃなきゃ嫌ですよ」

「よくぞ言いましたよ、水田君!」

 すっかり酔った高田係長が水田の肩を抱き寄せる。ただし、もう片方の手ではしっかと亘を掴んだままで逃がしてくれやしない。なかなかに抜け目がない。

「ようし! こうなったら水田君の異動祝いだ。可愛いお姉ちゃんがいる店にご案内しましょう。女房がなんだ、おじさんは可愛いお姉ちゃんにお酌してぽっちいのぉ!」

「超マジですか! 奢りですか!」

「そらもう。独身でお金があり余った五条先生が奢ってくれますよ。いよっ、大先生の太っ腹なとこ見てみたい!」

「いやっふー!」

 二匹の酔っ払いに絡まれ亘は大弱りだ。

 可愛いお姉ちゃんのいる店などと言うが、化粧臭い女性に囲まれ甲高い声を聞かされるだけだ。それならアパートに帰り、神楽とサキにお酌させて飲んだ方が百倍も良い。もしくは、七海を呼べば万倍も良い。

「そんな奢りなんて言われても困りますよ」

「じゃあ割り勘ならいいですね。はい決定。さあ行きましょう、可愛い後輩の水田君の門出を祝って飲み明かしましょう」

 やられたと思う。

 まず最初に大きな要求をぶつけ、次に自分が引いてみせながら本来の要求を通す。交渉事の基本テクニックだ。酔っているくせに、なかなかやるではないか。

 亘は腕を掴まれ引きずられ、何かアクシデントでも起きないかと天に祈るしかなかった。

 その願いは――叶えられた。

 ふらふら歩く高田係長が通りすがりの若者と接触したのだ。軽く肩が当たった程度だが、相手も酒が入っていたからか。もしくは元からか好戦的なのか難癖をつけてくれたのだ。亘は内心、快哉を叫んでいた。

「なんなのオッサン。喧嘩売ってんの。やるの、やるならやっちゃうよ」

 歯を剥き威嚇するが、ゾロゾロと仲間らしき連中が集まり周りを囲んでしまう。

 当の本人である高田係長はボケッとするばかり。水田は横で屈み込んでえづいている。

 逃げるつもりの亘であったが、この状態の二人を置いていくのは流石に気が引けてしまう。警察に通報しようとスマホを取り出しかけると、その腕を高田係長に掴まれてしまう。

「今こそ五条先生の自慢の刀が活躍する時です。さあ、ぶった斬ってなますにしちゃってください」

「嫌ですよ。人を犯罪者にさせようとしないで下さいよ」

「ケチですねえ。分かりました、ここは私がなんとかしましょう!」

 高田係長はもたつきながら上着を脱ぎ捨てた。さらに拳を構えファイティングポーズを取ると、掌を上に向け人差し指を招くように動かす。きっと若かりし頃に見た映画の影響に違いない。

「こう見えて若い頃は空手をやっていたんですよ。グラップラータカちゃんといえば、近所じゃあ泣く子も黙る悪だったもんです。アチョー!」

 へっぴり腰で踊るような動きに、絡んできた若者の間から失笑があがる。亘も同じ気分で、若者たちに同調しながら頷いていた。

「このオッサン、バッカじゃねえの」

 近寄った相手が笑いながら高田係長の腹を――たらふくアルコールを飲んだ酔っ払いの腹を――小突いてしまう。げっ、と亘は瞬時に後方へと飛び退いた。それは驚くべき反応速度だ。

 惨劇というものは、起こるべきして起こる。

「おげっ」

 マーライオンの渾名を持つ高田係長の目が見開かれ口がすぼめられる。そして目の前で顔をねめつけていた若者へと汚い噴水が吐き出された。

 名状し難い嫌な音とビチャビチャと液体の当たる音が響き、そして悲鳴は一瞬遅れ発生した。

「うぎゃーっ!」

 辺りに漂うのは酸っぱい胃液とアルコールの臭い。宴会で食べた料理の数々が液体とともに若者を汚染していく。酸っぱいのか、目を必死で拭っているではないか。見ている方が気の毒になってしまう。

「殺す、絶対殺す!」

「ぐぁっ」

 怒りに燃えた若者に突き飛ばされ、高田係長は地面に転がり寝ゲロ状態で気絶してしまった。それでも怒りは止まらず、足蹴にし踏みつけている。

 亘が傍観するのは、彼には怒る権利があると思うからだ。

 だが水田はそうではなかった。

「お前等止めろ」

「知るか、このクソが。やるってんのか」

「これから可愛いお姉さんのいる店で奢って貰うんだ!」

「馬鹿?」

 たちまち水田も捕らえられ殴られてしまう。

「うーむ。この隙に見捨てて逃げてもいいが、さすがにそれは人としてどうかと思うんだよな」

 亘は腕組みしながら冷静に呟く。

 殴られた水田も高田係長もグッタリして倒れている。これを置いて去るのは人としてどうか……だけではなく、尻尾を巻いて逃げるようではないか。

 そして相手も逃がすつもりはないらしい。

「そこのおっさんも無事で帰れると思うなよ。ここらは滅多に人が来ない。助けなんて期待すんな」

「へえ……それは良いことを聞いた」

 亘の目が凶暴な色を帯びていく。

「んだよ、このおっさんが。睨んでんじゃねえぞ、ごらぁ!」

 相手の一人が向かってくる。

 しかし、その動きのなんと遅いことか。軽く身を引きながら拳を避け、逆に顎先を横から掠めるように打っておく。相手は白眼を剥き回転しながら倒れた。なんとたわいのない。

「てめぇっ!」

 倒れた仲間の姿に別の若者が激昂し殴りかかってくる。

 だが受け止めた拳のなんと軽いことか。握りしめたまま、押してまた引いてやる。それでバランスを崩したところを捻る。人体が嘘のように一回転し背中から地面に叩き付けられた。

 昔に習った無手技だが、久しぶりのため殆ど力任せだ。


 実を言えば亘もアルコールを多少なり口にしていた。寝ない程度にセーブしていたが、ちょっと酔っている。

 そしてストレスも溜まって暴れたい気分でもある。相手の怯える姿が楽しい。

 驚き固まる若者たちへと大股で歩み寄ると、身構えた相手の膝をローキックで蹴りつけた。何気ない動きのそれは、身構えていた相手にとっても完全な不意打ちとなる。構えが解けたところを喉輪を掴んで引き倒し踏みつける。

「脆いなぁ。これじゃあ餓鬼の方がマシだ」

 楽しげに笑う内にエスカレートしていく。

 逃げようとした相手の後ろ髪を掴み、側頭部を殴る。膝裏を踏みつけるように蹴って倒れたところでトドメを刺すべく足をあげ――だが、鋭い声が亘を止めた。

「マスター、ダメ! それ以上やったら死んじゃうよ!」

 ポケットの中から神楽が勝手に出てきていた。先程、スマホを構った時に気付いたのかもしれない。

「んもうっ。変な感じがしたと思ったらさ、何やってんのさ」

「そうだな……食後の軽い運動とか?」

「何言ってんのさ。あーもう、お酒飲んだでしょ。こんな事しちゃってさ」

 神楽の言葉によって亘は改めて周囲を見回した。

 高田係長と水田は気絶して横たわるのは良いとして、若者たち全員が呻き声をあげ倒れている。冷静になってくると拙い状況だと思えてきた。

 正当防衛どころか過剰防衛ではないか。

「……逃げるか」

 とりあえず後輩の水田だけは面倒を見ることにして――というか、寝ゲロのおっさんなど触りたくもない――逃げ出す。

 自分が異界の外でも思ったより動けること、人間相手になんの躊躇いなく攻撃できたことに驚いてしまう。なにより、痛みを感じる相手の様子が楽しかった。

「やはり酒は飲むべきではないな、うん」

「そだよ。マスターってば倒すなら悪魔だけにしなきゃだよ」

「へいへい」

 すたこらさっさ、と逃げだし水田は適当なベンチに寝かせておく。全員のケガは神楽に治させてあるので、後は風邪を引くかどうかの問題だ。

 だが、それは自己責任というものだろう。


 亘が去ってしばらくして、呻きをあげ目を覚ましたのは高田係長であった。

 酔っている間のことをすっかり忘れるタイプのため、何故自分がここにいるのか。そして何故周囲に人が倒れているのかも分からない。

 キョトンとしていたが、ややあって驚きの声をあげる。

「はっ! まさかこれを私が!? いつの間にこんなことを! これはまさか……私は酔拳の達人だったのか」

 状況から何があったかを察しつつ、勝手な解釈をしている。

 これ以降、高田係長の自分語りに酔拳を駆使しヤクザの群れを千切っては投げ千切っては投げの話が加わるのであった。

 アルコールを飲むべきでない人間は、案外と多くいるようだ。

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