閑41話 未来を感じさせる
ある日、異界の討伐を終えて。
信号が青へと変わると、亘は同乗者を気遣いアクセルを優しく踏み込んだ。加速する車は片側二車線の国道から右折する。
そこから先は片側一車線の市道であった。余裕を持って取られた路肩に幅広の歩道だ。アスファルトは黒々として白線も鮮明で目にも新しい。
隣に好きな女の子を乗せていれば、もうそれだけで世界は輝いている。
助手席の七海も弾んだ声だ。
「エルちゃんから聞いたのですけど。ある人が犬を懐かせようと考えて、とんでもないことをしたそうです。それ、どんなことだと思いますか?」
とても嬉しげで明るい様子であった。それに応えるべく、亘もいつもより冗談めかした雰囲気をとり、握ったハンドルを人差し指を叩いてみせた。
「そりゃ難しいな。とんでもないことか……美味いものを食べさせるか、撫でるか。それぐらいしか思いつかないな」
なおそれは、亘が自分の従魔の機嫌を取る方法だ。優しい七海は気付いても小さく笑うに留めている。
「答えは……なんと散歩の途中で犬を川に投げ込んだのです」
「そりゃ普通に動物虐待だな」
「ですよね」
「あれ、でも懐かせるつもりじゃなかったのか?」
「何でも危ない目に遭わせて、そこを助ければ懐くと思ったらしいのですよ。でもですね、溺れかけた犬に余計嫌われてしまったそうなんですよ」
「愚かな。そりゃ当然ってものだな」
道路脇にはマンションや戸建て住宅、あと幾つかの店舗が存在する。いずれも建てられたばかりといった様子で建築様式も現代的で塗装の色も真新しい。植栽された木々もまだ細く若々しいものだ。
砂利敷きの更地が点在し、きっとこれから更に建物が増える未来を感じさせる。そんな土地であった。
「なんとも気の毒な話だな。もちろん、犬に対してだが」
「ふふっ、でも安心して下さい。その犬は別の家に貰われて、その家族にとっても懐いたそうなんです」
「なるほど、まさに危機を救ってくれた恩人に懐いたってわけか」
車内に穏やかな笑いが満ちた。
前方の信号が赤に変わり、ゆっくりとブレーキを踏む。全く衝撃を感じさせない滑らかさで停止した。目の前の横断歩道を数人の子供が駆け抜けていく。楽しげな声が車内まで聞こえてくるほど元気良い。
七海が少し先にある建物を指差し言った。
「あそこが私の家です」
落ちついた雰囲気の黒白茶で色合いがまとまった和モダンな建物。看板は一つ設置されただけで、『花』の一文字のみだ。他に宣伝や広告めいたものはない。並べられた植物は花よりも観葉植物系が多く、全体的に地味な外見であった。
だが、素晴らしく亘の好みと合致している。
「うん、良い感じの素敵なお店じゃないか」
「よく花屋らしくないって言われるので、そう言って貰えると嬉しいです。どうでしょうか、五条さんから見て、もう少し派手にした方が良いと思いますか?」
「いや、今のままがいいのではないか。そもそも、店先の旗とか派手な看板が嫌いな性格なんでな。落ちついた雰囲気でいいと思うよ」
お店となると、何故か原色めいた旗にど派手な看板でやたらと存在を主張するばかりだ。確かに目立ってなんぼの世界だろうが、なんと言うかセンスがない。それよりも、さり気なく看板があって周囲の景観に溶け込んだ雰囲気が亘の好みだ。
「固定客がいるなら、無理に変える必要はないと思うな」
「そう言って貰えると嬉しいですね。私もお母さんも、これが好みなんですけど。人からは、けっこう否定的と言いますか……ダメ出しされることが多くって。ちょっと自信がなくなっていたところですよ。ええ、実際に経営も苦しいですし」
七海は軽く額を押さえ、やや気づかわしい様子だ。
誰かに言われた否定意見が事実と相まって堪えているらしい。
「……人の意見は否定が多いからな」
亘は眉を寄せ、信号の変化に伴い車を発進させた。
◆◆◆
店内に入ると思わず深呼吸してしまう。
空気は植物が放つ青々とした香りに満ち、適度な湿気を含んだもので心地よい。数度繰り返すと感覚が慣れてくるが、頭がスッキリする爽やかさはそのままだ。
一緒に来た七海は荷物を置くため直接自宅側に回っている。
車の横で所在なくまごつく姿は情けないため、思い切って店の中に入ったのだが、亘はやや緊張気味だ。なにせ七海の母親がいるのだから当然だろう。
娘さんとお付き合いしています、と同い年という女性に言ったらどうなるか……想像さえ出来ない。
何事も第一印象が大事なので背筋を伸ばし挙動不審にならぬよう店内を見回す。
「うん、良い感じだ」
本音で呟く。
店の外と同じく観葉植物系が多い。どこか森の中にいるような気にもなり落ち着ける雰囲気だ。目が場所に慣れてくると、さりげなく吊された植物や素焼きの小物など発見でき、展示の仕方にセンスの良さを感じさせた。
あとは綺麗な和柄の布や鋳物による小物、お香や香立てなど女性らしい繊細さと可愛らしさを感じさせる商品も売られていた。
だが誰もいない。
「ん?」
不用心さに呆れそうになったところで、レジカウンターで居眠りする少女の姿を発見した。あまりにも堂々と寝ているため、むしろ見落としてしまったぐらいだ。
少年めいた髪型で無防備にグースカ寝ているが、無地の白シャツの背中にはブラジャーの線が浮き出ている。うなじ辺りで蝶結びされるのはエプロンのようだ。
見ればお金を入れるトレイには、お札とコインの両方が置かれている。想像するに、きっと心ある客が置いていったに違いない。
――こいつ本当に忍者か?
その寝顔ときたら幸せに満ちており、起こすには忍びない気になってしまうぐらいだ。思わず眺めていると、奥の扉から七海が現れた。
亘に声をかけようとして視線を辿り、居眠りするイツキの姿にすぐ気づく。それで苦笑混じりの息をついた。
その様子からすると、いつものことなのだろう。
「イツキちゃん起きなさい。居眠りはダメですよ」
そっと優しく肩を揺すられイツキはガバッと身を起こす。
「んあっ? ナナゴン!?」
「また変な呼び名を……」
「俺は寝てないんだぞ。俺は起きてるぞ」
「顔に線をつけて言っても説得力がありませんよ。ほら、五条さんも来てますから、ちゃんとしましょうね」
「えっ!? あっ本当だ、小父さんだ。なんで、どうしてここに? いてっ」
七海の軽いチョップが教育的指導として放たれる。
「ところで、お母さんはどこですか。配達に行きましたか?」
「……聞いたけど寝たら忘れた。ごめんよ」
「仕方ありませんね」
そして、七海は笑顔のままトレイを指さす。
「イツキちゃん、そのお金はどうしましたか?」
「むむっ」
唸ったイツキは素早く店内を見回した。
「えーっと……てらんじあ何とかキャンディだっけ、それのお金なんだぞ」
商品の並びを確認し、そこから減っている商品とお金とを素早く比較し答えを導き出したらしい。素晴らしい能力だが、居眠りしていた事実が全てを台無しとしている。
「はい、ティランジアコットンですね。どうしてキャンディですか」
「そりゃ美味しいからだぜ」
「お客さんに迷惑かけたらダメじゃないですか」
「ごめんよ。次から出来るだけ気を付けるかんな」
あまり反省の色は見られない。
「イツキが迷惑かけてるようで、すまんな」
代わりに亘が謝るのは道義的責任があるためだ。
なにせ居候の原因は亘にある。テガイの里からやってきた少女を自分のアパートに置くわけにもいかず、何だかんだと言っている間に七海の家が引き取ってくれているのだ。少し押しつけてしまったような気がして申し訳なく思ってしまう。
「五条さんが謝ることないですよ。家の中が賑やかになって楽しいですし、力作業とか手伝ってくれて助かってます。」
「まったくだぜ、俺も役に立ってんだからな」
「そこは謙遜してみせた方がいいと思うのだがな。アルバイト代まで貰って食費に迷惑かけてないだろうな」
「大丈夫だぜ。その点については完璧なんだぞ」
イツキは鼻の下を擦りながら顎をあげた。それは得意そうな様子である。
「完璧の用法が絶対に違うと思うのだがな。本当に迷惑かけてないだろうな?」
「あっ、その点については実際に助かっているのですよ」
応えてくれたのは七海だ。
テガイの里から毎月のように米やら野菜が届けられ、偶に肉もあるそうだ。それらが気付けば家の勝手口に置いてあるそうで、食費の面では助かっているらしい。
確かにそれであれば食費問題は起きてないだろう。
「なるほどな」
呟いた亘は軽く辺りを見回す。
「せっかくなんで苔玉を一つ頂こうか」
折角来たので何かを買おうという気持ちでもあるし、なかなか好みの品が揃っているという事実もある。けれど財布を取り出した亘に七海が遠慮する。
「いいですよ、差し上げますから。いつもお世話になってるお礼です」
「親しき仲にも礼儀あり、ってのは用法が違うかな? でも、まあそんな感じだ。それに、この苔玉につけられた値段とは、ここに至る迄の全ての価値を含んだものだろう。であれば正当な金額を支払うべきものだと思うんだ」
「そうですね、すいません」
「というわけで、そこの店員さん。お願いできますか」
「任せろ。もう俺は完璧なんだぜ。ええっとな、八百五十円になります」
言うだけあって対応はそれなりに様となっている。
白のビニール袋に商品の苔玉を入れ、持ちやすいように上を巻き付ける仕草も手慣れたものだ。どうやら居候生活でも役に立っているようで安心する。
「お釣りは百五十円だから、銀色の穴なしと穴ありが一枚ずつだぜ」
やっぱりちょっと不安だ。
「よし、じゃあ買ったところで帰るとするかな」
「すみません。お母さんに紹介したかったのですが……」
「また会う機会もたっぷりあるさ」
「そうですよね」
亘は軽く手をあげ、クールな素振りで去る。ただし実態は欠片もクールではなく、内心では七海の母親に会う勇気が無いだけであった。
「この苔玉君は、神楽に任せよう。あいつ世話好きだからな、丁度良い」
白ビニールに入った苔玉を助手席にそっと置き、外まで見送りに来た二人の少女に手を振り亘は車を発進させるのであった。
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