閑58話 心地の良さと共に眠りに落ちて

 NATSに所属する亘は他の者に比べ恵まれている。

 シャワー付きの個室が与えられ、さらには食事も多めに用意される。最前線にて危険に身をさらすので当然の権利だ……と思う人間ではないが、しかし厚遇を捨て去るほどの人間でもない。

 辺りは薄暗く夜の気配が漂う。

 今や殆どの者は悪魔を恐れ、夜になると出歩かなくなっている。そのため、多数の避難者がいるにも関わらず、辺りに人影は殆んどない。

 しかし亘にとっては夜道だろうが関係なかった。むしろ悪魔の方が逃げて行く。

「すいません、お風呂について聞きたいのですが」

 訪れたのは防衛隊の提供する仮設風呂だ。

 仮設とはいえどテントではなく、柱や壁などで出来た建物となる。避難者の手に職ある人々と防衛隊が協力し、生活環境の改善として行っている一つであった。

 入り口付近にテーブルがあり、まだ若い隊員が受付をしていた。

「どうぞ。利用するのでしたら、今の時間は男の湯になってますよ」

「時間帯で違うのです?」

「そうですね、そのうち男女別の風呂場を建てる予定ですけど」

「なるほど。それでなんですけど、この風呂を貸し切ったりできます?」

 亘が尋ねると、若い隊員は変人クレーマーでも見るような目をした。

 この状況下でそんな事ができるはずもないので当然と言えば当然だ。もちろん亘もそんな事は理解している。

 そもそも仮設風呂に来た理由の一つは、神楽とサキに洗ってやると約束したからで、その下見なのである。さりとて両者を連れて男湯に入る気は皆無なため、結果として貸し切りが出来やしないか念の為に聞いたのであった。

「いえ、まあ冗談ですよ」

「そうですか」

「とりあえず入ってもいいです?」

「どうぞ」

 若い隊員の態度は硬く言葉少ない。完全に不審者を警戒する態度であった。


 亘は己の失敗を欺瞞するように頭を掻き、三段の階段をあがり三重になった暖簾をくぐり仮設風呂の中に立ち入った。

 そこは脱衣所となってしかも意外に広い。

 足元は木板がはられ使い込まれたマットが敷かれている。少し換気が悪く蒸し暑かった。ちょっとした銭湯ぐらいの広さがあって、ロッカーの数からすると一度に四十、五十人程度は利用出来そうだった。

「風呂に入るか」

 ここに来た理由の、もう一つは自分が入るためでもある。

 実家を出てからシャワーばかりで湯に入っていない。しかし風呂というものは魂の癒やしであり、心身を解し蓄積された疲れから解放してくれる素晴らしきもの。米食がDNAに刻まれると言うならば、入浴もまた同じに違いない。

 そんなわけで、足を伸ばして湯に入りたかったのだ。

「んっ……?」

 だが、適当に選んだロッカーは開かない。

 その隣も開かない。その隣も隣も隣も隣も同じ、どれも鍵がかかっている。満員ではなさそうだが、しかし鍵が必要なら入り口の隊員が何か言うはず。それがなかったのであれば、鍵を必要としない利用方法があるに違いない。

 悩んでいると、男が湯からあがってきた。

 男はキーバンドを外しロッカーを開けだしており、亘は意を決し話しかけた。

「すいません。そこ終わったら使わせて貰ってもいいですか?」

「はぁ? 何言ってんだ、お前は。頭おかしいんじゃねぇの」

 吐き捨てるように言われ、亘はムカッとしたが、それを表情に出す事はなかった。この程度で反応していては社会ではやっていけない。むしろ逆に申し訳なさそうに微笑み頭を下げるぐらいはせねばならないのだ。

「すいませんね。利用方法が分からなくて」

「はぁ? 普通そんなもん聞いてから入るんじゃないの」

「そうですかね」

「ばっかじゃねぇの」

 鼻で笑った男はロッカーを叩き付けるように閉め鍵をかけ脱衣所を出て行った。この不安な状況下で苛立っていることは分かるが、それにしても喧嘩腰すぎる。

 すっかり風呂に入る気も失せ、亘は自分の部屋に戻る事にした。


◆◆◆


「ねえマスター、お風呂どーだった?」

 部屋に入るなり神楽が飛んでくる。

 両手を握ってわくわくした様子だ。しかし、亘が答えるより先にペタペタ触って匂いを嗅ぎ、あまつさえひと舐めまでしている。

「マスターの味が強いし匂いがするし肌も潤ってない」

 それだけ聞くと亘に潤いがなく、臭って味がキツいような感じだ。

「お風呂入ってないね。もしかして混んでたの?」

「いや入る気が失せた」

「そなの? マスターってばお風呂楽しみにしてたのにさ。どしたのさ」

「別に」

 事情を話せば、仮設風呂が破壊されそうな気がしたので黙っておく。神楽とサキの性格からして間違いなくやるはずなので、賢明な判断に違いない。

「風呂はあんまり良くなさそうだ。やっぱりシャワーでいいか」

 神楽とサキに尋ねると、あっさり頷かれた。

「ボクそれでいいよ」

「んっ、問題ない」

 亘は自分の徒労を知った。

「なんだよ、風呂と騒いでたくせに。じゃあシャワーでいいな」

 部屋付きのシャワー室は必要最低限の簡素なものでかなり狭い。縦長の姿見があって、その下に水栓がある。そこから右側に延びたホースの先にシャワーヘッドがあり、左に置き棚が二つ上下に並ぶ。壁や床、そして風呂用のイスとオケも白いプラスチック製だ。使い込まれて細かな傷があって色褪せもしている。

 一人で使っても狭いスペースだが、そこにサキまで入るのでいっそう狭い。神楽はサイズ的に影響はないが、それでも数が増えると気分的に狭さを感じてしまう。

「ほれ入れ入れ」

 洗面場と一体化した脱衣所で押し合いながら服を脱ぎ、亘は腰にタオルを巻いて洗い場に入った。薄明るい暖色系照明の下で先に入ったサキが待っている。以前は風呂を嫌がっていたわりに、今はそんな様子は少しもない。

「ほら、あっち向け」

 亘がイスに座ると、サキと同じぐらいの高さだ。

「ちょっとどいてくれ」

 サキを軽く押しのけ、その肩越しに伸ばした手でシャワーヘッドを取り、水栓で湯の調整する。とたんに勢い良く噴き出た水が壁に当たって跳ね返り、その冷たさに驚いたサキが手元に飛び込んできた。

「冷た!」

「悪い、湯が出るまでもう少し……こんなものか。どうだ」

「熱い」

「そうか、もう少し水を増やす」

「温い」

「こやつ文句が多いな。誰に似たのやら」

 言いながら、亘は小まめに温度を調整していく。これが自分のアパートであればガス代を考え手早くやるところだが、今はゆっくりたっぷり使っている。

「マスターだって、ボク思うけど」

「何を言うか。そもそも、そんなに文句とか愚痴は言ってないだろ」

「…………」

「何で黙るんだよ、失礼な奴だな」

 ぶつくさ言う亘を、神楽は呆れた様子で眺めている。湯煙の向こうで、置き棚の上に腰掛け姿は非現実的であり、何か物語に出て来そうな綺麗な光景であった。


 亘はサキの頭からシャワーの湯をかけた。

「ほれ目をつぶれ、いくぞ」

 充分お湯をかけた後は目に染みる薬剤を使う。長い髪が泡まみれになったところで、再びお湯責め。続けて体中を泡まみれにしてやってゴシゴシする。

 三度お湯攻めをすると、サキは疲れきって、へにゃっと座り込んでしまった。

「次は二番でお待ちの神楽さん、どうぞ」

「はーい」

 すかさず神楽が身軽な動きでサキの頭に着地する。

 お湯を浴びせるまでは同じだが、泡を載せた手で掴み上下に擦っていく。そうすると手の中の感触が心地良い。何度もやっていると、気付けば神楽は泡の中に埋もれていた。

「おっと、マズい」

 急いでシャワーを浴びせると、神楽は四つん這いになって苦しそうに息をした。そのまま、キッと振り向き非難の眼差しをする。それで亘が目を逸らすしかないのは、何と言うべきかお尻が向けられているからで、つまりそういう事だ。

「ちょっとさ、なんかさ、今の酷くない!?」

「……洗ったのに文句言うなよ」

「マスターはもっとボクに対して優しく扱うべきだってボク思うよ」

「そらどーも、すいませんね」

「んもうっ、痛いんだよ」

 亘の雑な対応に神楽は頬を膨らませ、その痛くなった部分を下から持ち上げるように押さえ労っている。

 そんなシャワーの時間が終わると、今度はタオルで全身を押さえ付けてやる。さらに轟音をたてる道具で熱風を浴びせてやった後は、事前に用意しておいた腹を冷やしそうな冷たいものを飲ませる。すっかり満足した神楽とサキは、うつらうつらと眠たげになり、後はベッドに放り込み寝るまで監視。

「やれやれ」

 それから亘はシャワー室に戻った。

 もちろん掃除と手入れのためだ。

 壁や床を水を使って流し、雑巾で水気を拭き取りながら擦っていく。特に目地部分は念入りに拭き取り、排水孔に残った水を押しやる。それから窓を軽く開け換気。

 一人暮らしの習性で、カビ対策の風呂掃除だ。

「こんなところで寝るか」

 ようやくベッドに潜り込むと、もぞもぞ動く神楽とサキにまみれながら微睡みだす。今日も一日いろいろあって不愉快なことも面倒な事もあった。だがしかし、熱いぐらいの体温を感じていると、どうでも良い気がしてくる。

 心地の良さと共に眠りに落ちていき、一日が終わった。

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