第244話 でも中身は何も変わらない

 大型悪魔の顔面に爆発の炎が咲く。

 思わず歓声と口笛が吹き鳴らされ、しかしそれは大人たちだけで少年二人の顔は引きつったままだ。二人は知っているのだ――異界の主を倒せる程度の爆発がどれ程かを。

 かつて助けてくれた小さな恐い悪魔の魔法攻撃の威力は、もっと凄かった。

「逃げて、そこから逃げて! 早く!」

 少年の叫びは遅かった。煙が収り大型悪魔の平然とした顔が現れる。多少の出血はあったが、大した効果はない。

「そんな、嘘だろ……」

 もう何発か無反動砲を命中させる事が出来れば倒せるかもしれぬが、今はそれだけの火力が存在しない。絶望した大人たちから呻き声があがる。

 一方で大型悪魔は小癪な人間に対し怒りを覚えたのか、凄まじい咆吼をあげた。その声のみで、残っていたガラスが振動で割れていく。落下するガラス片に潜んでいた隊員たちは傷を負い、接近する小型悪魔との戦いも押されていく。

「アオラ攻撃しろ。皆を護るんだ!」

 少年たちは物陰から飛び出すと、呆然としている大人に二人がかりで飛びついた。その勢いで転倒した頭上を、風圧と共に大型悪魔の巨腕が通過していく。

 だが、次が続かない。

 重なり合って倒れる三人は振り上げられる大きな拳を見上げる。アパートを半壊させた威力の一撃。それを受ければ、人の身体などトマトのように弾け煎餅のように平らにされるだろう。

 それぞれが悲鳴をあげ迫る恐怖に目を閉ざす。

 ズシンッと地響きが響いた。

「あ、あれっ」

「もしかして生きてる?」

「何が起きた?」

 そんなことを考えながら、そっと目を開いてみた。

 三人とも自分の見ているものが分からなかった。視界が遮るそれが背広を着た男の後ろ姿と気付くまで時間がかかる。その前で大型悪魔の拳が止まっている――いや、その男は巨大な拳を受け止めていた。

 まるで信じられない光景だ。

「もしかして、この人って……」

「あの時の!? って事は、小さい恐い悪魔も近くにいる!」

 声をあげる少年二人とは別に、大人は信じられない光景に呆然としている。そして大型悪魔に小型悪魔さえも全てが動きを止めていた。目の前の男から、何か恐ろしいまでの迫力を感じ――それは畏怖だ。

 静まり返った場で、男は振り向きもしない。

「動けるなら向こうに逃げてくれ。これからちょっと暴れるから……」

 その声は妙に静かで、まるで気落ちしているぐらいのものであった。


◆◆◆


 亘は走りながら連続する銃声を聞いた。

 目を凝らせば戦う防衛隊員の姿が見える。ギリギリ人の顔が見分けられるぐらい離れた向こうで装甲車や車両が並べられ、そこで悪魔どもの進行を食い止めているらしい。

 その彼らの背後――ずっと先では大勢の人が大型バスに乗り込もうとする様子が見て取れた。つまり、どうやら避難する人を守るため戦っているらしい。

「…………」

 目の前の人たちだけではない。最期を看取った相手も、命を賭して子供を護ろうとした。何故彼らは戦うのか、戦えるのか。分からない。身近な大切な人を守るためならともかく、見ず知らずの他人の為にどうして命を懸けられるのだろうか。

 亘は走りながら悩む。

 もしかすると、自分が異常なのだろうかと。心に大事な何かが欠けているからこそ、他の人の行動が理解できないのかもしれない。不完全な人間だからこそ、これまで人間関係が上手くいかなかったではないか。

 それでも最近は変化があった。

 好きと言ってくれる相手が現れ、友達と呼べる相手も現れた。信用し信頼出来る相手も増えていき、少しずつ自信が持てるようになってきた。

 だからこそ恐い。

 もし自分が異常で不完全なのだとしたら、それを知られ嫌われてしまうのではないか。手に入れたからこそ、失うことの恐さがある。

 それが苛立ちを引き起こしストレスを生み出す。

「お前ら邪魔だっ!」

 肉の塊のような不定形を跳ね飛ばし、硬そうな甲羅を持つ亀の悪魔を踏みつけ跳躍する。そのまま何体もの悪魔の頭上を飛び越え、今まさに振り下ろされた異界の主の豪腕が叩き潰そうとしていた防衛隊員と子供たちの前へと割って入る。

――ズシンッ。

 重い一撃を足を踏ん張り片手ひとつで受け止めてやる。

 少し痛いが、それだけだ。

 ふと、最初に遭遇した異界の主である餓者髑髏との戦いを思い出す。あの時は叩き潰されかけ死にかけた。思えば随分と昔のことに思え、また随分と強くなった。

 でも中身は何も変わらない。

 情けないほど変わらない。

 悲しいほど変わらない。

 全ての行動は自分のため。七海の家族を助けに行ったのも、七海に嫌われたくないがため。しかも途中で自分の欲望を優先させ博物館に寄りもした。瀕死の隊員の頼みを聞いたのも、自分の寝覚めが悪くなるからだけ。

 一生懸命な皆と比較して、なんて駄目な人間なのだろうか。

 背後で戸惑ったような声がする。

 だが亘は振り返らない。今ここで、防衛隊員の顔を見ることが恐ろしかった。きっと相手は立派な顔をしているに違いない。決意と勇気をもった顔なんて見てしまったら、きっとますます自分を卑下していまうだろう。

 背を向けたまま言い放っておく。

「動けるなら向こうに逃げてくれ。これからちょっと暴れるから……」

 この良く分らない感情を発散する対象は目の前にいる。

 全ての苛立ちをぶつけるには手頃な頑丈そうな相手だ。やはりストレスは悪魔で発散すべきだろう。間違いない。

 これまでもそうしてきた。だから、今度もそうする。

 亘は笑いさえ浮かべながら前に出た。巨大な身体が恐れるように身を引くのは、彼我の力量差だけではないかもしれない。

 気負いもせず、ただ近づきながらジッと見つめる。

 異界の主としてなら、なかなかの強さだ。人間よりずっと強いだろう。だが、間違いなく自分の方が強いと確信できる。それこそ八つ当たりで叩き潰せるほどに。

――オオオオォォォォッ!

 異界の主が雄叫びをあげた。

 音は空気を揺らす圧力変化が波として伝播し、それを聴覚が捉え脳内で変換する。ひょっとすれば相手のあげた音と、感じた音の意味は違うかも知れない。けれど、その雄叫びの中に怯えが混じるのは、間違いないことだった。

「そうか怯えているのか。そうか恐いか、恐いのか」

 笑う亘へと異界の主が豪腕を振るう。渾身の一撃に違いない威力は突風すら巻き起こす。それでも足りない。

 亘はその一撃を平然として受け止め、逆にその腕を掴むと投げ倒してしまう。

 大型車両を押し潰しながら異界の主が転倒する。車体がひしゃげ砕けたガラスの破片が撒き散らされた。車体から場違いなクラクションが断末魔のように響く。

「あっ……」

 攻撃をしようとする亘より先に光球が飛来し爆発を生じさせる。なぜだか背後で子供たちの悲鳴が聞こえた気がした。

「おい、なんで倒した」

「えっへん。ボクが倒しちゃったのさ」

「くそっ、人のストレス発散の相手をよくも倒したな」

「あのさぁ……悪魔でストレス発散なんて止めなよ。もっと健全な事をした方がいいと、ボク思うよ」

 神楽は真面目な顔で頷き忠告する。

「うるさい、人の事に口を出すな。途中の悪魔はどうした」

「大体倒しちゃったよ、残りはサキに任せちゃったもんね」

 偉そうに小さくもない胸を張ってみせる神楽であったが、そこで周囲で唖然とする防衛隊員たちの視線に気付いた。それで慌てて亘の後ろに隠れてしまうのは、まだまだ人見知りだからだ。

「隠れてないで怪我人を回復しておけよ」

「はーい……」

 そっと顔だけだして目に付く人間に治癒の魔法を放つものの、さっと隠れてしまう。

 相変わらずな様子に呆れていると、恐る恐るといった声が投げかけられる。

「あんた一体何者だ……」

 つい今しがた助けた隊員だった。どうやら逃げずに傍にいたようだ。

「別に……向こうで、戦ってた人に頼まれて来ただけですので」

「あいつらは! あいつらは無事なのか!?」

 その問いに亘は静かに頭を振った。それで意味は通じたらしい。

「そ、そうか……ところで、あんたデーモンルーラーの契約者なんだな」

「…………」

「つい先程知ったばかりなんだが、よかったら我々に協力してくれないだろうか。それだけの力があれば多くの人を救うことができる。頼む!」

 その言葉には熱い期待が含まれていた。

 だが、亘は頷けなかった。期待されると負担に感じてしまう。皆を凄いと思って憧れるよりは、どうせ自分には無理だと不安に思う。何より、ここで協力すれば次から次へと頼まれ面倒が増えていくのではないか。

 この期に及んでも、そんな考えが先に立ってしまう。

 結局、亘は適当な言い訳をしながら逃げ出すしかない。もちろん内心は自己嫌悪の嵐であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る