第258話 うん、まあ知ってた

 恐らく簡易ゲートを通過時点で連絡が入っていたのだろう。

 わたるが降車しアスファルト舗装を踏み締めると、そのタイミングで出迎えの者が姿を現した。NATSを取り仕切る正中だ。

 しかし亘は、相手が正中だと認識するまで数秒を要してしまった。

 以前に会った際を思い出すと、身だしなみに気を使った小洒落た感でパリッとしたスーツで颯爽と動き。目に力があって表情には自信があり、如何にも出来る男といった感じがあった。

 けれど、目の前にいるのは男はよれよれの服に無精髭が生え、動きは老人のように力がない。もはや全身が疲れきった様子で、息切れさえしていそうなぐらいだ。変わらないのは、目に力が――ただし妙にギラギラと――あるところだけだった。

 その姿は、まるで始発と終電で仕事した頃の自分にそっくりで……ここに来るべきではなかったのではと、思ってしまう亘だった。

「正中課長、ご無沙汰してます。随分とお疲れのようで」

「ああ、久しぶりだ。君が来てくれて非常に助かる。また一緒に仕事が出来て、本当に嬉しい」

 正中はしわがれた感じの声で言うと、上から下まで亘を眺めやった。

「ところで、その格好はなんだね?」

「何か問題でもありますか?」

「どこかバカンスに行ったか、行くつもりだったのかと聞きたくなるのだが?」

 椰子の木柄のアロハシャツに膝丈ズボンであれば、そう言われても仕方がない。だがしかし、それは想定ずみの質問であった。

「おや、正中課長は御存知ありませんでしたか? ハワイではアロハシャツを冠婚葬祭に着るそうですよ。つまりこれは正装として認められているのです」

「ここは日本だと思うのだがね」

「それでしたらスーツとネクタイも同じでしょう。元は西洋の正装ですから。それに公務員の規定では、品位ある服装という以外に服装の指定はありませんから」

 亘はしれっとして言った。

 殆どは誰ぞの言っていた事の受け売りだが、どうせ着替えられないのだからと開き直っている。

 正中は再度上から下まで亘を眺め回すものの、何も言わなかった。

 疲れきって頭が回らず反論が思いつかないのか、言ってもムダと思ったのか、どうでもいいと思ったのか。何にせよ、すんなり納得したという感じではない。

「私もちょうど着替えをせねばと思っていたのでね、そのついでに何か服を用意させておこう。それと、今の私は室長になっている。課長は君にやって――」

「待って下さい。その件について報告があります」

 そこで志緒が慌てて割り込んだ。

 正中は鈍い動きで視線を向け、亘が人事異動通知を受け取るまでの事情を説明された。つまり、課長級ポストは絶対に嫌というものだ。

「はぁっ!? 何故だ?」

 それで驚愕するのは、正中のようなタイプにとって役職ポストは非常に重要だからだろう。地位や出世に興味がないと聞けば、蹌踉めいてさえ受けている。

「課長職がいらない!? 本当にそれでいいのか?」

「ええ、それで構いませんが」

「そうかね? しかし何らかの役職ポストは必要だが……」

「だったら権限だけあって責任がないと良いです」

「君ね、そういう天下りしたご老人のようなことを――もとい、そんな都合の良いポストがあると本気で思ってるのか? いや、止めておこう」

 正中はこめかみを揉み、気持ちを切り替えようとしている。少し時間がかかったが、それでも何とか自分を納得させたらしい。

「よし、なければ用意すればいいだけだな。わかった、私の権限で何か用意しようじゃないか。だが、本当に良いのだね。こちらで課長ポストを踏んでおけば、元の職場に戻ってから上にいけるんだぞ」

「絶対に嫌です」

 それでも亘が翻意しないため、正中は小さく信じられんと呟いた。

 しばらく頭を振る正中であったが、七海をはじめとしてエルムにイツキが並ぶ様子に気付き嬉しそうに頷いた。さらに辺りを見物する神楽とサキの様子に活力を取り戻してさえいる。

 可愛い女の子ばかりだからではない。

 それがいずれも充分な実力を持った存在だと知っているのだ。一気に活路を見いだした気分なのだろう。

「ここで立ち話はなんだ、それでは中に行こうか」

「そうですね。その前に手土産を持って来ましたので、皆さんで食べて下さい」

 亘は人事異動の引継ぎの時の通りに口上を述べた。このやり取りは正中にも定番の事だったのだろう。以前の平穏だった日常を思い出したように微笑している。

「そうか、気を使って貰って悪いね。ありがたく頂こう」

「では車から降ろしますので、どこに積みましょう?」

「うん? 積む?」

「結構場所を取りますし、場所としては冷暗所に保管した方がいいと思いますが」

「あー、手土産について聞いて失礼だが。君は何を持って来たのかな?」

「ええ、米俵ですが」

「米俵!? それは、つまりあれかな。藁を円柱状に編んで袋状にしたものに、米を入れた米俵というものかな」

 説明の面倒な亘は防衛隊の車両の後部に行ってドアを開いた。満載された米俵に正中は困惑している。やはり手土産に米俵は良くなかったのかもしれない。

「引継ぎに用意する手土産って難しいんだよな」

 亘が失敗したかと悩んでいると、七海が慰めるように力説してくれる。

「でもですね、手土産は相手の事を思って用意するものなんですから。それでアマクニ様のお米って、とっても美味しいですから。だから大丈夫なんですよ」

「うん、まあそうなんだろうがな……」

 それでも、お土産の方向性を間違えたと思ってしまう亘であった。


◆◆◆


 七海たちは子供という事で休憩するよう指示され、これから使う宿舎へと案内されていった。しかし亘は会議室へと連れて来られた。そこは大人であるし、何より仕事なので仕方ない事だ。

 なお、稲荷寿司と小耳に挟んだサキは米俵の運搬に取りかかり、今頃は周囲を驚かせている頃だろう。

 そして案内される部屋へと入った。

「……これは酷い」

 室内では、くたびれた感じの職員が忙しげに働いていた。亘のアロハ姿など少しも気にした様子もなく、死んだ魚のような目をして動いている。

 何人かは見覚えがあったのだが、何故か亘が会釈するなり過呼吸のような症状を引き起こし医務室に運ばれてしまった。

「気の毒にな。随分と疲れが溜まっているみたいだ」

「そだよね、だったらさ回復しといてあげよっか」

「どっちかと言えば、状態異常のような気もするが……」

「なるほど、そっちの心配もあるよね。面倒だからさ、両方やっちゃえばいいよね。ボクにお任せなんだよ」

 神楽はすっかり、張り切っている。それを止める気は亘にはなかった。

「正中課長、いや正中室長だったな。試しにかけてみてからにしよう」

「さすがマスター、あっさり人を実験台にするんだからさ。そんじゃいくよ『治癒』、『状態異常回復』。さあさ、どかな? ボクの魔法効いた?」

 神楽は正中に魔法をかけると、キラキラした期待の目を向けた。

 その回復魔法が効果なかった事は間違いなく、疲れ切った正中の顔色は少しも変わらない。けれど、正中という人物は善良な人物であった。期待の込められた眼差しに少し困り顔をすると、元気さをアピールするように両腕で力こぶをつくってさえ見せた。

「うむ、何だか効いた気がする。ありがたいな」

「当然なのさー。えっへん、ボクにお任せなんだからね。疲れたら言ってよね」

「その時は、お願いするとしよう」

「えへへっ、では皆にもかけたげるね」

 亘は申し訳ない気持ちと共に、これが普通の対応なのかと少し悩んだ。もし自分であれば、効果が無いと一蹴し文句を言っていたに違いないのだから。次からは気を付けようと思った。

 そして神楽はあちこち回って一人ずつ回復魔法をかけている。そして、じっと見つめ相手の反応を期待しながら待っている。

 NATSの皆は付き合いが良いらしく、元気になったアピールをしている。迷惑をかけているようだが、少なくとも皆の癒しにはなっているようだった。

 正中が椅子を勧めてきた。

「さてと座ってくれるかな」

 向かい合って座ると、まるで面談のようだと亘は思った。

「君はこれまで仲間と協力し、地域の千人近い人を守ってくれた」

「はい? でもそれは――」

 全てアマクニの力によるもので、亘は何もしていない。本当に何もしておらず、毎日適当にぶらついてバカンス気分で寛ぎ、七海と散歩したりエルムに地元を案内したりイツキと遊んでやったりしただけだ。

「しかし悪魔は倒していたのだろう?」

「そりゃまあ、出かけて倒してましたけど」

「だったら、そういう事だ」

「……はぁ」

 どうやら大人流の解釈をしろという事らしい。

 つまり、ちょっとでも関われば功績の中に組み込まれるという事だ。

「悪魔を倒し続けていたなら期待しても良さそうだな。レベルも少しは上がったかな? アメリア国のアーネスト氏は、ついにレベル38まで到達したらしい。君も同じぐらいとは言わないでも、そこそこ上がっているだろう?」

「大丈夫です。レベル48になってますので」

 会議室は静まり返った。

 電子機器のたてる静かな駆動音が響き、建物の外で人々の生活する音が聞こえてくるぐらいだ。

「でも最近は、レベルアップに必要な経験値が馬鹿にならなくって。なかなか上がりにくいんですよね」

「うん、まあ知ってた……君がそういう人間だって事は……よろしい、レベル48か。そうか! そーか、そーか! それであれば、もう最高だ。上出来じゃないか。うひひっ、これで何とかなる。何とかなるぞ!」

 あの正中が椅子を後ろに傾け子供みたいにバランスを取っている。さらに両手を挙げ、はしゃいでいるではないか。しかも、周りの何人かも似たような感じで手を取り合い踊っている。

 神楽は不安になったらしい。すっ飛んで戻って来た。

「マスター、これ何かの状態異常かな?」

「しっ、職場だと年に一人か二人は見た事がある。これはカウンセラーを呼ぶしかない案件だ」

「そ、そなんだ……」

 亘と神楽は身を寄せ合い、これから先に不安を抱いてしまうのであった。

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