第259話 人は自分の信じたい事を信じる
数時間後――NATS本部のある都市の郊外。
窓ガラスが全て割れ、玄関ドアが引き千切られたかけぶら下がる。そんな家屋の並ぶ住宅街だ。
そこに悪魔を相手に一人で戦う亘の姿があった。
悪魔の身長はほぼ同じ、体格は向こうの方が細身。しかし身体は硬質で赤黒く、鎧のようにパーツが繋ぎ合わせたようなものだ。指先は鋭く尖って、口も金属を切り欠きしたようなギザギザ。目はポッカリと穴が開いただけの、どんな悪魔か分からない相手だ。
きっと鬼なのだろう。
何か分からないので、これは赤鬼だと亘は決めた。なにせ頭頂部に二本の角があるのだから、きっと間違いない。
その赤鬼がいきなり叫びをあげた。黒板を引っ掻くような耳障りな音で、思わず首に力が入ってしまうほど不快だ。
「それ止めっ!」
苛立ちの籠もった拳の一撃を赤鬼の胸に叩き込む。
ベゴンッと、まるで金属板が陥没するような音をさせ胸部が
だが、終わりではない。
五体の赤鬼が民家の屋根を伝い飛び降りて来て、亘を取り囲んだ。
その身軽さときたら、まるで猿のようだ。ほぼ同時に鋭い指先を突き出し襲いかかって来た勢いは鋭く、もう避けようがなく――しかし亘は自分から動いた。
右から来た赤鬼に一歩踏み込み手を伸ばし、その腕を掴んで相手の勢いを利用しつつ引き寄せる。そのまま無理矢理振り回し、残りの赤鬼に叩き付ける。それで終わらず、肩の辺りを掴んで即席の武器代わりとして、蹌踉めいた赤鬼に仲間の赤鬼を叩き付ける。
叩き付け叩き付けて、叩き付ける。
気が付けば武器に利用していた赤鬼諸共、残りの四体もボロボロと崩れ去っていくところであった。その有り様は、むしろ悪魔である赤鬼の方が気の毒になるぐらいだ。
「さて次は……なんだ逃げたか……」
辺りを見回し悪魔が見つからない亘は、すこぶる残念そうに息を吐いた。
きっと悪魔がいなくて残念がる人間というものは希少だろう。少し離れた場所に身を隠していた防衛官たちは主に呆れた様子で、いろいろ言いたそうな顔をしていた。
いきなりパチパチと拍手の音が響くと、脂ぎった肌の小太りの男が白衣を翻しスキップするように駆けてきた。
「お見事ですぞー! 五条さん、お見事ですぞー!」
もちろんそれは、キセノン社でDP関連の開発を担当していた法成寺だ。
担当していた、という事から分かるように今はNATSに協力し悪魔対策に取り組んでいる。そして亘が今ここで、悪魔と戦っている原因でもあった。
NATSの本部で細々した引き継ぎや確認をしようとしていたところ、いきなり法成寺が乱入し新しい装置の実験をしたいからと、むりやり亘を郊外へと連れだしてきたのだ。
悪魔に見つからない装置の実験という事で断るに断れなかったが。どうやら実験は成功したらしい。直ぐ近くに止めてあった防衛隊の車両に悪魔は見向きもしなかったのだから。
ただ、熱烈な神楽ファンであるはずの法成寺が実験に影響が出るからと、神楽すら同行させなかった点が引っかかっている。この男であれば、たとえどれだけ苦労しようとも神楽と一緒に行動できる環境を整え、それが無理なら実験など放棄するはずだから。
「やーやー、お見事。お見事なんですぞー。ブラボー、コングラナントカーション」
「そらどうも」
褒められて嬉しいが、褒められ慣れしていない亘は話題を逸らす。
「ところで、さっきは何の悪魔ですかね。赤鬼かと思いましたけど」
「さあ別に悪魔でいんでないですか。この場合の悪魔とはー、種族的な意味での悪魔という事でー。つまり海外の人なんかの思い描く悪魔の肌ってのは、今みたいな
「えっ、赤みを帯びてますから
「だから赤銅色でしょー。やだなぁ、五条さんてばー。はっはっはー」
「はあ……?」
法成寺の笑いを聞きつつ、亘は混乱している。ただし、これには原因があった。
一般的な赤銅色と言えば黒味を帯びた赤色のため、法成寺の言う通りで正しい。だがしかし、亘の場合は日本刀の小道具である刀装具の知識がメインのため、赤銅を煮て色上げをした深みのある黒を赤銅の色と思っているのだった。
だがしかし、相手の言葉を否定し反論したり、しっかり確認しないのが亘の性格だ。法成寺が赤銅色と言うなら、それならそれでいいかと適当に流している。
その主たる原因は他人に興味がないからだろう。
「さあさあ、もう少し奥に行きましょうかー。そこの兵隊さんたちは、そのままねー」
防衛官が慌てた様子で駆け寄って来た。
「それは出来ません。法成寺技官、我々は貴方の護衛を命じられておりますので」
「あのねー、外からの状態を調べたいの。これが成功すれば大成功、悪魔対策に凄い役立つけど、邪魔しちゃうのかなー? 今の戦い見たでしょー? 五条さんがいれば大丈夫。もう何も恐くないーって感じなのね。というわけで兵隊さんたちは、そこで待っててちょーだい」
「……早めにお戻り下さいよ」
その防衛官の顔を描いえて絵にすれば、タイトルは『苦虫を噛み潰す』で決まりだろう。しぶしぶと、仕方なさそうな様子が見て取れる。
スキップしながら先行する法成寺を慌てて追いかける亘であったが、その前に軽く会釈だけして謝罪をしておいた。
◆◆◆
「さーて、ここまで来れば大丈夫かなん? なんで、こんな事したか分っかるかな?」
「まあ大体は」
実際には欠片も分かっていない亘であったが、癖で適当に相手の言葉を肯定した。大体と言っておけば、大体のことは大体通じるものなのだ。ただし追求するような相手に使うと面倒な事になるのだが。
「さっすが五条さん、相変わらず話が早いねー。気付いてのとおり、さっきの兵隊さんたちは、ぶっちゃけ監視役なのねー。なにせキセノン社の関係者って事で疑われてるもんでー。こっちはキセノンヒルズの脱出で、もう十四番行ってーとか言われそうなぐらい苦労したってのに。酷いよね」
「なる程、確かに」
何がなる程なのか、実は亘も分かっていない。十四番って何だろうと思いつつ、話の流れで肯いただけだ。
しかしチャラ夫から少し聞いた話を思い出す。確かアマテラス関係がDP飽和の原因をキセノン社に求めていると言っていた。
その辺りから見当をつけ、会話を合わせていく。
「疑われているそうですからね」
「そうそう、だもんで実験って事にしてー。こうして二人っきりになって話をしたかったのね。もっちろん禁断の告白アイラブユーじゃないですぞー」
「冗談はいいので要件を。今頃、神楽が気を揉んでますからね」
「むむっ! それは大変! 早く話をせねば! ……これからの展開だが。国は新藤が裏切ったという前提で話を進める。その点は覚悟して欲しい」
法成寺は唐突に真顔になると、低く重く渋くさえある声で喋りだした。
それに対し亘は、軽く頷いただけだ。その表情は変化していないが、もちろん内心では驚き動揺している。
だが、他人に対し感情を見せたくない性格のため表情に出していない。
「新藤が裏切ったという明確な証拠はない。あいつの性格からすると、こんな事をするとは思えない。だが、状況と利害を見れば新藤が裏切ったと考えるのが妥当でもある。その点だけは留意しておいて欲しいんだ」
「なる程……」
相変わらず何がなる程なのか、実は亘も分かっていない。ただこんな時に何をどう言えばいいのか分からないだけだ。
そもそも、法成寺が何を思ってこんな事を言っているのかさえ分からない。
新しい職場に上手く溶け込もうとするタイミングで連れ出し出鼻を挫いておいて、新藤が裏切った云々を留意しろと伝えてどうしたいのか。
ただ困った事に法成寺は返事を待っている感じがある。
けれど、どんな答えを期待されているのか亘には分からなかった。
仕方なく少し考え、前に七海と一緒に観た映画の台詞を思い出し、それをベースに適当なことを口にしておく。
「なるほど。でも法成寺さんは、新藤社長を信じたいのでしょう?」
確か映画では、恋人に裏切られたとヒロインがウダウダ嘆いていた。それを彼女の事が好きな男が、その気持ちを押し隠しながら助言。ハッピーエンドを迎えたヒロインを男が微笑みながら祝福するといった内容で……七海は感動して泣いていたが、亘にはさっぱり理解できなかったものだ。
全員失恋して嘆いて終われと思って鑑賞したものだが、人生どこで何がどう役立つか分からない。
「何だって……?」
「長い付き合いのある法成寺さんが、社長を信じてあげないでどうします? たとえ法成寺さんが裏切られたと思ったとしても、社長にも何か事情があるかもしれない。だから、他の誰でもない法成寺さんが信じてあげねば誰が社長を信じるのです。だって法成寺さんは社長を愛し……もとい、つまりその何だ……そう、信じているのでしょう?」
途中、痛恨のミスをしかけたが、幸いにして法成寺は気付かなかった。虚を突かれたような顔で呆然としており、しばらくして笑いだす。
そして、いつもの調子に戻った。
「まったくもー、五条さんには敵わないなー。確かにその通り、ごもっとも。結局ねー、誰がどう言おうと状況証拠が揃っていよーと、人は自分の信じたい事を信じるって事だよねー」
それには首肯したいが、今はどうだっていい。
亘の方も聞きたいことがある――つまりそれはDPの換金についてだ!
しかし、ズバッと聞くのもイヤらしいので、言葉を選び話の方向性を考える。
「ところで神楽に――」
「神楽ちゃんですか! そうでしたか五条さんも考えとられますか、確かにその通り! 今の状況こそ神楽ちゃんの可愛さを世に知らしめる最高のチャーンス!」
「その神楽にDPで装備を買ってやりたいのですけど」
法成寺と話す時は、相手の言葉を聞かず自分の話したい内容を一方的に話した方が良さそうだと亘は判断した。
そして、それは正しい。
「なーるほど。それはそーですぞ、美しき花を飾るには相応しい花瓶が必要!」
「でもDPで装備で買えないんですよね。あとついでに、DPで換金も。別に換金が目的じゃないですけどね。ほら、DPの換金って停止してるじゃないですか。気にしてませんけど、どうなってるのかなーと」
少しもさりげなくない質問だったが、法成寺は気にした様子もなかった。
「そりゃもう当然ね。キセノンヒルズが悪魔の巣窟。すくつでないですぞー、になっとるわけですから。あそこを解放せねば、いろんな機能が止まってるわけで。この状況を改善するのも無理無理無理むぅりぃぃぃってわけですな」
「なる程」
今度のなる程は、分かって言っている。
つまりDPが換金できるようにするには、キセノンヒルズに巣くう悪魔を全部倒さねばならないということだ。とりあえず、光明が見えた亘は力強く頷いた。
「では頑張ってキセノンヒルズを何とかしますか」
「おっ、燃えてる感じ? 世界を救っちゃう感じかなー? しょーかないなー、協力しちゃうか。新藤くんも気になるしー」
もちろん亘はDP換金しか頭にないのだが、法成寺は何やら別の理由に勘違いして感心しているようだ。
そして気を揉んでいるであろう防衛官の元へと気合いを入れ戻るのであった。
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