第2話 斜に構えた気分
三十五歳独身。
実家の親も結婚しろと口にしなくなった。それでも見合い話が舞い込むことはあるが、選べる立場でないと分かっても、お断りしてしまう案件ばかりだ。もういいや、と思っている。
最近、何をするにも億劫だ。
それを言い訳にするわけではないが、郵便受けはダイレクトメールで満杯。部屋は脱ぎ捨てた服が散乱。机の上は数日前に食べたカップ麺の空容器が重ねて放置。ゴミ箱は限界まで詰め込まれ、溢れたゴミが周囲に転がっている。流しは言うまでもない。
男ヤモメに蛆が湧くというが、まさにそんな感じだ。
「ああっ、もう明日まで、ちょっとしか時間がない」
空いた時間で出来ることが思いつかず、貴重な時間をボーッとして浪費するしかない。
もどかしさに、頭を抱え床の上でのたうつと、片付けの悪いコタツの上から小物がコロコロと転がり落ちる。
拾い上げ机の上に戻していると、その中にスマホも含まれていた。
「そういや、まともにスマホを使ってないよな」
毎日持ち歩くが、連絡があるのは実家の親ぐらいだ。友達はいないため、間違い電話の番号に『間違いさん』と名付けて登録し、知り合いっぽく着信履歴を残している。
おかげでスマホはゲーム専用機だ。
だがそのゲームも、ずっとやってない。飽きたのもあるが、興味が湧かないというのもある。
しかし暇を紛らわすため、新しいスマホゲーのアプリを検索することにした。
「今週の新作ゲームか。ふむふむ」
幾つかある紹介から、一つをクリックしてみる。
そのタイトルは『デーモンルーラー』とある。特別何か興味があったわけではない。せいぜいが、タップする指が近かっただけでしかない。
ふと思い出す。少し前に後輩の水田が、通信大手がスマホゲーに新規参入すると騒いでいた。そのタイトルが、確かこんなタイトルだったはず。
紹介文を見ていく。
「……まあシステムはよくあるパターンだよな。うーん、説明文もテンプレだよな」
そこには、『世界に悪魔の手が迫っている。悪魔を倒しDPを集めて自分の悪魔をパワーアップ。自分だけの最強悪魔を育てあげよう』とある。GPS連動で、『あなたの日常が異界になる』だ。
そして、『有名絵師による美麗なキャラが君を魅了する』や、『今ならSSRキャラプレゼント』と、ますますテンプレな内容にウンザリする。
斜に構えた気分で、掲載される派手やかで可愛らしいキャラ絵の数々を表示させていく。
際どい姿の妖艶な美女、恥じらう清純美少女、脳天気幼女、怜悧な美少年、ワイルド美青年、ポワポワ中性と、様々な趣味趣向に応じたキャラが用意されている。
「……でも、イラストに妄想する歳でもないんだよな」
これまた斜に構えた気分のせいなのか、どのイラストからも不自然さ――描き手の媚びやあざとさ――を感じてしまう。
それに、どれだけ可愛く描かれようと触れらない。眺めるのはいいが、そこに価値を見出せない。
「って、いかん。この考え方はよくない傾向だぞ」
心が疲れ切って摩耗しているせいか、すべての物事が無味乾燥に感じられてしまう。
社会の歯車として黙々と働き続け、職場とアパートを往復するだけの生活。楽しみを分かち合う相手もおらず、自分の後を継ぐ子もいない。人は何の為に働き、何の為に生きるのだろうか。
「ああ、いかんいかん! こんな考えは鬱になる。気分を変えないと……他にすることもないし、少しだけやってみるか」
下らないと思ったゲームでも、やってみると案外面白いかもしれない。そうすれば、この斜に構えた気持ちが、少しは解消されるかもしれない。
「ま、本当につまらなかったら消せばいいか」
軽い気分でダウンロードをタップする。
その気紛れが、己の運命を大きく変える事になるとは夢にも思わないまま。
◆◆◆
通信量が多いのか、思ったよりもダウンロードに時間がかかる。今月の通信量は、ほぼ手付かずだが、性分のせいか通信量に不安を覚えてしまう。しかも、自分で定めた今日の終わりまで、残り三分を割っている。これ以上時間がかかるならダウンロードを中止するしかない。
そう思ったところで、ようやくダウンロードが完了した。
「やっと終わったか」
そのままアプリを起動させる。
真っ黒となった画面に白文字のロゴが浮かび上がる。
―― Produced by Xenon
雲海を進むようなグラフィックを背景に、小さな光点が軌跡を残し複雑な動きで魔法陣を描きだす。雲海を注視すると、細かなプログラム言語の流れだ。複雑に描かれた魔法陣が次々現れ、明滅しながら回転する。やがてそれは幾重にも重なり、気付けば一つの魔法陣となっていた。
どこか幻想的で美しいアートのような画像に知らず見入っていた瞬間――。
「っうぅうぇっ、気持ち悪っ!」
いきなり鼻の奥にツンとした刺激が起きる。
それが眉間まで広がりざわめく。まるで見えざる手に頭の中を弄られるようだ。痛いとも痒いとも違う未知の感覚。ひたすら気持ち悪く、激しいめまいと吐き気にスマホを投げだし頭を抱えてしまう。
その感覚が唐突に消えた。
「っはぁ……あ?」
だが異変自体はまだ終わっていない。
ようやく顔をあげた亘の目の前に、投げだしたはずのスマホが宙に浮いていた。
「えっ?」
呆然としていると、スマホの画面から強い光が溢れだす。LEDのように強烈で、しかしどこか柔らかな白い光。眩しいが、目に痛くはない。
バッテリーの消耗は大丈夫だろうかと、場違いな心配をしながらそれを見つめていた。
光がおさまり、そして――。
「ふぁっ?」
スマホ画面から、小さな頭が現れた。
外ハネしたショートの黒髪だ。そのままボーイッシュな雰囲気の、明るく元気良さげな可愛らしい女の子の顔が現れる。
白い小袖の上半身が現れ、画面の縁に草履を履いた緋袴の足がかけられる。よいしょの声と同時に全身を現わしたのは、巫女装束の姿だ。
その背に煌めく羽が生じると、ふわりと浮きあがる。同時にスマホがポトリと落下した。
少女は軽やかに飛んでくると、亘の目の前で両手を重ね頭を下げる。
「こんにちは、ボクをダウンロードしてくれてありがとね」
「…………」
一部始終を眺めていた亘は、まだ固まっていた。
これはどうも独身をこじらせたあげく、スマホから女の子が現れる幻覚を見ているらしい。それにしたって、ボクっ娘の巫女装束はないだろう。
目の前で起きている現象に結論をつけたところで、亘は再起動を果たした。
「……そうか、幻覚が見えるぐらい疲れてたのか。やばいよな」
「マスター? 戸惑う気持ちはわかるけどさ、これはね選ばれた者だけが使える機能なんだよ」
「はあ……もう二十三時じゃないか、寝よ」
「え? あの、ちょっと待ってよマスター、あのねボクの話を聞いてよ」
「ストレス症状による幻覚と幻聴か。朝になって症状が良くなるといいけど」
亘は寝室にしている部屋へと移動する。幻覚がついてこようとするのを、遮断するようにピシャっとドアを閉めた。
さすがの幻覚も、壁を突き抜けてまでは現れない。幻覚とはいえ、まだ常識的な幻覚らしい。
敷きっぱなしの布団に潜り込むと、枕元の目覚ましをセットし、布団を引っかぶり目を閉じる。
トントン開けろーという幻聴がまだ続いているが、それは無視しておく。
鬱で闘病中という同僚なんて、今時珍しくもない。自分がそうならないよう、気を付けてきたが、ついにきてしまったらしい。
「……まだ、ここで倒れるわけにはいかない」
布団の中でそっと呟く。
独身のため、老後は頼る者がいない。生きていくにはお金が必要だ。さらに将来親の介護があることを考えれば、その分のお金も必要になる。しかし、貯金残高は少ない。理由は趣味が高じての散財だ。これから貯めねばならないと考えていた矢先だった。
幻覚やら幻聴になっている暇などない。一晩寝たら治って欲しい。そう願いながら眠りについた。
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