第318話 一度逃げれば癖になる

 夕方も遅くなってきた時刻。

 亘はすっかり疲れていた。なにせ全員の召喚に付き合ったのだ、精神的にすっかり疲労している。今日の講習終了を告げる志緒と、それを補助するヒヨの姿を見て、せめて人数の半分でも任せておけば良かったことに今更ながら気付いた。

 これまでの仕事でもそうだったが、任された内容をついつい一人で抱え込んでしまい、周りに助けを求められない不器用な生き方なのだ。

「注意しますが、くれぐれも不要に従魔を使用しないで下さい。ここには銃を所持した防衛隊員もいますし、悪魔狩り専門士もいます。それと、我々に協力して下さるお狐様――」

 志緒が大きな声を張りあげ警告し、それから解散を宣言した。

 辺りに椅子を引く音が次々と響き、皆が動きだす。それぞれ自分の従魔を連れ動くため、どうにも百鬼夜行のような、何とも言えない光景だ。もちろん従魔を仕舞い込んでいる者もいて、たとえば入鹿がそうだった。

「飯にするべ、飯にするべ。どうせ、クソマズ飯だろけどな」

「我慢して食べて下さい」

「ここの調理担当とかアホやろアホ、俺が偉くなったら即効でクビにしてやる」

「そうですか、頑張って下さい」

 騒ぐ入鹿に付き合う簀戸は、去り際にちらりと視線を向け軽く会釈して行った。淡々とした態度ではあるが、内情を知ってみると、少しだけうんざり感を漂わせている気がする。

 全員が出ていくが、主催者側は時間と共に終了とはならない。

「さあ片付けしましょう。お疲れ様だったわね」

「確かに疲れたな。また明日からも疲れそうな気分だよ、理由は言わずもがなで」

「貴方の判断は正しかったわね。あそこまで自己中心な人、私は初めて見たわ」

「まだ言う事を聞くだけ、素直な部類だけどな」

「上には上がいるのね……」

「ちなみに、志緒と同じキャリアの坊やだったけどな。もし今も生きていれば、将来は日本を動かす立場になるはずさ」

「……探して対処してみせるわ、必ず」

 強い口調で志緒は断言した。どうやら素晴らしい反面教師の存在が、とても貴重な教えと経験を授けてくれたらしい。

「あのう、私とっても不思議です。あの人はどうして、あんなに騒ぐのでしょう。それに、人前で汚い言葉を使うのでしょう?」

「そりゃまあ、格好良いと思っているからだろう」

「少しも格好良くありませんって、私思います」

「ああいうのが格好良いと思う年頃は、誰だってあるものさ」

「なるほど、そうなんですか。すると五条さんも、あったのですね?」

「……ない」

 亘は断言してみせた。

 少なくとも言動として、表に出した事はないので嘘ではない。心の中で粋がってみせたり、格好良さげな外車を買おうか迷ったりしたぐらいなのだから。もっとも現実は非情で、そんな年頃は父親の介護で青春を潰されていたのだが。

「後は私が片付けておきます。五条さんは先に行って下さい」

「最後までやるが……」

「大丈夫なんです、ここは志緒さんと二人でやりますもの。それにですね、きっと七海さんが待ってます。待たせるのは可哀想ですよ」

 ヒヨは人差し指を立て、真面目な顔で言った。

 言われて亘も少し考え込む。

「……まあ、確かにそうだ。では、先に行かせて貰うかな。それに、飢えたら恐いのが待っているかもしれない」

 亘は気恥ずかしさを誤魔化すように言った。

 ただし、お腹を空かせれば恐ろしくなる存在がいるのは事実だ。そちらも亘が来るまで食べずに待ち続けるに違いなかろう。こうした間にも空腹は刻一刻と増しているわけで、亘は人々の安全のためにも食堂を目指すことにした。


 もうすぐ夕方が夜になりそうな時刻。

 今日の最後の日射しが空に投げかけられ、雲は青黒い空を背景に燃えるような赤に染まっている。刻一刻と辺りは暗くなり、夜という名の時がやってくる。

 避難所付近には照明が灯され、眩しく地上を照らしだした。他にも随所に篝火が設置され、人は闇夜を――そして恐怖や不安を――少しでも追い払おうとしている。

「今日は疲れたな……」

「んっ、そう?」

「久しぶりに大勢を相手にしたからな」

「嫌? やめる?」

 軽く手を引かれ、見れば手を繋いだサキが下から顔を向けてくる。

 暗くなった中でも、もしくは暗くなったからこそ、金色の髪と白い肌がよく目立つ。何より眼が僅かな光を反射し不思議なほどに輝いていた。

「嫌でもやめないだろうな」

「なんで?」

「さぁて……」

 一度逃げれば癖になると言いたいが、それを説明するのは難しい。

 亘は他の答えを探し考え込んだ。

「たとえばだな。今日は苦手な事をして嫌な思いをしたからこそ、今が嬉しい」

「んー?」

「つまり面倒な事をした後はだな。サキと一緒にいる時間が、いつもよりも嬉しくて楽しくなるってわけだ」

「きゅーっ」

 サキは未だかつてない声をあげ、亘の手を抱きしめ頬ずりした。

 そこに狐目の男が通りすがり、見てはいけないものを見てしまったように固まっている。しかしサキが一瞥し軽く唸ると、すっ飛ぶような勢いで――しかも本性を現し狐の姿になってまで――逃げて行った。

 やはり即座に逃げを選べる者は賢明だ。


「マスターー!!」

 前方の曲がり角を小さな姿が急旋回し、まっしぐらに飛んで来た。

 亘は素早く頭を傾け回避、目標を見失った神楽は矢のような速度で通過。勢い余って背後にあった壁に激突、しかし瞬時に舞い戻って来た。

 白い小袖と緋色のスカート姿に視界が塞がれ、神楽の怒り顔が接近してくる。

「ちょっと、なんで避けるのさ!」

「当たり前だろ……」

 亘は衝突痕の残るコンクリートを確認し言った。

 物理より魔法が得意とは言えど、神楽は高レベルの存在なのだ。しかも、その小さな身体で一点に力を集中させれば、どれだけの威力かは想像するまでもない。

「避けなかったら衝突してただろうが」

「ボクと衝突なんだもん、いいじゃないのさ」

「欠片も宜しくない。どういう理屈なんだ」

「なんでさ!」

 ぷんすか怒る神楽であったが、なんだかんだ言いながら、亘にべったり張り付いている。僅か一日にも満たない間でも、寂しかったのは間違いない。もちろん亘も同じであり、そのまま放置している。サキはサキで、神楽の存在を見やって仕方なさそうに頷いている。

 食堂へと角を曲がり――しかし亘は即座に後退して引っ込み、そっと様子を窺うように角から顔をだした。足元で真似をするサキはともかくとして、良い歳をした男がそれをしていると怪しさしかない。

「あれは……」

「どしたのさ?」

「いや、別に何でもないが。あそこで七海と話している奴は誰だ? 特に知りたいというわけではないが、多少なり気になっただけなんだがな」

 通路の向こうで立ち話をする七海と誰かを見ながら、亘は問うた。全く以て平静さを保った様子と思っているのは、少なくとも本人だけだろう。

「あー、あの人。なんか、げーのーじんって仕事の人らしいよ」

「なるほど」

「凄い人気あるんだって聞いたよ。なんかね女の子たちが騒いでてさ。最初の説明なんて、なかなか静かになんなくて大変だったぐらい」

「なるほど」

 亘は手をかけたコンクリート壁にヒビを入れ、向こうにいる二十歳にも満たない少年を凝視した。小顔で細身で、どことなく中性的な雰囲気があり、誰がどう見ても好感を抱く素敵さがある。端的に言って存在がイケメンという生物だ。

 ちらりと近くの窓を見やれば、三十歳半ばのくたびれた雰囲気の自分がいる。ぱっとしない冴えない男が、物悲しそうな顔で見つめて来るではないか。

「ふんっ、芸能人か。どうせ上から目線で偉そうに違いない」

「そでもないよ、年下の子とかの面倒ちゃんとみてたよ」

「どうせ性格が悪いに違いない」

「そでもないよ、助かるし頼りになるってナナちゃんも褒めてたもん」

「芸能人なんて演技が上手なはずだ。従魔を見れば、あいつの本性が分かるな」

「天使だったよ。まだ弱いけど、そこそこ強くなりそうな感じかも」

「…………」

「どしたのさ?」

「なんでもない。実になんでもない」

「もしかして、ナナちゃんがあの子と話してるのが面白くないとか?」

「別に……」

 亘が明らかに面白くなさそうに言うと、ようやく神楽も合点がいったらしい。

 小さな姿で、お姉さんのような困り顔となり深々と息を吐いた。

「マスターはそこの角に隠れてなよ。ボク、ナナちゃんを呼んでくるからさ」

「余計な事をして、七海の邪魔をしてやるなよ。折角、イケメン芸能人と話が出来ているんだからな」

「はいはい、拗ねないの。サキはマスターが逃げないように捕まえてて」

 言って神楽は角の向こうへ飛んでいくが、言葉通り七海を呼びに行ったらしい。

 これまでの人生で、異性関係に関わる事は常に逃げて来た亘は、今回もまた逃げようとした。だが、それをサキに邪魔されてしまう。

 頭を掴んで引き剥がそうとするうち、向こうから七海の声が聞こえ、しかも近づいてくると分かった。こうなると身を縮め、怯えながら息すら止めてしまう。

「五条さんが来られましたか?」

「そだよ。でもさ、ちょっと面白いんだけどさ」

「面白い? 何がですか」

「あのね、マスターはナナちゃんが他の男の人と話してるの見て、拗ねちゃったの」

 神楽はあけすけに言った。

 物陰で亘は顔を引きつらせ、怒りに燃えた。

――絶対に許さん!

 手に力を込めるが、その手はサキの頭にある。おかげでサキは声にならない悲鳴をあげるのだが、健気にも抵抗すらせず耐えるのだった。


 神楽はうきうきしている。

 この七海がどれだけ自分のマスターを好きかは理解しており、ここらで一発どんと本音を教えてやれという考えなのだ。我ながら素晴らしい作戦と思っていた。

「たぶん嫉妬しちゃったと思うけどさ、ナナちゃんはどう思う?」

「嬉しいですよ」

「えっ? それどして……」

 両手を合わせ頬を染めた七海の答えは、神楽の予想していたものとちょっと違った。もう少し困った感じの答えがあって、そこから上手く誘導して答えを引き出そうとしたのだが、これでは面白くない。

「だって嫉妬してくれたら、それだけ私の事を気にかけてくれてるって事ですよね」

「ま、まあそだよね。じゃあさ他の人を好きになったりとか……」

「私が? どうして、神楽ちゃんはそんな事を言うのですか」

「…………」

 とても優しげな声だが、七海に見つめられた神楽は震えあがった。どれだけ強大な悪魔にも立ち向かってみせる勇気はあるが、今は全く別種の根源的恐怖を感じている。

 どう行動すべきか、どう答えるべきか。

 必死に考える神楽の耳に角の向こうから小さな物音が聞こえた。取るに足らない音なので、神楽は完全にそれを気にもしていない。

 だが、七海は違った。

 ぴくりと反応すると歩き出し、角の向こうを覗くなり嬉しそうになっている。

「五条さん、そこにいたんですね。もうっ、酷いですよ」

「あーえー、何だな。つまりだな……別に隠れていたわけじゃないぞ」

「はい、そうなんですね」

「今来たところでな。ところで夕食にするか」

「はい! そうしましょう」

 笑顔の七海に手を取られた亘がやって来るが、照れて困ったような顔だ。神楽はそれを固まって見つめ、近づいても横を通過されても動かないでいる。

 とことこ来たサキが不思議そうな顔で背伸びして、つんつんしてくる。

「んっ、どした」

「あのさ今さマスターってば、何か物音させた?」

「んー、音? 少し壁に手ついた」

「それだけ?」

「それだけ」

 サキの返事に、神楽は無言で首を横に振る。

「どした?」

「あのさサキはさ、マスターが手をついた音で、それがマスターって分かる?」

「分かるはずない」

 何をバカな事を言っているのだと、サキは眉をよせ訝しげだ。

「ナナちゃんさ、今の物音だけでマスターって気付いたんだけどさ」

「んー? それ無理」

「本当なんだもん。本当なんだからさ、ボクだって嘘だって思いたいけどさ。ちょっとした音だけで、気付いてたもん」

「あっそう」

 興味なさげなサキが歩きだせば、ようやく神楽もふらふら後ろを飛んで行く。今はすっかり食欲もない――ただし、今この瞬間だけなのだが――ぐらいで、人間という存在の恐ろしさを味わっていた。

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