第152話 地縁血縁の田舎社会

「随分と草を刈ったんですね。でも、昔の人ってそれを手で刈っていたんですよね。凄いですね」

「そうだな、昔はもっと人手があったろうけど大変だったろうな。今の時代は草刈り機がなけりゃ、土地の管理なんて不可能だな。これこそ農業革命ってもんだと思うな」

「俺の里でも使えたらいいのに……そうだ、今度土産で持って帰ろっかな」

「やめとけ。藤源次だって草刈り機ぐらい知ってるはずだ。でも里にないってことは、理由があるんだろ」

「……そいやそうだぞ。でもなんでだろ、こんなに便利なのによ」

「里に外の世界の情報を持ち込むな、ということだろうな」

 イツキの出身地は、山奥にある隠れ里だ。そこでは昔ながらの生活が営まれ、外の世界の常識とは違う掟としきたりが存在する。それ故に外の情報を極力断ち、興味を抱かせる事柄は排除されていた。草刈り機がないのも、そういった理由に違いない。

 七海がチョイチョイと草を摘まむ。花屋の娘として植物が気になるらしい。

「なんだか、見たことないぐらい元気な草ですよね」

「田舎の草なんてこんなもんだろ。とはいえ、ここは元が田んぼで水分と栄養があるせいもあるけどな。道路脇でヒョロヒョロしてる草なんかとは逞しさが違う」

「確かに同じ草とは思えません。これを刈り続けるのは大変ですよね」

「人間も都会より田舎の方が頑丈で逞しいからな。それと同じだろうな、ははっ」

 田舎在住の老人はパワフルだが、草もまた同様だ。

 背丈が高く太く逞しく、密集すれば壁のようになる。なにより生命力旺盛で、尽きぬほど生えて育ってくる。そのため最低でも春夏秋の三回は草刈りをせねばならない。

 実に大変だ。

 そんなに大変なら好きに生やし放置しておけばいいと思うだろう。しかし現実として、草を生い茂らせていると近所から苦情の電話が飛んでくる。

 本当に土地なんてものは持つものではない。

「なんにせよ草を刈らないでいるとな、猪の絶好の隠れ家になるからな。それで近所の畑が荒らされたら迷惑だろ」

「猪いるのか!? あいつら美味いよな。鍋にすると最高だぜ」

「そういや藤源次の家で食べさせて貰った牡丹鍋、あれは美味かったな。猪か……」

「食べたいか? いいぜ、だったら俺が猪を獲ってきてやる。うん、この木に吊るせば血抜きも楽そうだし、いい考えだぜ」

 木陰をつくる傍らの木を見上げながらイツキは頷いているが、どうやら猪を捌く計画をしているらしい。だがここで猪を吊るしたとして、それを向こうの住宅団地の住民に見られでもしたらどうなることか。お綺麗な住民たちが動物愛護だのと大騒ぎするに違いない。

「止めとけ。それでな、草を刈らずに放置しておくとな、近所の年寄り連中が怒り狂って怒鳴り込んでくるからな」

 こちらの事情など斟酌せず、怒り心頭となった農家の老人が恫喝紛いに怒鳴ってくるのだ。確かに農家からすれば怒りたくなるだろう。その気持ちは分る。

 しかし、草刈りが遅れると何故か空き缶やビニール袋、大きな石や角材などが投げ込まれていたりする。警告のつもりだろうが、陰湿で露骨だ。

「どこも年寄りは同じかよ。やだなあ」

「田舎社会ってのは、年寄りが権力持ってるからな。どうもならんさ」

 脱サラや老後のスローライフで田舎暮らしに憧れる人は多い。しかしそこで待っているのは――地縁血縁の田舎社会だ。

 下手に地元を牛耳る老人がいたとすれば、派手な格好や綺麗な格好は慎み、相手の顔色を窺い頭を下げ生きねばならなくなる。定年までサラリーマンを勤め上げた人なら上手いことやれるかもしれない。

 もっとも、田舎の人間が都会の人間をやっかむのも分からないでもない。亘だって汗だくで草刈りしている最中に、綺麗な格好でサイクリングする親子を見て羨んだのだから。もっとも、それで嫌がらせしたいとまでは思いもしないが。


 いきなり、イツキが手を叩いた。

「そうだ俺に完璧な考えがあるぞ!」

「確かイツキの完璧が完璧だった例しがないって、聞いた覚えがあるな」

「それ確かにそうですよ。この間も完璧な考えだって言って、電子レンジで卵を温めてましたから……」

 自宅でイツキを預かる七海が遠い目をした。さぞかし大惨事が発生したのだろう。イツキも妙に狼狽え視線を明後日の方向に向けている。

「あ、あれはだな……あんなになるなんて知らなかったんだぞ、仕方ないだろ。それよりだ、俺の完璧な考えを聞いてくれよな」

「分かった言うだけ言ってみろよ」

「あのな、あのチビ悪魔とドン狐の魔法で草を攻撃させるんだ」

 どうだと言わんばかりにイツキが胸を張る。そうすると多少は胸の膨らみが分かり、やっぱり女の子なんだなと納得する。

「ドン狐って……」

「ん? 小父さんの使ってる悪魔って狐だろ。狐ならドン兵――」

「おいよせよ」

 亘は慌てて止めた。世の中には公言してはいけない言葉もあるのだ。そんなやり取りの横で七海が困ったものだと頭を振る。

「あのですね。神楽ちゃんとサキちゃんの魔法だと、地形が変わりますよ。草どころか土地が焦土になってしまいますよね」

「うっ……そういやそうか……」

 現にDPで複製された街並みとはいえ、それを灰燼に帰した魔法を見ている。それを思い出しイツキは顔を引きつらせた。


「なになに? 何か倒すならボクにお任せだよ」

 明るい声の出所は亘の懐だ。ため息ひとつでスマホを取り出すと、画面から小さな少女の頭が出ていた。好奇心旺盛な様子で目を輝かせ見上げてくる。

「喚んでないのに、出てくるな。まったく神楽ときたら……」

「ぶぎゃー! ぐぬぬぬっ!」

 亘の人差し指に顔を押され、神楽は画面の中へと押し戻されていく。しかし、それに負けじと小さな手で画面の縁を掴み抗う。ついには這いだしてきた。

 その姿は白衣に緋袴と巫女服そのものだが、身体のサイズはスマホと大差ない。背に煌めく羽を生やしヒラリと空中に飛んで逃げ、いつもの定位置である亘の頭に着地……しようとして動きを止める。そのままヒョイッと飛んで七海の肩へと腰掛けてしまった。

「なんだよ、その反応は」

「だってさ、マスターってば汗臭いもん」

「臭いだと……この労働の芳しい香りを臭いとか、失礼な奴だ。勝手にスマホから出てくるわ、失礼なことを言うわ。同じ従魔でも、ちょっとはサキを見習え」

「喚んだか」

 スマホの画面から光の粒子が飛びだすと、空中で渦を巻き幼めの少女の姿がスタッと着地した。辺りに人目がないので良いが、もしあれば目を剥いたに違いない。

 その身長は畦に腰掛けた状態の亘と目線が合う程度だ。金を梳いたような長い髪に、真っ白な肌。ワンピース姿はどこぞのお嬢様風で、ほぼ完全に人間の見た目でしかない。

 けれど普通ではありえないほど整った容姿や緋色をした瞳から分かるように人間ではない。九尾の狐の流れを汲む由緒正しい悪魔だが、野良をしているところを拾い、紆余曲折あって亘の従魔に収まっている。

 そんなサキが獣めいた仕草で鼻を動かした。

「汗臭い」

 いつもなら飛びついてくるところが、今は少し距離を取って離れている。なんて失礼な悪魔だろうか。七海に保証され臭くないはずだが、自信喪失してしまう。


 亘は落ち込み半分、呆れ半分で肩を落とした。

「はあ……こいつらときたら。勝手に出てくるわ、好き勝手言うわ……もういいや、そろそろ休憩はお仕舞いにして作業を再開しようか」

 拗ねた亘は立ち上がり自分の尻を叩いた。同じくイツキも勢いを付け立ち上がると、両足を揃え元気よくジャンプする。

「よっしゃあ、もうひと頑張りして草をやっつけてやるぞ!」

「飲み終わったペットボトルは、私が回収しますね。戻って、お家の手伝いをしてますから」

「悪いな。母さんの相手を頼むな、色々と口うるさいだろうが我慢してくれ」

「とんでもないです。色々教えて貰ってて嬉しいですよ。それに楽しい話も聞かせて頂いてますから」

「……ちょっと待とうか。変な話は聞いてないだろうな」

「さあ、どうでしょう」

 七海はクスクス笑って誤魔化した。亘が嫌な予感に戦慄するうち、素早く空のペットボトルを集めママチャリに行ってしまう。ヒラリと乗り、手を振ってペダルを漕ぎだした。イツキが大仰に手を振り見送っている。

「これは急いで草を刈らねばいかん。あの親のことだ。何を言っているか分ったもんじゃない」

 亘はもたつきながら畦を走りだす。しかし、走りにくい長靴で気ばかり急いてもたついてしまう。

 母親という存在は子供の失敗や黒歴史というものを事細かに覚えている。しかもそれを――どこの家でもそうかは知らぬが――悪意なく笑い話としてバラしてしまうのだ。

 神楽がヒラヒラ飛んでくる。

「あれ? ボクたちどうすんのさ。せっかく出てきたってのにさ」

「そうだそうだ」

 サキまで首肯する。それをジロリと睨んだ。

「だからな、誰も喚んでないだろ。さっさとスマホに戻るんだな。ああそうだ、丁度良い。どうせなら草でも食べて貰うか」

「ボク牛じゃないもん!」

「狐は草食べない」

 神楽とサキは争うようにしてスマホの中へと戻っていった。その様子が面白いのか、イツキは腹を抱えて笑っていた。

 少し気の晴れた亘は草刈り機を踏みつけ、スターター紐を引っ張る。一発でエンジンが始動し、肩掛けベルトに装着すると草の軍勢へと突撃して行った。

 秋の空気は空の高さと青さを際立たせている。

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