第三章

第27話 田舎の寂れた商店街

 五条亘は無愛想気味な冴えない顔を緩ませていた。つまり、気分は上々なのだ。


 今日は土曜日、一週間溜め込んだストレスを異界で思う存分発散できる。それを思うだけで胸が躍るのだが、今回はさらにチャラ夫に誘われ一緒に異界攻略だ。誰かに誘われるなんて久しぶりで、なおのこと嬉しい。


 そして、もう一つ嬉しい理由が――舞草七海も一緒ということだ。

 駅前で七海を見つけた時の胸のときめき。それは恋愛とか好きといった感情とは少し違う。上手く言い表せぬが、青春時代そのものが再来し心が沸き立ったものだ。優しげな顔をした七海がこちらに気付いて笑顔を見せた時の、周囲が向ける羨望の眼差し。嬉しくも面映ゆい気分だった。

 送迎で移動するだけなので、『デート』などと、おこがましいことは言えない。だが、助手席に女の子が座った状態に秘かなドライブ気分を味わっていた。

 だから気分は上々――なのだが、しかし困ってもいる。

 まさか女の子とのドライブに、こんな落とし穴があろうとは予想さえしていなかった。これが本当の想定外というやつだろう。

 その想定外とは、つまり話題がないことだった。


「…………」

 車内を支配するのは沈黙だ。うきうきした気分と、何か会話をせねばという焦りがせめぎ合い、何とも言えない微妙な気分になる。もともと人と話すのが苦手で、一日黙っていたって平気な亘だ。そんな性格の人間が何か面白おかしく会話をするなんて、どうしてできようか。

『次ノ信号ヲ右デス』

 カーナビの音声案内を聞きながら、亘はない知恵を振り絞っていた。

 天気の話題はありきたりすぎる。趣味の話は熱が入って引かれかねない。あとは仕事関係だが、流石にそれを話題にするほどバカではない。こうして考えていると、自分には何の話題もないことが分かってしまう。

 なんて、薄っぺらで底の浅い人間だろうか。この歳まで独身だったのも当然というものだ。女の子とドライブなんて、自分にはどだい無理だったのだ。

 そんなどんより落ち込んだ亘へと、七海がチラリと視線を向けた。

「あのう、五条さん。運転中、よろしいでしょうか」

「おっ、おう。もしかして暑いのか、いや寒いのかな。エアコンの温度なら、気にせず変えていいから、うん」

「いえ、丁度いい温度ですよ。それよりですね、今日の異界はどんな感じなのでしょうね。現れる悪魔が、あまり強くないといいですよね」

「そうだな」

 そこで、はっと気付かされる。ここに異界という、共通の話題があるではないか。これは七海が話題を提供してくれたのだろう。

 そうと分かると、肩から力が抜けた。会話とは一人でするものではない。気負いすぎた自分がバカみたいで、苦笑すら浮かんでくる。

「うん、そうだな。今日の異界か……チャラ夫の情報だと、あまり強い悪魔はいないみたいだな。練習には丁度いいだろうな」

「うーん。でも何だか緊張してしまいますね」

「なに大したことでもないさ。サポート体制もばっちりだからな、何かあればちゃんと守ってみせるよ。思いきり頑張ってくれ」

「ええ、頑張りますね」

 いったん肩の力を抜いてみると、次々と話題が出てくる。七海のフォローもあって、カーナビが目的地への到着を告げるまで、ごく自然な会話が続けることができた。

 長年の夢は及第点ぐらいで叶った。


◆◆◆


 目的地として指定された商店街はレトロというより、安っぽい古さが漂う場所だった。

 朝方ということもあってか閑散としているが、駅からも遠く交通の便が悪い場所なので、閑散としているのは朝だけではないかも知れない。

 そんな立地条件でも、コインパーキングは一時間で五百円と強気の値段だ。これでは寂れてしまうのも無理ないかもしれない。

「ふう、到着だな」

 亘は車から降りると、軽く伸びをして肩を解した。楽しく会話できたとはいえ、やはり女の子相手では緊張する。それに会話すること自体が慣れていない。異界で悪魔を相手する方が、よっぽど気楽だ。少なくとも話題に気を遣うことはないだろう。

「さあて、いよいよ異界だな」

「運転お疲れ様です。ところで、チャラ夫くんが迎えに来てくれるはずですけど……いませんね」

「ほぼ予定通りだから問題ないはずだがな」

「そうですね、どうしたんでしょうか」

 七海はキョロキョロと周囲を見回している。

 同じく亘も辺りを見回すが、それらしい生物は発見できない。チャラ夫の性格なら脅かそうと隠れている可能性もあるが、閑散としたコインパーキングには隠れられそうな場所はない。

 早々に探すのを諦めた。

「ま、どうせチャラ夫のことだからな。おおかた寝坊でもしたに違いないさ」

「そうでしょうか……そうかもしれませんね。うん、確かにありそうですね」

「異界の入口はアーケードだって話だ。どうせ行く場所は同じだから、先に行っても後から追いかけてくるだろうさ」

 亘は見切りをつけると後部座席からリュックサックを取り出し背負った。さらには手提げ袋を持ち出す。それを目にした七海は、形の良い眉を寄せ怪訝な顔をしてみせる。

「ずいぶん荷物がありますけど、それはなんですか?」

「ん、今回の異界攻略で使う道具だな。中身については、向こうに行ってから説明しよう」

「はあ、そうですか……では、私も持ちます」

「いいさ。異界でたっぷりと、持ってもらうことになるからな。それまでは自分が持っていこう。楽しみにしてるといいさ」

「ううっ、なんだか心配になってきました」

 七海が冗談ぽくたじろいでみせる。

 それを笑いながら、亘はのっしのっしとした足取りで歩き出す。今のはいい感じのやり取りだったなと心密かに嬉しくなっていた。

 隣を歩く七海は背筋をスッと伸ばした姿勢で、颯爽とモデルのように歩いていく。グラビアアイドルなので、そうした仕草も板についている。

 一緒の目的があって、同じ方向に並んで歩いているのだ。通勤途中で偶然隣あった女子高生と同じ方向に歩いているわけでもない。安心して並ぶことができる。それだけで幸せ気分だ。

 少しすると、見覚えのある姿が息急き切らせながら駆けて来た。

「すんませーんっす、遅れたっすー。いやいや、寝坊しちゃったっすよー」

「な、言った通りだったろ」

「本当ですね。うふふ、チャラ夫くんらしいです」

 亘がチャラ夫を指さし肩をすくめてみせると、七海がくすくすと笑う。

 走ってきたチャラ夫は、その場で足踏みしてみせた。訳が分からない様子で、キョトンとした顔だ。

「なんか笑われてるっす。でも、いいっす。ささ、案内するっすよ。うっす、兄貴のお荷物をお持ちするっす。って重ぉ! なんすかこの重さ!」

「そんなに重くないだろ。軟弱者め」

 相変わらず騒々しいチャラ夫に案内され、商店街のアーケードへと入る。

 地元民であるチャラ夫には悪いが、典型的な田舎の寂れた商店街だ。ガムテープで補強された看板や錆の浮いたシャッター、落書きや色あせた張り紙のある壁面など、侘びしい雰囲気が漂っているではないか。

 かつては賑わったのだろうか、道路全面を覆う全天候型のアーケードとなっている。しかしそれもところどころ穴が開いてめくれあがり、一層侘しい雰囲気を醸し出している。

「学校帰りに寄るってことは、さては買い食いだな」

「へへっ、腹が減るんすよ。でも、ここのお好み焼きはマジ美味いっすよ。前に芸能人が来てテレビで紹介したぐらいっす。だいぶ前っすけどね」

「ああいう手合いは口に入れた瞬間に、美味しいと言うから信用ならんな。でもまあ、チャラ夫が食べて美味いってなら、本当に美味しいのだろうな」

「そっすよ、今日もやってるっす。だから、お昼に是非食べるっす。店のおばちゃんも、凄く良い人で、いつも俺っちにおまけしてくれるんすよ!」

「でしたら、途中で異界を出てお昼に食べに来るのもいいですよね。私も食べてみたいですよ」

「そうだな、時間を見計らってそうするとしよう」

 わいわいと騒ぎながら歩くと、小さな祠の前で足を止めた。

 呉服店と履物店の間にひっそりと佇む祠だ。けれど地元の人が大切に祀っているらしく、こざっぱりと綺麗にされている。そこにはチャラ夫の従魔であるガルムが、狛犬よろしく待機していた。亘と目が合うと、ぺこりと黙礼してくる。

 この寡黙さ礼儀正しさ、主に是非とも見習わせたいものだ。

「ここに入り口があるっすよ。ささっ、早いとこ入るっすよ。ガルちゃん準備はいいっすか、オープンザゲート! いざ開かん異界への扉!」

 チャラ夫が厨二ぽい台詞を吐き、腕を振り回す。それに合わせガルムが二本足で立ち上がり、プルプル片前足を震わせながら伸ばし空間を叩いた。

 何もない空間が揺らめき異界への扉が開かれる。

 チャラ夫が得意そうに決めポーズをとり振り返った。しかしそんなことより、フウッと息を吐き四足歩行モードに戻ったガルムの方が気になってしまう。

 なんだか、お疲れさまと声をかけたくなってしまうのだ。

「さあ行くっす。お先っすよ、とうっ!」

 チャラ夫が揺らめく空間に飛び込んでいくと、ガルムが慌てて追いかけていった。亘と七海は思わず顔を見合わせて苦笑した。

「相変わらずなヤツだよな」

「ですよね。でも、チャラ夫くんらしいですよ」

「確かにな。騒々しいが、賑やかでいいよな。それでは、お先にどうぞ」

「あ、はい。それでは」

 七海がゲートならぬ異界の扉を潜って姿を消す。亘は念のため周囲を見回してから揺らめく空間を通り抜けた。

 商店街のアーケードから人の姿が完全に消えた。

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