第301話 寝てないアピールのようなウザさ
こっそりテング退治に行く亘だが、必ず日暮れ前には戻る事にしている。
理由はこんな自分と食事を一緒にするため、わざわざ待ってくれている人たちがいるためだ。それであれば、大急ぎで戻って当然である。
もし待ってくれる相手がいなければ、亘はきっと日没後も何だかんだと戦い続けていたかもしれない。ただし、それは別に社畜根性でも何でも無い。
体験した事のない者は無理して組織に尽くす者を社畜と勘違するが、社畜とはもっと魂の尊厳を冒され縛られ囚われ、尽くすべきでない事柄に生命と精神を贄として捧げ、破滅への道行きを泣きながら突き進む存在である。
自分のために没頭し無理を重ねる事とは全く違うのだ。
「いかんいかん待たせてしまった」
亘は対策本部の廊下を早足で進んだ。
帰還したのはいつもと大差ない時間だったが、戦いの汚れを落としていると思ったより時間が過ぎてしまったのだ。気持ちはあせるものの、よい年をした大人が廊下を走るなど見苦しいため、いつもより大股で早足に進む。
廊下を曲がり食堂の入り口が見えると、混雑するメニューの置かれた側と反対の壁で少女がひとり佇んでいるのが見えた。
七海だ。
前で両手を軽く握り、腰と背中を壁に預けながら立っている。白シャツにデニムとシンプルでラフな姿だが、逆に大人っぽさがある。もっとも、横から見ているせいでスタイルの良さで大人っぽさを強く感じてしまうのかもしれない。
まだ混雑気味の食堂に入ろうとする何人かが気にしたり、または声をかけているものの、それを笑顔で断り何やら楽しげな雰囲気で佇んでいる。
亘が近寄ると七海は壁から背を離し、くるりと向き直った。まるで気配を察知したような、または雑音の中から足音でも聞き分けたような反応だ。
「おかえりなさい、お疲れ様です」
じゃれて飛びついたサキの相手をしながら笑っている。
「待たせて悪かった。ちょっとばかり戻るのが遅くなってしまってな」
「五条さん、怪我しましたね」
「なんの事かな」
「…………」
七海は黙って見つめた。
たったそれだけで亘は狼狽した。
怪我は神楽の魔法で完璧に治っている上に、血のついた服はしっかり着替えシャワーも浴びて徹底的に証拠隠滅をしたはずが、何故かひと目でバレてしまった。
「どうして分かった?」
「朝と服が違いますし、動きが微妙にぎこちないです。それから――」
ほっそりとした指先が、ちょんっと優しく亘の首筋に触れ指摘する。
「これ乾いてますけど血の跡ですよね」
「うっ、拭き残しがあったか」
微妙に拗ねたままの神楽は一緒にシャワーを浴びず、しかも急いで軽くだったので拭き残しがあったらしい。恨みがましく一瞥した先で、神楽が舌を出している。
「五条さん。あんまり危ないことしますと心配します」
軽く見上げてくる七海は怒るわけでもなく、ただ見つめてくるだけだ。
それであるのに、どんな悪魔に相対した時よりも緊張し狼狽した。何も言われていないし責められてもいないが、心の底から自分が悪かったと反省してしまう。
「いやしかしな、戦いというのは本来危険なものでな。仕方ないというべきで……」
亘は困り顔で言い訳を口にするものの、七海はそっぽを向いてしまった。ただし両者の顔を見比べた神楽は笑いを堪えているのだが。
「知りません。私は先に食堂に行っちゃいますから」
「うっ……次から気を付けよう……」
「今日のお夕食はメニューが多いそうですから。まだ混んでますから。運ぶの大変そうですから。お茶とか用意するの大変そうですから」
「……ん?」
「一人で運ぶの大変かもしれませんが。そういう事なので、もう行きますから」
「……ふむ」
亘は腕組みすると、上に目をやり下に目をやり顎を指先で叩いた。神楽とサキのにやけ顔を見やり、それからようやく七海の後を追った。
光沢のある木目調の床に、対面形式となった白のテーブル席が幾つも並ぶ。
食事時より少し遅かったせいか、席は混雑しているものの、少し待てば場所が空いて座れる程度。トレイを手に食器返却所に向かう姿や、どこに座ろうか迷いながら彷徨く姿もあり人は増えもしなければ減りもしない。
「程よく倒して、まあまあ頑張った」
亘は揚げ出し豆腐でご飯を食べる。
揚げたてで、外はカリッとして出汁の味が染み中は柔らか。防衛隊の豆腐屋の生まれの何某による料理だそうで、サキは元より皆からも好評だ。向こうの席では、これ目当てらしい狐目の集団が熱々をハフハフしながらがっついている。
「いやいや。五条はんの程よくってのは、だいたいどんなか分かっとるでな」
「俺も分かる、きっと悪魔が可哀想な感じだぞ」
「うちらも近場で悪魔退治しとるけど、今度お弁当持って五条はんに付いてこかな」
「賛成だぜ」
四人掛けの席で五人となるが、知り合い同士の慣れた仲なので問題はない。さっそくの食事でエルムとイツキが苦手なおかずを交換しヒヨに注意され首を竦め、今日の何でも無い出来事を話しつつ、姦しくはないが賑やかな食事が続く。
どの席も似たり寄ったりであったが、近くの席からぼやきの声が聞こえてきた。
「あー、くそくそ最悪だわ」
まだ若い二十代の半ばぐらいと思しき青年だが、顔立ちはまだ幼さを残し大人になりきれていないやんちゃさがあった。
首から下げた名札の文字は確認できないが、色によってある程度の識別が出来るようになっている。その色は新たにデーモンルーラーの使い手として見出された者で、これから使い方や戦い方などのレクチャーを受ける者だ。
「悪魔対策組織とか言うけど、あんなガキんちょがトップとかありえん、マジ最悪だわ。ちょっと一つ二つぐらい文句言ってやりてぇ」
「分かるわー、世の中の苦労とか何も知らんようなガキんちょだろ」
「もう、お飾りってのが見え見え。マジいらんわ」
「マジふざけんなよって感じだな」
話題の相手は悪魔対策を統括するチャラ夫のことで、いろいろ文句を言ってはいるが、ただ単に年下が自分より偉く扱われている事への嫉妬だと分かる。周りに同年代ぐらいが数人集まって軽く同調していた。
「あー、やる気うせるわ。マジなめてんのかって感じ。あー、もうバカらし」
「でも我慢するしかないじゃん、文句ばっか言ってちゃ自分の心が持たなくね?」
「それもそうか」
「でも後は知らん、ほんと。ガキんちょトップで勝手にやれ、どうとでもなれって感じ。滅茶苦茶になって失敗して困れって感じ」
椅子にふんぞり返るように座り、ベラベラ喋りつづけている。
つまり己の存在をアピールするための自己主張だが、寝てないアピールのようなウザさしかない。あげくウザすぎるあまり思わず皆が見ていることを、注目を集めていると勘違いしているのか得意げでさえあった。
「悪魔倒すとか、そんなの頑張る気ないから。仕方ないから入ったって感じで、別に頑張る気ないから。あー、くそくそ面倒くさい。やりたくない、やりたくねぇよ。なんで俺がこんなのやらなあかんわけ。いや、マジおかしいでしょ」
ぐだぐだと声高に文句を垂れながらの自己主張。人生これからというところで世の中がこうなって不満が溜まっているのは確かだろう。しかし誰もが同じ境遇に耐えている中で、まるで自分だけが不幸のように言うのは、ただのバカだろう。
「これも悪魔が出たせいだな、マジあいつらぶっ潰してやりてぇわ。ほんとマジ本気だわ」「でも悪魔と戦うとか勘弁な」「何か知らんけど戦うのは悪魔だろ、扱き使えばいいじゃん」「そらそーだけど嫌だー。誰か俺と代わってくれー、なんで俺が悪魔と戦わなあかんの」
ぼやき続ける声にエルムと神楽は露骨に嫌そうな顔をしているし、ヒヨとイツキは理解し難い顔だ。サキは我関せず、うっとり揚げ出し豆腐を口にし頬を押さえ満面の笑み。そして七海はいつも通りの笑顔だ。
「まー仕方ないわな。俺らって完全にいま、他にすることないから。もうやるしかないか。悪魔使って悪魔倒すだけで特別待遇だし」
「確かに。そう思うと、才能ない連中にすげー申し訳ない気分だね」
「ほんっと。お腹を空かせた皆さん、ごめんなさいって感じ」
「自分の才能が恐いわ」
げらげらと笑い声が響いた。
どことなく上から目線の自分語りは実に馬鹿馬鹿しいが、哀しい事に大人になる過程で多くの者が罹患する社二病というやつだ。つまり、学生から社会人になって少しだけ世間に触れ、その浅く狭い知識で全てを知った気になって自分を大きく見せたがる病なのである。大抵は直後に失敗をして現実を知り寛解するが、そのまま病状が進行すればするほど大きな失敗をしでかす恐ろしい病だ。
これが職場であれば、そういうお年頃と周囲の大人たちが優しい眼差しで見守ってくれるだろう。しかしここはそうではないため鬱陶しい眼差ししかない。
「なー、五条はん。うち思うけど、ご飯を美味しく食べるのに場所って大事やない? どっか行って食べるってのはどうやんな」
「気持ちは分かるが、食堂外での食事は禁止されている」
「つれないわー」
「我慢した甲斐はあった、ほら」
亘は目線で示すと、うるさかった青年がようやく席を立ちだした。ちなみに、亘たちが食事を始めた時点で既に食べ終わっており、そこそこ混雑する中で今までずっと喋り続けていたのである。自分語りに酔ってしまい、周りの状況が見えないのも社二病の特徴だ。
「よーしっ、食事終わりだ。後は寝るだけ、早く寝れば早く明日になるさ」
「ご飯が腹いっぱい食えるだけでも感謝感謝」
「感謝はいいけど、何でこんな飯なわけ。くそマズい豆腐を揚げただけの飯を出すとか誰が喜ぶっての。こんなん出すぐらいなら、肉を出せって感じだね。おらー肉だせー、肉を食わせろーとか叫んでやろっか」
「ガキんちょがトップな組織だし、そういうしょぼいとこなんでしょ。しゃーない」
向こうで揚げ出し豆腐をハフついていた一団がピタリと動きを止め、狐目をいっそう細め睨んでいる。サキなどは亘が首根っこを掴んでいなければ、何かをしでかしていたに違いない。
亘はサキを羽交い締めに捕獲したまま己の心に戸惑いを感じていた。
――これは悔しい? チャラ夫が貶されて悔しいのか。
そして唐突に気付いた。
自分がチャラ夫を仲間として友人として大切に思っているからこそ、その存在を貶され悔しく思っているのだと。
少し真っ当な人になれたようで妙に嬉しくなってしまう。
明日からチャラ夫を鍛えてやろうと心に決め嬉しくなっている亘だが、それを七海が優しい眼差しで見守っていた。
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