第194話 どれをとっても一級品

 土を均しただけの道には石が埋まり雑草も生え、いくら月が明るい夜でも足下に不安がある。

 亘が平然として歩く事が可能なのは、周囲にフワフワと浮かんだ火のおかげだ。漂うそれは自動追尾で付いてくる優れものの照明だが、直視すると内部に顔のようなものが見える事が難点だろう。

 それを生じさせたサキに聞きたいところだが、今は亘の背で健やかな睡眠中だ。満腹になると寝てしまう所など、見た目通りの子供であった。

「あのさ、熊鍋って最高だったよね。今度つくって欲しいな」

「熊の肉が手に入らないと無理だろ」

「そっか熊なんだね。じゃあさ、ひと狩り行ってみようよ」

「やなこった」

 亘は頭上で寝転んだ存在へと上目遣いで答えておいた。

 サキと一緒になって鍋を空にしたせいか、頭に感じる重量がいつもより重い気がする。ただし、そんな『重い』なんて言葉を口にすればどうなるか賢い亘は悟って黙っている。

 もう、あの大量の食事がどこに消えたかなんて気にしなくなっており、慣れというものは恐ろしいものだ。

 その神楽がトントンッと小さく叩いて合図をした。亘は背中で寝こけるサキを抱え直し、やや警戒しながら視線を明りの届かぬ闇に向ける。

 だが漂う火に照らし出されたのは見覚えのある姿であった。

「何やら怪しの火があると思えば、五条であったか。久しぶりよのう」

「やあ久しぶりだな」

 亘は藤源次へと笑いかけた。

 同時にイツキが転がるように飛び出している。久しぶりに会う父親へと甘えるように抱きつくが、まるで子犬がじゃれるような動きだ。

「トト様、帰ってきたか! なあ兄ぃはどうした?」

「長老に今回のお役目内容を報告に行っておる。今回は、あやつが主となって働いたのでな。最後まで任せる事にしたのだよ」

「そっか、兄ぃも頑張ってんだな」

「まだまだ足りぬ部分もあるが、ひとつずつ学んでおる。あやつへと、お勤めを任せる日もそう遠くはあるまいて。さて、イツキも頑張っておったか?」

「もちろんだぜ。お金の種類とか花の名前も覚えたし、あと……そうだ! 一人で電車も乗れたんだぜ!」

「ほおっ、それは凄いではないか」

 藤源次は感心し、順調に外の世界に順応しつつあるイツキを褒めている。案外と親バカなのかもしれない。

「でもな……里は変わんないようで、ちょっとずつ変わってんだな。ほらキョウカのお腹が大っきくなってだろ、あとマサのやつが死んだって聞いたんだぞ。気の毒にな」

「ふむ、良ければ墓に手を合わせてやれ。きっとあやつも喜ぶことだろうて」

「分かったぜ。外の世界のこととか、小父さんのこととか墓前で話してやっか」

「そうだのう……」

 藤源次はどこか寂しげに笑った。そして家へと促す。

「どれ、今日は久しぶりに賑やかになる。イブキが他で暮らすようなって、家の中が静かになって寂しい限りでな」

「そうなのか!? なんか家ん中の雰囲気が違うと思ったら、そうだったか」

「近々祝言を挙げる予定でな。一足先に嫁どもと暮らさせることにしたでな」

 亘は横で渋い顔をした。

 祝言とか嫁――しかも複数形――というキーワードに苛立つ人生なのだ。

 しかし藤源次は上機嫌で、くいくいと手で盃を傾ける真似をする。

「それよりも、五条の今日は一献どうだ」 

「酒は苦手なんだが」

「安心せい、外の世界のような飲み方はせぬ。今宵は月が見事、それでも愛でながら、とくと語り合おうぞ。もちろんアレの事をな」

「アレか、それならいいかな」

「うむうむ、我が家の伝来品もあるでな」

 藤源次と共通の趣味のある亘は目を輝かせ頷いた。

「俺っちも是非に――」

「お前は未成年だろ。水か茶でも飲んでろよ」

「えーっ」

 その場の勢いなんて許す気など欠片もない。

 未成年者の飲酒は脳や身体に悪影響を与え、それのみならず精神的な発達さえ阻害してしまう。禁止されている事項は、禁止されるだけの理由があるということだ。というより、若い頃からの飲酒など後々の生活態度にもよろしくないと亘は固く信じている。

「我らはそうするとするが。娘御たちは……そうだのう、湯にでも入りに行くとよかろう。どれ、イツキよ案内をして差しあげよ」

「よっしゃ、実はトト様に許可を貰おうと思ってんだ。やったぜ」

 イツキは胸の前で両手を握って喜びをみせる。

 家長制の残るテガイの里では、娘といえど勝手なことは出来ないようだ。なんとも古くさいことだが、致し方ない。ここには、ここのルールがあるのだから。

「足の疲れが取れると聞いた温泉ですね。楽しみです」

「やったんな、温泉やで温泉!」

「じゃあ家に戻ったら、すぐ出発なんだぞ」

 大喜びで騒ぐ少女たちの横でチャラ夫が腕を組み、何かを考え込みニヘッと笑った。


◆◆◆


 『藤源次』の湯は、テガイの里からさらに奥まった岩場に位置する本物の露天風呂となる。そこは特別な場所であり、藤源次に許された者しか利用することができない秘湯であった。

 七海は月下に裸身を晒しつつ、腰あたりまでの湯の中をそっと歩いていく。

 最初は露天というものに戸惑い恥ずかしく思っていたが、エルムとイツキ、さらには神楽やサキまでが全くの無頓着なため、一人だけ恥ずかしがっている方が恥ずかしいと覚悟を決めたのだ。

「ふぁああっ、凄いんな。やっぱしナーナって凄いんな」

 先に浸かっていたエルムが顔をあげ、感嘆の声をあげた。

「ちょっとエルちゃん。どこ見てるんですか」

「そら勿論、ナーナのお胸様」

 顔を真っ赤にさせた七海はバシャバシャ湯をかけた。そのまま水中に沈み込むのだが、しかしエルムの追求は止まない。

「おおっ、やっぱしそのサイズやと浮くんやな」

「浮いてません」

「いんや、明らかに浮力を得て揺れ具合が違うんな。いつもと違うんな」

「同じです!」

 七海は両腕で胸を隠そうとする。だがそれで隠せる大きさでもなく、溢れんばかりの様子はむしろ強調してしまうばかりだ。

「こら眼福やんな。くうぅっ……触ってもええか?」

「嫌です」

「そないなこと言わんと。ちょびっとだけ」

 湯の中をそそくさと動き逃げる七海をエルムが追う。

 半分は遊びみたいな様子を眺め、岩に座るイツキは足をバシャバシャさせ笑っている。女同士とはいえ裸でそんなことするのは、少々はしたない。

「エルやんてば、自分の触ればいいだろ。ナナ姉ほどじゃなくたって、充分あるんだから」

「それじゃ楽しくないんな。実はウチな、学校で触り比べたんや。そんで分かったんやけど、ナーナのが一番という結論になったんや」

「そうなのか。一番ってのは良いことだぜ」

「質! 量! 張り! どれをとっても一級品や! それにこの形を見てみなれ。やっぱし直に触りたいと思うやん」

「だったら俺も触ってみたいぞ」

「二人ともいい加減にしないと怒りますよ。ちょっと来ないで下さい、来ないで」

 七海は胸を隠しつつ片手で湯をかけ、そしてお湯のかけ合いが始まった。

「ボク思うけどさ、こんな賑やかなお風呂ってのもいいもんだよねー」

 神楽は波打つ湯から逃れるため、サキの頭上へと避難した。一方で長い金髪をお団子にしたサキは迷惑そうな顔だ。

「姦しい」

「マスターもさ、エルムちゃんぐらい積極的ならいいのにさ」

「無理無理」

「そだよね――むむっ」

 ふいに神楽がぴくりと顔を上げた。同時にサキも虚空を見上げ、青白い光の中に黒い闇のような山が広がった景色を眺めやる。

 細めた目で緋色の瞳が輝く。

「んっ、行くか」

「そだね、ちょっと行かなきゃだよね。流石はマスターだよ、本当になるなんてねボク思わなかったよ」

「確かに」

 サキは岩をよじ登り湯からあがった。真っ白な肌が月の光の下に輝く。

「あれ、チビコンビどもどうした?」

「チビコンビってなにさ! ……ちょっとボクたち湯冷ましに行くだけだもん。気にしないでいいからさ」

「ふーん、そっか」

「迷子には……ならんわな。でも気を付けてな」

 悪魔であるし、その実力と能力は充分知っている。だからエルムとイツキは心配した様子は欠片もない。

「風邪を引かないうちに戻って下さいよ」

 ただ七海は逃げながら言うのであった。


◆◆◆


 山野を三つの影が疾走する。

 だが、それはどこかスキップさえするような足取りであった。正体はサタロウとウタロウという里の双子、そしてチャラ夫であった。

 偶然出会い、同じ目的を持った者同士で意気投合した仲である。

「外の者もやるじゃないか。そう思わぬか、サタロウ者」

「我らに付いてこられるとは思わなんだな、ウタロウ者」

「はんっ、俺っちを侮らないで欲しいっす! あの七海ちゃんを始め皆さんの裸を拝めるのであれば! 俺っちは忍びにだって負けないっす! さあいざ行かん!」

 ビシッと山頂を指さす。

「確かにあれは見事であったな、サタロウ者」

「里で見かけぬ天晴れな乳よな、ウタロウ者」

「分かってるじゃないっすか二人とも! あれを見に行かずして何を見ろと!」

「うむ」

「うむ」

 そして三人は手を重ね、新たに芽生えた友情を確認し合う。

 だが――そこに予想外の声が響いた。

「へえ、何を見たいのさ。ボク知りたいなー」

 その明るく元気な声にこそチャラ夫は戦慄した。仰け反り顔を引きつらせる。

「げぇっ! 神楽ちゃん! なんでどうして!?」

「あのさボクさ、マスターに頼まれてたんだよね。もし覗きが来たら始末しとくようにってさ」

「始末って、何すか! 冗談っすよね」

「んーん、本気だよ。ねえ、サキもそう思うよね」

 それに応えるのは低い獣のうなり声であった。

 闇に包まれた林の中で、巨大な対となる緋色の光がゆらめく。ずしずしと重たげな足音を響かせ、月光の下へと五本の尾を持つ巨大な狐が姿を現した。

「「「なっ」」」

 獰猛そうな獣の口元に牙が覗き、夜目にも鋭く光っている。その頭にちょこんと座る神楽の姿は裸だが、それを見ている余裕なんてほとんどない。

「ちょっ、なんで本気モードなんすか! マジっすか!」

 チャラ夫はジリジリと後ずさりだす。

「五尾の狐だと! どうすんだよサタロウ者」

「決まってんだろ、逃げるんだよウタロウ者」

「逃げるっす!」

 踵を返し走りだすチャラ夫たちだが、慌てに慌て、こけつまろびつの状態だ。

「さあ、猟の時間だよ。やっちゃえサキ」

 大狐がグバッと口を開け鋭い牙を見せ、草木を蹴散らし突進しだした。

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