第310話 ちょうどバランスが取れている

 サキは移動に使った白いミニバンの上に立ち、胸一杯に息を吸って止めた。軽く裾の広がった黒いワンピースに金色の髪を風に靡かせ、両手を握りしめ遠吠えするように空に向け何度か叫んだ。

 その声は青空に染み渡るように、よく響いている。

「……来た」

 亘は押し寄せる悪魔の群れに口元を綻ばせ、しかし直ぐに眉を寄せた。

「なんだ、前に戦った時よりは少ないな」

「それ救援依頼で行った時の話ですか? かなり沢山の悪魔と戦ったと聞きましたよ。五条さんなら大丈夫と思いますけど、あまり無茶しないで下さいね」

「できるだけ気を付けておくよ」

「はい、ありがとうございます」

「…………」

 この世で最も重い鎖は信頼に違いない。

 七海の感謝の笑みを前に、亘は何も言えず黙り込んだ。そして足元の石を拾い上げ投擲。遙か向こうで命中した悪魔を貫通し、さらに数体を撃破している。かなりの威力だが、実際には狙った場所から随分と離れた場所に命中したので、あまり自慢できることでもない。

「相変わらず凄いんな」

「私たちも投げましょうか」

「あんな威力は無理やけどな。さぁて攻撃や攻撃」

「頑張りましょう」

 七海とエルムの投げた石も命中するが、多少よろめかせる程度の威力しかなかった。しかし同時にアルルによる風の刃が放たれ、付近に潜んでいたフレンディの糸が絡めとって動きを阻害。せっせと攻撃をしては倒していくが、それでも大量の悪魔は倒れた仲間を踏み越えやって来る。

「いっぱい来たぞ。凄いな」

 嬉しそうなイツキは両手を打ち合わせ気合いを入れた。その態度には少しも不安さといったものがない。むしろ、傍らにいる雨竜君の方が落ち着かなげで、そわそわしながら尻尾を振っている。

 押し寄せる大群を前に、どちらが正しい反応かは言うまでも無い。

「そろそろ頃合いだな」

 毛を逆立てぼんぼん尻尾になった白虎を見ながら、亘は言った。膨らんだ尻尾を見る限り、やっぱり狸じゃなかろうかと思うのが正直なところだ。すっかり怯えきっており、二本足で立ち上がってイツキの足にしがみついている。幾ら頭を撫でてもらっても震えがおさまる様子はなく、すっかり怯えきっている。

 虎にしては小さく、なによりこの小心者ぶり。

 きっと子虎に違いないと亘は思った。だが何にせよ、そうした態度も嫌いではない。ちょっとだけ可愛いと感じてしまう。


 神楽が手を挙げ声を張りあげた。

「そんじゃあさ、そろそろボクも攻撃しちゃうね」

「頼んだぞ。皆の攻撃が出来る程度に加減してくれよ」

「任せてなのさ。いっくよー」

 張り切った掛け声と同時に、亘たちの頭上に無数の光球が出現した。それらが煌めく様は昼間に星をみるような光景であるし、何かのフェスティバルによる派手な照明のようでもある。

 光り輝く球の一つ一つに、並の悪魔数体をまとめて軽々消し飛ばせる威力があると分かってしまって、雨竜君と白虎の顎が落ちるように開いた。

「んーっ、やる」

 サキは対抗すべく、白いバンの上で足を踏み締め仁王立ちとなった。金髪の間から獣耳がひょっこり現れている。尻尾を出していないのはワンピースがめくれ上がってしまうからで、最近は多少そんなことを気にするぐらいになっていた。

 こちらはこちらで、数こそ少ないが幾つもの炎の球が出現。炎のゆらめきが赤々轟々と燃えたぎり、見ているだけで熱波が押し寄せるようだ。触れば蒸発しそうな威力があると分かってしまって、雨竜君と白虎の顔が強ばるように引きつった。

「やれ」

 亘が合図する。

 空から光の球が次々と降り注ぎ、幾つもの閃光と同時に数々の悪魔が吹き飛ぶ。飛翔した火が弧を描いて落下し、激しい火柱が周囲の悪魔を消し去った。

 雨竜君と白虎の、それぞれの髭の先が後ろを向いてしまう。

 どうやら、目の前の攻撃に恐怖しているらしい。

 とくに白虎は瞳孔をまん丸とさせ、耳を伏せ、背中の毛を逆立てている。しかも唸りながら鋭い歯を見せ、鼻にしわを寄せて威嚇の声まで上げていた。完全に怯えているらしい。

 それをイツキの足にしがみついたままやっているので、鋭い爪が刺さっていた。けれどイツキは何も言わず、それどころか優しく撫で慈愛をみせている。人間的に成長しているという事だ。

 一方で、亘は何も変わらない。

「よし、まだいるな。戦ってくる」

「五条さん、危ないですよ。つまり、神楽ちゃんたちの攻撃がですけど」

「だったら大丈夫だろ」

 うきうきした声の亘は七海の制止も聞かず、爆発と業火が乱舞する場へと飛び込んでいった。もちろん神楽とサキの攻撃を見て、自分も戦いたくなってしまったのだ。

 雨竜君は呆れながらも、さもありなんと納得した。けれど初めて見る白虎などは信じがたいものを見る顔となっている。


「やっぱり皆と一緒だと、良い感じだな」

 亘は幾つもの爆発と押し寄せる熱風の中を動く。

 思いきり地面を踏みつけ砂を蹴り立て進み、途中で遭遇した悪魔に棒を振る。手応えの確認だけで、そのまま突き進む。幾つも爆発音が耳にうるさい。破片が飛んでくるが、それほど気にしない。それよりも、目の前の悪魔に攻撃している。

 とにかく戦った。

 とにかく倒していった。

 何かに没入していると不思議なもので、それとは別にゆったりとした思考が蠢いてくる。まるで、もう一人の自分が自分自身を冷静に観察し考えているような状態だ。

――なぜ戦うのか。

 考えてみれば戦闘が格別好きというわけではない。ただ、DPを増やして換金したいという思いがあるだけだ。いや、もう一つ戦う理由がある。とても人には言えないような理由が。

 それは、これしか能が無いという理由だ。

 自分は悪魔と戦えることを除けば、特に大した価値はない。それは、これまでの人生を振り返れば間違いない事実だ。人間的な魅力も、優れた見識や知識も、立派な信念や目標もない。

 けれど戦ってさえいれば、自分より遙かに凄い人たちから同格のように扱われ、丁寧に喋りかけて貰える。誰かに凄いと言って貰える。頼りにされて期待されて、褒めて貰える。戦ってさえいれば信頼できる仲間も、愛すべき存在も全てが得られ――。

「っ!」

 その瞬間、視界が大きく揺れた。

 横からの一撃は、何か重たいものがぶつかったものだった。だが亘は転がりながら笑った。こんな程度でやられるものではないが、ダメージを受けて傷ついたことも戦っているという実感がある。

 戦っている実感があれば、皆に認められ頼りにされるに違いないと強く思える。

 前に大群と戦った時と同じように心の中で何かのタガが外れ、唐突に喩えようもなく嬉しく幸福で満足な気持ちになって高揚してきた。

「今のは本当にいい。そうだ、これが戦いだよな。思いっきり戦っているんだよ。さあ、やるぞ。戦うぞ」

 声が震えるのは、込み上げる笑いのせいだ。目の前の大型悪魔がたじろいでいる姿が何とも言えずおかしい。きっと凄く強い悪魔なのだろう。きっと凄く恐ろしく普通では倒せないような悪魔に違いない。それが、自分のようなちっぽけな人間を恐いと思っている。

 そんな相手を倒すなど最高ではないか。

 亘は嬉々として棒を投げ打ち、素手で大型悪魔に襲いかかる。それを見ていた雨竜君と白虎はどん引き状態だ。眼をまん丸にさせて硬直さえしている。

 神楽とサキは触発されて大張り切りであるし、エルムとイツキはいつものことだと呆れ気味。そして七海は自分の言ったことが聞いて貰えず、ちょっぴり頬を膨らませたものの、直ぐに仕方ないと微苦笑している。


 亘が満足しきるまで戦うと、気付けば辺りに悪魔の姿は消えていた。

 焦げた地面からは幾つもの黒煙がたちのぼり、破損したコンクリートが音をたて崩れ落ちる。見渡す限りが荒れ果てて地形さえ変化しているような有り様だ。

「とりあえず終わったか」

 冷静になって呟いた。

 先程までの反動で落ち着き払って、ある意味で賢者タイムのような感じだ。顔に煤がつき服が多少焦げて破れている以外は怪我はない。もちろん合間に過保護な神楽が回復魔法を放っていたこともあるが、それほど大したダメージは受けていない。

 とはいえ、心配した神楽は飛んできて頭上に着地するなり口を尖らせた。

「なんでマスターは大人しくしてらんないのさ。ボクほんとに心配したんだからね、勝手に飛び出したらダメって前も言ったよね。どーして悪魔の群れの中に飛び込んでいくのさ。信じらんないよ」

「なあ、神楽」

「なにさ?」

「ちょっとうるさい。皆のレベルを確認しないといけないんだ、静かにしてろよ」

「なにさ!」

 頭上からのぞき込むようにしていた神楽だったが、両手を振り上げ亘の髪の毛をひっぱり抗議しだした。あまりの暴挙に悲鳴があがる。面白がったサキまで真似をしだし……本日何度目かの喧嘩という名のじゃれ合いが始まる。

 ただし、髪を攻撃される亘は結構必死。さっきまで悪魔の中で暴れ回っていた者とは思えないぐらいの情けなさだ。

 きっと、それでちょうどバランスが取れているに違いない。

「まあ、なんやらな。呆れるっちゅうより、やっぱ五条はんやなーって安心するわ」

「いつもの感じですよね」

「そうそう、こんな感じやもんな。って、けっこうにレベルが上がったんな」

「私もですよ。これで、もっと役に立てますね。良かった」

 七海とエルムは、それぞれの従魔を肩にのせながら微笑した。そして白虎は緊張のあまり手をあげイツキの服の裾を掴んでいる。雨竜君は両手を組んで、いま生きていることを空に感謝していた。

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