第278話 ひと言で言えば運がなかった
三階建てビルは上から加わった力によって押し潰され、くの字に折れていた。
窓のガラスは軒並み失われ、窓枠が折れた骨のように飛びだしていた。地面には様々な種類の建材片が激しく散乱し、ガラスの破片が細かな反射光を生じている。外壁からは外れかけたパネルが今もぶら下がり、風によってユラユラと揺れていた。
辺りの建物はどれも似た様子だ。
状況が状況なだけに普通であれば恐怖を感じ、近くに恐ろしい悪魔が居やしないかと不安になっただろう。否、即座に回れ右して走り去ったに違いない。
とはいえ、亘は気にもせず歩いている。
いつもであれば悪魔を探し辺りを見回すところだが、今は渋い顔で悩んでいた。
「…………」
悩みとは、何か話さねばということだ。
黙々と歩いていると気まずくなる。これが一人で歩いているなら何ともないが、しかし誰かと一緒となると途端に気まずくなってしまう。つまり、近村と何を話すかが目下の悩みどころなのである。
最近は気心の知れた仲間と行動することが多いため、思えば話題で悩むなど久しぶりの感覚で……それはちょっと嬉しい。
考えがズレかけ、いかんいかんと頭を軽く振って元に戻す。
実を言えば話題の幾つかは思い浮かんではいる。だが、それを口にするのを躊躇してしまって言葉が出ないのだ。やはりそれは、これまでの人生で他人に話しかけて会話が続かない経験が多数あったことが原因で――。
またしても考えがズレかけていると、近村が話しだした。
「前になんですが、チャラ夫主任主査が言っておられました」
ようやく亘は安堵した。
とはいえ、チャラ夫と主任主査という言葉の組み合わせはあまりにも意外すぎた。おかげで神楽と顔を見あわせてしまったぐらいだ。
「貴方がとても凄い人だと、超凄い人だと。いつか貴方のようになりたいと憧れて目標にしていると言っていました。だから私も貴方に憧れていました」
「いやまあ、そんな大した事ないんで気にしないで」
「ですから期待しすぎて、失礼なことを言ってしまいました。失礼しました」
「ああそう」
今も失礼なことを言われているような気がするが、亘は曖昧に笑うに留めた。
もっと露骨な嫌味を言われて生きてきたので、この程度で目くじらを立てはしない。相手の言動にいちいち反応していては生きていけない社会なのだ。
「以前にチャラ夫主任主査に教えて貰いました、貴方に指導して貰えば強くなれると」
「チャラ夫が……?」
「はい」
そもそも会話というものは案外と誤解と曲解でなりたっている。おまけに近村の説明に言葉足らずな部分があったので、亘はもう完全に勘違いしてしまった。
即わち、チャラ夫の紹介があるという勘違いだ。
よって、チャラ夫の顔を潰さぬ責任を感じてしまった。
何より、チャラ夫からの厚い信頼に応えねばと決意している。
斯くして亘のやる気にスイッチが入ってしまい、適当に流すはずだった訓練をハードに切り替えた。なお亘にとってハードでも、他の者の感覚からすればルナティックやインフェルノが相応しいのだが。
近村はひと言で言えば運がなかった。
「大丈夫、君は必ず強くなれる。強くなれるようサポートする」
亘が力一杯断言すれば、神楽はちょっとだけ不安そうな顔で腕組みをしている。
◆◆◆
ロータリー交差点からは何本もの道路が分かれ、ロータリー中央部には芝生の広場があって誰かの銅像が設置されている。元は交通量の多い道路なのだろう。車道の白線は掠れて途切れ途切れで、アスファルトもひび割れ気味だ。
横転したトラックが腹を晒し、後ろを半分潰さた赤い車両が斜めに傾く。さらに白い車両もガードレールとの間に挟まれていた。ドアや窓が開いているのは乗員が逃げたからなのか、それとも別の要因なのかは分からない。
周りにある建物たちはシャッターを固く閉め、狭い通路は様々な物によって塞がれていた。幅広の歩道はうち捨てられたビニールや紙などが散乱し、一度濡れて張り付いている。
本来は大勢が行き交った場所なのだろうが、今は人の姿は皆無で街路樹が青々とした枝葉を伸ばしている。そして、その下を奇怪な姿をした悪魔が数体彷徨いていた。
「あれは何でしょう?」
「カマイタチで間違いないかな」
人間並みのサイズをしたスリムな獣が二足歩行で徘徊している。顔つきに可愛らしさはなくつり上がった目には悪意と殺意があり、鎌になった腕を振りながら彷徨いていた。
「神楽から見て、あれでいけると思うか?」
「そだね大丈夫だってボク思うよ。周りにも同じ感じのもいるしさ、丁度いいかも」
「よし神楽は周りを警戒してくれ。悪魔が逃げたら教えてくれよ」
「普通だと逆かもしんないけど、了解なのさ」
神楽は肯き亘の頭に着地した。
その重みを感じつつ近村を見やれば、期待の眼差しが向けられている。やはり人から期待されることは嬉しいもので、亘はなお一層頑張らねばと思った。
「強くなるのに近道はない。たとえレベルが上がったとしてもだ、それは数字だけで苦労と実戦経験が伴わないと意味が無いと思う」
「確かにそうですね!」
「強くなるにはとにかく悪魔と戦う。それに尽きる」
「はい!」
「では、さっそくあいつらを倒して貰おう」
「分かりました!」
頷いた近村はスマホを取り出すが、それを亘が取り上げた。
「ああ、それは必要ない」
「必要ないって言われましても。あの……これから悪魔と戦うのですよね?」
「だから必要ないだろ」
「えっ?」
「んっ?」
お互いに考えが全く噛み合っていない。
コミュニケーション不足に気付いた亘は苦笑いしつつ、自分の方針を告げる。即ちデーモンルーラーを使わず自力で悪魔を倒すという方針をだ。
たちまち近村の顔が青ざめていった。
確かにチャラ夫など自力で悪魔を倒す人がいることは知っているが、あくまでもそれは従魔と共に活動してだ。完全に一人で戦うとかありえない。
「ばっ、馬鹿言わないで下さいよ! そんなことして何の意味が!?」
「だから言ったじゃないか実戦経験が伴わないと意味が無いって。それに悪魔を倒すのに従魔と一緒に戦えば、倍の数が倒せるじゃないか」
「おかしいです! そもそもの前提がおかしい!」
「少しもおかしくはない。防衛隊の人たちを思い出してみようか、彼らは自力で戦っているじゃないか」
「あの人たちは銃を持ってるじゃないですか!」
「世の中には銃刀法という良くない法律があって……気軽に使えないんだよ」
亘は哀しげだが、もちろん何が気軽に使えないかは言うまでも無い。
「従魔が戦っている間に使用者が襲われる場合もある。戦うために的確な指示を出すためには、やっぱり自分が戦い方を知っていなければ駄目なんだ。だからスポーツ選手が監督をやる場合が多いんじゃないかな、きっと」
「い、いやそれとこれとは……」
「最近は仕事でも、就職直後からバリバリ活躍できるって勘違いしてる奴が多いけどな。普通は地道にコツコツやって実力をつけてからだよ。あれは絶対にドラマの影響だよな。ということで、まずは自力で悪魔を倒してみようか」
「でもしかし、そんな……」
やる気になった亘は説教モードに移行しているため、普段に比べ口数が多い。とはいえ、そろそろ説明したりするのが面倒になってきている。
「力が欲しいと自分で言ってたじゃないか」
「こ、こんなの違う」
「力ある者には義務があるのなら、義務を果たすための力を身に付けようか」
「義務って。止め……」
亘は往生際の悪い――本当に往生際だが――近村の背を押した。
ほとんど突き飛ばすようなもので、憐れな近村は転がるようにしてロータリーへと飛びだしていった。そして悪魔カマイタチの前へと投げ出された。
呆然として振り向く近村に対し、頑張れという応援のつもりで拳を握ってみせた。もちろん肩では神楽も真似をしている。
「カマイタチ来ちゃったのに……」
「あいつ何やってんだ。早く立って戦えばいいのに」
「やっぱしさ、マスターみたいに自分から悪魔を殴りに行く人間は珍しいんだよ」
「そんな筈ないだろ。まあ見てろって、きっと今から戦うはずだ」
しかし近村は迫るカマイタチに目を見開き、尻餅をついた姿勢のまま後ろへと這って行こうとするばかりだ。もちろん、そんな行動は格好の獲物でしかない。
「うわああああっ!」
迫ったカマイタチの腕が振るわれる。顔を庇おうと挙げた近村の腕が、くるくる回転しながら舞った。
「腕がぁ! 腕があああああっ!」
「あっ、マズいぞ」
亘は素早く前に出るとカマイタチを倒した。ほとんどノータイムで戦いと言うよりは。息をするかのように何気ない動きで倒している。
「これどうすれば!?」
亘は落ちている腕を拾い上げた。
それを平然と扱ってしまうあたり、亘もまた大いに動揺しているのは間違いない。だが動揺の理由は近村を心配してではなく、自分が監督責任を問われやしないかといった心配だ。
悪魔の前に突き出して監督責任も何もないが本人は大真面目である。
「はいはい大丈夫なのさ、ボクに任せといてよね。とりあえずさ、元の場所にくっつけてよ」
「よし分かった!」
傷口に無理矢理押し付けられ、近村は喉の奥から吼えるように叫び暴れた。
「ぎゃああああああっ!」
「動くんじゃない。こっち向きか、逆か」
「がああああああああああっ!!」
「ほら暴れるから間違えたじゃないか、じっとしてろ」
亘は言い訳と誤魔化しを口にしながら、近村を押さえ付ける。心配そうな顔ではあるが、しょせんそれは防衛隊の皆にまで叫びが聞こえてしまったらどうしようか、と言った程度でしかない。
「そんじゃあさ、はい『治癒』でくっついちゃえ」
「よしっ……凄いな! 流石は神楽だ」
「そーでしょそーでしょ、ボク凄いでしょ。マスターはさ、もっともっともーっとボクに感謝して、ボクを褒めて甘やかすべきだって思うんだけど」
「だから食べ物を横取りされても我慢してるし、人の顔の上でグースカ寝るのも我慢してるのだがな」
「ちょっと、それってなんか失礼なのさ」
亘と神楽は肩の荷を降ろしたように言い合う。
だが足元では近村が呻き、いまなお残る痛みの記憶に喘いでいる。彼が力を得るための戦いは、まだ始まったばかりなのだ。
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