第364話 懐疑的反応が見え隠れ
「――と、いった事がありまして」
NATSの会議室で、咳払いしながら亘は言った。少し後ろめたい顔で膝の上に座るサキのぷにぷに頬をつまんで誤魔化している。
「キセノン社の海部という人物から聞いた内容では、どうやら世の中がこんなになったのは、つまりキセノン社に原因があるということですね。実際にDPが大量に流れ込んでいるわけでして――」
会議室で亘の話を聞くのは正中と志緒だった。
海部から聞きだした話の内容が内容なだけに、まずはこの二人に話をしている。本来なら同席させたいチャラ夫と法成寺は、二日酔いに似た症状のため、念のために神楽の状態回復を受けた上で医務室行きだ。
今日のお出かけで七海たちには声をかけていなかったので、個人的にはそちらを優先させ、ひとこと謝りたい気分だ。しかし海部から手に入れた情報は重要なものであるし、七海たちを同席させるには重たい内容もあった。
かくして、そちらの対応は神楽に任せてある。お菓子を食べてお茶を飲んで、上手く誤魔化してくれるに違いない。
「――で、その海部さんは。なんと言うかその……服が偶然にも、偶然にも破れたので引き上げていきましたけど」
もう夕方に近い。
換気のために会議室の入り口ドアは開けてあるが、そこから見える執務室は忙しそうだ。内密な話をしているが、職員の誰もこちらを気にした様子もない。むしろ関わらないようにしている。
その気持ちは亘にはよく分かった。
ただでさえ忙しいのに、わざわざ面倒に首を突っ込む馬鹿はいない。
「五条さん貴方ね、どうして直ぐ戻らないのよ……」
志緒が顔をしかめるのは仕方がない。
疑惑の的であるキセノン社の相手と遭遇したのであれば、さっさと撤退すべきだったと言いたいらしい。何だかんだ言いつつ、志緒はチャラい弟を心配して大事に思っているのだ。あと、海部の服についてはスルーするつもりらしい。
「まあ待ちなさい」
正中が宥めている。
「今回の件は私が許可をして、チャラ夫君にも同行を依頼した。責任は私にある」
「私は責任を追及したいわけじゃなくて……相手と喋ってないで、危ないようだったら直ぐに戻るべきだったと思います」
「しかし、相手が何らかの手段で身体を強化していたのだろう? その辺りも含め、現場でそれが最適と判断したのだよ。今ここで言うのは結果論でしかない」
「うっ……」
「まあ、君の気持ちも分かるがね」
同行した二人が昏倒して、それから遭遇した相手と悠長に会話した後に戦って、また会話してまた戦ってきたのである。
いくら現場判断と言っても、何のつもりだと言いたくもなるだろう。
「とりあえず情報をありがとう。さっそく関係する一部には話を流しておくよ」
正中は立ち上がって部屋の隅に行き、小机にある有線電話の受話器を取って短縮番号を押した。挨拶をする様子からすると、ほぼ同格の知り合い相手らしい。しかし、あまり仲が良さそうな雰囲気ではない。
亘はサキの髪を撫でる。
誰かの電話を横で聞く時の、あの微妙な居心地の悪さを感じつつ時間を潰す。もちろん電話の声は聞くともなしに聞こえてしまうのだが。
「……だからDPがね、DPとは以前説明した物質だよ。それがキセノン社に大量に流れていてだね……根拠となるデータは後で渡す。とにかく、この問題を放置しておくと非常にまずい……何がまずいだって? それを説明してもいいが、絶対に馬鹿にしないで欲しい。真面目な話だ……よろしい、では言おう。つまり神様が怒って罰を……ふざけてはいないよ。現に世の中に悪魔もいるじゃないか、だから神と呼ばれる方々だって存在する……とにかく、そうした情報があってだね……」
正中はしばらく電話でやりあって、最後に叩きつけるようにして受話器を戻した。かなり苛立っている。
夢見心地を無粋の音で邪魔されたサキも苛立っている。志緒は自分が悪くもないのに首を竦めた。諸悪の根源とも言える亘が気楽な様子なのは、上司と部下という感覚が薄く仲間意識が強いからだった。
「相手の感触はどうでした?」
「どうもこうもないね。あまり真面目に考えてない」
偉い人というものは面白い事に、問題発生時に責任の所在に対する追及は厳しいのだが、その問題解決に対しては及び腰となって当事者意識が希薄になる。つまり、わざわざ面倒に首を突っ込む馬鹿はいないということだ。
「はぁ、この後に及んでですか」
「一部の者にとって悪魔とは、新型未確認外来生物という呼称そのままの認識だよ。突然湧いて出た野生生物という認識で、駆除すれば問題ないという考えが多い。その方が気持ちが楽だからね」
「実際にはDPがある限り出現しますけどね」
「そのDPに対しても懐疑的反応が見え隠れする。なにせ自分の知らない、これまで知られていなかった物質だからね」
「まあ……そうでしょうね」
物事は根拠がなければ誰も信じない。特に悪い情報ほどそうだ。
たとえばどこかで戦争が起き、次は自分たちが攻められる可能性があっても誰も信じず楽観視する。むしろ、そんな悪い情報を口にする者を気持ち悪く感じ、陰謀論者として忌避するだろう。
だから悪魔が無限に湧き、DPが別の世界に流れ、それを放置しておけば辺り一帯が消し飛ぶなどという嫌な情報は誰も信じない。
「キセノン社に流れ込むDPも、それがどうしたという感じだよ」
「そうなりますね。ああ、そう言えば海部さんが言ってましたね。議員や官僚の中にキセノン社の方針に理解を示している人が大勢いると。そういった辺りも、ひょっとすると影響あるかもしれませんね」
亘が軽く笑えば、膝上のサキも真似して笑った。
だが、いきなりの爆弾発言に正中と志緒は黙り込んでいる。
「「…………」」
話の内容にショックを受けたと言うよりは、下手すると言い忘れていたかもしれない何気なさに呆れ返っている様子だった。
「あのね五条さんね、そういうことはね――」
「よしなさい長谷部君。世の中には言っても仕方ないことがある」
「ですけど!」
「ちゃんと教えてくれて良かったと、思おうじゃないか」
「……そうですね」
志緒は深く息を吐いて肩を落とし、小さな呼吸を何度か繰り返した。そうやって心の中に存在する憤懣を追いやると、訝しげな様子の亘を前にしても平静でいられるまでになった。
困惑する亘は、何が悪かったのかサキに尋ねるが答えは得られない。
そんな両者を尻目に志緒は真面目に頷く。
「ええ、そうですね。それよりも考えましょう。別に五条さんを疑うわけではありません。ですが海部氏の言葉を鵜呑みにはできないと、私は思います」
志緒は勢い込んで言った。
「そもそも海部氏はどうして、この情報をくれたのでしょうか」
「確かにそうだね、不必要に情報を出しすぎだ」
「ですから、こちらを攪乱する目的がある可能性は否定できませんよ。家族や自分の境遇まで語ったのも、それと考えれば理解できませんか?」
「つまり海部氏は、何かを隠したい意図があると?」
聞いていた亘は、それは違うと思った。
あの海部は知って欲しかったのだ、自分の辛い境遇や苦しかった過去を、そして自分の母親の存在とその苦難を。しかしそれを言っても、この二人には分かるまいと思った。
どうして自分の心に小さな悔しさと哀しさが込み上げるのか、亘には分からなかった。僅かに強張った手に柔らかさを感じると、サキが優しく頬を寄せている。その温かみがありがたい。
「ここは慎重になって情報を精査すべきだろうね」
「はい! こちらを疑心暗鬼に陥れる目的もあると考えれば、幾つかの情報がブラフに違いありません」
志緒と正中は頷き合うので、亘は面白くない気分になった。心情的には海部に傾いている。あの母親について語っている時の必死さ真剣さ懸命さ哀しさ、そうした思いが踏みにじられている気がした。
たとえ海部が多くの人を苦しめているにしても、否定したくない部分はある。
「なるほど。その志緒が言うブラフってのは何に対してだ?」
不満を込めて――相手が志緒であるので強気で――非難がましく言った。
「分かるわけないでしょ。それはこれから検証していくことだもの。もしかしたら、もっと重大な事を隠しているかもしれないもの」
「あの感じだと、ないと思うけどね……」
亘は肩を竦め呟いた。
視線を逸らし、それ以上は語りたくないという態度を露骨にみせる。しかし志緒はどうして亘が拗ねているのかと首を捻っただけだ。
「五条君の勘も大事だが、そこは確認せねば。まずは法成寺君が観測したデータの解析を待ちつつ、海部氏の発言意図を探る。その結果が出たらデータを提示して上層部に説明して、キセノン社への対応を検討しつつ、組織内にキセノン社と通じた者がいないか調査していこう」
「それは大変そうですね」
亘が当事者意識のない発言をするのは、そろそろ本当に拗ねてきたのだ。気持ちはすれ違い、今の言葉に志緒は苦虫を噛みつぶしたような顔をして嫌味を言う。
「五条さんに言っておくわよ。これからは出かける時は、ひとこと言ってからにしてちょうだいね」
「では、今から出かける」
亘はサキを小脇に抱え立ち上がる。
志緒は悪くなくむしろ常識的な対応だとも分かっている。それに対し、自分が子供っぽく拗ねたあげく、その気持ちを察して貰いたくて露骨な態度をとっていることも分かっている。
分かっていても、それが抑えきれない。
そんな時は場所を変えて気分を変え、ストレス発散をするのが一番だ。
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