第173話 心癒やされるばかり

「三人が近くまで来ていたとはな……電話してくれて助かったよ。あっと、今のはなんでもない。気にしないでくれ」

 ファミレスの四人掛けのボックス席にて、亘は背もたれに身を預けると、電話をくれた相手に笑いかけた。それはもう心の底からの笑顔だ。

「とっても偶然ですよね、はい。近くにいて良かったです」

「ウチらが近くにおったなんて、偶然やなぁ」

「そうだぞ、本当に偶然なんだぞ。嘘じゃないかんな、いてっ」

 七海にエルムの間でイツキが短く悲鳴をあげた。

 そんな様子であったが亘は気付きもしない。危機を脱した安堵で心がいっぱいなのである。そして瑞々しい少女たちに囲まれ心癒やされるばかりだ。

 夕食時とあって店内は混雑気味。

 学生の姿も多く、七海とエルムの制服姿も目立たないはず……なのだが、三十過ぎの背広姿の男と一緒の組み合わせのため、多少は奇妙に思われ気にされていたりする。

「さあ、好きなものを頼んでくれ。遠慮しなくていいからな」

 せめてもの心尽くしでそんなことを言えば、たちまち歓声が上がる。何事かと周囲から注目を集めるが、すぐに逸れる。良きにつけ悪しきにつけ若者は他人に無関心だ。他人の行動が妙に気になりだすのは中年の証拠だろう。

「やったで。五条はん、もう大好きやん」

「やったぜ! さあ沢山頼むぞ、どれにしよっかな。メニューの端から順番に頼んだら駄目か?」

「えっと、その。や、やったー……私も大好きですから」

 元気な声の中に七海の恥ずかしげな小声が混じる。メニュー表で恥ずかしげに顔を隠すのだが、ニヤニヤするエルムに肘で小突かれ完全に隠れてしまう。そしてメニューを取り上げられ慌てふためいている。

 そんな様子を、いいなあと思いながら眺めやる亘であった。

 目の前にあるのは弾けるような若さであり可愛らしさだが、何より自然だ。メニュー表を囲み、何を頼むか笑う姿には何も取り繕うところがない。一緒に居て少しも疲れることがなかった。

「式主、おしろい臭い」

 隣からサキが身を乗り出し、鼻を近づける。クンクンとさせるが、どうやら化粧の移り香が気にいらないようだ。確かに合コン会場の皆様は、気合いの入った化粧をしていた。むしろ、その香りで頭痛がするぐらいだったが。

 亘は反省する。

 こんな可愛い子たちに囲まれて食事ができるなら、合コンなんて行く必要は無かったに違いない。というよりも、合コンなんてコリゴリ。これを教訓として、興味本位で物事に首を突っ込まないようにすべきだ。

 サキの両脇に手を差し入れると、持ち上げ膝に載せる。そして、呼びだしボタンに手を伸ばすのだった。

(こちらピクシーワン、ケーキセットを要求する。オーバー)

 なお、鞄の中から一生懸命張りあげる声があったりする。


◆◆◆


 食事に雑談を楽しんで、レジで精算を済ませ亘は少女たちを連れファミレスを後にした。日の落ちた繁華街を歩きだす。

 楽しい時はあっという間に過ぎる。

 それを証明するように、思いのほか遅い時刻であり、さすがに制服姿の少女を連れ歩くにはマズい時間帯だ。

「ほら、もう遅い時間だ。帰らないといけないだろ」

「遅い時間って、五条はんの感覚はどうなっとんのや。まだ二十時にもなっとらんやないの」

「遅いだろ?」

「普通やろ」

「ほんとか!?」

 亘は目を見開いた。社会人の仕事としては、さして遅くもない時間である。しかし、自身が学生の頃なら、もう食事も風呂も終わってパジャマを着ていたような時間だ。ただしそれは放課後になるや、真っ直ぐ帰宅していたボッチの感覚だが。


 ちょうど付近のスーパーから閉店を告げるアナウンスが聞こえてきた。やはり帰るべき時間なのだろう。

 七海がクスクスと笑った。

「五条さんが言うように、帰る時間みたいです。ほら、蛍の光が流れてますよ」

「そうだな……ちなみにだな。あれは蛍の光ではなくって、別れのワルツだな」

 聞きかじった知識を知ったかぶりで披露する。

「へえ、それは知りませんでした。そうなんですか」

「確かどうだったかな。そう、三拍子と四拍子の違いだ」

 七海がポンッと両手を打ち鳴らした。

「なるほど、そうですね。ワルツですから三拍子ということですか。確かにこの曲は三拍子です。言われるまで気付きませんでしたよ」

「そうだろ、そうだろ。はははっ」

「小父さんは物知りなんだな。そんでさ、良く分んないけど三拍子と四拍子ってどう違うんだ」

「それはな……どう説明したものかな」

 実を言えば音楽的素養が皆無な亘は顔を引きつらせてしまう。閉店の支度をするスーパーのネオンを眺め、サキの頭をグリグリしながら考え込む。キラキラと純真無垢な瞳に見つめられ汗をかくばかりだ。

「そんならちょうどええわ、皆でカラオケ行こか。ウチとナーナで歌って教えたるんな」

「カラオケだと!?」

 助かったと思う間もなく、亘は背筋をぞっとさせた。

 一度だけ。そう一度だけ、職場の飲み会後の二次会でカラオケに連行された事がある。狭い個室で大音量が氾濫し、頭痛を堪えながら隅っこで物憂げにタンバリンを叩いていた忌まわしい記憶が蘇る。

「歌って覚えて、遊べてちょうどええやん。ナーナもどうや?」

「いいですね。この辺りでしたら、お店はどこでしょうか? あまり来ない場所なので分かりませんが……」

「ほら、そんなの無理に探さなくたっていいから――」

 亘は話題を逸すべく思考を高速回転させる。

「そうだ! 遊びに行くなら今度どこかに行こうじゃないか」

「どっかに遊びに行く? それ賛成や、ウチお泊まりでもええんな」

「だったら俺の里なんて、いいと思うぞ」

「温泉があるんですよね。あと、ご飯が美味しかったとも聞いてますよ」

「そうなんだぞ。ナナ姉のお母さんとか料理上手だけど、やっぱり取れたての野菜は違うんだぜ。鹿とか猪とか美味いかんな。熊が獲れたら最高なんだけど」

 イツキの言葉で、関心はそちらに移る。

「熊、食べるんですか?」

「今の時期なら、すっごく脂がのって美味いんだぞ」

「えらいワイルドな話やんな。けど、それええなあ。行こう、行こう。五条はんもええやろ」

「そうだな」

 上手いこと話を逸らすことに成功し、亘はシメシメと頷いた。

 さらにテガイの里で食べた米の味と猪鍋を思い出せば頬が緩む。さらに満天の星空の下で、また温泉につかれたら最高ではないか。とっさに思いついたとはいえ、我ながらナイスだ。

 亘は自画自賛しつつ悦に入る。しかし現実は非情だ。

「そーゆーことで。まずはカラオケ行こか」

「えっ、なんでだ。それより喫茶店で計画をたてた方がいいだろ」

「そりゃカラオケやんな。密室やで邪魔されず好きなことできるで」

「すぐにお店を探して見せますから、お任せ下さい」

 一生懸命スマホで検索する七海に、分けの分からぬまま楽しみにするイツキとサキ。喉の調子を確認しだしたエルム。

――勘弁してくれ。

 傍らを通り過ぎていくサラリーマンの羨ましげな視線にも気付かず、亘は心の中で悲痛な叫びをあげる。

 とはいえ、楽しみにする少女たちの期待と希望を裏切るだなんて、一体誰にできようか。少なくとも亘には無理だ。行きたくないが、そうとは言えぬこの辛さ。

 どうすれば良いのか――肩を誰かに叩かれた。

「もしもし、少しよろしいでしょうか」

 亘は眼を輝かせ救いの主を振り返る。

「なんでしょう? うえっ?」

「少し確認させて頂いてよろしいでしょうか?」

 二人組の警察官がいた。

 紺を色調とした制服に制帽で防刃チョッキの姿で、腰には警棒や無線機器など重たげな装備を身に付けている。頭の中で嫌な予感がチリつくが、過去の経験からごく自然な態度を心がけておく。

「ええ、構いませんが」

「そちらのお嬢さんたちとの関係を伺っても?」

 当然の質問だろう。

「これ、娘です」

 サキを肩に担ぎ上げる。首に抱きつき甘える様子に、なる程と納得された。

「こっちも娘です」

 イツキの腕を掴んで引き寄せる。少し不審顔をされるが、まあまあ納得された。

「それで、こっちは……」

 七海とエルムを見やり口ごもった。娘と主張するには制服姿は苦しすぎる。この微妙な関係をどう表すものか難しい所だ。仲間、友人、知り合い。最適解を求め思考を巡らせる。下手に身分を偽って家庭教師とも言うのは下策。

 だが結論を出す前に、素早く移動したエルムに腕を取られてしまう。

「ウチ、彼女やんな」

「だったら私も彼女です」

 むすっとした七海が反対の腕を取ると、警察官の目が険しくなる。

「じゃあ、俺も俺も! 娘じゃなくって愛人なんだぞ」

「おいよせ」

 少女たちに纏わり付かれたまま亘は進退窮まった。

 警察官二人は顔を見合わせ、片方が無線機で何事か連絡を取りだした。もう一人は亘の顔を見据えるのだが、それは完全に犯罪者を見る目である。多少のやっかみと嫉妬も見受けられる。

「ちょっと署までご同行頂いても?」

 言い訳は出来そうにない。亘は肩を竦めた。

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