第174話 もう一度、同じ事を
警察署内の取調室。
ドラマでは壁にマジックミラーがあったが、実際にはそんなものはなかった。入口側の壁に四角い窓があり、外側につけられたカーテンが閉められている。簡素で殺風景な室内にはスチール机とパイプ椅子があるだけだ。
エルムとイツキは互いにつつき合っては笑っており、何故ここに連れて来られたのか全く理解していない。自分たちが補導されたという認識は皆無だ。ただ珍しい場所に入れたと喜んでいるだけだった。
「どうしましょう、困りましたね」
七海はそう言って小さな息をついた。二人よりはマシな程度に現状を認識して危機感を抱いてはいるが……きちんと説明すれば誤解は解けると素直に信じていた。
扉が開き女性警官が二人現れた。
どちらも、安心させるような優しい笑みを浮かべている。一人は壁際の机に向かい書き物の準備を始め、もう一人が机を挟んだ向かいに座った。
ふくよかで親切そうな女性警官の様子に七海は安心した。
「あのう、五条さんはどうされてますか」
亘は離れることを嫌がったサキと一緒に別室へと連れて行かれ、それっきりだ。
「安心して良いのよ。さあ、ゆっくり私とお話をしましょうね。それで、教えて貰いたいけれど。あの男の人と、何をしていたのかしら」
「はいっ、カラオケ行こうとしただけやで」
「まあ、それは楽しそうね。じゃあ、皆でカラオケをするつもりだったのね」
「そうなんだぞ。密室だから、邪魔されずに好きなことできるらしいんだぞ」
イツキは頭の後で手を組み、椅子を斜めに傾け得意そうな顔をする。物知りだと自慢したいようで、机の下で七海が送った合図に気付きもしない。
女性警官の目が一瞬鋭さを帯び、壁際の机で紙――それは調書――に素早く何かが書き込まれだす。
「そうなのね。ところで、あの男の人から何か貰ったり、これから貰ったりする約束はしていたのかしら。もしくは、どこかに行こうと誘われたことは?」
言外の意味を悟り七海は一生懸命に机の下で合図をする。
エルムは軽く口元を押さえしばし考え込み、ようやく気付いて顔を強張らせた。自分たちが何を疑われ、どういった状況にあり、その返答しだいで何が起きるのか正確に理解したらしい。
だがイツキは暢気に笑っている。
「へへん、実は今度旅行に連れてって貰う予定なんだぞ。美味しい物食べて、一緒に温泉に入るんだかんな」
女性警官たちは顔を見合わせ、確信を持って頷きあう。調書へのメモ量は増えていくばかりだ。
七海とエルムは大いに慌て、胸の前で両手を振って一生懸命に否定する。
「ち、違うんです。イツキちゃん――この子の故郷に遊びに行くだけなんです」
「そうなんやで、イツキちゃんの家に行くだけなんや」
「あらそうなのね。お家はどこなのかしら」
「それは内緒なんだぞ。でもまあ俺も、そろそろ一度ぐらい里に帰った方がいいかなって思うんだ。家を出てから随分と経ったかんな。きっと、カカ様も心配してるだろな」
「……もしかして、あなた家出中かしら?」
「家出? ああ、家を出たってんなら、そうなんだぞ」
ふふんと得意そうな姿に、女性警官は互いに目配せし合った。
調書をとっていた女性警官が入り口に行き、外の誰かを手招きして小声で何事かを依頼する。途中でイツキに目を向け、ヒソヒソ説明しながら何度か頷いた。
七海は残った女性警官に必死で訴える。
「違います、それ違いますから。ちゃんと、この子の家族も承知の上ですから」
「ええそうね、分かったわ。ちょっと確認するだけのことなのよ。さあ、それじゃあ次の質問をしましょうね。あの男の人と、どうやって知り合ったか教えて貰えるかしら」
穏やかな笑顔だが、それが相手を落ち着かせるために作られたもおだと、今更ながら七海は気付いた。
一方で天真爛漫なイツキは無邪気な笑顔で調子にのって喋りだす。
「里に来た小父さんが、前鬼様と後鬼様を倒したんだぞ。それで俺はこの人だって決めたんだ。小父さんはとっても優しくって、俺の目に狂いはなかったぜ」
「ゼンキサマとゴキサマ? 倒したとは?」
「えっと、それは……それはゲームなんやな。『デーモンルーラー』っちゅうの知っとります? それを通じて知り合ったっちゅうわけなんや」
「なるほどね、ゲームを通じてね……サイバー犯罪課にも連絡しないと」
そんな呟きを耳にして、七海は頭を抱えたい気分になってしまった。
◆◆◆
入り口の扉が開くと、女性警官が入室した。
持って来た紙を厳つい顔の警官へと手渡すのだが、出て行く前に亘を一瞥した目は、卑劣な犯罪者を見るようなものであった。
一読した警官も、やはり同じような目をする。義憤に燃えている様子であった。
「未成年者の家出少女を言葉巧みに騙しているのか。お前、それでも公務員か!」
ドスの利いた声が取調室に響いた。
安っぽい机を挟んで厳つい顔の警官と向き合い、亘はボンヤリ考える。
――さて、どうしたものか。
客観的に考えて非常にマズい状況だ。家出少女とか、言葉巧みにとの意味分からぬが、未成年者三名を連れ夜の繁華街にいたことは事実だ。誤解が解ければ帰して貰えると思っていたが、どうやらそれは難しそうだ。
「しかも温泉だと! 一緒だと! けしからん、実にけしからん!」
義憤かどうかは疑問だが、凄い剣幕をする警官を眺め亘は状況を整理していく。
このまま逮捕となれば、全てを失う。仕事も生活も何もかもだ。今がよろしくない状況であることは間違いない。
「おい! 聞いてんのか!」
「まあまあ長さん落ち着いて。ほら、小さな子もいますから」
サキは怠そうに机に顎を載せている。
「そっちの子も本当にお前の子か? 怪しいもんだ。どっかで攫ったんじゃあるまいな」
似たようなものだと亘は自嘲した。なにせ拾ったのが出会いなのだから。
軽く笑った態度に警官が激昂する。
「お前、何がおかしい! 照会かけりゃ一発だぞ。余裕ぶっこいてんのは、弁護士でもあてにしてんのか? ああいいだろ。だがな、こうなったらお前を徹底的に調べあげてやる。住んでる場所も、職場も全部だ。全部を聞き込みして回ってやろうか? この先ずっと何度でも何年でもやってやるぞ!」
そんな話に、とある美談を思い出す。
一人の刑事が自分の勘に従い、証拠不十分で保釈された男を十年以上も独自に調べ続け、何年にも渡り本人に会い続け、何度も周囲に聞き込みを繰り返し、遂には根負けした男が犯人だと自供したというものだ。
皆は刑事の鑑と褒めそやしていたが、亘にはさっぱり美談に思えなかった。真犯人だから良かっただけで、やられる方は堪ったものでないだろう。
「長さんも落ち着いて。ほら、君も素直に自供すれば罪は軽くなるから」
亘は出来の悪いコントを眺めるような気分になった。
どうやらこれは小説やドラマで登場する『良い警官と悪い警官』らしい。もっとも、一年ほど前ならともかく、異界で数々の悪魔と戦ってきた亘にとっては怒鳴られたぐらいでは平気だ。もっとも、職場で課長に睨まれてしまうと恐いのだが。
そもそも、自供すれば罪は軽くなるなんて言葉は全くの嘘で量刑の決定には何の影響もないらしい。
――さて、どうしたものか。
幸い取調室の可視化はされていない。電子的な記録もまだ取られていない。たとえば、たとえばだが。この建物が人も含めて全滅したとすれば、何の記録も残らないのではなかろうか。その気になれば簡単なことだ。
そんな亘の不埒な考えを察し、隣の椅子に座っていたサキが僅かに目を開いた。 軽く身を伸ばす仕草は可愛いものだが、緋色の瞳は獣の目つきになり、目の前の人間を獲物として観察しだしている。命令一下、瞬時に襲い掛かり声さえ上げさせぬまま仕留めるに違いない。
「この公務員の面汚しめ! 素直に全部白状しろ!」
「ほら、素直になればすぐ終わるからね」
なんだか、物凄く煩わしくなってきた。亘は悩むことも面倒な気分だ。
「無事かっ!」
そんな声と共に勢いよく取調室の扉が開かれ、亘は現れた相手の姿に意外そうな表情になる。全くの予想外の相手だった。
勢いよく入ってきたのは、NATSの正中課長であった。大急ぎ走って来たのか息を乱し、顔色も青ざめたように悪い。
警官二人は訝しげに正中を見ていたが、続いて恰幅の良い立派な制服男が現れると即座に立ち上がり背筋を伸ばしてみせた。先程までの横柄な態度は微塵もない。
「これは署長、どうされましたか。こちら弁護士の方でしょうか。無事かと言われましたが、我々は普通に取り調べをしているだけで何の問題もありません!」
「勘違いしては困る。無事か心配したのは、彼にではなく君らに対してだ」
「はぁ?」
警官は苛立たしげに眉を寄せた。正中が誰かも知らぬため挑むような顔つきだが、署長の耳打ちでゲッとひと声顔を硬くする。それがキャリアの威光か正中個人の威光かは分からぬが、熱い掌返しの反応だ。
そんな様子はさておき、亘は心の底から感心していた。流石はキャリア官僚の一員で、どうやら亘が取りそうな行動は予想済みだったに違いない。
「まだ何もしてなくって良かったわ」
入口にまたも見覚えのある相手が現れた。きりっとした顔立ちの女性で、颯爽と歩くスーツ姿はドラマのヒロインみたいだ。もっとも実態はかなり鈍臭いのだが。
長谷部志緒はヒールの音を響かせ入室すると、亘とサキを意味深に見ながら安堵する。狭い取調室に人が増え、一気に狭くなった。
亘はパイプ椅子に背を預けると、薄く笑った。少し前までの煩わしいと思った考えが残り、人も何もどうでも良いといった気分だ。
「なんだ、顔を見るなり失礼なやつだな」
「それはどうも失礼したわね。ごめんなさい」
「そりゃそうと、ここにいると何故分かった? まさか監視とかしてないだろな」
「違うわよ、七海さんから連絡があったのよ。全く肝を冷やしたわよ、あなたが何をしでかすか、気が気じゃなかったわ」
「実際、寸前だったがな」
特に何でもない素振りで亘は言った。
「またそんな冗談を……冗談よね、ちょっと冗談よね。何とか言いなさいよ」
「何とか」
サキが可愛らしい素振りで呟き、キヒヒッと笑った。そのニイッとした笑顔に底知れぬものを感じ、正中と志緒は背筋をゾッととさせるのであった。
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