第32話 慣れと油断

 探知能力で事前に敵の存在を把握し、襲われる前に目つぶしを放つ。動けなくなったところを取り囲んでタコ殴りにする。

 それが必勝パターンだ。

 ゲームでは大したことない状態異常の『目つぶし』でも、実際の戦闘となれば全く違う。しかもハバネロ粉の効果は激烈で、やられたコボルトは攻撃も防御もできないまま狩られてしまう。

 リポップが早いのか、サクッと倒すとすぐまた次の敵が現れる。そうして戦闘を繰り返していると、自然に目つぶし係の順番や、最初の一撃を入れる順番までもが決まっていき効率化していく。


 順調に経験値とDPが稼げているが、そこに慣れと油断があったのかもしれない。

「注意して! 次の敵はいつもと違うよ。凄い勢いで向かって来るよ」

「大丈夫っすよ、次は俺っちが粉を投げる番っす。パパッと上手くやるっすよ」

 神楽の鋭い声にも、チャラ夫はヘラヘラと笑うだけだ。注意しかけた亘だが、それよりもドッドドッという激しい足音に気づいた。

 薄闇をかき分け巨躯が現れる。

 体毛のない緑色肌のゴリラのような姿だ。厳つい顔は醜悪に歪み鋭い牙のある口をグワッと開き、質量と力感のある走りで一直線に突進してくる。

――グオオォォォッ!

 腹に響く雄たけびだ。

「ひいっ」

 チャラ夫は突進する悪魔の姿と、その声で怯んでしまい袋に手を突っ込んだまま固まってしまった。ガルムが跳びかかって進路から引き倒さねば、跳ね飛ばされていたに違いない。

 しかし悪魔の突進は止まらない。そのまま向かう先には七海の姿がある。

 亘はとっさに動いた。

「危ないっ!」

「きゃっ!」

 飛びつきながら七海の腕を掴み、突進の進路から引き倒す。手荒な扱いだが、そうせねば跳ね飛ばされていたに違いない。


 目標を失った悪魔が商店へと突っ込み、ガラス戸をサッシごと目茶目茶に破壊し陳列棚をなぎ倒した。それはまるで車が突っ込んだような威力で、これをまともに喰らっていれば大怪我だったに違いない。

「あれはオークだよ、気を付けて!」

「わかった、魔法を……くそっ、来たぞ!」

 粉塵から跳び出す巨躯に気付き、亘がとっさに飛び退く。一瞬前までいた位置に棍棒のような腕が落下と共に振り下ろされた。重い轟音とともにアスファルトが陥没している。

 さらに距離を取ろうとした亘だが、オークの眼が向く先に気付く。それは先ほど引き倒した七海を向いていた。

 その七海はぶつけたお尻を痛そうに擦り、立ち上がろうとしているところだ。逃げろと言って逃げられるタイミングではない。

「くっ!」

 咄嗟の判断で、亘は金属バットをオークめがけて投げつけた。

 回転しながら飛んだそれが、緑色肌に命中し幾ばくかのダメージを与える。そして、注意を自分に向けさせることに成功した。

 亘はさらに地を蹴ってオークへと殴りかかる。

 APスキルで強化された力のまま、腕を突き出し、勢いを載せた掌底をオークの顔面へと叩き込む。その一撃は巨体をよろめかせた。

 だが、そこからの反撃もまた苛烈だ。

 切り裂くように放たれた鋭い爪が襲いかかる。亘はあえて前に出た。爪が肩に食い込むが、前に出たことで勢いが殺され、それ以上の傷は受けない。それでも切り裂かれた肩から激しく血が飛ぶ。

 痛みに怯む間すらなかった。ムワっと生臭い口による喰いつきが襲ってくる。

 間一髪、それも身をよじって避けたものの、側頭部を牙で切り裂かれてしまった。だが亘は苦痛を堪えオークを殴りつける。

「こんのぉお! 誰を傷つけたと思ってんのさ? ボクの、ボクのマスターをぉ!」

 怒り心頭の神楽が凄まじい勢いで突撃したる。その勢いで突き込まれた薙刀がオークの眉間へと、矢の如く突き立つ。

――ピギィィッ!

 オークは悲鳴をあげたじろぐ。

 その隙に亘はオークを突き飛ばすように距離をとり、地面に落としていた目つぶしを咄嗟に掴むや、袋ごとオークの顔へとぶちまけた。

 赤白の粉にまみれたオークは、顔を押さえ苦悶の声で吠え苦しむ。

「神楽! 魔法でとどめだ!」

 しかし命じるまでもなかった。神楽は既に魔法を発動させていたのだ。

「許さない、『雷魔法』本当に許さない『雷魔法』消えてしまえ『雷魔法』!」

 神楽の手からバチバチと雷球が放たれる。一撃目でオークは沈んでいるが、さらに魔法が放たれていく。相当怒っている様子で……ちょっと恐くなるぐらいだ。

 そうしてオークは跡形も残らず倒されてしまった。


 亘は肩を押さえながら壁に背を預けると、そのまま座り込む。ちょっと立っているのが辛かった。

「いつっつ。くそ油断したな。七海の怪我はどうだ、痛いとこないか」

「私は少しぶつけた程度で大丈夫です。それよりも五条さんの怪我の方が……」

 七海は足をも捻っているのか、少し痛そうな足取りで近づいてきた。亘の傷を見ようと手を伸ばすが、その前に神楽が小さな身体で素早く割り込んだ。

「マスター大丈夫!? すぐ回復するからね、安心してね」

「待て。先に七海に治癒をかけてくれ」

「なに言ってんのさ! そんな傷で何言ってんのさ!」

 亘の指示に逆らえない神楽が文句の声をあげる。そして七海からも声があがった。

「そうです。私は構いませんから早く五条さんの怪我を先に」

「騒ぐな。この程度大騒ぎする程でもない。ほら、七海を先に回復してやってくれ。こんな時ぐらい格好をつけさせてくれたっていいだろ」

「もう、マスターってば変な所で意地っ張りなんだから。ナナちゃんに『治癒』。ついででチャラ夫に『治癒』。これでいいでしょ、マスターに『治癒』だよ」

 神楽の魔法が唱えられると同時に痛みが嘘のように引いていく。

 それでようやく亘はほっと息を吐けた。正直傷が燃えるように痛み、大声をあげたかったのが本当のところだ。


 覚悟だの、自分の身は自分で守れと偉そうなことを言っていたくせに、その当人が真っ先に怪我したのだ。恥ずかしすぎる。これ以上恥の上塗りをせぬよう、必死にやせ我慢をしていたのだ。

「凄い効果だな、神楽ありがとう」

「えへへっ、どういたしまして……でも、マスターに怪我させる前に倒せなかったのはボクの責任だよ。ごめんね」

「何言ってんだ、気にするな」

 傷の状態を確認すれば出血は止まり、多少ヒリヒリ感もあるが傷口は完全に塞がっていた。もう元通りで大丈夫だろう。もっとも血で汚れた服は、廃棄するしかないが。

「やれやれゲーム気分でいると死ぬとか言った奴が、真っ先にケガしてたら世話ないよな」

 亘は苦笑しながらリュックからウェットティッシュと取り出すと、脇に寄って商店のガラスをのぞき込みながら血を拭いた。そうしていると、七海が近づいてくる。

「あの、私が拭くの手伝いますから」

「なにいいさ、この程度は自分で拭けるからな」

 何でもないように断って見せるが、実のところ亘は少し慌てていた。

 拭くとなれば当然間近になり、七海の手が触れることになる。そんなの恥ずかしいではないか。顔を赤くして挙動不審になってしまう自信があった。

「ナナちゃん、いいよ。ボクが拭くんだからさ」

 すかさず飛んできた神楽がウェットティッシュを奪い取っていった。それで甲斐甲斐しく亘の血を拭きだし、世話焼きピクシーぶりを遺憾なく発揮しだす。

 亘はされるがままで七海へと謝る。

「さっきは悪かったな。咄嗟とはいえ、引き倒してしまった」

「そんな! とんでもないですよ。五条さんのおかげで助かったんです。ありがとうございました」

「はははっ、だったらおあいこで終わりにしようや」

「もー、マスター動かないでよ」

 神楽がっせと手を動かしながら文句を言う。仕方なく大人しく拭かれていると、そこにチャラ夫もやって来た。足下のガルムも含め申し訳なさそうな顔だ。

「面目ないっす。俺っちが油断してたせいで、兄貴が怪我したっす……」

「気にするなよ、こっちも油断してたんだ。おあいこで終わりってもんさ」

 嘆くチャラ夫の足をガルムが前足でよしよしと撫でている。本当によく出来たガルムではないか。

 亘は優しく笑った。

「さあ、これで謝り合いはお終いにしようや。ここからは、お互い気を引き締めていこう」

「「はい」」

 皆で動くのは楽しいが謝ったり謝られたりが面倒だな、と亘は少しばかり思うのだった。

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