第201話 親バカになりそうなタイプ
異界の扉をくぐった先も、やはり神社であった。
ただし、そこは廃墟のように荒れ果てており社殿の屋根は崩れ落ち壁の大半が打ち壊されている。鳥居も半ばでへし折られた柱が立つのみだ。
「なんだここは……」
亘の見上げた空は、よく知る薄暗く薄明るいものではない。もっと黒味を帯び、蠢くように暗く濁っていた。何より辺りにピリピリとした雰囲気が漂う。
まるで空気自体が敵意を持っているようで、肌が粟立ってしまう。
「なんでしょうか、少し気分が……」
続いて異界に現れた七海が青ざめた顔で呟けば、亘は即座に反応する。
「むっ、それはいかん。すぐにここを出よう」
「大丈夫です、そこまで大事ではありませんから」
「いやいや、気分が悪いなら直ぐに出るべきだ。これ神楽や、もう一度異界の扉を開いてくれ」
「あいあいなのさー。すぐに……ありゃりゃ? これどしたんだろ」
神楽は小首を傾げつつ、扉があると思しき辺りで手を振り回した。いつもであれば、そこで空間が揺らめくのだが今は空を切るばかり。ややあって振り向くと、両手を上に向け肩を竦めてみせる。
「なんかさ、扉が開かないや」
「まさかそこに出口が存在しないって事なのか?」
「そじゃないよ。ここに扉はあるんだけどさ、なんでか分かんないけど、開かないんだよ。このこのっ――ごめん、ダメだよ開かないや」
一生懸命両手を振り回した神楽だが、ぜえぜえと息を荒げながら謝ってみせる。
「それならガルちゃんにお任せっす!」
チャラ夫は喚びだしたガルムに扉を開けるよう指示する。励まして応援などしているが、やはり開く様子はない
ガルムは申し訳なさそうに項垂れてしまった。
「おお、よしよし頑張ったっす! 偉いっす! ガルちゃんは悪くないっす!」
「なんちゅうか、あれやんな。将来は親バカになりそうなタイプやんな」
「俺もそう思うぜ」
頭の後ろで手を組んだイツキは平気そうだが、エルムの方は少し元気がない。やはり七海同様に気分が悪い様子だ。
「まずいな、こうなったら別の出口を探すしかないか」
「んっ、必要ない」
「ふむそうか、必要ないのか」
口数の少ないサキと話す時は積極的に話していかねばならないが、どちらかと言えば亘も会話や喋ることが――特に相手に問いただすことが――苦手だ。それで分かったフリをしてしまうことが多い。
そして、それを補うのが神楽だが。
「あのさボクさ思うんだけどさ、必要ないってことはないでしょ。ほらさ、何で扉が開かないのか知ってるなら教えてよね」
「封じられてる」
サキは短く言うと、崩れかけた神社の方へ指を向けた。全員が視線を向けるのだが、その中で亘はスマホを取りだしDPアンカーの棒を引っ張り出している。
「敵がいるのか。よし潰すか」
軽く振ってみせれば、びょうびょうと勢いよく音が響く。もう完全に戦闘モードだ。
「なんつーか、あれっすね。兄貴ってば脳筋タイプっすよね」
「全くその通りやんな」
「でも小父さんらしいぜ」
後ろの声に耳を貸さず、亘は敵を求めて歩きだした。
「来た」
「マスター気を付けて、何か来るよ!」
サキと神楽の声を受け亘は即座に身構えた。大半の悪魔を楽勝で倒せるまで強くなっているが、それで慢心はしない。常に臆病に警戒することを怠らないのだ。
「むむっ、あれは……」
前方でわだかまる闇が蠢き、伸び上がりながら人の姿へと変じていく。そして現れたのは少女だ。しかも――。
「サキ!?」
腰まである髪は銀色で、肌は浅く黒味を帯びている。だが整った顔や、そこに輝く緋色の瞳など姿形はサキそのものだ。しかし幼い姿にまとった衣服は薄汚れた布きれにしか見えないほど、ぼろぼろであった。
「マジっすか! マジにそっくりさんじゃないっすか。これって、あれっすね。セカンドキャラっすよね。うわっ、マジでセカンドキャラを見る日が来るとは!」
つまり、色だけ違うゲームのキャラだと言いたいらしい。
ちゃらけた声にサキもサキにそっくりな少女も、そして他の面々も揃って冷たい目でチャラ夫を一瞥した。足元のガルムが居たたまれない様子で謝りつつ、後ろ足キックを入れている。
それはさておき、サキにそっくりな少女が喋りだす。
「良く来たな、我が分け身よ。分かたれた日より幾星霜、こうして再び相見える日が来ようとは嬉しきかな」
重々しい声が響き闇を含んだ顔で笑う。それは性質の良くない種類であった。
「おおっ、凄いっす。なんかサキちゃんに似た子が喋ると不思議っすよね」
「お前いい加減に黙っとけよ。相手が喋ってる時に、口を挟むのは失礼だぞ」
「そっすか? つーか兄貴も喋ってるじゃないっすか」
「うるさいな。こういう時は黙って聞くのがお約束なんだ」
ヒソヒソとしたやり取りをする人間を一瞥し、サキに似た少女は気分を害し顔をしかめ鼻の頭に皺を寄せる。
「我が分け身よ、なぜに人間如きと共に居る。我に食わせる贄のつもりか」
「違う」
「何?」
首を横に振るサキの姿に、同じ顔が訝しげな表情をしてみせる。何かに気付いた様子で目を細め注視していたかと思うと、突如として見開く。
「我が分け身よ……なぜだ! なぜ人間如きに使役されておる!」
「悪いか?」
「馬鹿な! 相手に従う? 悪魔の誇りを忘れたか」
「誇りがあるからこそ」
サキは凜として言い放つ。口にこそしないものの心の中では強く念じた言葉が相手へと投げかけられている。
調伏され長い刻を封じられて過ごした日々。そこから逃れ逃げた後は、人に追われ逃げ惑い滅せられかける。その絶望を救ってくれた相手への感謝と、共に過ごす日々の心地よさ。そして激しく渦巻く思慕に欲望。
「さあ共に」
サキはほっそりとした手を伸ばす。ここに来たのは、移動する車の中で敏感に分け身の気配を感じ取り、自分の得た幸せと喜びを分かち合おうと考えての事だ。
しかし――。
「下らぬ。実に下らぬ」
「むっ」
「もう良いわ、不抜けた貴様を食らって我の力となそう。そして、この牢獄より抜け出し我を封じた者共への復讐をなしてくれよう」
「勝てるとでも?」
「知らぬわ。確かに力の差はあるだろう。だが、戦うしかなかろう。交渉が決裂すれば我を食らうつもりであったのだろ?」
相手の言葉にサキも凄みのある笑いを浮かべる。
「確かに」
それぞれが後方へと大きく跳び、空中で回転してみせる。その動きは合わせ鏡のようであって、姿を変じた様子もほぼ同様だ。
サキが変じるのは五本の尾を携える白狐、対するは二本の尾の黒狐。大きさはともに、神社の屋根を越えていた。
「やべえっす! 怪獣大決戦が始まるっすよ!」
「お前さあ、いい加減黙らないと両方から襲われるぞ。ほれ巻き込まれる前に離れておくぞ」
亘はチャラ夫を引きずって歩きだした。見る限り尾の数が多いサキの方が優勢そうであるし、何よりもサキが倒せば自動的にDPが手に入るのだ。ここは楽をして手を出すつもりはなかった。
白と黒の大狐が唸りをあげ、組んずほぐれつ相争う。頭突きに体当たり、噛みつきから後ろ足の蹴り。上に下にと位置を入れ替わりながら転がり回る。
「なんつーか、地味な戦いっすね。もっとこう、口からガーッと光線を吐いたりしないんすかね」
「一理あるが、もう少し離れた方がいいかもしれんな」
その余波により近くにある神社の廃墟は完全に更地へと変じつつある。
「大丈夫でしょうか?」
「万が一には介入するけど、まあ大丈夫だろ」
獣毛が舞い血が流れるものの、サキの変じた白狐の方が優勢である事は間違いなかった。踏みしめる力も強ければ動く早さもある。次第に黒狐の傷が増えていく。
「あっ!」
声を上げたのは誰であったのか。
白狐が黒狐を上から押さえ込み、その首筋へと鋭い牙を突き立て食らいつく。黒狐は苦痛の声を放ち激しくのたうつが、徐々に動きを弱めていく。そして、白狐の牙が完全に合わさると、頭部がゴロリと落ち地面を転がった。
生首となった黒狐は薄く笑うように牙をむき動かなくなる。
「「うわっ……」」
凄惨すぎる光景に見ていた者達から呻きがあがる。だが、それで終わりではなかった。
「た、食べとるで……」
「弱肉強食なんだぞ」
白狐は倒した相手を食らいだし、辺りに咀嚼の音が響く。時折、そこに固い音が混じる。七海やエルムの顔がさらに青ざめてしまう。
やがて口元を赤く染めた白狐が空を仰いだ。
――GRUOOOOOOO!
遠吠えをあげる背後にて、尾が二つ増え七本となった。その新たに生じた尾の色は艶やかな黒色であって、白の中に交じるためよく目立つ。
「あれは取り込んだって事なのか?」
「そだね。ねえマスターってばさ。こな事言いたくないんだけどさ、なんだかサキの気配が変なんだよ……何か変わってくよ」
「見て下さいよ、黒い尻尾の辺りを!」
七海が鋭い声を発した。
その言葉のとおり黒い尾から染み出すように、黒が白い獣毛へと広がっていく。さらに、白狐は苦しむように唸り身をよじらせているではないか。
「なんか嫌な予感がするで。ほらあれや、ダークサイドに落ちてく感じやんな」
エルムの感想は的確なものであった。
大狐の目が鋭さを帯び猛々しさが混ざる。空気が重く冷え込むように、おどろおどろしい気配となっていく。獣の目がじろりと向けられるが、それは敵意ある肉食獣のものであった。本能的に恐怖を覚えた全員が後退ってしまう。
「あのっ、サキちゃん?」
「やめてーな。冗談はそんぐらいにしといて欲しいんな」
「だよな、ドン狐ってば冗談がきついぜ」
だが、答えの代わりに燃えさかる劫火の球が放たれた。
瞬時に神楽が魔法を放ち迎撃する。押し寄せた爆風は皆の足をふらつかせる程であった。
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