第202話 なんつうか飴と鞭
押し寄せる威圧と迫力は全員をたじろがせるまで強まっている。
目の前に存在する白狐――黒味を帯びたことで銀狐ぽい――がサキであってサキではないと、誰もが感じていた。
「ちょっとサキってばさ! 何すんのさ!」
神楽は手を振り声を張りあげるが、そこには隠しきれない焦りが含まれていた。その傍らで亘は顔をしかめる。怒っているのではなく考えているのだ。
「つまりあれだな、トロイの木馬みたいなものか」
「マスター、それどゆことなのさ」
「さっきの黒い奴は自分が負けると最初から分かっていたんだ。それでサキに取り込まれ、中から逆襲してみせたってことだろ」
「そなこと言ってもさ……サキのが強いんだよ」
「妬みとか恨みってのはな……物理的な力とは関係ないんだよ」
そうした感情を良く理解する亘は小さく頷いてみせた。
僅か数十年の人生でも、軽く絶望し疲れ切り世を拗ね捻くれてしまったぐらいだ。それに対し、あの黒いサキが抱いた感情はいかばかりだろうか。
「分かるとまでは言わないが、想像はしてやれる」
亘はDPアンカーの棒を手にゆっくりと前へと進む。巨大な緋色の目がぎろりと動き睨んでくるが構いもしない。
――GRUOOOOOOO!
大きな吼え声。
ビリビリと周囲を震わせ、異界の中の森が激しく揺れ葉が舞い散り、僅かに残っていた鳥居の柱は完全に倒れ転がってしまう。
それは荒れ狂う自然現象を見るような、人間の力ではどうにもならない存在に対する畏怖の念。胃の腑を掴まれ背筋を凍らせ恐怖してしまう。
「なんやこれ……もうお終いなんや」
「俺っちはもうダメっす。死ぬ前に綾さんに会いたかったっす!」
「二人ともどうしちゃったんだよ。しっかりしろってば」
「イツキちゃん、これはきっと状態異常の恐慌ですよ」
「ナナゴンは平気なのか!?」
「状態異常耐性のAPスキルがありますから。それより、大丈夫ですか」
呼び方の訂正をする余裕もない七海に応じ、イツキは首から提げているお守りを取り出してみせた。
「これがあるから平気なんだぜ」
そんなやり取りに亘が無言のまま、肩越しに後ろを指し示せば以心伝心。神楽が頷く。
「そんじゃあさ、『状態異常回復』なのさ」
神楽がひらりと飛びながら魔法を発動させれば、淡い光が恐慌状態のチャラ夫とエルムを包み込んだ。それで我に返り戸惑う二人へと、亘は振り向きもせずに言い放つ。
「もっと離れといてくれないか」
「兄貴、どうする気なんすか。まさか……」
「…………」
だが亘は応えず、手にした棒で自分の肩を小刻みに叩いていく。少しずつ腰を落とし全身に力を蓄えていけば、その戦意を感じ取った大狐が背を丸め毛を逆立てだす。
緋色に染まった巨大な獣の目は強く輝き、鋭い牙が剥き出された口からは威嚇の声がもれ出る。
その様子を亘は鋭く睨みつけ――目に紅い燐光を灯らせ地を蹴った。
あまり使いたくはないが、仕方がない。DPを暴走させるそれは、自分が思っていた以上に危険な力だと知っている。だが、使うべき時に使わないほど愚かではない。
地面の上を飛ぶような勢いで駆け、瞬時に間合いを狭める。大狐が反応しかけるものの間に合わない。棒を地面に突き立てながらの蹴りが、獣の鼻面へと叩き込まれた。
――GYAOOOONNNnn!
もんどり打って転がった大狐は廃墟の神社へと叩き込まれ、粉塵が激しく舞い立つ。吸い込めばハウスダストで苦しみそうな埃だが、亘は構わず突っ込む。
苦痛と怒りに目を見開く大狐へと襲いかかり、さらに殴りつけ叩き伏せると飛び乗りながら首根っこを抑えつけてしまう。
そのまま腰掛けながら、大狐の獣毛を束ね握りしめる。
「ようするにだ、主従関係を叩き込んでやればいいんだよ」
「マスターってばさ、暴力に訴えるのはどーかとボク思うんだけど」
「うるさい」
余裕が出てきたのだろうか神楽が呆れた声を出すが、構いはしない。獣毛を引っ張り持ち上げ、それを思い切り叩き伏せる。あまりに酷い扱いだ。
だが――背後で蠢く七本の尾がなぎ払われ亘を跳ね飛ばした。
「うわっ」
「マスターっ!」
身軽に躱した神楽は悲鳴のような声をあげつつ、しかし怒りの顔へと変じる。
「こんのぉっ、いくらサキだって許さないんだから。『雷魔法』『雷魔法』『雷魔法』『雷魔法』『雷魔法』『雷魔法』」
――GYAAAAAAAaa!
連続して叩き込まれる神楽の魔法。
それは並の悪魔であれば軽く消しとばし、異界の主すら大ダメージを与えるものだ。凄まじい破壊の力に大狐が悲鳴をあげる。だが、巻き上がった粉塵と爆煙の中から鋭い尾が槍のように飛び出すと、神楽へと襲いかかった。
「おっとっと。そんなの、ボクに当たらないもんね」
高速で飛び回り、それぞれが自在に動く七本の尾を軽々と躱してみせる。その隙に立ち上がり吼え声をあげかけた大狐だが、嫌な気配に飛び退き身構えた。
亘が立ち上がっている。
「おい服が破れたじゃないか。これはな、この旅行のために七海が選んでくれた服なんだぞ。それが破れたじゃないか、おい。凄く凄く凄く、気に入ってたのに」
低く抑えた怒りの声は大狐をたじろがせる程だ。前方の亘に上空の神楽、そのどちらをも気にしつつ呻り声をあげ警戒するばかりだ。
嬉しそうにするのは、亘の私怨の入った言葉を聞いた七海ぐらいのもので、チャラ夫などは呆然としながら呟いている。
「こっちの方が怪獣大決戦だったっす……」
ゆったりと進む亘が手にした棒を振れば、その風切り音は尋常ではない。後退る大狐は既に腰が引けており、それでも威嚇の呻りをあげ毛を逆立てている。
「まったくしょうのないヤツだな」
亘は自分をひと呑みに出来そうな口へと近寄ると、その鼻面へ平然と手を伸ばす。完全に怯えきり、びくりとした大狐であるが、意外なほどに優しい手つきに戸惑う様子となった。
「ほら、とっとと帰るぞ。今日か明日にはお揚げパーティーで、稲荷寿司にキツネうどんもつけてやる。お揚げにお揚げを詰めた、夢の共演もやってやろう。分かったら正気に戻れよ」
戦いの途中から全身の獣毛が銀色から徐々に色が抜け白さを帯びだしていた。そして亘に撫でられていく間に、今はほぼ完全に白へと戻っている。ただし尾の二本だけは黒のままではあるが。
巨大な姿が揺らめくように消えれば、そこに小柄な少女――サキの姿が現れる。上目遣いをしながら身を竦めているではないか。
亘はその頭へと手を載せ、金色の髪をかき混ぜながら撫でる。
「よしよし、もういいのか?」
「んっ、大丈夫」
「まったく手間のかかるヤツだ。神楽から貰えるオヤツもあるだろ、しばらくそれでも食べながらゆっくりしろよ」
「そんなー」
その言葉に悲痛な声があがり、今度は神楽が闇堕ちしそうな雰囲気である。今の戦闘のドサクサで忘れて貰いたかっただろうが、そうはいかない。
「で、中に居るのか?」
金色の髪の中に、これまでなかった黒い房を手にしながら亘は尋ねる。それに対しサキはこくりと頷いた。
「そうか大事にしてやれよ」
「式主!」
サキが嬉しげに飛びつき甘えるように頭をすりつけだした。そこに降下してきた神楽も混ざり、一緒になってじゃれ合っている。
「良かったです、なんだか感動的な光景ですよ」
「俺って、こういうの漫画で読んだことがあるぜ。愛のなせる奇跡なんだぞ」
「ちょっと違うような……でもまあ、五条はんの優しさが伝わったんやろな。めでたしめでたしやで」
なんだかんだで微笑ましそうにする女の子たちであるが、その後ろでチャラ夫だけが腕組みをしながら首を捻っている。
「なんつうか飴と鞭? そもそも何だったんすかね?」
身も蓋もない言葉に女の子たちから批難の眼差しが向けられてしまう。
「いやだってほら、サキちゃんがここに来たがったんすよね。でもってセカンドキャラっぽいのが出てきて戦って、それから兄貴と戦っただけじゃないっすか」
「ここに自分の同一存在がいると気付いて合流したかったわけだよ」
亘の言葉に、しがみついたままのサキが頷いて肯定する。
「話が決裂したんで、やむなく戦って取り込むことにしたわけだ」
さらにサキが頷く。
「ただまあ、ちょっと失敗というか油断して相手に乗っ取られかけた」
ちょっと申し訳なさそうに頷かれる。
「そして食い意地が張っているもんだから、お揚げの力で正気に戻って――おい、こらっ噛むな」
頬を膨らませたサキは噛みつき不満の意を表明している。もちろんそれは甘噛みのようなものでしかないのだが。
「これでサキも強くなったし、いいじゃないか」
「そだよね。今までより、ずっと強くなってるよ」
「んっ、強い」
「……それに勝つ兄貴と神楽ちゃん。マジでパネっす。つうか、尻尾が七本っすよね。あと二つ増えたら九尾の狐って事っすか?」
チャラ夫の言葉にイツキがポンッと手を叩いた。
「そうだぜ、ドン狐は七尾の狐になったんだ。これって里に報告すべきかな」
「五尾でも煩いことを言われたが、七尾だともっと面倒なことになりそうだ。とりあえず黙っておいてくれ。黙っとけば分からんだろ」
「小父さんがそう言うなら。でもバレたら……」
「知らなかったと言えば良いんだ。余計なことに口を挟まず、見て見ぬ振りをする。それが社会で生きるコツってもんだ。覚えておこうな」
純真な少女に教えるには酷い内容だ。けれど言っている本人は、良いことを教えたと思っていたりもする。酷い大人である。
「さあ帰ろうか、思ったより時間がかかってしまった」
歩きだす亘に促され、それぞれが動き出す。封じられていた異界の扉が開かれ、次々と外の世界へと出て行く。
ふと、サキが振り向き異界の中を見回した。
神社の残骸に地面に転がった鳥居の柱、そして枝葉の散った森たち。それらを見やる目に僅かではあるが惜別の色が含まれもしている。
だが亘の手をしっかりと取ると、共に異界の扉をくぐり抜けていった。
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