第46話 目に毒な光景

「なんで!? 探知だと存在しないのに、どうしてなのさ!」

 神楽から驚愕の声があがる。探知には自信を持っていたのだろう、軽いパニック状態だ。細かく頭を振りながら後ろへと漂っていく。

『その程度の能力なぞ、欺くこと造作もないわ』

「そんな……」

「落ち込むのは後だ、備えろ!」

 亘は叱咤すると素早く服の山から警棒を取り出し構えた。服を着ている時間はないため全裸のままだ。後悔しても遅いが、七海に見とれてなければパンツを履く時間ぐらいあっただろう。

 ずしりずしりっと床を踏みしめる足音が近づく。

 これまでの経験からして異界の主であることは間違いない。大体出口付近に現れるのだ。

『先の連中は、夢までは退けられたがの。色欲の虜からは逃れられなんだわ。それに比べ、お主は色欲をはね除け妾の存在にも気付いた。やるではないか』

「…………」

 ハッタリで生きるヘタレは黙っておくことにした。

『ほほほっ、このような場所に異界が開かれたことは不快じゃったが、お主のような喰い甲斐のある人間がおったのは重畳じゃ』

 薄闇の中から異界の主が姿を現した。

『さあさあ、この妾が直々にお主の相手をしてくれようか。もちろん色欲でな』

「っう、まただと……」

 生暖かい息を吐きかけられ、ムワッとした感情が込み上げる。額を押さえ堪える亘だったが、異界の主の姿を見つめるとガクリと肩の力が抜け落ちてしまった。


 一方、神楽は歯を食いしばって耐えていた。

「ぐぬぬぬぬっ」

 空中で手足を縮め丸くなったかと思えば、何かを振り払うように大の字に手足を広げる。そのままビシッと異界の主を指さす。

「もうボクに、それは効かないからねっ! って、マスターしっかりしてよ」

『ほほっ、そやつはもう妾に骨抜きじゃて。今日は男が沢山よの、どれしっかり精を絞り尽くしてやろうか』

「マスター行っちゃダメ!」

 焦った神楽は状態回復を使うべきか、雷魔法で攻撃すべきか迷ってしまう。基本指示され行動する従魔のため、その契約者からの指示がないと判断が遅れる。

 その間に舌なめずりする異界の主の前へと亘は進み出てしまい、迎え入れるように広げられた両手の中へと身を投じていく。

「マスターダメっ……えっ?」

 魅入られていたはずの亘が警棒をフルスイングした。そのまま何度も何度も、警棒を振るう。怒り狂い乱雑に叩き付けるような攻撃だ。

『げふっ!なんじゃ、やめぬか妾に何するか』

「謝れ! 謝れ! 謝れ! 泣いて詫びろ!」

『何故じゃ。何故、色欲が効かぬ。藻女御前と呼ばれた、妾の色が何故効かぬ』

「効いてたまるか!」

 亘が激昂するには理由がある。

 異界の主である藻女御前――その顔は、サルのようだった。しかも白塗りの厚化粧で、朱塗りのおちょぼ口、墨で円を描いた引眉。ニッと笑う口はお歯黒だった。タヌキのような身体は肥えて三段腹。爬虫類のような両手両足は鱗に覆われている。背後でヘビの尾が蠢いている。何より許し難いのが、頭にトラ耳があることだろう。


 これに欲情するなど、ありえないことで見た瞬間萎えてしまう。存在自体が罪で害悪だ。先程まで見て触れた魅惑的な肢体の記憶があるため余計にそうなる。

 素晴らしい記憶が穢されてしまい、怒り心頭の亘は藻女御前を打擲し続ける。

『うばっ! やめぬかっ。妾は幻術は得意でも戦闘は苦手なのじゃ』

「あの夢もお前の仕業だろ! 絶対に許さんぞ!」

「ひいっ。マスターが荒ぶってるよ」

「ぼさっとするな! 神楽も攻撃しろ!」

「はいぃ『雷魔法』」

 神楽も併せてバチバチとした雷球を次々と放つ。MPが心許なくなれば、薙刀をとって戦いを挑む。亘の邪魔にならぬよう、藻女御前の背後に回り込み一撃離脱で斬り付けていく。


 そんな主従併せた猛攻に藻女御前はタジタジだ。いつものような油断もしない亘がそのまま押し切る――はずだった。

『そうれ、足下がお留守じゃ』

「うわっ」

 忍び寄っていた蛇の尾が足にまとわりつく。亘は危うく転びそうになり、全裸で転んではいけないと、慌ててバランスを保とうとする。

 その、ほんの一瞬気が逸れた瞬間、長い蛇体が亘の胴体へと巻き付いた。引き剥がそうとする抵抗も空しく、しっかりと締め付け巻き取られ宙へと持ち上げられてしまう。

『ほほっ、男が釣れたのう。大漁じゃ』

「こんのぉ、ボクのマスターを放せ!」

 神楽は蛇体に攻撃をしかけるが、硬い鱗を前に弾かれてしまう。背後に回り込んで攻撃を仕掛けようにも、振り回される手に牽制され近づけない。

「くっ! 息が……苦しい」

 吊り上げられた亘はほとんど身動きが取れない。どうにか腕は自由でも、警棒を落としてしまったせいで手で叩くしかできない。それも、可動範囲が狭いため大した力が込められず、胴から腹までを締め付けられているため呼吸するのがやっとだ。

『おうおう、これはなかなかご立派ではないか。先程の奴らより余程楽しめそうよのう』

 吊り下げられた亘を藻女御前がしげしげと覗き込む。その顔がニヤニヤと緩んで涎を垂らさんばかりとなっていく。

 亘は猛烈に嫌な予感に襲われる。

「ちょっ! いくらなんでも、お前みたいな喪女はお断りだ!」

『この無礼者め。妾は玉藻御前様の幼名であるミズクメ様の字を頂いた藻女御前ぞよ。御前を付けぬか』

 そんなことどうでもいい亘は恐怖に襲われている。こんな相手に性的に襲われたとしたらトラウマものだ。せめて最初ぐらい、あのまま七海とすればよかったと邪な後悔が胸をよぎってしまう。

 だが後の祭りだ。嬲るように近づく藻女御前を追い払おうにも、足をばたつかせる程度の抵抗しか出来ない。神楽も迂闊に攻撃できず周囲を飛びまわるだけだ。

 亘の貞操は風前の灯だった。

『ふうむ。そうじゃな、先ほどは散々男を喰ろうたしのう……』

「ほっ」

『なので今度は妾が攻める方になろうかの。何せ妾は鵺ゆえ、男役もできるぞよ』

「寄るな来るな! 神楽、なんとかしてくれ!」

「了解! こんのおおおっ! マスターを放せぇ!」

 なりふり構わぬ助けを求める声に、神楽が燃え立つ。薙刀を槍のように構え、一直線に突撃をしかける。それは一条の矢の如き速度だ。

『小虫が煩いわ』

 けれど、あっさり指先でピンッとされ吹っ飛んでしまった。地面に落ちると、キュウッと目を回し倒れ伏してしまう。

「ちょっ、神楽!? 神楽さん? 起きてぇっ!」

『さあさあ、邪魔はなくなったのじゃ。ゆっくりと楽しませて貰おうかのう』

「いくらなんでもあんまりだーっ!」

 亘は絶叫した。

 思春期を迎えてから苦節二十数年。長年映像資料のみで生きてきて、ついに実施のチャンスを得たかと思えば、自らふいにした。その揚げ句がコレだなんて、あんまりだ。

 絶望に涙が伝いそうになる――、その時だった。

「その人から離れなさい!」

 凛とした声が薄闇に鳴り響いた。


 おおっ!と亘は目を輝かせ視線を向け、そして口をあんぐりとさせる。

 声の主は七海だった。目に強い怒りをたたえた彼女は怒りモードの様子で仁王立ちとなり、片手に警棒を片手にスマホを構えている。なお、衣服の大半は床の上だ。

 亘は先程までと別の意味でジタバタ藻掻いた。正直者の下半身が反応しているが、そこはむき出し状態であって、あげく七海の目の高さで宙づり中だ。丸見えだが、足を屈めて隠すのが精一杯だ。

 しかし七海は気にした様子もなく、スマホからアルルを呼び出す。

「アルル、『風魔法』で五条さんを支援しなさい! それから五条さん、これを!」

 亘に目掛けて特殊警棒が投げられた。質感を持ってユサッと揺れた胸に思わず目を奪われ、危うく受け取り損ねかけ何とかキャッチする。

 その間に七海がもう一本の警棒を手に駆けだした。

「いきます! やぁぁぁっ!」

『小娘がぁ!』

 藻女御前が憎悪をこめた叫びをあげ腕を振り回す。七海は的確にその攻撃を見極め、僅かな動きで回避すると逆に思い切り警棒を叩きつけ攻撃する。

 今の七海には躊躇というものが消え失せ、攻撃の一つ一つにキレがある。素早い動きで走り攻撃をしかけていく。だが、その都度胸が揺れる。もの凄く揺れてしまう。

 目に毒な光景だ。

「はっ! ぼさっとしてられるか」

 ギュっと目をつぶり亘は頭を振る。懸命に戦う七海にひきかえ、拘束されたまま股間を隠そうと、身を竦める自分のなんと情けないことか。

 タイミング良く、アルルの放った風の刃が藻女御前の蛇体を切り裂いた。それは目の前であり、パックリと裂けたそこへと警棒を突き込みグリグリとえげつなく抉ってやる。

『ぎゃあああああっ!!』

 締め付けが緩み、ついに亘は束縛から逃れることに成功した。

 着地してようやく大きく息を吸うことができる。胸や腹に赤くうっ血する絞め跡が残っているが、あとは問題ない。そのまま怒りを力に変えて攻撃に転ずる。

「よくもやってくれたな、おい!」

『二人がかりとは卑怯な、止めぬか。止めい、妾は藻女御前なるぞ』

 突進による加速と腕の突き込み、その全てのエネルギーを警棒の先端へと集中させる。APスキルによって強化された力が加わり、それは必殺の一撃となる。

『がああああぁぁぁぁっ!』

 特殊合金の先端が藻女御前の横腹に半ばまで突き刺さった。ズブズブと重く湿った肉を抉る感触が伝わってくる。しかし、それだけで終わらせない。上下左右にと無理やり動かし、中をかき回していく。

『いぎゃああああぁぁ! がっ、がぁああ! ひぐぅぅううう!』

 藻女御前が絶叫し、両手をピンッと硬直させ細かく痙攣する。

 そこに容赦なく七海の追撃が放たれる。警棒の一撃が腰を打ち、尾の付け根を叩き、さらには鳩尾をも突く。こちらも全く容赦がない。

『…………』

 もはや藻女御前は声すらあげない。口をパクパクとさせたまま、ゆっくりと上体を反らしていき仰向けになったかと思うと、ズズンッと鈍い音を響かせ倒れ込んだ。

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