閑16話(2) お宮の神様
回れ右して家に駆け込みたい気分だ。そうしたいが、近所付き合いを考えると、そうも出来やしない。失礼のない程度の対応をせねばならない。親しさを感じさせない丁寧なお辞儀をしておく。
「明けましておめでとうございます」
「おめでとっ。お正月から五条君に会えるなんてぇ、お姉さんとっても嬉しいぞぉ」
「……そ、そうですか、それはどうも。どうも、どうも、どうもです」
お姉さんを自称する歳でもない相手の『ぞぉ』という語尾に、背筋がぞぞぉとなる。おかげで顔を引きつらせた亘は自分でも意味の分からない言葉を繰り返すしかない。
挨拶がすんだので、そそくさと歩き出す。しかし、回り込まれた。
心の中で悲鳴をあげるが、相手はお構いなしだ。進路を塞ぐように立ちはだかると、両手を前に組んで上目遣いに目をパチパチさせてくる。
「今からどこ行くんですかぁ? もしかして神社にお参りですかぁ、だったらお姉さんご一緒しちゃおうかなぁ。アハハハッ」
嬉しそうな笑い声だ。
ただし、それは自分が楽しいから笑った声ではない。言葉にすると難しいが、自分が笑っていることを相手に伝えようとするための笑い方だ。
そうしたワザとらしさが、仕草の全てから感じられてしまう。
「お参りなんて、とんでもない! ジョギング、いえ、これから走り込みです。運動不足解消のために、これから全力疾走なんですよ。そんな訳で失礼します!」
「そっかぁ、五条君はアクティブ系なんだ。格好いいぞぉ。よぉしお姉さん応援しちゃう。頑張れ頑張れ」
こんな相手の頑張れ頑張れボイスなんて聞きとうなかった。亘は全力疾走した。
悪寒戦慄を忘れるため、山の神社までノンストップで駆け抜けてしまった。徒歩四十分の急な登り坂ありの行程を、その半分以下の時間で走破してみせる。今まで、これだけのペースで走破したことはない。
おかげで神社にたどり着いた時には疲れ切り、がっくりと膝をついてしまう。
「はぁはぁ、ぜぇ、はぁ。ああ、もうダメだ気分が悪い」
そこは小山の上にぽつんとある神社だ。石の鳥居と小さなお宮、岩と桜の木がある。もちろん宮司など管理する人も居ない。地元の有志が年に数回手入れをするだけの、寂れた場所である。
祭神は桜を司る神だが、御利益などは特に誰も気にしていない。地元では散歩コースの折り返し地点として人気だが、世間では全く知られていないだろう。
亘はお宮の裏に腰を降ろし荒い息を整えることにした。子供のころから何度も来ており、勝手知ったるなんとやらだ。周囲に人の姿が無いことを確認すると、スマホから神楽を呼び出した。
小さな姿は画面から出てくると、荒い息の亘を心配そうに見上げてくる。
「マスター大丈夫? 疲れちゃったの?」
「大したこと、ハア、ない。寒気のするような、ハア、喋りを聞いたせい、ハア、だ」
「そうなんだ……ひゃあっ」
亘は神楽をいきなり掴むと頭を撫で、あちこち触ったり揉みくちゃにしていく。最初に出会った時とは違うが、それに近しいセクハラ紛いのことだ。けれども、神楽は顔を真っ赤にするだけで怒ったりはしない。満更でもないらしい。
「はあ、神楽のお陰で気分が良くなってきたな。やっぱり神楽が一番だ」
「あうう……」
「さて。それでは、ここに異界はあるかな」
気分を切り替えた亘は神楽を手放し、お宮の敷地を眺め回した。一方で、ぽいされた神楽は頬を膨らませている。
「ふんだ。マスターのバカっ、もっと余韻を大事にしてよね」
「そりゃどうも。で、どうなんだ」
「もう仕方ないね。んーとね、この建物中に入り口があるのが分かるよ」
「そうなのか!」
神楽が指し示すお宮のを見て亘は目を大きくした。異界の入り口があって嬉しいだけではない。そこは、子供の頃に足を踏み入れたことのある場所だからだ。
子供の頃の亘は友達がおらず――それは今もだが――遊びに行く相手もいなかった。しかし母親は子供は友達と遊ぶべきという確固たる信念があり、誰の家でもいいから遊びに行きなさいと叱るのだ。
行く先もなく彷徨ったあげく、ついにお宮に辿り着いて時間を潰すようになったのだ。結局それも参拝に来た人に見つかり、こっぴどく怒られてお終いとなったのだが。
そんなお宮の中に異界への入り口があったとは思いもしなかった。
「下手すると悪魔に引きずり込まれていたかもな……」
「無礼なことを言う子だね」
亘の鼻先に、桜の枝が突きつけられた。それを持つのは雅な姿の女性で、いつ近付かれたかさえ、分からなかった。
それ以前に格好が異常だ。薄桃色した衣を身に着け、肩に白色の比礼をかけた大昔の雅な姿としか言い様がない。
『デーモンルーラー』に関わってなければ、自分の頭がどうかしたとしか思わなかっただろう。しかし、今の亘は従魔を引き連れ異界の地で数々の悪魔を倒している。すぐに相手が人間でないと気づいた。
「マスター気を付けて!」
「いや、敵じゃない……と思う」
「その通りだね。私は敵ではないよ、ここにある異界を管理する者だ。ついでに神様として崇められているけどね」
「神様なの?」
「君らに言わせると、そうした概念の存在ということになるね。それにしても、ふうむ、ふむふむ」
女神が鼻先を近づけるようにして亘を覗き込む。桜の花の香りがふんわりと鼻腔をくすぐるが、不思議とドキドキはせず、むしろ穏やかな気分になる。
ぽんっと桜の枝で手を打ち女は笑った。
「おお、思い出したよ。君はここによく来ていた少年だね。いや久しぶりだ。ところでいつの間に、悪魔を従えるようになったんだい」
コロコロと鈴を鳴らすような笑い声だ。
説明会のことを思い出せば、古来人々が崇めてきた神や精霊も実在すると説明があった。まさか、本当に遭遇するとは思わなかった。
人が神として祈った概念が悪魔として実体化したのか、既に実体化していた悪魔を神として崇めたのかは分からない。鶏が先か卵が先かのようなものだろう。けれど、なんとなくどこかにいるだろう程度に感じていた神様が、こうして目の前に現れたことが驚きだった。
「ええっと、自分のことをご存じですか」
「うん。君はいつもお宮の中で本を読んでいただろ。それに、何度もお参りに来て必死に祈ってたからね、覚えてるよ。賽銭はいつも五円玉で、ご縁が欲しいご縁が欲しいって言ってただろ」
「マスター……」
神楽から憐れむような目で見られ、亘はそっぽを向いた。幾ら神様でもプライバシーの侵害だ。
「私に祈られても、どうもできないからねえ、心配していたんだ。どうだい、良いご縁はあったかい」
「……まだ独身です」
「そうかい、それは残念だったね。まあ頑張りなさい」
さして気の毒そうでもなく、お宮の神様はさらっと話を流した。どうせなら、神様として何かして欲しいとか願ってしまう亘には少し不満だ。
「どうしてまた今日は現れたんです。今まで一度も姿を見たことがなかったのに……」
「うん、それはね。悪魔を連れた人間が来たからだね。アマテラスの使者でも来たかと思ったんだよ」
女神はふわりと滑るように動き、優雅な仕草で石垣に腰を降ろした。
どうやらアマテラス系列の退魔師か何かと勘違いされたらしい。亘は『デーモンルーラー』について説明し、アマテラスと関係ないことを話した。
「なるほど、よく分からないね。独覚の召喚師みたいなものかな。実に面白い」
「ところでここの異界に悪魔はいないのですか」
「うんいない。悪魔を住まわせる気はないからね。それに私の力が及ぶこの一帯は悪魔が立ち入ることも許さないよ」
「ボクも?」
亘は密かに身構える。もし神楽の存在が許されないのなら、早々に立ち去るしかない。もしそれさえ許されなければ、一戦交える覚悟だってある。けれど女神は優しく笑った。
「君はいいよ。私は人間が大好きだからね。その人間に協力する悪魔なら、別にどうこうするつもりはない。安心なさい」
「よかった。神様ありがとう」
「ありがとうございます」
神様の前で頭を下げてみせる神楽の姿は、まるで本当の巫女のようでもあった。
「ああ嬉しいね、こうして人間と話せるのは実にいい。今の時代は、存在を隠さねばならないのが残念でならないよ。大昔みたいに自由に姿を見せられればいいのにね。寂しくて堪らないね」
「神様も大変そうですね」
「そうなんだよ、大変なんだよ。だから時々遊びに来てくれないか。歓迎するよ」
「正月の間は来ますし、そのうち仲間も連れてきますよ」
「それは嬉しいね。おっと、人が来るね。姿を消すけど、また来てくれるかい」
女神はにこにこしながら姿を消してしまった。程なくして姿を現わした参拝者がお宮の前で手を合わせだした。
亘は帰りながら、思いもかけぬ邂逅に不思議な気分に浸る。これまで普通に暮らしていた日常でも、実はその隣に異界やDPが存在していたのだ。ずっと昔から、人々の生活の側にあったのだ。それを改めて実感していた。
その後の数日は参拝がてらお宮の神様のところに遊びに行き、昔話を聞いたり亘が話したりして正月を過ごした。家を出る時は神楽に外の様子を探らせ、山村さんちのお姉さんの気配を避けたので遭遇することもなかった。
なかなか得がたい体験をした正月だったと言えよう。
◆◆◆
亘は車を走らせている。
「ふう、これで正月もお終いか。明日からまたお仕事の日々が始まるな」
正月が終わって残念な気分もあるが、一方で仕事に行けてホッとする気分もある。これが社畜根性かと、亘は苦笑いを浮かべた。
一方で助手席の神楽はずっと一緒に過ごせたのが嬉しかったのか、足を投げ出して座りながら小唄を唄っている。それはお宮の神様に教わった唄で童謡らしい。たいそうご機嫌な様子だ。
「あー、面白かったよね。それにさ、マスターのお母さんに見つからないようにしてたからさ、ボク隠れるの上手になったよ」
「ノックもせず入室してくるからな……」
亘はしみじみと呟く。何でとは理由は言わないが、学生時代はそれで苦労した。
「それにしてもマスターのお母さんってさ、よく喋るよね。マスターと大違いだよ」
「確かによく喋るな」
「そだよね。でもさ、マスターのことをとっても心配してるよね。ボクも見習って、もっともっともーっと、マスターお世話をしなくっちゃ」
「勘弁してくれ……」
世話焼き神楽は拳を突き上げ、決意を表明している。
おかげで運転する亘はゲンナリとした。ただでさえ、あれしろこれしろと口うるさい神楽だ。それが張り切ったらどうなることやら心配だ。
「まあお手柔らかにな。さてと、今日はまだ時間があるからな。アパートに帰って荷物を片づけたら、一つ挨拶にでも行くとするか」
「へーっ」
神楽はニヨニヨした顔で亘の顔を見上げた。
「やっぱりナナちゃんに会いに行くのかなー。もうマスターったら隅に置けないんだからさ。えへへーっ」
「何を言ってる。挨拶に行くのは雨竜くんの所だぞ」
「え? それって……」
「もう一週間経ったから復活した頃合いだろ。新年早々のご挨拶だ。お年玉のDPを貰いに行くか。はははっ」
「ああ……やっぱりマスターはマスターだったよ……」
正月早々、DP稼ぎに出かけようとする亘に神楽は頭を抱えてしまった。
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