閑16話(1) 今年最初のお祈り

 独身男の正月は朝早い。配達される年賀状は、独身男が丁寧に選別しチェックされたものだけが家の中へと運ばれる。配達数が少なくとも、郵便受けから屋内に入るまでに選別するのは大変なんですと独身男は言う。そうして手紙が選別されることで、ようやく平和な正月が迎えることが出来るのだ。


 年賀状の選別を終えた亘は、ふんっと軽く鼻をならす。

 毎年のことだが、大学を卒業してから一度も会ったことさえない連中から年賀状が送られてくる。そうした奴に限って、不幸の手紙としか思えない内容の年賀状を送ってくるのだ。

 『結婚しました』や『子供が産まれました』ぐらいの近況報告なら、まだ我慢できる。しかし、会ったこともない赤ん坊や子供の写真をデカデカと入れた年賀状は我慢がならない。

 そんなものを見せられても、誰から送られたかさえ分からない。知り合いなのは当人であって、その子供なんて知り合いではないのだ。当人たちの幸せ気分を押し売りされ、不快な気分だ。何故に正月早々から不快な思いをせねばならないのか。

 しかもだ、そんな年賀状を送られるせいで、こうして早起きして選別をせねばならない。もし不幸の年賀状を母親に見られたら、ブチブチと嫌味たらしく独身を責め立てられてしまう。そうしたら、せっかくの正月休みが台無しではないか。

「年賀状、ここに置いておくよ」

「おや、ありがと。毎年のことだけど、あんた気が利くわねえ」

「お年玉もやる。ほらどうぞ」

 ポチ袋を母親に渡す。中身は一万円だが、それで実家に居る間の平穏が買えるなら安い物だろう。

 ホクホクした顔の母親はポチ袋を拝んでからエプロンのポケットへとしまい込んだ。

「ありがたいねぇ、本当に持つべきものは優しい子供だねえ。さあさ、お雑煮でも食べよかね。あんたは、お餅幾つにするんだい」

「二個でいいよ」

「はいよ。ああ、そうそう。正月なんだから、父さんに手を合わせておきなさいよ。あんな人だったけど、一応父親なんだから」

「……わかった」

 仏壇の前に座り目を閉じるが、思い浮かぶのは数々の嫌な思い出しかなかった。


 亘は年末年始を実家で過ごす。

 それは実家に保管している刀をじっくり手入れするのが主な目的だ。あとは正月の間ぐらい、家事をせずのんびりしたいという目的もある。

 食卓につくと、朱塗りの椀で雑煮が出される。自分で家事をせず食べられる食事に感謝しつつ、熱いので注意しながらズズッとすする。

「カツオ出汁がよく利いてるな。そういや、最近は出汁をとってなかったな……面倒がらず取らないとダメだな」

「そりゃそうよ。美味しい味噌汁を、舞草さんに飲ましてあげるぐらいしたらどうなの」

「それ逆だろ……」

「頑張って良いとこ見せないと振られるわよ。それで、舞草さんとはどうなの。上手くいってるの」

「……ああ」

 正月早々から亘のストレスは増大中だ。どうして実家に帰ってまでストレスを溜めなければいけないのか。

「本当? あんな可愛くて気立ての良い娘さんなんて、そう居ないわよ。あんたがちゃんとしてるか、母さん心配だわ。様子を見に行こうかしら」

「クリスマスに一緒に出掛けたし、夜まで喋ったりした」

「あらいいじゃないの。そうそう、その意気よ。そうだ、あんたに言っておかなきゃ。ほら、山村さん家のお姉さんのこと覚えてるかい」

「……ああ、あれね」

 一瞬考え、思いだす。確かニートだ。

「あのお姉さんだけどね、どうもまだ諦めてないらしいのよ」

 思わず雑煮をこぼしそうになってしまう。

「何だそれ」

「あんたが毎年お正月に帰るの知ってるからね、もしかしたら顔を合わせるかもしれないわ。ちゃんと挨拶して失礼のないようにね。いざって時はお世話になるかもしれないからねえ」

「勘弁してくれよ……」

 正月の朝からストレスはレッドゾーン突入した。

 母親の長話に付き合い適当に相槌を打ちつつ、肉食系アラフォーニートへの対策に頭を悩ませた。


 朝食を終えると自室に引っ込む。そうなると、することもなく暇になってしまう。むしろ昨夜の方が忙しかっただろう。なにせ初めて貰った『あけおめメール』の返信に忙しかったのだ。

 それはそれとして。

「やっぱり暇だ……」

 頬杖をつく亘の傍らで、カリカリと音がしている。神楽が落花生を栗鼠のように抱え食べているのだ。最初にスマホから出た時は初めて訪れた部屋で、おっかなびっくり様子を伺っていたが、今では昔から住んでいたように寛いでいる。

 豆栗柿に旺盛な食欲を示し、カリカリパクパクモグモグと平らげていく。お菓子も好きだが、こうした自然食品も好きらしい。食べ物なら何でもいいかもしれないが。

「マスター、早く次の殻剥いてよ」

「はいはい」

 催促され豆と栗の殻を剥いてやる。

 そうしながらボンヤリする。することが無いわけでもないが、なんだか面倒で気怠い気分だ。正月早々の不幸の手紙と、母親からの繰り言が心に重く圧し掛かっているのかもしれない。

「いかんな。このままでは腐りそうだ」

 これではダメだと気を取り直すと、思い立って床の隠し棚を開け、刀を納める箱を取り出す。もちろん他に刀箪笥もあるが、特に貴重な刀はこうして隠してあるのだ。

 そこから刀袋に収められた日本刀を丁寧な手つきで取り出す。年末に手入れをしたばかりだが、年始にまたやっても悪くはないだろう。

「ねえマスター、栗の殻剥いてよー」

「後でな。危ないから少し離れてなさい」

「はーい」

 大人しく返事をした神楽だが、そのままフワリと飛んで少し離れた箪笥の上に着地した。どうやら食べるのは止め、見学するつもりらしい。

 亘は手入れ道具を横に置き、準備を整えて刀の手入れを始めた。


 カロロと小気味良い音をさせ鈍色の抜き身を引き出す。淀みなく慣れた手つきで目釘を外し、手の甲を軽く叩いて茎を取り出す。

 打ち粉は使わない派なので、布を何度か取り替えながら刀身の油を拭い去る。そして鑑賞する。光源に切っ先を向け、角度を微妙に変えていく。最初は刃文に目が行ってしまうが、次第に地鉄へと目が移る。そうして手元から切っ先まで表裏を変えて鑑賞する。

 ほふっ、と満足の息を吐くと鑑賞を終え、丁子油を塗り直してから油滴防止に軽く布で拭き、先ほどと逆の手順で白鞘に納め刀袋にしまう。

 そして次の刀を取り出し同じことを繰り返していくが、とても静かな時が流れている。ためつすがめつ刀を鑑賞する亘をさらに鑑賞していた神楽が口を開いた。

「ねえマスター、昨日から思ってたんだけどさ。それ異界で使ったらどうかな。武器は使わないと意味ないでしょ」

「そんなことできるわけないだろ……例えばこいつは今から八百年前から伝わる貴重な品なんだぞ」

「使ってこその武器だよ」

「……あとは値段の問題もある。二千万円の短刀とか戦闘で使えないだろ」

「二千万円ぐらい、いいじゃないのさ。使っちゃえ」

 人間とは金銭感覚が違う神楽は、えいやと手を振り回す仕草をして、お気軽に言ってみせる。無茶言うな、というやつだ。

「じゃあDPで説明してやろうか。例えばこの刀なら8000DPだぞ」

「うっ……ボクのDPより多いんだよね」

「そうだな。ちなみに、こっちは10000DPだ」

 紫の刀袋に収められた一振りをひょいっと持ち上げてみせる。それは千年以上昔の作で、無銘ながら本阿弥光忠が個銘を極め折り紙を付けた品だ。

 神楽は次第にしょんぼりとしていく。

「ううっ……」

「んん? それでも武器として使う気があるかな?」

「はいどーも、すみませんでした。ボクが悪うございました」

「分かればよろしい」

 女の子座りでへたり込む神楽はがっくり手をついて項垂れている。とてつもないショックを受けている様子だ。トドメの短刀を出して、40000DPだと言ったら、きっと立ち直れないに違いない。


 比較的高価な日本刀を多数所有する亘だが、独身で酒も女も煙草もギャンブルもやらず貯金してきた。三十歳を少し過ぎて、これは一生独身だなと悟ってから好きな刀を買いだしただけである。

 あとは新藤社長からの特別ボーナスも注ぎ込んでいる。そのため貯金はスッカラカンだ。そろそろ老後のために貯蓄に励まねばならないと思いつつ、刀剣収集の深沼にはまり込み抜け出せないでいる。下に恐ろしきは刀の魔力で、一振り買うとまた一振り。しかも目が肥えると、より良い品でなければ満足できなくなってしまうのだ。

 亘は刀と手入れ道具を片付けると、ぼんやり手に付いた丁子の香りを嗅ぐ。鉱物製に香り付けした油より、植物性の粘度の高い油の方が香りが長持ちする気がする。

「暇だし初詣にでも行くかな……」

「初詣? 何それ」

「神様を祭った神社に今年最初のお祈りに行くことだな」

「へえ、そうなんだ。昔からある神社なら、DP浄化のために建てられたのかもね」

「それだ! 流石は神楽だ。神社は異界を鎮めるためにあるのだったな。よし! 神社で初詣ついでに初異界だ」

「ああ、言うんじゃなかった……お正月からこれだよ……」

 大いに後悔する神楽を尻目に亘はイソイソと出かける準備を始める。正月早々から殺る気スイッチが入り、鼻歌交じりで軽いストレッチを開始したのだった。


◆◆◆


「あーっ、五条君だぁ。お久しぶりぃ」

 けれども、神社を目指し家を出たところで甘ったるい声に呼び止められた。

 背筋がぞわっとする声をかけてきたのは、亘より年上な雰囲気の女性だ。まるで雑誌に掲載されているような派手めなファッションに、シッカリ系のメイク。髪は積まれたように盛られ、手には高級ブランド鞄だ。

 しかし、七海やエルムなどの少女を見てきた亘の眼は肥えていた。相手の女性の姿をさっと眺め、すぐに看破してしまう。

 

 雑誌にありそうなファッションは、つまりモデルなら似合うが、普通の人には全く似合わないものだ。睫毛は盛りまくって重たげで、アイシャドーも濃い。そうした厚いメイクで覆われているが、肌荒れは隠しきれない。盛られた髪はパサッとして細かな毛が飛び出ている。鞄も元は高かったろうが、今では端が擦れヤレた年季を感じるものだ。

 総評としては地に足がついていない。そして上辺だけ取り繕った格好であった。

――おまけに。

 媚びと甘えを含んだ声色と口調がいけない。一般的には可愛い喋り方かもしれないが、それも若い内だけだ。年相応の喋り方ではない。

「…………」

 何より、お久しぶりと言われても相手が誰だか分からない。初対面のつもりだが、顔見知りだろうかと悩む亘だった。

 だが、ややあって相手の正体に気付いた。コレが山村さん家のお姉さんなのだろう。

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